或る鶏の話
キキレキ キキリキ クカレクー
飛べない鳥よ
何故 飛べぬ
ココリコ コケリコ コッカドゥルドゥ
跳んだところで
バサバサと
羽音を 散らして 落ちるだけ
キキレキ キキリキ クカレクー
飛べない鳥よ
真っ赤な冠は お飾りか
ココリコ コケリコ コッカドゥルドゥ
胸張り 威厳を示せども
頭の中は すっからかん
三歩進めば すっからかん
キキレキ キキリキ クカレクー
嗚呼 飛べない鳥よ
ココリコ コケリコ コッカドゥルドゥ
嗚呼 鳥と呼べない 鶏冠鳥
キキレキ キキリキ クカレクー
ココリコ コケリコ コッカドゥルドゥ
〇
深い森の中で、一風変わった唄が聞こえる。
鳥達はぐるぐると回りながら綺麗な声でその唄を歌う。されど、その声はどことなく嫌な感じがした。
唄が止むと同時に笑い声が起こり、そして鳥達はバサバサと羽音を立てて飛び去ってしまった。
羽毛舞い散る森の片隅で、未だに嘲笑の反響が残る中、ヘーンヒェンは独り立ち尽くしていた。
そのまま彼は空をじっと眺めていたが、やがてとぼとぼと森の奥へと歩いて行った。
『鶏は飛べぬものだ』
この森に生まれてからヘーンヒェンはそう教わってきたし、彼自身そう思っていた。
『地に足を着けた生活こそが一番平穏な生活なのだよ』
そう言って彼の一族は頭をもたげて土の中の虫を食べるような生活をしてきたが、彼もそれに倣って鶏らしい生活を送ってきた。
何故なら彼は鶏なのだから。
飛べぬ鳥はその一生を地の上で過ごすものだ、というのは確かに事実であるし当たり前のことである。
だがそれは、あくまでも彼らが彼らの一族の中だけで一生を過ごせば、の話。
この深き森の中で暮らす以上、たとえ鶏といえども他の鳥達と一切の関わりを持たずに生きるのは不可能であった。
空飛ぶ鳥達から見れば、彼ら鶏のような空を飛ばぬ鳥とはひどく滑稽に見えることであろう。
鶏一族の若者、ヘーンヒェンもそういった他の鳥達からの侮蔑、嘲笑を受けて育って来た。
今日もまた深い森の中であの例の奇妙な唄が聞こえて来る。
雑多な鳥がくるくる飛び回り、ヘーンヒェンを囲んであの唄を口ずさんでいるのだ。
数羽の燕がヒュンヒュンと目にも止まらぬ速さで、上を行ったり下を行ったりしながらこう言った。
「飛べない鳥のヘーンヒェン、お前はどうして飛ばないんだい。お前のその両の翼はお飾りか? まあ所詮、お前が空を飛べたとしても僕らに追いつくことなんて出来ないのだろうけどね」
数羽の雀が澄んだ声でさえずり、歌い、笑いながらこう言った。
「飛べない鳥のヘーンヒェン、お前の鳴き声はどうして煩いんだい。朝も早く日の昇る前に一声、ココリコクケリコキッケレキー! 安眠妨害も甚だしいね。私達みたいに綺麗な声でさえずってこそ爽やかな朝が迎えられるというものだよ」
一羽の大鷲が風をなびかせ太い木枝に降り立つ。鋭い眼光を煌めかせながらこう言った。
「飛べない鳥のヘーンヒェン、貴様はどうして虚勢を張るのか。灼熱の焔の如き冠を頂き、地に着く二本の足で天に向かって屹立する。その胸を張った姿は如何にも威厳に満ちているが、貴様は無力な鶏ではないか。飛べもせず地を這いずる小鶏が王者ぶるのは甚だ滑稽であるぞ」
ヘーンヒェンは真上の大鷲をその目付きの悪い瞳でじろりと睨んだ。
大鷲はその大いなる両翼を広げ「真の王者とは、誰か教えてやろう!」と、その鋭い爪をむき出しにして羽ばたいた。そしてその爪の先にあるものは地上の小さなヘーンヒェン。
ヘーンヒェンは目を固く閉じて咄嗟に屈み込み、地に伏せた。
死んだ。
そう思ったヘーンヒェンだったが、いつまで経っても肉を切り裂く痛みが来ない。
ぶるぶると振るえながら、そっと目を上げるとそこに大鷲の姿は無かった。
天を見上げれば大きな影が悠々と両翼を広げて飛んでいた。
これはもしや一杯喰わされたか。
ヘーンヒェンがそう悟ったとき、クックルクークーと笑う声が聞こえる。
さっきから首を振りながら辺りを歩き回っている鳩たちが嘲笑いの声を立てていたのだ。
若きヘーンヒェンはカッとなり嘴をキッと尖らせて、鳩の群れに向かって飛び込んだ。
しかし、ヘーンヒェンが飛び込むや否や鳩たちは一斉に飛び立った。
ヘーンヒェンが突っ込んだのは立ち上る砂埃で、当の鳩たちは木の上でクックルクークーと笑っていた。
