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落星物語  作者: 間々 ようこ
旅程
1/42

 白い雪の丘に登ると、真っ黒な城壁が、赤い夕日を背に姿を現した。若き内吏の龍平昌は愛馬の汗ばんだ茶色い肌を優しく撫でると、懐から勅書を取り出した。

「齢十五をむかえる皇王の、成人を祝して造営するという国を挙げての人材探し。生まれてからずっと塾に通って、やっと科挙を終えて赴任すれば、このめでたき仕事に、面倒などという言葉は不似合いだろうが」

 学問で青春を費やした割りに日焼けした唇を、砂を含んだ舌がじゃりっと音を立てて舐め上げる。

 龍平は考える。

(さて、あの黒い城壁は王との戦いにおいて、何度も煤でいぶされた不落の城塞都市じゃ。皇王の勅書ごときで閉まった門が開くとも思えぬ。王の使いとばれぬようにして、門のしまる時間までに潜り込んでやろう)

 真っ青な衣をばさりと脱ぐと、龍平昌は王より賜った玉をくるんで、白雪のかぶる竹林に放り込んだ。

 そのとき、誰かが竹林から飛び出して来た。

「誰だ!」

「あたい、あんたのこと、ずうっと見てたよ」

「隣村からついて来ていた女か」

 見ると、身分の卑しい女が青い衣を抱えて立っている。ぼさぼさの髪からは予想もつかない美しい声で、女は甘えた声をだす。

「ねえん、にいさん、あたいは王子様を待ってるんだよ。あんた、王子様だろう?」

「馬鹿を言うな。おれは忙しいんだ、それを返せ!」

「いやよ、抱いてくれるって約束してくれなきゃ、渡さない」

 太陽はどんどんと陰っていく。閉門時間が近づいていた。龍平はこの女を斬り殺そうかと思ったが、慈悲の心がわいた。

「じゃあ、預かっていてくれ。大事な仕事だ、それが出来たら、おれも考えよう」

「うわあい、ありがとう、にいさん」

 馬を走らせて、丘を駆け下りる。既に城門の前は大きな影が出来ていて、見上げるとのしかかるように壁が迫って見えた。

「ここは亥虞修理さまのおさめる黒都だ。お前は旅のものか?」

 甲冑をまとった何人もの兵士たちが、一人一人の旅行証を確認する。

「どこの国のものだ」

「グン・プトン」

「北方の小国か」

「今は昔。大国の属国となって久しいですが」

「ふん、辺境なのはこちらも同じこと。通れ」

 礼をいいながらするりと城門を抜け、龍平昌は城内に絶句した。

「なんだ、これは。なんと高い楼閣が、そびえているのだ」

 首都のヤン・トンにすらない高層の建物がいくつもみうけられるばかりか、南国の樹高のある木々が生い茂っていた。東西をつなぐ駱駝が人々に従って列をなし、街の中央には西洋の女神とおぼしき像が池に水をたたえていた。その水の美しいこと。まるで異世界の国のようである。

「おどろいたな、ここが黒都か」

 若い彼には胸が躍るようであった。仕事で来たとは言え、辺境都市の美しい女性たちはまた都の女と違って見えた。

「少し遊んでいくか」

 女たちのあとをついていこうとしたとき、ぎゃーっと大声がしてあたりが騒然となった。

 ギラギラした少女が、短刀をもって楼閣の上から飛び降りて来た。


 瞳に、吸い込まれるようだった。


 少女はくるりと身を翻し、龍平昌の前に舞い降りた。

「天女」

 つぶやく龍平昌を見て、少女の真っ黒い瞳が細められた。長いまつげの際に、赤い紅が引かれているのが見えた。あでやかに笑いながら、彼女は短刀を龍平昌に向けた。

「この者を殺されたくなければ、わたしを修理のもとに召すことを考え直せ」

 楼閣から兵士がゾロゾロと飛び出してくる。その向こうに、亥虞修理とおぼしき立派な身なりの男が見えた。

「おまえ、旅の者か?」

「ああ、グン・プトンの商人だ」

 龍平が答えると、少女はますます彼の首に刀を突き立てた。

「聞いたか。異国の旅人、特に商人には手を出してはならぬというのが通商条約だ。殺されては困るであろう」

 すると、少女を追っている兵士たちの動きが止まった。亥虞修理が制したのだ。

「なぜそこまで私のもとに来るのを拒む。貴子」

「わたしはこんな小国で終わりたくないのです」

(貴子だって?) 

