表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/12

01 最悪の日

 その日は千夏にとって、人生最悪とまでは言わないが、かなり嫌なことが重なる日だったと言える。悪いことは重なると言うが、まさにそれだった。

 仕事では半日かかって作成していた書類が完成しそうなまさにその瞬間、パソコンが落ちて締め切りが明日にも関わらずやり直しになった。これに関しては、一応は途中までであったとしてもバックアップを取っていたからそれなりに対処ができた。

 だが、佐山――同じ部署の爽やかな先輩で入社当初から誰にでも優しく仕事を教えてくれていて、千夏は密かに憧れていた――に、彼女がいるのを知った。しかも、それが同期の橘で確かに可愛いが仕事は全くできなくて、お局さんに叱られては男の先輩に泣きつくような子だったのがかなりショックだった。佐山は見た目で判断する人だと思わなかったのに、だ。確かに、千夏の見た目はよく言って中の上、というよりも中の中くらいの平々凡々な人間だ。それを改めて突きつけられたような、そんな気がした。

「どうした。酷い顔がさらに酷いぞ」

「……蛍都(けいと)は黙ってて。顔が酷いことなんて蛍都に言われなくたって知ってます!」

 家に帰って来るなりの暴言で迎えたのは蛍都。白銀の長く美しい髪、切れ長の瞳。さらに、頭の上にはピンと立った尖った耳。常人には有り得ない姿を持っている。とは言っても、常人には彼の姿は見えない。本人曰く、狐の神様で齢は数えるのが気が遠くなるくらいらしい。いつの頃からかは知らないが、千夏の祖母の祖母そのまたずっと昔から千夏の家に居ついているいるらしい。居ついていると言うと蛍都には守ってやっているんだと怒られるが、千夏にしてみれば特に守ってもらっているつもりはないので、それ以外の言葉が当てはまらない。

「大方、また好きな男に女がいるのを知ったとかそんなところだろ」

「失恋した乙女の傷をそうやって抉らないでくれる?ていうかね、別に憧れてただけで好きだったわけじゃないから」

「そうやって言い訳するあたりが惚れてる証拠だな。俺に言わせればお前の恋だの愛だのはまだまだガキのお遊びだがな」

「……ん?ちょっと、蛍都?何で話してもいないのにそうやって人の失恋を知ってるのよ!」

「俺は香山家の守り神だぞ。千夏のことなら何でも知ってるぞ。お前の胸にある三つのほくろとその位置もな。……何だったら教えてやろうか?」

 蛍都はそう言うと、にやりと笑い、千夏の胸の方をじっと見ている。今は服を着ているのにまるで透視でもされているような、そんな落ち着かない気分になって慌てて両手で体の前を覆うように隠す。

「な、な、なんでそんなことまで知ってるのよ!この変態スケベ狐!」

 千夏がそう叫んだところで、手身近にあったクッションやら目覚ましやらが蛍都に向かって飛んでいく。だが、蛍都はそれを易々と受け止めては、笑いを漏らしている。

「おいおい、仮にも守り神に向かってその台詞はないんじゃないか。祟るぞ?もっと讃えんか」

「守り神なら守り神らしくしてなさいっつうの!」

 そう言って千夏は次に投げるものを探して、辺りに手を這わすが何も見つからない。ようやく掴んだと思ったら、さっき帰ってくるなり外して置いた自分へのご褒美で買ったブランド腕時計だったので物を投げるのを諦めて蛍都を睨みつけた。

「ちゃんと守ってやってるぞ。本当なら、お前は今日出かけに犬の糞を踏むはずだったのだぞ。それを防いでやったというのに、お前はありがたみも感じずに……」

「……それすっごい微妙だから」

 得意そうに笑う守り神に千夏はため息を漏らすしかなかった。

 自称守り神の蛍都だが、香山家との関わりはかなり古く千年前にまで遡るのだとまだ祖母が生きていた頃に聞いたことがある。何しろ、千夏がまだ物心があまりついていない時に聞いたことで詳しい記憶はあまり残っていない。蛍都は千夏の一番古い記憶を遡っても一緒にいる記憶があるというのは確かであった。

