怪物と魔術師の少女 3
「混血種、後どのくらい?」
「十分も掛からない。それより、お前身体の方は良いのか?」
「あなたが心配することでもないでしょ?」
「……それもそうなんだが」
雨の止まぬ午後。俺と少女(リセルというらしい)は早朝出会った遺跡に来ていた。
ギラギラとした目付きで俺にここへの案内を命じた彼女を背負い、振動で傷に触らぬように気を使いながら遺跡へ辿り着いたはいいが、理由となる彼女の目的が不明のままだ。
まぁ、早く立ち去ってくれるのなら別に理由を知らなくても問題ない。騒ぎを起こしそうならその時止めればいい。今の状態の彼女がそこまで脅威になるとは思えない、というのもあるのだが。
遺跡に辿り着き、早速建物内部へと突き進んでいく彼女を慌てて追う。勇ましい限りだが、顔面に食らった罠がまた設置されているとか考えてないのか?
内部は結構広い空間がある。4スンセの俺でも窮屈せずに作業が行える程の広さの壁一面には、俺では解読することのできない難解な古語が並んでいる。
欠けたり崩れかけている部分を泥で固めたり当て木で補強している部分が所々見られるのは、俺が長年かけて試行錯誤しながら続けた作業の証だ。
最初ほとんど廃墟だった遺跡を、瓦礫を撤去したり壁を修復したりするのはそれはもう大変だった。気の長い性格が無ければ発狂しそうなぐらい地道な作業をやり遂げた精神力を自讃したい。
「これって全部あなたが……?」
「まぁ、そうだな」
彼女は外見から想像もできないほど整頓された内部の様子を眺めながら呆然とつぶやいた。
表情には出さないが、内心はちょっとドヤ顔しそうなぐらいにやけていた。
こういう風に努力が報われると年甲斐もなく感動してしまう。やはりいつになっても褒められるというのは嬉しいものだ。
「調べ物なら早くした方がいいぞ、日が沈むと何も視えなくなる」
「解ってるわ」
俺の忠告にむっとしながら応答すると、彼女は荷物の中から何冊かの書物を取り出した。
壁の文字と書物を見比べながら、真剣な表情で忙しなく端から端へと移動していく。
魔術師という職業を詳しく知っている訳ではないが、彼女の姿からは戦闘よりもこうした学者としての知識に重きを置いているように感じた。
作業の邪魔にならないようにその場から離れ、入口の方でたいまつの準備を始める。夜目は効くので必要ないのだが、人間の彼女はそうもいかないだろう。
あの集中している彼女の顔を見ると、少なくともこの遺跡を調べあげるまでは離れようとはしないだろう。
加工品を手に入れる方法が限られているため布織物などは大変貴重だ。なので変わりに燃えやすいヒサカの枝を何本か拾って置いた。時化っているので乾くのに少し時間がかかるが、そこは少しばかり一工夫だ。
ヒサカ自体燃えやすいのだが、そこにデンプン質で油分を含んでいる栗に近い殻と実を持つモクリを握り潰し、滲み出てきた果汁をヒサカに垂らした。
デンプンが水分を吸収し、多少は時化りが取れて日が付きやすくなったヒサカに、崖の方で良く採れるイグニクト石を擦り付けた。
何度か繰り返すと、たいまつに散った火花が勢い良く燃えあがった。
「たいまつは必要か?」
「ありがとう、ちょうど良かったわ」
たいまつで壁を照らしながら尋ねると、彼女はこちらを一瞥し壁に視線を戻しながら素直に礼を口にした。尊大だが、貸し借りの助け合いにはキチンと礼を尽くせる尊重もあるようだ。
適当にたいまつを立てかけ再び暇になった俺は、とりあえず当て木用の杭を作ることにした。
お互いの作業に黙々と集中し、ただ静かに時間が過ぎていく。
誰かと一緒に居る。母以外の人間と共に一つの空間で作業している。今でも何となく忌避感のあった状況が、不思議と嫌に思わなかった。
「なるほど……ここが中心で……だから……ということは……で……」
少女が書物を放り出し、奥にある崩れかけた祭壇らしき場所で何やらブツブツと呟いていた。
ここは文字などは幸い無事だったものの、祭壇全体が脆くなっているため手が出せないで居た場所だった。
少女は一心不乱に祭壇の中央に書かれた文字をその場で解読していく。
えっと……崩れるかもしれないからあんまり触らないでほしいのだが。
俺の呟きは届かなかったようで、彼女は祭壇に触れて熟考すると、やがて祭壇から数歩離れて呪文を唱え始めた。
「“極光《Auroral》!空を駆けよ《Teilen Sie den Himmel》!”」
ちょっ!?何する気だ――――――――――――――――!?
