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落星物語  作者: 間々 ようこ
官府
14/42

婚姻

 カンファンの中枢である官府正殿の前庭は緩やかな坂で、正殿に通じる通路は赤く漆で塗られている。その道を、星は踏みしめて歩いていく。白い衣は王妃にのみ許された装束だ。

 玉座には若き皇王が座り、それを上から見守っているように貴子には見えた。貴子もまた、ひれ伏す朝臣たちの間を、王妃について歩いていた。歩くたびに足元で誰かの野望を感じ、息づかいを感じて、これを征服する心持ちだった。

「王に取り入りたい」

「王になりたい」

 人々の願いとつぶやきが、羨望となって貴子の背中からついてくる。

(重いんだよ、お前らは)

 侮蔑する気持ちと、優越感が彼の足を軽くさせる。

 実際、人が見て彼の足取りは軽かった。赤い裳裾は風をはらんで揺れる。振り返ることは許されなかったが、きっと振り返れば龍と目が合うだろうと貴子は思った。肩に、彼の温かさを感じるのだ。

(俺を好きだと言っていた)

 まるで天女だと第一印象で感じたと語っていたこともある。

(だが俺は星さまを愛している。——人を殺すほどに)

 星の足が止まる。つられて足を止め、その場にて礼をし、ちらりと目を上げる。

 玉座の下にたどり着いていた。そこには、十五歳の若き王が座っていた。三白眼をぎょろりと動かし、彼は星を見下ろした。

「よく参ったな。宰相楽章が娘よ。名はなんと言う」

「楽星百里でございます」

「我が名は死したあとにつけられる名しかまだ持たぬ。だが、私の母は私を——」

 ふと、皇王の目が貴子に止まる。皇王の目に驚きが見えた。

「母は私をシンと呼んだ」

「シンさま……」

 星がうっとりとしているのを見て、貴子は心の中で舌打ちをした。

(俺は星さまを愛している。だが星さまはシンを愛しているのだ)

 燃える目を隠すために、貴子はうつむいた。

(だが俺は王を殺すぞ)

「そなたの名は?」

 思いもかけずに王が女官に興味を持ったので、場がざわつく。

「埜貴紫芳」

「どうなさったのですか、皇王様。我が娘に不備がありましたか」

 やり取りに入って来た男を、貴子は盗み見して頭を下げた。男はでっぷりと太った恰幅のいい男で、紫の衣をまとっていた。

「いや、なに、誰かに似ていると思ったのだ。すまない、百里にケチを付ける気はないのだ」

「さようですか、どれ」

 男が貴子の顎に手を当て、顔を覗き込む。ぎくりとする男の目を、貴子は確かに見た。

「誰だ? 誰に似ておる?」

「いえ、どなたにもにておりません」

「恐れながら、先女帝に似ていらっしゃると思います」

 男が否定したあと、一人の女が口を挟んできた。

「宰相、なぜ言わないのです。お前も思ったのでしょう」

 男がぐうの音を上げる。

 女は二十代半ばくらいの年頃の貴族風の女だった。

「叔母上」

「夫と死別し、久しぶりに後宮に戻ってみれば、上様も宰相殿も姉上に顔を忘れたなどというのですから、つまらないことね」

「いじめないでほしいな、伯母上」

「私がしっかりせねばならないようね」

 皇王の叔母という女は、どうも強引な人のようであった。

「でも不思議ね。血がつながっているのかしら」

 叔母はカラカラ笑って、「さあ、儀式の続きをしましょう。楽宰相、控えるぞ」と後ろに控えた。

 場内のざわつきが収まるのを待つと、王妃と王は互いに蓮酒をつぎあい、杯の酒を一気に飲み干した。

 わっと会場が歓声に包まれる。

「おめでとうございます!」「おめでとうございます!」

 婚姻は成立したのである。


 夜。星が王の寝所に呼ばれる。貴子は立ち会うことになっていた。

(これは絶好の機会かもしれない)

 貴子は息せき切って自室に戻り、刀を探す。

(あ、検非に渡されたままであった)

 どうしようと思っていると、かたりと扉が開いた。はっとして振り返る。

「どうしたの?」

「明鈴!」

「おれ、刀が欲しいんだ。王を倒す!」

「だめよ、約束したじゃないの」

「……?」

「寝首をかくのは三年後って。忘れた?」

「あ」

「確認に来たのよ。だから今日は、おとなしく星さまの夢を叶えてあげてね」

「夢?」

「星さまは生まれてからずっと、皇王様の妃と決められて来た。自分もそう思って、皇王様に恋をしているの」

「本当の王妃になるのが、夢」

「さあ、わかったら、今日は何もしてはいけないわ」

「……わかった」

 明鈴がにっこり笑って貴子を星の寝所に送り出す。

 寝所では湯浴みを終えた星が夜着に着替えて、控えていた。

「王の使いが参ったら、つれられていくのです」

「はい」

「わたしは皇王様のものになる」

「はい」

「はいしか言えぬのか?」

 そわそわしながら星がいらだちを見せる。

「王が私ではなくお前を抱いたらどうしよう」

「え」

「先ほども私に興味を持たれなかったもの。ねえ、なぜかしら」

「星さま、なんだか珍しいですね」

「?」

「星さまがそんなに落ち着きをなくされるなんて」

「……」

「そんな奥さんが出来て、手を出さないはずがないですよ。一喜一憂して自分を迎えるお妃なんて、……かわいいですよ」

 ほんとうに、言いながら貴子は切なくて仕方ない。


 わりきれない、なぁ。


 王がことの後に、眠る王妃を横につぶやいた。

 それを立ち会った何人かが聞いていた。

「母は本当だったら生きていたんだ。秀弓の乱に巻き込まれなかったら」

 ぽつりぽつりとつぶやく王の言葉を、貴子も聞いていた。

「父が早くになくなり、母も亡くなった。こうして結婚しても、誰も祝ってくれないんだ」

 がばりと王が起き上がる。

 そして貴子を見て、言った。

「ひとこと、めでたいと言ってくれないか」

「母に似ているんだろう? 頼むよ」

 目がまじめそのものである。

 貴子は煮えくり返る気持ちとともに、一種の憐憫を感じた。

「おめでとう、ございます」

「母上……」

 王はふかぶかお辞儀をすると、そのまま眠り込んだ。


 初夜が過ぎた。

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