「ねぇ、お母さん。どうして蛍都ってウチの守り神なの?」

 ふいに聞いてみたくなった疑問をそのままに母に尋ねると、母は一瞬だけ驚いた表情を見せて包丁を動かす手を止めてくすくすと笑って応えた。

「そう、千夏はまだ知らなかったの。お母さんはあれだけいつも一緒にいるからもう知ってるんだと思ってたわ」

「別にいつも一緒にいるわけじゃないよ。小さい頃におばあちゃんに聞いた記憶あるんだけど、思い出せないんだよね。で、何?」

「……そうねぇ、お狐様に聞くのがいいわ。お母さんから言う話じゃないだろうから」

 そうやって優しく笑うと、千夏と会話している間に中断していた夕飯の準備の再開を始める。その背中を見つめるが、教えてくれる気はないようだった。

 香山家では千夏以外の人は蛍都のことをお狐様と呼んだ。千夏は物心が付く頃からすでにお狐様なんて呼んでいなかったし、周りがそう呼ぶならそうした方がいいのかと本人に尋ねてみても、彼はそれを好しとはせずに、蛍都と呼べの一点張りだった。だから、千夏は今までそう呼んだことはなかった。

「……はぁ」

 母に言われて蛍都に実際に訊ねてみようかと何度か考えたが、如何せん聞きにくい。別に聞いてはいけないことではないのだろう。母は知っている様子だったし、特に隠しているという事柄ではなさそうだ。

「どうした。まだ佐山とか言うヤツのことが忘れられぬのか?」

「と、突然表れないでよ。心臓に悪い……って!」

 考えていた本人が現れると、どうしてこうバツが悪いような気分になるのだろうか。そんな居心地の悪い気分になりながら、千夏が声のした後ろを振り返ると思いのほか彼はすぐ近くにいたので、それにさらに驚くことになった。相変わらず神出鬼没である。

「相変わらず酷い顔だな」

「うるさい」

 蛍都にいつものように返しながら、千夏はふいと顔を背けた。腹は立つけど、蛍都の顔は確実に美形の部類に入ると思う。だからこそ、下手に言い返せない。この顔に酷い顔と言われたら納得せざるを得ない。

「もう少し可愛く話してみたらどうだ?そんなだから年齢が彼氏いない暦になってしまうんだぞ」

「……人が気にしていることをそう抜けぬけと!っていうか、一応曲りなりとも神様のくせにそんな言葉どこで覚えてくるわけ?」

 蛍都はまるで哀れむかのような目で千夏を見た。そんな様子に千夏は腹を立てていつものように暴力という逆襲に出ようとするが、やはり相手はこんないい加減だとしても神様である。千夏のそれをひょいと避けては、楽しそうに笑っている。

「本当に千夏は変わらぬな」

「年の割に子どもっぽくって悪かったわね」

 くすくすと笑み零して言う、その言葉に千夏は少しだけ拗ねて答えるが、蛍都の瞳には楽しさの影にほんの少しの哀しさが一瞬だけ垣間見れた。

「そうではない。……十分大人になった」

「え、どうしたの。蛍都?」

 その瞳はどこか遠くを見ているようで、千夏はふいに心細くなるような感覚になって蛍都を伺い見る。

「なんでもない。ほら、志乃が呼んでおるぞ」

「ほんとだ」

 そうして千夏の名を呼ぶ母の声にはっと気付くと先ほどまでの不思議な感覚はどこかにいってしまった。まるで気のせいだったかのようにも思えた。蛍都はいつもどおりで、全く変わった様子はない。いつものようにゆらりゆらりとそのふさふさの尾を揺らしてのんびりと前を歩いている。

「……気のせい、かな」

 千夏は一人でポツリと漏らして、蛍都の後ろを着いて行く。台所に着くと、ほかほかと温かいごはんとそのおいしそうな匂いが充満していて、その魅力に先ほどまでのことはすっかり忘れてしまった。

13/3/17 加筆修正。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