怪物と夢見る神子 1
プロローグ、短いよ!
物心ついた時には、あたしは大きなお屋敷の中の一室で暮らしていた。
いつもお世話をしてくれるミーシャは、あたしの事を“神子様”と呼んでいたけど、その言葉の意味は良く解らなかった。
だけど、5歳になったある日に、唐突にあたしはあたしの産まれた意味を知った。
ミーシャに手を引かれて初めてお屋敷の外に出た時、あたしは神輿に乗せられて村中を運んでもらった。
そこで見た景色は忘れない。みんながあたしを見て笑顔で手を振ってくれる。誰もがあたしを“神子”と呼んでくれた。
今まで部屋の中とミーシャだけしか居なかったあたしの世界は、その日から大きく広がったのだ。
その日の夜、ベランダから村の篝火を見ながらミーシャに尋ねた。
「ねぇ、ミーシャ。なんでみんなはあたしのことを知ってるの?あたしはみんなのこと知らないのに」
「それはあなたが神子だからです。私たちはあなたをお守りすることで生きていられるのですよ」
「あたしが知らなくても、みんなはあたしのことを守ってくれるの?」
「この村人の中でなら、あなた様は常に安全に暮らしていけます。村の外の人々があなたのことを知れば、決してあなたを逃してはくれないでしょう」
「そっか……じゃあ、みんながあたしのことを知ってくれたらだいじょうぶだよね!」
「……そうだといいですね」
あたしが思い付きの言葉を聞いたミーシャの顔は、とても優しい色をしていた。ギュッと彼女に抱きしめられて、私はなんだかくすぐったくて嬉しかった。
もしあたしのことを知ってくれる人が増えたら、こんな風に優しくして貰えるのだろうか?
その想いは、ずっとずっと続くあたしの夢になった。
外の人達や、村の人達と、お互いを知って、お互いを知って貰って、みんなが優しさで包まれたら、それはとても素敵なことだと想った。
だから少しだけ大きくなった私は、今日もお屋敷からの脱走を成功させて村の人達と一緒に過ごしている。
畑仕事をやらせて貰ったり、森の中に連れていって貰ったりして、夕焼け時にお屋敷に帰るとミーシャに怒られるけど、みんなと一緒に謝ったらいつも最後は許してくれる。
みんなと一緒に過ごす日々は楽しくて、何よりも優しかった。
村の中を網羅した後、今度は外の世界はどうなっているのか、どんな人達がいるのか気になり始めた。
だけどミーシャや村のみんなも、村の外に出ることだけは絶対に許さなかった。
一杯お話ししたけど、中々説得することができないので、遂に大脱走を計画し始めたある日のこと、この村に初めて2人組の旅人が訪れた。
一人は怪我をした綺麗な女の人で、もう一人は見たことも無いくらい大柄の、何故かほとんど裸の男の人だった。
★
「ちょっと~……まだ着かないのかしらぁ……?」
「あと少しだ、頑張れ」
「なんで怪我人にこんな悪路歩かせてんのよ、おぶりなさいよ」
「お前が帝国とは逆方向に行きたいと言ったんだろ……」
「それでももっとあるでしょ。ほら、秘密の獣道とか」
「その獣道は獣しか使ってないから獣道なんだが?」
リセル・ラングストンに付いていくと決めたは良い物の、沈黙を退屈と感じるお年頃らしい彼女は、道中このようにピウスと軽口を叩きあいながらダラダラと森の中を進んでいた。
千年以上前の生態環境を保つと言われる非常に珍しい森林地帯、ミレミアム・ベースティアはベスマン帝国とメッサーリア王国の国境を呑み込むように存在している。
方向感覚のない者がこの森に迷い込めば、いつの間にか他国の関所を通らず不法入国してしまう。しかも非常に危険な竜種や幻鳥種などの強力な魔物が普通に跋扈しているため、普通の人はメッサーリア王国の隣にあるアシメストア王国を仲介して帝国へ入国している。
そんな危険な森の中を横断しているピウス・ピスティとリセル・ラングストン、ぶっちゃけそうするだけののっぴきならない事情が存在する。
長身の鍛えられた身体で整った顔立ちの青年ピウスは、元は魔物と人間の混血種であるのだが、ひょうんなことから伝説の剣暁の剣に選ばれてしまい世界を救うことを余儀なくされたので、とりあえず事情に通じてそうなリセルに付いていくことにした。
