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十数年前に「君とは結婚できない」と言った男が助けを求めてきたので、今度こそ分からせます  作者: と。/橘叶和


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中編

「これは、なんの騒ぎだ」



 そこには、私の夫が立っていた。切れ長で涼しげだと評される美しい目元が、怒りでつり上がっている。その姿を見た男は滑稽にも「ひ」と悲鳴を上げて飛び上がった上で転げた。……絨毯が汚れる、気に入っているのに。



「まさか主人の不在を狙って侯爵家の夫人を怒鳴りつける愚か者がいたとは恐れ入る」

「ひ、ま、まさか、僕はそんな、大それたことなんて」

「では、私が間違っているとでも?」

「そ、それはぁ……」



 男は絨毯の上で物乞いのように座り込み、祈りを捧げるかのように手を組んで顔を上げた。まだ、自身の主張が受け入れられると信じているようだ。ここまでくるといっそ憐れだった。



「オルド侯爵、どうかお願いです。我がアエル領をお助け下さい! このままでは民が倒れてしまう!」

「何故」

「……は?」

「何故、民が倒れる?」

「い、いえ、それは、昨今の水不足のせいで」

「違うだろう。全て貴様の不手際だ」

「は、はあ!?」



 いかにも同情を誘うような格好と声色で懇願していた男は、一瞬で激高しまた立ち上がった。それを、夫はひと睨みで制す。力を行使するまでもなく、男は夫の眼力に慄きすぐにまた身を縮こませた。



「ひぃ」

「黙れ、耳障りだ。二度と私と妻の前で声を荒げるな」

「ひ、は、はいっ」



 夫は震える男を無視して、そのまま私の隣に座った。そして私の手の甲にキスをしながら「戻るのが遅くなってすまなかった」なんて言うものだから、一人で対処ができずにいたことへの謝罪ができなくなる。



「……それで、アエル男爵? その厚顔ぶりに免じて、何故、アエル領が水不足に陥ったのか、その説明を聞いてやろう」

「え、あ、はい、あの、それはですね……」

「さっさとしろ」

「ひ、あ、雨が降らず、それで。ほ、ほかの領と同じことでございます。オルド侯爵はほかの、子爵領や伯爵領をお助けになられたと。是非、我が領もお願いします。でなければ、この一瞬にも我が領の民が苦しんで、尊い命が失われるやも――」

「それがどうした」

「……え」

「だから、それがどうしたと聞いている。遠方の縁もゆかりもない男爵領の民が苦しもうと死に絶えようと我が侯爵家にはなんの損害もない」

「な、な、お、同じ国の、同士ではありませんか。た、助け合っていかねば」



 夫は、頭痛がするとでも言わんばかりに眉間を押さえた。ため息が重い。



「貴様はここまできてもまだ何も理解していないのだ。何故、貴様らを助ける者がこれまで現れなかったのか考えなかったのか」

「それは、皆、余裕がなくて。しかしオルド侯爵は違います。ほかの者とは違い、慈悲の心を持ち豊かでいらっしゃる。だから――」

「違う!」

「ひぃっ」

「アエル男爵領の近隣には、まだ水が存分にある領地が複数ある。余分だってあるだろう。それを分け与えなかったのは、それに見合う見返りを貴様が提示できなかったからだ」

「み、見返りなど、この、非常事態にそんなこと――」

「馬鹿が、非常事態であるからだ。雨季までにはまだ二カ月ある。そもそも余分は自領の為にとっておいたものだ。それをほかに流出させて、自領まで干からびたらどうする」

「それは、ですが……」

「大体、貴様の領地のため池はどうした。この国は定期的に水不足に陥る。その為の人工池は全領地に義務付けられているだろう」

「あれはしかし、農業用のもので……」

「愚か者! 農業用とは別であったものを貴様が潰したのだろうが! 大体、水不足で死人が出ると言っているのに農業用だなどと使い分けをしている場合か! 濾過するなり蒸留するなりしてまず飲み水に転用させろ!」

