告白
「わたしは水を汲んでくるから、明鈴は龍さんを起こして差し上げて」
龍平の衣をかけて眠っている明鈴の肩を揺すって、貴子は桶をもって水音のする方へ歩いていく。からん、からんと音が遠ざかっていく。明鈴は薄目を開けて首をもたげ、横に眠る龍平の腕を、そっとなでる。
「龍さま」
遠慮がちなその呼びかけに、龍は過敏に反応した。彼は目を覚ますなり懐の小刀に手を伸ばした。
「何奴」
叫ぶのと同時に、彼は膨らんだ殺気をふっとおさめた。目が覚め、目の前にいるのが敵ではないと判断したらしい。切れ長の目を自嘲にゆがめ、彼は刀をおさめた。
「驚いたろう」
「いえ、父も兄もそうでした」
にっこり笑って言う明鈴の気持ちのうちを、龍は感じたの感じないのか、すっと目をそらし、「あのソジャンの城塞都市が陥落した日、お前はいくつだったんだ」と前髪をいじった。
「七つでした」
「あれから九年? もっとか?」
「十年です」
視線を感じ、うつむいていた明鈴は顔を上げた。すいっと龍が顔を背ける。見つめられていたのだろうか、と明鈴は顔を赤らめる。指先をあわせたり離したりしながら、長い睫毛をしばたかせて上目遣いで龍を見るが、龍は「貴子は」と馬の方へと離れていく。
「ちょっと水を飲ませてくる」
「あの、貴子がそのうちに水をもって来ます」
「いいんだ。歩かせてやらねば」
あまりに優しいまなざしで馬を見るので、明鈴は止める言葉を飲み込んだ。貴子の側になんて、本当は行ってほしくなかったのに。
沢の方に歩いていく龍と、引き上げてくる貴子の声が聞こえてくる。
「おはようございます」
「よう」
「ずいぶんゆっくりですね、明鈴が優しいのかな」
「ふん、まあ……そうだな」
明鈴は気がつくと、二人と反対の道を歩き出していた。ぽきり、ぽきりと枝を折りながら道を進む。貴子に自分のことを話してほしくなかった。まして龍平と、自分の話をしてほしくない。何か、重たいものが胸に支えていた。
「何よ、ちょっと美人だからって」
明鈴は思う。
あの黒曜石のような瞳が自分にあれば、自分だってもっときれいだったろう。
あのバラ色の頬のようなら、自分だってもっと。
自分だって、もっと、もっと、もっと。
考えているうちに、彼女はぬかるみに足を滑らせた。
「きゃあ」
尻餅をついたとき、彼女の足に激痛が走った。
「なによ、これ」
立とうとしても、立ち上がれない。
「嘘、挫いたのかしら」
どうして自分はこうなのだ。あの、城が陥落した日も、自分は足を挫かせた。姉が自分をおぶっていたが、捕まりそうになり明鈴を納屋に隠して、かばったために殺された。助けてくれたのは龍に似た二番目の兄だったが、彼もまた城の外まで明鈴をかばって逃がしてくれたが、その後姉の遺体を探しに火の海に飛び込んで、戻らなかった。
「ただ、ちょっとすねただけだったのに、神様はそれもお許しにならないの?」
そのとき、ガサガサと木の葉が揺れた。野犬かもしれない。おびえる明鈴の手を、誰かが引っ張った。
次の瞬間、横っ面が張られた。
「明鈴!」
目の前には、泣き顔の貴子の顔があった。腕には木の枝で出来た傷がいっぱいついていた。
「ばか、ここらは危ないのに一人で! 大事な友達なのに!」
え、と明鈴は口ごもった。
「ともだち?」
「そう、ちがう?」
「ちがうわ、だって」
だって、とつぶやいて、明鈴は首を横に振った。
「ともだちになりたい」
「何言っているの?」
貴子の言葉に、明鈴はたじろぐ。
「え?」
「何言っているの、もう友達よ」
貴子は明鈴の気持ちを聞きながら、おぶってもと来た道をたどる。
「そうか、お兄さんに似ているのか。それじゃ、惚れるのも仕方ないなあ」
「でも龍さんは貴子が好き見たい」
「失恋さ、俺に惚れても意味がない」
「おれ?」
「ん? ああ、いや、もうすぐ王にお仕えする身分だし」
「そうね、でも俺って?」
「ははは」
貴子は明鈴の手をつかんで、そっと自分の胸元に導いた。明鈴が手を引っ込めようとするので、半ば強引である。
「あれ」
「ないでしょ」
「ない」
「胸がない」
「そ」
貴子は舌をだして笑う。
「俺、男なんだよね」
「嘘でしょう!?」
貴子はカラカラ笑う。
「俺、王の後宮に上がって、王の寝首をかく予定なんだ。だから、女の振りをしている」
「ずっと?」
「詳しく知る必要ないよ。君に危険が及ぶ」
「でも」
「大丈夫さ。へまをする気はないのだ。君さえ黙っていてくれれば」
さて、と言って貴子が河原の大きな岩の上に明鈴をおろす。そしてさっと衣を裂くと、水に浸して明鈴の足に巻く。
「でも、それじゃあ龍さんに迷惑が」
「ふん、そうかい? 帝国の内吏なんか知らないよ」
「だ、だめよ!」
明鈴は血相を変える。
「明鈴を泣かせたくは、ないな」
「そうよ、泣かさないで」
「じゃあ」
明鈴の上に、貴子がのしかかる。
「俺と一緒になればいいんだ」
「ばか! 最低!」
ばしばし叩く明鈴を押さえつけ、貴子は無理矢理口づけする振りをする。
「君はソジャンの姫君だ。大事にするよ。俺の父もソジャン出身なのだ」
「でも」
「ソジャンを再興させたくないか?」
「でも」
「おーい、探したぞ」
そこへ、龍がやってくる。貴子はまた優しく笑うと、「よく考えておいて」と低くつぶやき、体を離した。
明鈴は震えていた。
<ソジャンが再興出来るかもしれない>
<でも龍さんが>
<ソジャン>
悩む彼女は、例えようもなく美しく見え、貴子はそれを眺めながら三日ほど過ごすに至った。貴子はなぜか、意地悪であった。
一行が都への道を再び辿りはじめたのは、四日目の朝だった。
明鈴は貴子におぶられながら耳元でつぶやいた。
「龍さんには、利用させてもらいましょう」
「いいの?」
「そのかわり、王の寝首をかくのを三年待って頂戴。わたしは寵愛を受けて、必ず力をもってみせます。私が、龍さんを守ります」
「わかった」
何も知らない龍平は、馬上で書を読んでいる。
どこからか笛の音がする。都が近いのだ。
道中雪は溶け、梅の花が咲いている。いつしか春になろうとしていた。
「さあ、ここが仮宮だ」
二人の前に、大きな屋敷がそびえていた。