微熱
雨期が過ぎた。貴子は将軍として、軍勢を率いることを亥虞修理に頼まれた。位をもらっているからには、貴子は亥虞修理の臣下であった。しかし亥虞修理はいつまでも低姿勢であった。
「都を陥落させられますかな?」
「できます」
貴子は頷いた。宰相はヒャグンに手を出しており、都は手薄。そのうえ、制圧したばかりのションルンにも兵を置いていた。
「都は川の近くです。増水させて、都を水攻めにいたします。高い城壁を、大砲で崩して中まで浸水させ、確実に戦意と戦力をそぎます。カンファンは高台にありますので、おそらく最後まで残りますが」
ぐっと弓弦を握って、貴子がにやりと笑う。
「わたしの長弓で皇王をしとめましょう」
ぞっとする笑みだった。貴子はこのごろ、何か吹っ切れたようだった。欲望を隠さないというか、残酷にも思えることを言うときが、たまにあった。
「なぜ変わったのか」
——は、誰にもわからないようだった。いや、赤金だけはわかっていた。
「あいつはな、男になったんだ。女を捨てたんだよ」
まことのように言うが、真相は彼も知らない。ただ言えることは、前よりも親しみにくくなった、ということだった。
「貴子さん」
「なんだ」
長い廊下を歩く貴子に、陽子が声をかける。
「わたしも戦に行きます」
「龍はいいのか」
「昌もいきます」
「勝手にしろ」
「はい」
立ち止まる陽子を残して、貴子は足音をかつかつたてて歩き去る。
「どうしたのかしら」
陽子も、困惑気味だ。
「いてえ」
貴子は部屋の戸を閉めると、足首を抑えて倒れ込んだ。
いつぞや、女官に噛まれた古傷が痛むのだ。
靴を脱いでみると、たしかに腫れている。
貴子は大の字になって寝転ぶと、額に手を当てた。じわりと生暖かい。微熱があるのだ。
「もうずっと、こうだ」
貴子の脳裏に、死の病ではという不安がよぎる。
「おれと関係を持った女も、きっと死ぬ」
つぶやいて、黄珠を思い出す。
「結局、何もできなかった」
乾いた笑いがあふれてくる。あの雨の日、彼は熱に怖じ気づいて、何も果たせなかったのだった。
「おれ、死ぬのかなあ」
つぶやき、目を閉じる。深く息を吸って、吐いてをくりかえしているうちに、とろとろ眠りにつきかけた。その最後の意識が残っている時、耳元で「貴子」と誰かが呼ぶ声がした。
はっと目を覚ますも、体が動かない。息も苦しい。少し混乱したが、なんとか頭だけ動かせることに気づいた。
「貴子」
そこには、星が立っていた。
「星さま!」
「わたしをカンファンに迎えにきて。待っています。お願い」
すすり泣きながら立ち消えた幻像に、追いすがろうとして金縛りが解けた。
「星さま!」
(おれ、もうあなたを手に入れることを、諦めなければならない体なんです)
(それでも、待っていてくださるのですか)
(……)
ほろほろ涙が出てくる。
「そうだ、諦めちゃいけないんだ。なんとしても、皇王を倒して星さまを!」
熱がいくらか引いたようだった。
「準備ができ次第、出立する!」
部屋を飛び出し、貴子は高らかに叫んだ。




