茂み
悲しい匂いの雨が二晩続き、その間に都の外の河はずいぶん増水した。狩りは仮宮近くなので、河の内側である。なんとか出来そうだと判断した富山は、その翌日・春亥の日に薬草摘みを行うと宣言した。
宰相と王は、今回若い執政者の富山にすべてを任せていた。二十代半ばの色男に、そろそろ妻帯させたいと考えていた宰相は、今回彼に行事を成功させ、褒美として女を王に下賜させたいと考えていた。富山には、まだその話はしていない。
「中君、女官たちへの伝達は済んでいるのだろうね。明日出かける時に化粧していたりしたら、困るからね」
宰相がそわそわと口にする。
「内府長と行き来しております」
「で、あろうな」
ほっとしたように宰相が黙りこくる。
この時、なにか思いつめた様子であると、宰相はわが息子の表情を見て感づいた。
「どうした、中君。顔色が悪いが」
王も気づいて声をかける。
悩んで潤んだ目を、富山は王に向けた。
「わたくしめがこの企画に成功しましたらば、お願いしたき儀がございます!」
珍しく強い語調である。中君は、それから続けた。
「褒美の話はまだはようございますが、よろしいでしょうか」
「続けよ」
王は身を乗り出して、話を聞く。
「女子が欲しいのです」
「でかした!」
宰相が思わず叫ぶ。
「ほう、女子か」
カラカラ王は笑って、「いいだろう」と答えた。
その夜、富山は宮殿の執政室にいた。窓がこつこつと叩かれ、でると一人の女官が立っていた。
「おまえは?」
「内宮官さまがお呼びです」
あとをついていくと、少し木の枝が繁り、人目につかない場所にやって来た。
嬉々としてあとをついていった富山を待っていたのは、平手だった。
驚いた富山は、おもわず熱くしびれる頬に手を当てて、呆然とした。
「どういうわけですの?」
「明鈴」
会えた喜びに涙をこぼすと、彼は明鈴を抱きしめようとした。しかし明鈴がそれを避ける。
「あれからひと月。私は皇王様の寵愛を得たのです。それを、あなたさまはまた引き離そうというのですか」
「昼間の申し出のことか」
「そうですとも!」
「確かに申し出たさ。俺はお前を、愛しているんだから」
「愛しているなら、離してください!」
「俺は——」
富山は一生懸命胸の内を話した。
早くに母と引き離されて寂しかったこと。そのせいか女のぬくもりに飢えていること。明鈴の匂いが母の匂いに似ていること。
「私は、あなたの母じゃないわ」
そう言い放って去ろうとする明鈴を、「なんて情のない女だ」と富山はののしった。
それから明鈴の腕を無理矢理掴むと、抱き寄せた。暴れて騒ぐので唇を押し当てて彼女の口を塞ぐ。
「愛しているんだ」
身の危険を感じた明鈴は、走り出した。しかし、足が痛い。うまく走れない。
何度もひどく挫いたからだった。
「やめて、おねがい」
その行為を強いられた明鈴は必死にあがいた。衣は乱れ、髪は解けた。
「やめて!」
貫かれた時、彼女は我を失って硬直した。
富山の荒い息が、彼女の上にかぶさる。
果てたあと、富山は身繕いをして、言い捨てた。
「俺もお前も密通をしたのだ。言われたくなければ、言うことを聞くのだな」
ゆっくりと身を起こしながら、明鈴は「どうってことない」とつぶやいた。
「どうってことないわ。黙っていればいいのよ。そう、だまっていれば」
このとき、彼女の目に、富山をつれてこさせた女官の影が映った。
「見ていたの?」
明鈴の髪の先にも殺気があふれる。女官が後ずさる。
「見ていたのね」
明鈴の手には、いつの間にかかんざしが握られていた。
「こっちへいらっしゃい」
呼ぶと、おずおずと女官がやってくる。
「あのう、わたし、黙っていますから」
女官の言葉に明鈴の目がかっと見開かされる。明鈴は迷わず、かんざしを振り下ろした。
「ぎゃっ」と声が上げたのを最後に、女官は動かなくなった。
衣を赤く染めた彼女は、気配を感じて振り返った。
そこには、龍が立っていたのである。
「どうして、そんなことをしたんだ。その形はなんだ」
「龍さま!」
からんと、かんざしが手から滑り落ち、明鈴は膝をついた。
「役人を呼ぶ。投獄だ」
龍の目には、憐憫が見え隠れしていた。
「いやよ、いやあ!」
「王の女が人殺ししたって?」
「明日狩猟先で処刑されるらしい」
「なぜそんなことをしたのかねえ」
検非の役人たちが噂する中、貴子は検非の牢屋に足を運んだ。
下着姿で明鈴は縛られ、泣き叫んでいた。
「明鈴、どうしてこんな」
「どうして? 聞かないで!」
「あなたは順風満帆だったのに」
「富山が」
「え」
「富山が私を……! 私をだめにしたのは、あの人なのよ」
「富山さまはあなたのことを愛していたのに」
「貴子」
牢の格子に顔を押し付け、明鈴は叫んだ。
「愛なんて、すぐに憎しみに変わるわよ!」
貴子は訳が分からないまま、牢をあとにした。
(なんとかして、助けなければ)
胸に決意を抱いて。