「卑怯者の鳩ども、下りて来い。この偽善者たちめ!」
頭上に向かってヘーンヒェンが叫ぶものの、鳩たちは何も答えずただクックルと笑うだけ。
その様子があまりにも滑稽だったので他の鳥たちは柏手を打って大笑いした。
笑い声は深い森に木霊し、森の木々を震わせた。
ヘーンヒェンはその嘲笑に囲まれて独り身を震わせていた。
「クァー、クァックァッ。これはおもしろいですなぁ」
下品な笑い声がヘーンヒェンの頭上から落ちて来て、見上げると一羽の真黒い鴉がクァークァー鳴いていた。
ヘーンヒェンはその黒鴉をギロリと睨み上げる。
「おっと、そんな怖い目で睨まないで下さいよ。だってね、こんなに面白いことが他にありますかね。私らカラスよりも蔑まれる存在がここに居るんですからねぇ、ヘーンヒェン君」
ヘーンヒェンは何も言わず鴉を睨み続けていたが、鴉は不敵な笑みを浮かべながら話を続ける。
「確かにね、私らカラス一族はこの喪服のような黒い衣裳のせいで忌み嫌われてはおりますがね、貴方がたニワトリとは違って空を自由に飛べるんですよ。あの天上で燃え上がる太陽まで飛んで行くことだって出来るのですからね。空は素晴らしいですぞ、地上の全てがまるでちっぽけな塵のようなのですからな。まあ、貴方は惨めったらしく地面に這いつくばりながら嘲笑われ続けれるのがお似合いでしょう」
苦虫を噛み潰したようなヘーンヒェンの顔を見て、また鴉はクァークァーと大声で笑う。
「なに、毎日が辛くともそう悲観的になる必要はありませんよ。だって三歩歩けば全てポカンと忘れてしまえるのでしょう。ねえ、鳥頭のヘーンヒェン君?」
今までじっと沈黙保っていたヘーンヒェンだったが、この鴉の最後の一言で完全に鶏冠にキてしまった。
その瞬間、逆流する熱い血潮の如く、若鶏ヘーンヒェンは高く跳び上がった。
一瞬の跳躍とけたたましい咆哮。
その両翼を大きく広げた雄々しい姿は、あの猛々しい大鷲にも劣らぬであろう。
そして、若き鶏の鋭い爪の先が木の上の鴉に襲い掛かる。
だが爪が鴉の肉を抉る寸前で、鴉はヘーンヒェンの目の前から姿を消した。
そして獲物を見失ったヘーンヒェンの身体は、鴉の飛び去る羽音を聞きながら地面へと落ちて行く。
若鶏が落下すると同時に大きな笑い声が起こり、そして鳥達はバサバサと羽音を立てて飛び去ってしまった。
深い森には一羽の若鶏だけが虚しく残っていた。
〇
駆ける足音、散る羽音。
惨めな若鶏、ヘーンヒェンは駆けていた。崖に向かって駆けていた。
波高き冷たき北海に臨む、切り立った断崖絶壁の崖がヘーンヒェンの向かう先にあった。
この若い鶏は飛べぬ鳥として生まれたこの惨めな境遇を悲観して身を投げようというのか。
だが、それは少し違う。
ヘーンヒェンはこの大地を離れ飛び立つために崖へと走っているのだ。
ヘーンヒェンは憤慨していた。
それは自分の境遇に対してであり、空飛ぶ鳥に対してでもあり、腑抜けた鶏一族に対しての憤りであった。
『雉も鳴かずば撃たれまい』
かつて一族の長老は彼にこう言って聞かせた。
『たとえ空を飛べぬ故に望まぬ嘲笑を身に浴びようとも、そこは耐えて忍ぶべきぢゃ。空鳥たちには頭を下げて表向きは恭順を示すべきぢゃ。こちらが下手に出ていればあちらも無為に手を出しては来ぬものよ。ぢゃがの、心まで売ってはならぬぞい。鶏一族にも誇りを忘れず、両足を大地にしっかりと付けて胸を張るのぢゃ。そして夜明け前、あの鳥目の連中らが起き出すより早くに高らかな鳴き声をあの天上まで轟かせるのぢゃよ』
ヘーンヒェンはこの長老の言うことが嫌いであったし、それに従う大人鶏たちの態度にも甚だしい嫌悪感を抱いていた。
確かに長老の言う通りにしていれば平穏な生活を送ることができるだろう。事を荒立てぬのが最良の処世術なのだから。
だが、この血気盛んな若き鶏はそうした大人達の保守的な態度に対して大いに憤っていた。
「古来よりそのような腑抜けた態度を取っていたせいで、ついには空も飛べなくなり、大小貴賎問わず全ての鳥達から嘲笑われることになったのだ」
そんな考えがヘーンヒェンの根底にあって、この惨めな若鳥は自分に侮蔑、嘲笑を向ける鳥達に対して徹底的な反抗を見せるようになった。