「は、はいい……っ」



 夫に怒鳴りつけられ、男はぶるぶると泣きながら震えている。いい年をした、大の大人がである。もう何とも形容しがたい。


 先触れはなかったが、男は何もなしに我が家へやってきた訳ではなかった。何度か「助けてください」という手紙を、送ってきていたのだ。何事かと調べ上げた結果、男爵領は人工池の三つの内、二つを潰してしまっていたのだ。そこに劇場を建てようとしていたらしい。建ったとして稼働しなさそうであるが。


 人工池は一つあれば義務を果たしたことになるので、国から違反だと指摘されはしないが、だからこそ起こった水不足である。同情の余地はない。そんなふうであったから我が家の返答は「いたしかねる」である。本来我々の間には何の伝手もなく、縁もない。いや、あるにはあるが男は知らないのだろう。男が知っている唯一の繋がりは、私との婚約未遂だ。


 しかしあんなことがあったのだ。勿論、私の実家も現アエル男爵家とは交流を断っている。男の実家の伯爵家とは誠意ある謝罪と別人が継ぐという条件でまだ細々とした交流があるが、少なからずわだかまりは残った。その張本人が、わざわざ我が家を選んでのこのこやってくるなど、さすがに思いもしなかった。



「侯爵夫人である我が妻がわざわざ出向いてまで水を分け与えた領地の領主たちは備えを万全にし、それでも不足した水の補填を依頼してきたのだ。当然、取り引きに足るものを携えてな。金、宝石、布、食料、魔石、ああ、人材や技術提供を提示した者もいたな」

「……」

「それで、貴様は何を差し出す。まさか、何もなく“助け合い”だとでも? 貴様が我々を助けられる可能性などないに等しいのに?」

「で、ですが……」

「貴様の領民が死ぬのなら、それは全て貴様の責任であり不手際だ。金もなく、大した産業もなく、人材も技術も何もない。まったく魅力のない、むしろ負の土地に、何故我々が投資をせねばならない?」

「ち、違う、違うっ。僕が男爵にされた時にはもう、あの土地は枯れていた。何もなかった。それを何年も、歯を食いしばって運営してきたんだ。僕のせいじゃない……!」



 若い時にはそれなりに評判であった顔をぐしゃぐしゃに醜く歪めながら、男は泣いてそう言い募った。汗で、少々心もとなさそうな生え際の髪の毛が乱れている。


 夫は、心底嫌そうにまたため息を吐いた。……ああ、申し訳ない。



「枯れていたのを理解していて、どうして立て直さなかった?」

「は……?」

「領主とは、領民がよりよく暮らせるよう整える者である。負の領地を負のままにしていたのは貴様だ。貴様の怠惰と能力不足だ。男爵領の民が救われないのは、全て貴様の責任だ」

「……では、どうすれば」

「爵位を譲渡しろ」

「……え?」

「爵位を、本来の持ち主に返せと言っている。貴様が男爵家に転がり込んだことで弾き飛ばされた、正統な嫡男に」



 男は何を言われているのか理解できていないような顔で、首を傾げた。そしてそのまま考え込んだ。


 前アエル男爵には、この男の妻となった女のほかにもう一人子どもがいたのだ。女の兄だったその人は、腐っても伯爵家から婿に来た男のせいで嫡男としての権利を失った。夫は、その人に爵位を譲れと言ったのだ。やっとそのことに思い至った男は、顔を青ざめた。



「ま、まさか、どうして」

「どうして、とは?」

「何故、爵位を譲渡など、そんなことをすれば、僕は貴族の資格を失ってしまいます」

「だからどうした」

「な」

「それで民が救われるのなら、安いものだろう。それとも、民の命よりも自身が可愛いか」

「……し、しかし、彼は、義兄は、領地経営などやったことはございません。ふらふらとして領地にも寄り付かず、その、領主の器ではないのです」

「あるぞ」

「はい……?」

「ある、と言った。貴様の義兄は領地経営の経験があり、領主として不足がない」

「な、何を……」

「我が侯爵家の持つ飛び地の領地を任せていてね。あそこであるなら、アエル男爵領とそう離れていない。彼ならこのまま両方を見れるだろう。そして、彼がアエル男爵になるのであれば、我が領から相応の支援をしてもいい」



 男は、ぽかんと口を開けて固まってしまう。驚いているのだろうがこちらからすれば少し調べれば分かったことであるのに、これまで一切それらをしていなかったのが恐ろしかった。


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