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彷徨えるピウス  作者: 迷小屋エンキド
怪物と少女
2/10

怪物と魔術師の少女 2

 「……ッァ」


 鈍い頭痛による刺激が、ユラユラと揺れる意識を徐々に明瞭にしていく。

 微かに漂う濁った匂いと、幾つも水滴の打ちつける音が雨だと気付くのに少し時間がかかった。

 

 「ッ!!」


 そこまで理解するのと同時にその場から跳び起きた。

 胡乱で頼りなかった視界を頬を張ってハッキリさせる。ついでに先程までの記憶も戻ってきたのは僥倖だろうか。

 どちらかと言えば、痛みより怒りの方が覚醒の役割が大きい気がした。

 

 「あの魔物……!今度会ったらケツの穴凍らせてやるわ……!」


 歯を食い縛って拳を握りながら決意を新たにすると、ようやく自分の現状を考えつける程度には落ち着いた。

 辺りをグルリと見渡す。敷き詰められた落ち葉の上にいて気付かなかったが、あまり光の刺さず薄暗い様子から、ここはどうやら洞窟のようだ。

 ここは何だ?あの魔物の巣だろうか?

 だとすれば何故私をわざわざ連れてきたのだ?

 …………想像したくはないが、もしかするとこれは、その、そ、そういうことなのか。

 ゾワゾワ……!と全身の毛が逆立つのを感じた。ここまで魔物に恐怖を感じたのは初めてかもしれない。

 

 「と、とりあえず逃げましょう」


 立ち上がろうとして右手を着く。


 「ひぐぅ!?」


 その瞬間、骨の髄まで響くような激痛で背筋がピーンと伸びた。

 そういえば右手はジェディエラから落馬して折れたんだった。

 ……私が、無理をさせ過ぎたから。一度力尽きれば、馬はもう二度と走れない。

 ジワリと浮かんだ涙は、たぶん痛みのせいだけじゃない。

 目を擦ってから、今度は左手で立ち上がった。今はここから逃げなくては、謝罪なら墓場で言えばいい。

 

 ちょうど入口の方から、パチャリと水の跳ねる音がした。


 「ッ!?」


 魔物が、帰って来た。

 緊張と共に思考を加速させ、この状況からの脱出手段を模索する。

 風の流れを感じないから、恐らくこれ以上の奥行きはなく、入口は正面の一つだけ。暗くて確証は持てないが、今はそう判断しておく。

 ……右腕には何故か当て木などの治療が施されているが、実質重傷だ。落馬してこれだけ済んだのだからまだマシだろう。

 魔術の方は品切れだ。神域だった為か周りにマナは満ちていても、魔力を無理矢理捻りだしたので代謝が低下して補填ができていないようだ。

 だとするとあの魔物に対抗できる手段はほぼ皆無と言っていい。最悪だ。栄養に重点を置かれた戦地で配給されるドロドロに煮詰められたマメスープくらい最悪だ。

 一仕事した後吐きそうになりながら一気に流し込んで食したのは今ではいい思い出だと思いたい。

 それはさて置き、この戦力差で私ができることがあるとするなら…………死んだふりだ。

 またの名をタレキコ寝入り。これが中々バカにできない。

 魔物の討伐もキッチリ殺したか確認しないと黒光りするゴブリキのようにしつこく湧いてくる。

 なので戦後の後始末では必ず生存確認は必須になるのだ。

 あの魔物を騙せるかは解らないが、無駄に抵抗して挽肉にされるよりはマシだ。

 私は落ち葉の敷き詰められた床に伏せて、なるべく先程の体勢を思い出しながら目を閉じた。

 

 足音が近づいてくる……耳に聞こえるゆっくりだが大きな呼吸……これは鼻息……?近い……顔を寄せている……ダメだ、緊張するな……落ち付け……落ち付け……。


 こちらをじっくり観察するような視線を感じながら、私は努めて自然な眠りを装った。

 やがて魔物の気配が遠退いて行くのを感じ心中安堵のため息をつく。

 今魔物の様子を確認することはできないだろうか?

 逃げるにしてもこのままでいるにしても、様子見ができるのに越したことはない。

 薄らと、視界の確保できるギリギリの範囲で目を開けた。


 「起きたか」


 目の前にはこちらを覗きこむ怪物の顔が広がっていた。

 人?の事を見た目で判断するのはどうかと思う。私もそう思う。

 私はこれまで結構波乱に満ちた人生を送ってきたと思うし、その過程で殺んちゃなことや墜ちゃめなことをやらかしてきた経験から図太い神経しているという自覚もある。人は内面だという母上のカカア殿下っぷりから証明されている言葉もある。