彼の矮小な自尊心は日に日に増える傷跡とともに大きくなっていき、もはや彼にもどうすることもできない。
ヘーンヒェンはただ憤りと自尊心とに任せて駆けて行った。崖へと駆けて行った。
「飛べぬ、飛べぬと馬鹿の一つ覚えのように唱えやがって。そこまで言うなら飛んで見せればいいんだろう」
ヘーンヒェンは誰に言うわけでもなく、走りながらそう叫んでいた。
「飛べぬと言われるから飛べないのだ。飛べぬと思っているから飛べないのだ。今まで飛ぼうとした鶏がどれほどいると言うのだ。皆、周りに言われることを鵜呑みにして飛べないと信じ込み、飛ぼうともしなかった臆病者の愚か者ばかりじゃないか」
ヘーンヒェンは両脚は大地をさらに力強く蹴った。
「確かに無謀な挑戦かも知れない。崖の上から飛び立とうだなんて一歩間違えばそのまま海の藻屑だ。だが、それが何だと言うのだ。たとえこの身が冷たい波によって引き裂かれたとしても、俺のこの勇敢な飛行は後の世の鶏たちに大きな影響を与えるだろう。どんな弁を並べ立てたとしても行動しなければそれは一切無意味だ」
ヘーンヒェンの走りは一段とまた速くなり、崖に向かって一直線に進んで行った。
「さあ、この俺の無謀な挑戦は、勇敢な飛行は、勇気ある死は後世まで高らかに伝えられるだろう! 今、一匹の鶏が伝説を残そうとしているぞ! お前らが侮蔑し嘲笑った若鶏が一つの伝説になろうとしているぞ!」
ヘーンヒェンの勢いは全く衰えることなく、そのまま走り続けた。そしてついに崖の端に足が掛かる。
「さあ、いざ飛び立たん!」
今、一羽の若鶏が大地を思いっきり蹴り上げて崖から飛び立った。
両翼を広げ、天に向かって高らかに一鳴き。まばゆい陽光が舞い散る羽に反射してキラキラと輝く。
どれだけの時間かは分からない。永遠のように長い時間だったかもしれないし、一瞬のように短い時間だったかもしれない。
しかし、一羽の若鶏は確かに飛んでいたのだ。風を切り空を飛んでいたのだ。
そして、舞い散った羽毛が地に向かうようにして、真っ逆さまに、墜ちていった。
落下していくヘーンヒェンの顔には笑みが浮かんでおり、死への恐れなど微塵も感じさせなかった。
むしろこれから訪れる死に満足しているようだった。
無限のように長い時間を経て、遂にヘーンヒェンの身体は崖下の岩場へと吸い込まれた。
こうして一羽の無謀な若鶏ヘーンヒェンは勇敢に空を飛び、そして華々しい死を向かえた。
……そのはずであったが、現実は厳しい。
というのも落下の最中に一陣の風が吹き、広げた両翼は図らずもその風を掴んでしまったのだ。
結果、落下の勢いは殺され、ヘーンヒェンはゆっくりと岩礁の上に着地したのであった。
いつまで経っても墜落の衝撃も全身を巡るはずの痛みも感じないので、ヘーンヒェンは恐る恐る目を開く。
そこは彼の思い描いていたあの世の世界では無く、高波の寄せては返すもの寂しい岩場であった。
そして彼は自分が生き残ったことを悟った。
そしてふつふつと湧き上がるやり場の無い怒り。
結局、あの勇敢で無謀な挑戦は失敗に終わり、自分は無様にも生き残ってしまった。
伝説になることも出来ず、死ぬことも出来ず、ただ世界は何も変わっていなかった。
いや、変えることが出来なかった。
死を賭けた飛躍はただ若鶏の無力さを浮き彫りにしただけで、彼には死んで恥を雪ぐ権利すらも与えられなかった。
そこには飛び散る冷たい波の飛沫と空虚な虚しさが残っただけだった。
一羽の矮小な若鶏は悔し涙も流せずに、虚しさの中で一声鳴いた。
ココリコ、クケリコ、キッケレキーと一声鳴いた。
その鳴き声が誰かの耳に届くことは決して無かった。
〇
これは、ファーベルヴァルト地方に伝わる昔話の一節である。
ファーベルヴァルトは今から数十年ほど前に地図上から姿を消したため、残念ながらこの昔話は断片しか伝わっていない。
この若い鶏がその後どうなったのかは、誰も知らない。
おそらくは、それを知るのはこの若鶏ヘーンヒェンだけであろう。
ほら、日も昇ってきた。夜が明ける。
耳を澄ませば、何処か遠くで鳴く鶏の声が聞こえてくるだろう。
あれもまた、とある物語の中の一羽の主人公なのかもしれない。
それは英雄譚か悲劇か、はたまた喜劇か。
それはまだ分からないけれど、鶏は今日も天に向かって鳴くのである。