薮
山を越えることは、貴子にとって難しいことではなかった。元々山に住んでいたし、「百山の美姫」と険しく美しい山の化身のごとき異名をもっていた。山登りで鍛えた美しい足。少し日焼けした肌。しなやかな肉体が彼の武器であったが、今や彼の肩は弓を使う者の腕だった。強弓を使う彼は、目も肩もよく、遠くの獲物までも射抜ける。それが彼の今の武器であった。もちろん短弓も射て、二弓をつねに持ち歩いている。
黒鉄は槍の名手であった。落ちる木の葉三枚を一撃で突けるというほどの技の持ち主である。彼の持つ槍は千人の血を吸い、魔槍となっていた。槍は黒光りし、それが動く時はごうと音がし、黒い風のようであった。そしてその時には決まって、三人の首が落ちた。彼は人格者で、常に書を読みふける努力家。年長なので三将軍を束ねる役割を担う。黒鉄のあだ名は黒風迅雷。また、名を刻蕃。
白銀は鎚の達人だ。大きな白いたてを持ち、その影から繰り出す鎚は重く、誰の侵入も許さない。そして味方を守る壁になっている。たては時に武器になり、その圧す力は計り知れない。白銀はその固さから白岩の名で知られている。もちろん本名は別にあり、珀壁である。
赤金は格闘派だが、気の使い手で一撃で敵を倒す。その戦バカぶりには敵も驚く。朱閤というのが本名。獅子奮迅の戦いで、長いひげを風にたなびかせる所から「赤獅子」の名がついている。豪気で陽気。
さて、この三人は夏の山をのぼると、隣国に入った。
隣国・エンは武の国だ。それらしく国境には長い防壁が築かれ、多くの兵が守っている。その壁をたどりながら、多くの商人たちと出会い、話しては別れた。
これにはもちろん訳があり、情報を集めているのだ。
「なにかわかったかい、お嬢ちゃん」
「うん、どうやら王宮の中で火薬がつくられているらしい。職人を呼んでの事業らしいから、職人を捜すといいんじゃないかと」
「職人はどこにいるんだよ?」
「たぶん王宮の近くに集められているはずだ」
「まずは都を目指せばいいってことだな」
赤金が一番張り切っているようだった。
彼は亥虞修理に依頼されたということが誇らしい様子だった。
「朱は気がいいからな」
「それは遠回しに、単純って言っているんだろう?」
憤慨して赤金が地団駄を踏む。
「バカにしやがって!」
もっていた棒で薮を叩いて突き回す。突然、がさっと薮から何かがでて来た。
「うわあ」
エン兵であった。
「用を済ませていれば、人のことをツンツン、ツンツンと」
「あ、ごめんなさい」
貴子が頭をぺこぺこ下げるが、兵はお冠だった。
「みれば商人ではなさそうだな。どこへ行くのだ。目的は」
「武術を極めるために旅をしています」
「証明書はあるのか」
「はい」
差し出すと、兵はちらりと見ると、目の前でびりびりに破いて風にとばしたではないか。ふん、と鼻息を荒げて、気分が済んだのか去ろうとする。
「まて、このお!」
赤金がつかみかかろうとするが、残の二将軍が抑える。
「何か用か」
「いいえ、なんでも」
貴子が辞儀をして兵を見送る。兵はそのまま、行ってしまった。
「どうして殺さないんだ! お嬢ちゃん、あれがなければ城内に入れないんだぞ」
「殺せば騒ぎになって、入るどころではない」
「そうだぞ、なんて軽薄なことをしたんだ」
「まあまあ、そう怒られるな。わざとやったことではないのだから」
「馬鹿野郎、おれ様をかばったりなんか、するな!」
「赤金」
「わかりましたよ、おれがなんとかしますよ。なんとかすればいいんでしょう」
ぷいと一向に背を向けて、赤金は歩き出した。貴子はしらけ気味である。黒鉄はあきれ顔、白銀は、気の毒そうに赤金を見送っている。
「期待しないで待ってるよ」
声を遠くからかけたが、赤金はすっかりすねて、どこかへ行ってしまった。