 しかしあえて言わせてほしいのだが、私の目の前に居る怪物は普通に子供や心臓の悪い人が視たらポックリしそうな強烈な顔だった。

 醜悪というより強烈という表現を使ったあたり、私の現在の動揺の程をご容赦いただきたい。

 非常に屈辱的な、この後散々からかわれることになる人生の汚点として残る事となる、私のこの状況に対する反応を仕方が無かったと言い訳しておきたい。

 ようするに、だ。

 恥じらいもなく、それこそ初心でお姫様で小娘だった時代頃のように、私は非常に女の子な悲鳴を上げてしまった。









 …………これは泣いてもいいんだろうか。

 人間の少女に悲鳴を上げられる…………思い出すな、それは地雷だぞ。

 今更と言えば今更な話だが、俺が怪物として転生してしまった宿命みたいなものだから仕方ない。

 だけどなぁ……やっぱアレは子供心にトラウマだぞ……。イジメイクナイ。

 ジメジメするのが嫌だからって仮面取ったのはまずかったか……。

 可愛らしい年相応の悲鳴を上げた彼女から受ける視線が、恐怖ではなく驚きに染まっていたのは救いか。

 今は自分の悲鳴が恥ずかしかったようで、こちらを射殺すように睨みつけているが、少し赤らめた顔からは微笑ましさしか感じない。

 活き活きしてる人間の表情に懐かしさを覚えた。こっちに来てからは生き生きと殺伐とした自然界で生活してので、その感動は少し奮えるほど沁み渡った。

 もし俺が怪物でなければ彼女を抱きしめたいくらいだ。たぶん気の強そうな顔だから殴られそうだけど。

 とりあえず、骨折の方は寝てる間に飲ませた薬草が効いているようで、あまり痛がっているようには見えない。

 少しダルそうなのも魔術を使ったことによるものだろう。あいにくそちらは門外漢でよく解らないのだが。

 目立った不調は診られないので、後は体力を付けて休むだけだろう。


 「コリンの果汁を搾ったモノだ。飲んで休めば身体を動かすくらいなら問題なくなるだろう」


 俺は彼女の前に、山地に良く生えているコリンという果物を磨り潰して作ったジュースを差し出す。

 さっぱりとした甘さで栄養価も高いので、酷く疲労した身体でも飲めると思う。

 彼女はきついツリ目を丸くして、俺の顔を呆然と見上げていた。

 まあ、当然の反応だろう。さっきほどはショックではない。


 「動けるようになるまではここに居ろ。ここに来た目的に興味はないが、できれば早く立ち去ることをお勧めする」


 できるだけ聞こえやすいように喋ったつもりだが、俺の声が変声器を使ったみたいにガラガラするのは知っているので少し不安だ。

 近くに居ても落ち着かないだろうし、またしばらく遺跡を修復しに行って時間を潰すとしよう。雨の中の作業はあまり気が進まないが。

 彼女から離れて再び出口の方へ向かう。


 「ちょっと待ちなさい!」


 後ろから声がかかった。

 振り向いてみると、彼女は立ち上がってこちらをきつく見据えていた。今度は照れ隠しではなく、懐疑と敵襲心によって。

 ようやく馴染みのある反応を受けて、俺は少し郷愁のようなものを感じた。

 懐かしの嫌悪、麗しの拒絶。

 久しぶりに感じてみると、自分でも驚くほど何も感じていなかった。

 懐かしい、そう感じる程度の感慨しか湧かない。少しは成長したのだろうか?

 俺は驚かせないようにゆっくりと少女と対峙する。

 俺の前にあっても恐れず、腰に手を当て胸を張り、俺の顔をまっすぐに直視する少女。

 こういう風に正面から顔を合わせることができるのは母くらいだったが、世の中にはまだまだ強い女性が溢れているようだ。なんか母に叱られているような気分になってきた。


 「あなたは一体何?ここは何処?私をどうするつもりなの?」


 言い逃れは許さないと目が訴えてくる。その姿にやはり母の姿がたぶった。


 「……俺の名はピウス・ピスティ、アエリアの息子だ。この森で管理者をやっている。お前を放って置くと面倒になりそうだったのでな、俺の住処に連れてきた。お前には特に興味はない」


 その視線に気まずくなり、目を逸らして耳の裏を掻きながら質問に答えた。

 ちなみに質問の答えに他意はない。彼女が追われていたことから察するに、どうやらトラブルを抱えているであろうことは容易に想像が着く。

 あのやたら装備の整っている兵と一緒に森の外へ放り出しても、恐らく彼女の根性入った抵抗具合を見るにまた騒ぎを起こしてくれるに違いない。そうなっては面倒だ、作業が進まない。

 なので出来るだけ少女が奴らと鉢合わせしないようにこの森から出そうと思ったのだが、天気も悪いし彼女の体調も思わしくない。一晩休ませてからでも遅くはないだろうと、彼女の苦しげな表情を見て判断したのは情に流されたからではない。ないったらないのだ。

 そういう事情を説明するべきなのか、それともこのまま黙って置くべきなのだろうか。人付き合いはおろか、この森の喋れる魔物とも普段あまり会話しないので実はかなり戸惑っていたりする。