 やり取りを聞きながら、龍平昌は間近の美少女をじっと見つめた。

 黒々としたまっすぐな瞳。すっと通った鼻筋。引き結ばれたくちびる。それらに似合わぬ可憐なまなざし。

(まちがいない、お召しのあった少女だ!)

「やだ、死にたくない!」

「あ、待ちなさい!」

 少女の手を掴んでおきながら、龍平は逃げる振りをして走り出した。

「外に馬をつないである。一緒にいこう」

「どこへ」

「あなたの望む場所」

 まて、まてえと言う声が近づいてくる。

「都で王がお待ちじゃ」

「わたしを?」

「さあ、乗って!」

 二人は馬にまたがると、閉じかける城門を抜けて場外に飛び出した。

 既に日がすっかり暮れようとしている。

 たいまつの下に、一人の女が立っていた。黒い影の下から、ぬっと現れた彼女は「にいさん」と衣を差し出した。内吏の証の真っ青な衣である。

 ばさりとそれを羽織ると、龍平は少女の手を握り、「私は都の内吏。あなたを王命により連れにきた」と教えた。

「うそみたいだ」

「うそじゃない。君が王の女にならなければ、手を出すのに。残念だ」

「まさか。にいさんにはあたいがいるんだから」

 女がまた口を挟む。

「抱いてくれるって言ったじゃないの」

「下品ね、そういう男だったの。おろして」

「そうよ、あんたの乗る馬じゃないわ」

「さっきから、何よ、あんた」

「十年以上前になるけれど、南の都市が陥落したの。そこのお嬢様だったのよ、これでも」

「ふうん」

「ふうんってなによ」

「ふうんはふうんでしょ!」

 喧嘩を始めた女二人を馬に乗せて、龍平は馬を引くはめになっていた。

 丘は灰色になり、竹林はかーんかーんと節をならす。月は低く、空には雲がかかっている。寂とした中で、三人はいつしか言葉をなくしていた。

 火をたいて野宿していると、やっとぽつぽつとお互いの話をするようになった。

「わたしは流しの薬師をしている。母を先年なくし、一人で旅をしているんだ。結構目立っているらしくて、いく先々で実力者の屋敷に呼ばれたよ。でも、今日は妻にならないかと持ちかけられて、逃げて来たんだ」

「おれはちょうど、あなたを迎えにきた所だったのだ」

「遊びにいくように見えたけど」

「にいさんったら」

 笑っているうちに、女二人は横たわって眠りだした。龍平は今のうちに南都市の女を置いて貴子と行こうかと思った。しかし、その気配を察したのか女はすっと手を伸ばして龍平の裾を掴んだ。

「いかないで」

「明鈴……」

「名前、知っていたんだ」

「試験を通るにはコネも必要。各地の有力者の縁者くらいは」

 満足げに、か弱く微笑む彼女を見て、龍平は心を決めた。

「明鈴、よく聞いてくれ。これから宮中に上がる貴子には味方がいない。お前が味方になってやってくれ」

「え?」

「色々あるとは思うが、おれはお前を大事にするから」

「龍平さま」

「このことは誰にも言ってはならぬ。いいな」

 そういって、龍平はそっと明鈴を抱き寄せた。

「はい……」

 貴子は、すーすーと寝息を立てている。火がはぜ、明鈴は目を閉じる。

 それを制して、龍平は空を見上げた。

「我が王は、お若い。これから宮中は華やぐだろう」


 天暦150年の新春である。

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