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落星物語  作者: 間々 ようこ
官府
24/42

妓楼

 富山の死を聞き知った星は激高した。

「何奴が兄を殺したのか!」

 乳母がおろおろして星をなだめようと背中をさするも、星はそれをはねのけて寝所に走った。

「誰も来るでない! 貴子だけ参れ!」

 寝台に突っ伏して泣きじゃくるが、貴子はこない。

 泣きつかれるほど泣いて、星ははっとした。身をよじって起こすと、小指を噛んだ。

「つまらない」

 にゃあ、と黒猫がどこからか入って来た。毛艶のいい、細身の美しい猫だ。

「お前」

 兄の飼っていた猫だとすぐに星は直感した。

「お前何か、芸が出来るか?」

 猫は小首をかしげると、腹を見せた。触ろうとすると体を翻して、どこかに行ってしまおうとする。

「そう、お前、腹芸が出来るの」

 くすっと笑うと、猫は再び寄って来た。指先のにおいを嗅がせると、猫はひげを動かして彼女の指の方を探る。

「かわいい」

 抱き上げると迷惑そうに顔を背ける猫にほおずりをすると、温かかった。ここしばらく王は自分の相手をしてくれずにいる。星はすねたわけではなかったが、気分が悪かった。それで最近は寝てばかりいた。

 それを。

<我が妃は豚のようだ>

 冗談のように人に言っていたというが、星の幼い恋心は傷ついていた。

 それどころか、年上に目覚めたようであちこちからつれて来ては、自分に断りもなく関係を持ってしまう。

「男は母親が恋しいなんてね」

 ふん、と鼻を鳴らすと、貴子を思い出した。

「あれも、男だったわ」

 寝台にうつぶせに横たわり、頬杖をつく。

「ずっとわたくし知っていたのに、あの者は手もだしてこなかった。——わたくしはそんなに魅力がないのかしら」

 鏡を覗き込んで、微笑む。

 ふっくらとした健康的な頬はバラ色で、南国の木の実のようなくりっとした大きな目。自然に整う眉と、バランスのいい唇。

「きれい、よね」

 彼女は居心地の悪さを感じた。自分の持っていた自信が崩れそうだった。

「乳母」

「はい」

 呼ぶと、すぐに乳母がやって来た。

「帰りますよ」

「は?」

「仮宮に、宿下がりします」

 

 星の後宮をでるという嘆願は、却下された。王があわてて星を呼び寄せて、いたわったのだ。

「近頃猫が好きと聞いた。猫を集めてやろう」

 と家臣たちからかき集めた猫を星に次々与える。ありがたかったが、星は半ば冷ややかだった。

(何か渡せばいいと思っていらっしゃるんだわ。くやしい)

 けれど喜ぶ姿を見せないわけにいかなかった。

 ある日、ふと見ると兄の残した猫が傷ついていた。ほかの猫にやられたらしい。これを知った星は困惑した。

 兄の猫をいじめた猫が一番大事なのだから、それをいじめる猫はいらない。一方で、それをいじめる猫は王のくれた猫なのだ。

「やはり、この猫をつれて宿下がりします。仮宮で飼ってくれる人を探します」


 ついに王妃は宿下がりしてしまった。

 その噂は黒都まで聞こえて来た。

 いても立ってもいられなくなった貴子は、ある夜亥虞修理の屋敷を抜け出した。次第に雨が降り始め、空が暗く沈む。崖を抜け、川を上り、馬だと二日とかからず、すぐであった。

 仮宮の門の前に立つと、女たちの嬌声が聞こえて来た。屋敷を巡る石垣をたどって、池の水を引き入れる水門を抜け、中に入りこむ。

 カサリ、カサリと草音をたて、たまに起きる歓声をくぐるように、星の寝所に足を向ける。

 急に出立して挨拶もしていなかったことが、心残りだったのだ。

 文を書いているときだった。

「貴子?」

 中から声がした。星の声だった。

 逃げようか、返事をしようかためらっているうちに、扉が開いた。

「貴……」

「しい」

 扉の前に立っていた貴子は、すぐ前に出て来た星を抱きしめていた。

 気づいた時には後の祭りで、抱きしめた手を急に離すことも出来ず、貴子はただ黙ってそのまま棒立ちしていた。

「貴子、どこへ行っていたの」

「亥虞修理の所へ」

「え、反乱軍の所じゃないの。それじゃあ、お父様の言うように、お前は反乱軍の人間なの」

「そうなります」

 嫌われるかな、と安易に貴子は考えた。すると、ひいん、と星は泣き出した。

 人が来ると慌てた貴子は、星を抱えたまま寝所に入る。扉を閉め、はじめて「まずい」と思った。

「みんなわたくしを置いていってしまう。お前が兄さまを殺したんじゃないの?」

「違います」

「うそよ、反乱軍が殺したに、決まっているわ」

「何にも知らないんです」

「ほんとうね? あなたはなんにも知らないのね」

 星は泣きじゃくって、貴子の胸に顔を埋める。貴子はもう、しどろもどろだった。胸がずっと高鳴って、聞こえるのではないかと気が気でない。

 ふと、星が顔を上げる。

「わたくしが一人じゃないって、証明してくれる?」

 つと離れて、上衣をするりと肩から滑らせる。

「え」

「わたしはきれい?」

 あらわになった肌に、貴子は狼狽する。

「こういうことは、初めて?」

 貴子がうなずく。

「あなたはずっと、男を隠していた、そうでしょ?」

「え、あの」

「したいと思ったこと、なかったの」

 絡み付く甘い声に、貴子は抗う。

「こんなの、星さまじゃない」

「え?」

「ご自分の不幸を、艶でごまかすなんて、あなたらしくない」

「……!」

「帰ります」

「待って」

 背中を向ける貴子に、星がすがりつく。

「王を愛せなくなったわたくしに、何の価値がありますか」

 驚いて貴子が振り向く。

「そんなあなたに、いいことを教えてあげます」

「?」

「薬師の俺が見た限り、あなたは懐妊してますよ」

「え」

「おれは不実をしない。あなたが欲しいのは本当だ。だけど、そのためにおれは」

 動揺する星を置いて、貴子は去ろうとした。しかし思いついて立ち止まると、つぶやいた。

「そのために、おれは王を倒す」

 貴子は部屋をでて、闇にまぎれて屋敷をでようとした。ふと足元を見ると、黒猫がいた。

「おまえは、富山さまの猫か?」

 猫がにゃあとなく。

「明鈴の墓に連れて行ってやろう。黄珠が墓守をしているよ」

 さらうようにして猫を連れ、貴子は馬に乗った。気持ちが高揚して、モヤモヤしてたまらなかった。


 猫を与えたあと、貴子は初めて妓楼に足を伸ばした。

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