「“閃火球《Fiiegen Sie direkt》!”」
彼女が放った火球は俺の長年の苦労をいろんな意味で粉々しようと真っ直ぐ祭壇へと飛んでいく。
そんなに大きさはないが、ボロい祭壇を瓦礫に変えるなら十分な威力だろう。
突然の事態に反応できず、俺はただ祭壇へと飛んでいく火球を驚愕の表情で眺めるしかなかった。
ああ、さようなら我が地道な修復の日々よ。すまない、お前を躊躇わずに修復してやれなかった俺の優柔不断さを許してくれ……。
祭壇の無残な未来予想図と、そこから発生するであろう喪失感を想像し、何処か達観したような悟りを開いた。
が、それらの想像は少女の行動と同じくらい脈絡もなく裏切られる。
「……何?」
「やはり、か……」
少女の放った火球は祭壇の手前で何かにぶつかったように拡散し、そのまま力を失って消え去ってしまった。
視えない壁……?それも魔術を無効化する類いの……。
修復から数十年経ってからこのような機能があったことを知り、改めてこの森に遺された遺跡の得体の知れなさを実感する。元々ここは神域なのだから当然と言えば当然なのだろうが。
少女は深く息を吐きだすと、頭を苛立たしげに掻き毟ってからその場に座り込んだ。
「おい、どうしたんだ」
「うるさい」
ムスーっとした表情で素気無く答える少女。何が解ったのか知らないが、かなりいじけているらしい。
それでも一応解ったことについて聞いて置かなくては、そういう条件で疲労している彼女をここに連れて来たのだし。
「何か解ったのなら教えてもらう。そういう条件でお前をここに連れて来たんだぞ」
「……あーもう、解ったわよ。いろいろ恩もあるしね」
溜息を着いてこちらに向き直り、彼女は唇を尖らせながら説明を始めた。
「あなた、ここが元は神域だって気付いてた?」
「ああ、いくつか遺跡を見つけて大体の予想はついていた」
「そう、ならここが“暁の剣”を祀る為の神殿だったことは?」
「……それは知らなかったな、暁の剣なんてお伽話だとばかり思っていたが」
「まぁ、最後に現れたのが三百年も前じゃあね。だけど実際史実には何度かその存在が確認されているわ。そして暁の剣は確かに“ここに在った”」
少女はそう断言すると、立ち上がってから祭壇の上を覗きこんだ。
俺もそれに従って覗きこむと、祭壇の中央には何かを差し込むために穿たれた細い窪みがあった。
ちょうど、剣を差し込む様な形をしていた。
なるほど、事実かどうかは別として、少女の推測には現実味と根拠がある。少なくても剣が祀られていたというのは間違いなさそうだ。
「私の目的は暁の剣の回収。一番可能性が高そうな場所を選んだつもりだったけど……結局は無駄足ね。影も形もない訳だし」
憎々しげに穴を睨みつける少女が、また溜息を着きながらそう言った。
「前の適格者は動乱を終結させた後行方不明。遺された暁の剣は三百年前に適格者の国が神殿を建てて保管したらしいけど、その後帝国に滅ぼされて以後詳細は不明。今はこうして帝国とメッサーリア王国の境目で半ば放置されているけど、滅ぼされた時に帝国が回収していてもおかしくはないわね……」
再び俺を見上げながらそう言うと、彼女は突然俺の脛を蹴飛ばした。痛くはないのだが、唐突な行動に驚いて一歩引いてしまう。
その後も彼女は何度も俺の脛を蹴りながらブツブツと喋り出した。正直俯かれながら耽々と蹴られるのは相当恐い。
「何なのよまったく一ヶ月も掛けて来てみればいきなり帝国のバカ共に追い回されるしその性で私のジェディエラが死んじゃうし右腕も折るし訳の解らない混血種の罠で顔面強打するしその後なんかお情けで治療まで受けちゃうし結局暁の剣は無くて無駄足だし最悪最悪最低最低全部この脚が悪いんだ全部この脚が悪いんだ……」
…………えーと、これどうしよう。容赦なくなってきたんだけど、痛くはないが。
落ち着くまで付き合ってあげた方がいいのだろうか。付き合わなきゃいけないんだろうな……。
まぁ、うまくいかなくてイライラする時くらい誰にでもある。俺にもある。最近はないけど。
なんでこんなサンドバック的人付き合いをしなければならないのかと思わなくもないが、これも遺跡の詳細を教えてもらったことについての手数料だと思えばいいだろう。
十分程休みなく俺の脚を蹴り続けた彼女は、すっきりと晴々した表情で書物などを直しに行ってしまった。
なんだろう、この清々しくも虚しい気持ちは……。人間って…………なんなんだよもう。
★
混血種の脚で今までの鬱憤を清算させ、多少満足した私は得られた情報を素早く整理していく。
ここは三百年前にあった適格者の出身国、名をリスルスティン。暁の剣が現れたことによって神域となったこの場所に、神殿を中心とした都市を建造し暁の剣を保存。
神殿内部には記念碑やら国の歴史なども記されていたがあまり関係ないので省略。
問題は祭壇にあった結界と暁の剣の行方だ。
三百年経ってなお存在し続ける程強力な結界に保存されていたはずの暁の剣が何故消失しているのか?