 ……違う、俺はぼっちじゃない。ましやコミュ障などでは断じてない。

 こ、これは…………そう、威厳だ。威厳を醸し出す為に自然と言葉が少なくなるんだ。

 人に信じて貰いたかったら断言しろってドイツの哲学者も言ってたし。

 だから俺の顔を疑わしげに見上げる少女に臆してなどいない。少しソワソワして意味もなく仮面の乾き具合を確かめたりする程度だ。


 「あなた、もしかして混血種ハーフ?」


 混血種ハーフ、昔はその名を聞いて厨二病という単語が頭を過ぎって地味に心が躍ったりしたが、改めて聞くとあの時の自分の感性に顔を覆いたくなる。俺も年を取ったか。

 母は俺に父の事をあまり話してくれたことはなかったが、俺を仕込んだ時親父は複数のウネウネとした下半身で襲い掛かって来たらしい。俺はその話を聞いて若干死にたくなった。

 え、俺って触手なんてアブノーマルなプレイで仕込まれたの?さすがファンタジー、次元が違う。みたいなー……。

 思考が当時の若さを取り戻した気がしたが、笑い話に出来ても良い思い出とは言い難い記憶を思い出し、俺の顔は老けて醜さ割増だろう。


 「……ああ、その通りだ。父は知らないが、母は人間だ」

 「ふーん、珍しいって訳じゃないけど、魔術師としては興味深いわね」

 「……まぁ、母が言うには父は下半身が触手らしいが」

 「何それ、スキャラってわけではないでしょう。吸盤付いてないし」

 「ああ、たぶん違う。そうであってほしい、と思っている」

 「まあ、そんなことはどうでもいいのよ」


 自分から話題振ったのに……理不尽だ。なんか俺に慣れたのかこの少女さらに気が強くなってないか?

 会話の主導権を争うつもりはないのだが、逆らうと怖そうな気がするのでおとなしく従う。


 「あの時帝国兵と気絶させたのと、私のこの顔に木材叩きつけた罠を張ったのはあなた?」

 「あ、ああ……どちらとも俺で間違いない」

 「そう、ところでもう少し顔を寄せなさい」


 いつの間にか命令口調だが、指摘しても無駄な気がしたので黙って少女に顔を近づけた。

 透き通る猫のような碧眼に、パッチリとした長い睫毛、金色の髪をカチューシャでオールバックにまとめていて、その厳しくて性格がキツそうな美人顔がハッキリと見えた。まだ幼さを残しているが、十分に成熟した知性を覗かせる瞳に、思わず吸い込まれそうになった。

 想えば、こうして他人の顔をマジマジと眺めるのは母以外で初めてな気がした。

 そうやって自らの好奇心を満たすように少女の顔を近くで眺めていると、少女は優しく微笑みながら俺の頬を小さな左手でさすった。

 驚いて身を引こうとするが、その手にと抵抗する気があっという間に消失した。

 ゆっくりと彼女と同じくらいの高さまで顔を下され真正面から彼女の顔を見つめる。

 こうして間近で観てみると、やはり綺麗だと思った。

 すると彼女は何気ない動作で拳を上げると、微笑みを携えた綺麗な顔を冷酷な笑みへと変える。


 「ッ!!?!?」


 一瞬小さな手が映ったかと思うと、声も出せないくらい激しい痛みが目を襲う。ゴミが入ったとかそんなのではなく、何か刺さったんじゃないかと思えるくらい容赦が無かった。

 堪らず顔を抑えてその場に蹲り、涙の流れる目を呻きながら抑えた。

 後頭部に圧迫を感じ地面にさらに抑えつけられた。どうやら彼女が頭を踏みつけているらしい。


 「このリセル・ラングストンの純白の肌を傷モノにするなんて、随分しつけのなってない犬のようね」


 こ、こえええええええええええええええええ。人間こええええええええええええええ。

 この豹変っぷりは予想できなかった。自分が冷や汗掻いてるのがハッキリと解った。

 少女はしばらく俺の後頭部をグリグリ踏み締めていたが、満足そうな息を吐いた後俺を伏せた状態のまま顔を上げさせた。

 なんというか、大格差的には仕方ないのだろうが、この体勢は森の管理者としての威厳を挽肉にされた気がする。

 こちらを見下ろす彼女の顔もまるで虫を見るように冷たい。ものすごく様になっているのは気のせいじゃないだろう。


 「それで、あなたはこの森の主だったわよね」

 「……ああ、そうだが」

 「そう、それはちょうどよかったわ」


 少女がニッコリと快活な笑みを浮かべた。色眼鏡なしで見れば心が躍りそうな笑みなのだが、本性丸出しとなった今では嫌な予感しかしない。

 今更になってこの少女を匿ったのは間違いだったのではないかと後悔し始めたが、疲労して大した抵抗もできないはずの少女に逆らうことも、今更遅いと気付いていた。

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