鳥
宿をでて、城門をくぐる。通行許可証は偽物だとばれなかった。やはり闇商を陽子が知っていてくれて、助かったのである。
「ね、あたし役に立つでしょ?」
貴子に馴れ馴れしく腕をからませ、陽子はすっかりご機嫌だ。
「それで、どこなのだ。火薬職人の家は」
「教えられません」
すっと陽子が離れる。
「どうしても火薬職人に会いたければ、王宮に行くのですね」
腰に手を当てて、「まあ無理でしょうけど」と陽子が言ったときだった。
大道芸人が十羽の白い鳥をぱっと手元から放した。そしてそれを次々に、何かで落とした。羽が落ち、鳥がどさどさ落ちてくる。
「ちょっと、なんてことするのよ」
陽子が怒って芸人に文句を付ける。髭もじゃの芸人は、おもむろに鳥を拾って陽子の前に差し出した。
「五ルビンだ。とりたての鳥だぞ」
「い、いらないわ」
「そうか」
芸人は無表情に続けた。
「そうそう、この鳥に打ち込んだ場所は麻酔のツボだ。しばらくすれば生き返る」
「ツボ? 鍼でも打ち込んだと言うの?」
陽子の問いに、にやりと芸人が笑う。ぬっと筒を取り出して、「吹き矢だ」と誇る。
「吹き矢?」
興味がなくて遠巻きにしていた貴子が、思わず芸人の目をのぞき見る。
切れ長の美しい瞳。その目に、慈愛の色が浮かんだ。
「やあ、貴子じゃないか」
「龍! 龍平昌じゃないか!」
「龍だって?」
黒鉄が口を挟む。
「おぬしの吹いた矢で、わしの目はつぶれてしまった。覚えているか」
「仮宮の近くで戦ったときですね」
「恨んではおらん。安心しろ」
黒鉄が表情を緩める。手を差し出されて、なんとなく握った龍を、激痛が襲った。凄まじい力で黒鉄が握りしめて来たのだ。
「ははは、驚いたろう! ちょっとした仕返しじゃ」
「……」
龍は苦笑いするほかなかった。
ばさばさばさと、鳥が一斉に飛び立つ。
「目覚めたらしい」
「逃げてしまうわ」
「貴族の邸宅で飼われていた鳥だ。羽が切られていてうまく飛べない。すぐ戻ってくる」
「買ったの?」
「うん」
龍が頷く。
「窓辺に置かれたかごが何とも悲しげでな。——後宮を思い出させられるのだ」
後宮という響きの中に、明鈴や自分との悲喜が窺い知れた。
「ところで、お前たちはなぜここに」
「教えてあげるけど、ちょっとここを離れようか」
よこに馬車が止まって、邪魔そうにしていた。往来を邪魔していたようだ。
「じゃあ、あたしの実家に呼んであげる」
「挨拶しろというの?」
「できれば」
「却下」
「大丈夫、お持て成しはいたします」
「しかし」
結局、陽子の実家に足を向けたのは、赤金たち三将軍と陽子だけで、貴子と龍は酒場に足を止めた。
龍は色の黒い顔をひげで覆わせていて、杯を傾けるとひげが濡れていた。
「なぜ、ひげを伸ばしたんだい?」
話題もないので水を向けると、龍はひげを触りながら杯を置いた。
「違う人間になりたくて」
何をバカなと笑おうと思ったが、龍は本気のようだった。貴子の胸が痛む。
明鈴の面影がよぎった。
「それで、なれたのか?」
「ははは」
悲しげに龍が笑う。
「変わっていないらしい。あたらしく好きになった女がいるが、なんだかお前に似ているんだ」
「へえ、どこの女だい?」
興に乗って、貴子が訊ねる。
がばっと龍が身を乗り出す。
「誰にも言わないなら、見せてやる」
「見せる? すぐ近くなのか?」
うんと龍が頷く。
「ちょっと来い」
二人は街の有力者の屋敷前に立った。裏手にいくと、土塀に破れ穴がある。そこに龍は顔を当てると、貴子を引っ張ってそこに誘った。
「いつもこんなことをしているの」
「おれも寂しくてな。あ、ほら、きた」
見ると、確かに女の頃の貴子に似ている。女性は手に鳥を乗せている。その鳥がさえずると、龍のつれた鳥たちも歌いだした。
女性がにっこりと微笑む。
「龍さんですね。この前鳥を連れて行かれた——」
「ええ、そうです。鳥もあなたが寂しいかと思って、また来てしまいました」
「まあ!」
ホホホ、と笑った割りに女性は元気がない。
「どうしたのですか」
「龍さん、わたし、もうお会い出来ないのです」
「え!」
龍があわてて土塀をのぼって、乗り越える。
「ああ、いけません、龍さま。わたし、王宮に上がることになったのです」
「王宮ですって!」
龍が絶句する。
「あんな所、やめた方がいい」
「ご存知ですの?」
「いえ、いやあ」
言葉を濁しつつ、龍は涙を流しはじめた。久しぶりにこの女だと思えばこれである。貴子が思うに、彼は情けなくなってしまったようだった。
「いかないでください」
足元にすがりつかん勢いで懇願する。
たしかに、情けない。
「おれはあなたのことが」
「龍さん!」
女性もついに泣き出した。
「逃げましょう」
「龍さん!」
言い出した龍は、本気だった。女性が困惑しつつも、心引かれているようだった。
「おれが代わりをしてやろうか」
貴子が声を上げる。
「ちょうど、王宮に用があったのだ」
ついにこの晩、龍は女性をさらい、陽子の実家へと身を隠したのだった。




