妓楼
富山の死を聞き知った星は激高した。
「何奴が兄を殺したのか!」
乳母がおろおろして星をなだめようと背中をさするも、星はそれをはねのけて寝所に走った。
「誰も来るでない! 貴子だけ参れ!」
寝台に突っ伏して泣きじゃくるが、貴子はこない。
泣きつかれるほど泣いて、星ははっとした。身をよじって起こすと、小指を噛んだ。
「つまらない」
にゃあ、と黒猫がどこからか入って来た。毛艶のいい、細身の美しい猫だ。
「お前」
兄の飼っていた猫だとすぐに星は直感した。
「お前何か、芸が出来るか?」
猫は小首をかしげると、腹を見せた。触ろうとすると体を翻して、どこかに行ってしまおうとする。
「そう、お前、腹芸が出来るの」
くすっと笑うと、猫は再び寄って来た。指先のにおいを嗅がせると、猫はひげを動かして彼女の指の方を探る。
「かわいい」
抱き上げると迷惑そうに顔を背ける猫にほおずりをすると、温かかった。ここしばらく王は自分の相手をしてくれずにいる。星はすねたわけではなかったが、気分が悪かった。それで最近は寝てばかりいた。
それを。
<我が妃は豚のようだ>
冗談のように人に言っていたというが、星の幼い恋心は傷ついていた。
それどころか、年上に目覚めたようであちこちからつれて来ては、自分に断りもなく関係を持ってしまう。
「男は母親が恋しいなんてね」
ふん、と鼻を鳴らすと、貴子を思い出した。
「あれも、男だったわ」
寝台にうつぶせに横たわり、頬杖をつく。
「ずっとわたくし知っていたのに、あの者は手もだしてこなかった。——わたくしはそんなに魅力がないのかしら」
鏡を覗き込んで、微笑む。
ふっくらとした健康的な頬はバラ色で、南国の木の実のようなくりっとした大きな目。自然に整う眉と、バランスのいい唇。
「きれい、よね」
彼女は居心地の悪さを感じた。自分の持っていた自信が崩れそうだった。
「乳母」
「はい」
呼ぶと、すぐに乳母がやって来た。
「帰りますよ」
「は?」
「仮宮に、宿下がりします」
星の後宮をでるという嘆願は、却下された。王があわてて星を呼び寄せて、いたわったのだ。
「近頃猫が好きと聞いた。猫を集めてやろう」
と家臣たちからかき集めた猫を星に次々与える。ありがたかったが、星は半ば冷ややかだった。
(何か渡せばいいと思っていらっしゃるんだわ。くやしい)
けれど喜ぶ姿を見せないわけにいかなかった。
ある日、ふと見ると兄の残した猫が傷ついていた。ほかの猫にやられたらしい。これを知った星は困惑した。
兄の猫をいじめた猫が一番大事なのだから、それをいじめる猫はいらない。一方で、それをいじめる猫は王のくれた猫なのだ。
「やはり、この猫をつれて宿下がりします。仮宮で飼ってくれる人を探します」
ついに王妃は宿下がりしてしまった。
その噂は黒都まで聞こえて来た。
いても立ってもいられなくなった貴子は、ある夜亥虞修理の屋敷を抜け出した。次第に雨が降り始め、空が暗く沈む。崖を抜け、川を上り、馬だと二日とかからず、すぐであった。
仮宮の門の前に立つと、女たちの嬌声が聞こえて来た。屋敷を巡る石垣をたどって、池の水を引き入れる水門を抜け、中に入りこむ。
カサリ、カサリと草音をたて、たまに起きる歓声をくぐるように、星の寝所に足を向ける。
急に出立して挨拶もしていなかったことが、心残りだったのだ。
文を書いているときだった。
「貴子?」
中から声がした。星の声だった。
逃げようか、返事をしようかためらっているうちに、扉が開いた。
「貴……」
「しい」
扉の前に立っていた貴子は、すぐ前に出て来た星を抱きしめていた。
気づいた時には後の祭りで、抱きしめた手を急に離すことも出来ず、貴子はただ黙ってそのまま棒立ちしていた。
「貴子、どこへ行っていたの」
「亥虞修理の所へ」
「え、反乱軍の所じゃないの。それじゃあ、お父様の言うように、お前は反乱軍の人間なの」
「そうなります」
嫌われるかな、と安易に貴子は考えた。すると、ひいん、と星は泣き出した。
人が来ると慌てた貴子は、星を抱えたまま寝所に入る。扉を閉め、はじめて「まずい」と思った。
「みんなわたくしを置いていってしまう。お前が兄さまを殺したんじゃないの?」
「違います」
「うそよ、反乱軍が殺したに、決まっているわ」
「何にも知らないんです」
「ほんとうね? あなたはなんにも知らないのね」
星は泣きじゃくって、貴子の胸に顔を埋める。貴子はもう、しどろもどろだった。胸がずっと高鳴って、聞こえるのではないかと気が気でない。
ふと、星が顔を上げる。
「わたくしが一人じゃないって、証明してくれる?」
つと離れて、上衣をするりと肩から滑らせる。
「え」
「わたしはきれい?」
あらわになった肌に、貴子は狼狽する。
「こういうことは、初めて?」
貴子がうなずく。
「あなたはずっと、男を隠していた、そうでしょ?」
「え、あの」
「したいと思ったこと、なかったの」
絡み付く甘い声に、貴子は抗う。
「こんなの、星さまじゃない」
「え?」
「ご自分の不幸を、艶でごまかすなんて、あなたらしくない」
「……!」
「帰ります」
「待って」
背中を向ける貴子に、星がすがりつく。
「王を愛せなくなったわたくしに、何の価値がありますか」
驚いて貴子が振り向く。
「そんなあなたに、いいことを教えてあげます」
「?」
「薬師の俺が見た限り、あなたは懐妊してますよ」
「え」
「おれは不実をしない。あなたが欲しいのは本当だ。だけど、そのためにおれは」
動揺する星を置いて、貴子は去ろうとした。しかし思いついて立ち止まると、つぶやいた。
「そのために、おれは王を倒す」
貴子は部屋をでて、闇にまぎれて屋敷をでようとした。ふと足元を見ると、黒猫がいた。
「おまえは、富山さまの猫か?」
猫がにゃあとなく。
「明鈴の墓に連れて行ってやろう。黄珠が墓守をしているよ」
さらうようにして猫を連れ、貴子は馬に乗った。気持ちが高揚して、モヤモヤしてたまらなかった。
猫を与えたあと、貴子は初めて妓楼に足を伸ばした。