誰が創ったかも不明の伝説の剣なのだから、そんな結界も関係なくまた適格者の元へ現れているかもしれないのだが、その可能性は正直考えたくない。文字通り骨折り損だ。
それならそれで早く帰還させて貰えるかもしれないが、国にとっても暁の剣の行方が完全に解らないというのはかなり痛手だ。
ならばせめて暁の剣についての情報をできるだけ集めておく必要があるだろう。
幸い点在している神殿の場所は混血種が知っているようだし、三日ほど消費すれば何か出てくるかもしれない。
そういえばこの混血種、さっきから雑な扱いにも関わらずあまり怒った様子はない。
それどころかこちらに気を使うような態度を取っている。本当にこの森の主なのだろうか?
「それじゃ、今日はこれくらいにして戻りましょう」
「…………」
荷物をまとめて混血種に声を掛けると、彼は仮面から覗く目を細め入口を見つめていた。
「どうかした?」
「……何かが来る、それも複数だ」
そう言って巨大な木剣を引き抜く混血種。私には何も聞こえないが、帝国兵をあしらった実力は本物だ、信用しても良いかもしれない。
混血種は辺りを見回すと、適当な壁の窪みを蔦って暗闇に姿を隠した。
あいつの意図が何となく解ったので私もメイスを取り出し、魔力の循環を開始して臨戦態勢を取る。
やがて私にも雨に混じって微かな音が聞こえてきた。
規則正しいテンポで地を踏み締めながら近づいてくるのは蹄の合唱。そこから予想できるのは、あまり良いものとは言えない。
しばらくして遺跡の入り口からもその姿を確認できるほど接近してきた奴らは、こちらに気付くと馬を降りて鎧の擦れる音を響かせながら歩み寄ってくる。
一般兵で在りながら無駄に整った装備に、私を見つけた時の下品な視線、見覚えあり過ぎる彼等は、先刻まで激しい逃亡劇を繰り広げた私の敵役の皆さんだ。要するに帝国兵の中隊だった。
似合っていない髭を触りながら進み出て来たのは、恐らく中隊の司令官だろう。嫌味で底意地の悪そうな性格が滲み出ている顔だった。あまり人を見た目で評価する性質じゃないが、これほどあからさまな小悪党は他にいないだろう。ざらつく視線もそれを物語っている。
「御機嫌よう、お嬢さん。生憎の雨だがご機嫌は如何かな?」
「御覧の通り最悪よ、誰かさんの部下が散々追い回してくれたお蔭で」
「おやおや、それは大変失礼した。どうかな?私に謝礼をさせて頂きたいのだが」
「結構よ、逆にこちらのお礼を受け取って欲しいわね。焼死体と凍死体、どちらがお好みかしら?」
「随分と勝ち気なお嬢さんだ。この人数相手に戦闘ができるとでも?」
彼の後ろにはざっと30人の兵士が控えている。単純な戦力比で1:900(武器性能×人数の2乗)だ。まともな戦い方してたら勝負になるはずがない。
回復した魔力の貯蔵は半々、デカイの3発と小さいの2発分……正直かなりキツい。
しかも向こうには帝国製の魔戦具がある。デカイのでもダメージが通るかどうか微妙なところだ。
せめて魔力が全快ならここに居る全員を消し炭にしてやるのだが、無いものは仕方がない。ここまで追い詰められた私の失態だ。魔力抵抗の高い魔戦具がここまで厄介だとは思わなかったし。
「実はお嬢さんに折り入ってお話が御座いましてね。少々お伺いしたいことがあるのですよ」
「ふーん、聞いてあげるだけなら構わないわよ?」
「では失礼して…………暁の剣はどこにある?」
ニヤついた表情は変わらない、そこに込められた感情が色欲から傲慢になっただけだ。
本当に、面倒になった。やはりこいつらに私の目的がバレている。
舌打ちしそうになるのを我慢しながら、私は自尊心が高そうな指揮官に向かってできるだけ小馬鹿にする様に鼻で笑った。
「何の話かしら?暁の剣?あなた達その年でまだ少年の心を忘れてない可哀想なドリーマーなの?」
指揮官の眉がピクッと跳ねた。安い嘲笑に引っかかってくれた感謝をしてやろう。私にこの頭脳を授けてくれた母に向けて。
彼は引き攣った笑みを浮かべながらも私へ同じ質問を繰り返す。
「答えろ、暁の剣はどこにある?」
「淑女に向かって随分な口の聴き方ね。程度が知れるわよ指揮官殿?」
「やれ」
指揮官の声に従って、何人かの兵士が射かけた矢が頬や身体を掠めて血が滴り落ちた。