これだけでは何処か懐かしいノートに書き溜められた若さ故の過ちをそれっぽく語っているように見えるかもしれないが、ガチだ。
長身のピウスを置き去りにする勢いで進む金髪綺麗系美少女リセルは、故国の事情から暁の剣を追い求めてミレミアム・ベースティアへと訪れたのだが、伝説の剣による予想だにしない人選にブチ切れて自らを追って来た帝国の一団ごと暁の剣を保管していた遺跡を爆破。
仕方なく適格者たるピウスを連れて、なるべく帝国から遠ざかる方向で故国アシメストア王国を目指すことになったのだった。
帝国の一団を吹き飛ばしてしまった2人が帝国に追われることになるのは想像に難くない。身元がバレていないとはいえ、帝国を経由してアシメストアに向かうのはリスクが大きい。
そこで多少遠回りになるが、メッサーリアを経由するルートでアシメストアへ戻ることになったのだが、ミレミアム・ベースティアにあった遺跡は帝国寄りに存在していたため、結局メッサーリアの国境を越えて樹海を抜けるのに5日を要することになった。
それだけ野宿と変わり映えしない森の景色を眺め続ければ、シティー育ちのリセルがうんざりするのも解ろうというものだ。お年頃であるリセルとしては、そろそろ体臭が気になり始めているのだ。
ピウスも始めの内は会話を楽しんでいたのだが、口を開けば愚痴と催促の話題ばかりでは気が滅入る。
結果、2人はある程度築いていた信頼関係に若干揺らぎが生じていた。
我の強い性格のリセルと比較的許容量の広いピウスは性格的な相性で今までバランスが取れていた。
しかしリセルの機嫌の悪さが続けば久しぶりに会話をするピウスとしてはどうしていいのか解らず閉口せざる得ない。
会話は自然と少なくなり、気まずい雰囲気が互いを包み、軽口を叩くもののどこかぎこちない物になってしまうのだった。
そんな2人の雰囲気をようやく払拭する機会が回って来た事をピウスは気付いた。
「リセル、止まれ」
「あによ」
「右を見ろ」
「右?」
突然呼びとめられ思わずキツイ口調で振り返ったリセルは、少しだけ笑って右手を指差すピウスに従って視線を動かした。
始めはここ数日で見飽きた木々の風景にしか見えなかったのだが、良く見るとその奥に何やら開けた場所があることが解った。
それが森の出口であると解った瞬間、リセルは満面の笑みを浮かべてピウスの脛を蹴った。
「ッ!?」
「よくやったわ!さあ、麗しき文化的生活空間が私を待ってるぅ!行くわよ!」
そう言って駆けだしたリセルを何とも言えない表情で見つめていたピウスは、やがて溜息を付いた後リセルを追って自身も駆けだした。
「なんでお前は俺の脛を蹴るんだ……」
「どうでもいいじゃない、背中叩くのも脛を蹴るのもスキンシップでしょ。そんなことよりようやく森を抜けたわ!」
今にも飛び跳ねそうな勢いでうずうずとしているリセルを見ると、なんだか遠い記憶を思い出して耽ってしまいそうになった。
ピウスの母、アセリアとの物語は、いずれ語る時もくるだろう。
しかし始まりを告げる物語は、今この時2人を捕らえて離さない。
「そういえば、泊まるにしても俺のこの格好はどう説明する気だ?お前の寝巻用のモーフも腰巻にしかならなかったぞ」
「そうよねぇ……このままじゃどう見ても奴隷にしか見えないわ」
「そんな風に見えるのか……いっその事全裸じゃ駄目か?」
「馬鹿言わないでよ、それじゃ私が変態みたいじゃない」
2人は見落としていた。この村が存在している場所の矛盾を。
しかし2人は気付かずに、ミレミアム・ベースティアの間近に在る村へと足を踏み入れた。
「人間とは実に不便だな……自然なままであることが異端であるとは……」
「別に異端じゃないわよ、時と場所と私の気分の問題なの」
「ならどういう時なら大丈夫なんだ?」
「そ、それは……ほら、あれよ、あれ」
「あれ?」
「だから……神聖で愛を誓い合う2人が共にベッドの上で……」
「ああ、性交か、確かに全裸でも問題ないな」
「もうちょっと慎みなさいよ!」
「脛ッ!?」
世界を救う運命を持つ者、世界の真理を解き明かす者、そして――――――
「あなた達、外の人でしょ!」
「む?」
「は?」
世界から愛されし者の邂逅。