追っ手
都はずれの山間一円に広がる大邸宅。仮宮と呼ばれるものが雲間に姿を見せたのは、そこから十里ほど離れた丘に登ったときだった。雨が上がった雲間に、虹を従えて現れたその屋敷の影は、これから行く所を極楽にも地獄にも思わせた。
近くの村にさしかかったとき、馬上にあった何人かが剣を抜いた。龍平昌はぴたりと馬を止めたが、またゆっくりと歩き出す。
明鈴はおびえているのか、震えている。貴子がその肩を抱くと、明鈴は荒い息でささやいた。
「あの人たち、血の匂いがする」
「そうだろうな。亥虞修理の屋敷にいたやつらだ」
「わかるわ」
「しい、だまれ」
龍は二人を手で制する。彼は笑っていたが、緊張が走っていた。切れ長の目に、強い光が見え隠れする。殺気である。張り付いた笑顔がなおさら不気味であった。
衣の青が、彼の顔色を青く染める。目だけが赤くぎらついている。
「おれが行く。ここで待っていろ」
馬の蹄が河原の石をはじいて、かつかつ、こつこつと乾いた音を立てる。
からん、ととんできた石が貴子のつま先を打つ。その石に一瞥もくれずに貴子は龍を見守る。
「あいつがしくじったら、すべて終わりだ。おれは王を討てない」
「しっ、祈って。龍さまに何も起きませんように」
手をあわせて明鈴は必死に祈っている様子だった。
「亥虞さまの追っ手ですか」
「お前は王の手先だったのだな。グン・プトンの商人だなどと、嘘をついて」
「反乱軍に国の宝は渡せません」
「王の子を産むかもしれない女人だものな」
吐き捨てるように、黒い甲冑をまとい、無精ひげを伸ばした男が言う。
「王は、我らの主である亥さまの城を、何度も焼いた。かつて王に弓引いた方をお守りしたことを、今でも許さない狭量な王めが」
赤色の鎧をつけた長髪の男が口ごもる。
「とにかく、だ。その女人たちを預かろう」
低い声で白の衣を着た男が言い放つ。
「あなたがたは黒鉄、赤金、白銀の三将軍ですね。亥虞さまは本気ですな」
いうやいわずや、龍は剣を抜き放ち、馬を駆けさせた。
「馬鹿な奴だ。三将軍がなぜ将軍と言われるか教えてやろう」
「中央を責めれば両端が包み込み、端を責めれば横を責められる。一人で勝てるはずがないのだ」
「馬鹿はそっちだ」
龍が叫ぶ。
「貴子!」
「わかっている!」
短刀をもって、貴子が飛び込んできていた。
「まさか!」
「でも二人ぐらい」
その時、川原石がばかばか飛んで来はじめた。
「龍さま! お助けします!」
「明鈴、馬を狙え!」
龍が声を上げる。
「馬で蹴散らせ」
「だめだ、貴子さまが飛び乗って来ていて!」
「蹴落とせ」
「亥虞さまに怒られる」
「俺に任せろ」
黒鉄が槍を振り回す。槍纓が赤くごうと揺れる。血の匂いが染み付いているらしく、気分が悪くなる。ひと振りするたびに頭がふらついた。
「千人の血を吸った槍だ、ただの槍ではない」
責め立てられた龍は体を反らして叫ぶ。
「魔槍などあるものか! 世の中には金と女と権力しかないんだよ!」
「じゃあ、味わうがいい」
いよいよ窮地の龍を、黒鉄の槍が追いつめる。それを横から二人の将軍が挟み込もうとする。後ろは木である。
その時貴子は赤金の後ろから龍を引きずり倒して落馬させると、短刀を赤金に突き付けた。
「さすぞ!」
場の空気が凍り付く。だが、黒鉄の槍は地面に転がる龍を捕らえていた。
「あ、まて!」
槍が龍を貫こうとしたときだ。ひゅっと空気を裂く音がした時、急に槍がひるんだ。
「目が! 目が!」
黒鉄が目を抑えて呻いた。
見ると、龍が筒を手に笑っている。
「何をしたんだ」
「吹き矢さ」
「く、撤退だ」
「目がいてえよう、くそう」
赤金と黒鉄が去っていく中、白銀は足を止めて、まじまじと貴子を見つめる。
その顔は、なぜか懐かしそうであった。
「あなたのご両親に、お会いしてみたいものです」
「亡くなりました」
「そうでしょうな。あなたの後ろに、立っておられます」
「え?」
貴子が振り返る。龍と目が合って、貴子は首を傾げる。
「あのう」
言おうと振り返った時には、白銀は去っていた。
「助かった」
「なんてアヌケな奴らだ」
龍はカラカラ笑って、明鈴を見つめた。
「よく助けてくれたな」
「え」
「二度は言わん。いくぞ」
そっけなく勝手に言うことだけ言って、龍は馬を進める。からころと石がころがり、小さい石が明鈴の足元にとんだ。
「あいつ、明鈴のこと」
ほのかに梅の香りがする。明鈴は石を拾って顔を赤らめた。
「なんて男らしいんでしょう」
「そうかい?」
明鈴はとことこと龍のあとをついていく。もう足はいいようだが、まだ走れない。
龍が少し、馬の歩を緩める。
「ふうん」
貴子は二人の距離に変化が出たことに、気づくのだった。