くだらない脅しだ、そのくらいで怖気づくほど柔な人生送ってない。私をビビらせたかったら幻夢種でも連れてくるのね。
「もう一度だけ聞くぞ、暁の剣はどこだ?素直に話せば命だけは助けてやろう」
命以外はすべて持っていくのだろうけど、尊厳も自由も何かも。弱肉強食を旨とする帝国での敗戦奴は悲惨だと聞くし。
質問を受ける前から答えは決まっている。これ以上もこれ以下も、ましてやこれ以外にあり得ない。
「い・や・だ」
満面の笑みでそう答えると、指揮官は顔を怒りで染めながら手を振り上げる。それと同時に帝国兵達が一斉に弓を構えた。
彼我の距離20スンセもあれば十分致命的範囲の真っ只中、どの程度の腕前かは知らないが余程へたくそじゃない限り当たる。
向こうもやる気を出したようだし、こちらも歓迎の祝砲をあげるとしよう。
「“形を成すのが始まりならば《Stellen die Form des Anfangs》、姿ある敵意が戦譜を綴る《Markieren Sie das Aussehen der Feindseligkeit》”」
何度も繰り返し身体に刻みつけた呪文を淀みなく最速詠唱する。別に高等技術でも何でもなくただの早口なのだが、熟練した魔術師の詠唱は下手な剣士の一振りよりも遥かに速い。
私が詠唱を終えるのと、指揮官が手を降ろして号令を取るのはほぼ同時だった。
「放てっ!!」
「“踊る炎叛《Bilderbuch des Tanzes》”」
一瞬渦を巻くように広がる炎盾と空を切る30以上の矢の間に何かが落ちて来たような気がするが、視界が炎盾に遮られて確認はできない。
結界の術式が発動し渦巻く炎が大きな円を描きながら地面に広がって、その内側に私と帝国兵を閉じ込める。しかし、炎の内側に居たのは私たちだけではなかった。
身体を覆うように4本の巨大な木剣を構えた4スンセはあるシルエット。重々しい重圧を放ちながら、こちらに背を向けて帝国兵達へと対峙するそいつは、私にとって微妙な立ち位置にいる混血種らしい怪物。私はそいつを困惑しながら見つめた。てっきりさっき姿を隠したのは奇襲か逃亡の為だと思ったのだ。混血種がこのタイミングで出て来た意味が解らなかった。
背中の炎と前面の矢を受け止めた木剣を振り払って汚れを取った混血種は、底冷えするような低い唸り声を洩らし始める。まるで獣が敵に対して歯を剥き出しにして威嚇するように見えるが、実際唸っているのはそんな生易しいモノじゃない。
左右2本ずつある腕を重ねて一本の腕を形作ると、その太さは老樹のようにどっしりとした剛腕へと変わり、木剣もさらにその厚みを増して存在感を滲ませている。こちらから混血種の表情は窺えないが、仮面をしているにも関わらず、帝国兵達の喉を絞められたような悲鳴を聴く限り、かなり恐ろしい表情をしているらしい。呼吸の度に盛りあがる肉体の怒張はいかにも人外染みている。いや、あいつは文字通り人間じゃない。
正に怪物と呼ぶに相応しい、怪物だ。
怪物染みた人間なら何人か見たことはある。しかし人間である限り逃れられない、本能的に畏れてしまう怪物そのものを視た事が無かった。怪物は遠くからでも感じられそうな深く熱い呼気を吐くと、静かに、しかしそこに込められた軋むような意志を言葉にした。
「お前達のせいで俺の長年の苦労は全て水泡に帰した……この償いは気絶だけでは済まさんぞ……!」
…………なるほど、確かに炎やら流れ矢などで修繕されていた遺跡内部は再びボロボロになってしまっていた。あそこまで怒るのも無理はないという程散々な有り様だった。
「俺の名はピウス・ピスティ、偉大なる母アエリアの息子。この森を荒らす貴様らを須らく排除させてもらう。そこの少女、お前もだ」
「えっ、私も!?」
「当然だ、破損の9割はどう見てもお前の魔術のせいだろう」
それは……まあ、確かに。石工じゃなくて木材で補強されていたため、私の魔術はさぞかしそれを消し炭にしてしまっただろう。
「殺しはしない、半分だけはな」
「ッ!仕方がないわね……」
「な、何をしている!あの化け物を始末しろぉ!?」
こうして私の長い探索調査を締めくくる事になる戦いは、何故か私と怪物と軍隊の三つ巴へと発展したのだった。