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十数年前に「君とは結婚できない」と言った男が助けを求めてきたので、今度こそ分からせます  作者: と。/橘叶和


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1/3

前編

 貴方の愛は、随分と都合のよいものなのですね。


 と、言わなかった当時の私はひどく理性的であった。まだ成人前で多少のおいたは許されただろうに、ただ「貴方の主張は理解しました」とだけ残してその場を去ったのだから。


 あの場で、私は抗議をしてもよかった。不義理の証拠を叩きつけ家同士の問題に発展させ、然るべき機関に訴えてもよかった。それだけの行動は許された。彼がそれだけのことをしたから。けれど、しなかった。


 当時の私が下した決断を、その未来である現在の私が否定することはしない。あれが最善だと、当時の私がそう判断したのだ。その責任は、現在の私が取る。



「――それで、ジェシカ。是非とも君の智恵を借りたくて」

「……」

「あ、あの、ほら。昔のよしみで、頼むよ……」



 私の屋敷の応接室で、肩を震わせながらいかにも情けなく困窮していると訴えかけるような風体の男はそう言った。


 私は組んだ指を膝の上に置き、ふう、と息を吐く。自身を落ち着かせる為に、細く長く。ここでスラスラと素晴らしい言葉が私の口から勝手に出ていけばいいのだけれど、私にそういった才能はないのだ。



「まず、よろしくて、アエル男爵?」

「あ、う、うん……」

「わたくしは現在、オルド侯爵家の女主人をしておりますの。もうアストルム伯爵家の末娘ではございません。オルド夫人とお呼びください」

「え、いやでも、僕たちの仲だから」

「二度は、申しません」

「わ、分かった。分かりました……」

「結構」



 男はみすぼらしい身をさらに縮こませて、やっとそれだけ返事をした。本当に、見る影もない。私はもう一度、息を吐いた。


 私の前に座るこの男は十数年前、私と婚約を結ぶ筈の男だった。当時まだ十代だった私たちは家門の長に言われるまま引き合わされ、家の為にと婚約を整える予定だとだけ伝えられた。当時伯爵家の嫡男だったこの男は、そこそこ見目がよく愛嬌のある笑顔でもって「よろしく」と私に向かって握手を求め、私もそれに応えた。


 しかし結局、婚約は正式に結ばれることはなかった。この男の独りよがりな感情の変化によって、貴族の婚姻が潰れたのだ。


 当時、私たちは未成年の貴族子女が通う王立の学園に通っていた。貴族としての常識と知識の平均化、国が求める政治への理解度の確認などが主な目的とされており、この学園を卒業した者だけが我が国の正式な貴族として認められる。飛び級や自宅学習なども認められているが、この国の貴族であれば八割以上が通っているだろう。


 そこでこの男は、運命の愛に出会ったらしい。今でも一言一句違わず思い出せる。忘れたくても忘れられない呪いのように。



『ジェシカ、聡い君ならもう知っているかもしれないが、僕は運命の愛に出会ってしまったんだ』

『……』

『ミランダはひどく可憐で、ほら、分かるだろう。守ってあげないといけない人なんだ』

『……』

『だから、君との結婚はできない。いくら父上に言われようとも、これだけは譲れないんだ。だって僕は、このミランダを愛しているから。どんな苦労をしても、この愛を守り続けるよ』



 この男がのぼせたようにそう言い募ったのは、学園のカフェテリアだった。友人と意見交換をしながら有意義に楽しくすごしていた私の横で、男は男爵家の娘の肩を抱きながら、高らかにそう叫んだ。


 当時の私は冒頭の台詞を吐こうとして、やめた。そもそもまだ成立していない縁談だった。それをわざわざ諌めてやる義理もなかった。


 けれど、恥をかかされた。明確に、悪意を持って。男爵家の娘如きに、伯爵家の末娘であったこの私が。


 昨今、身分を笠に着て下位の者に横柄な態度をとる行為を恥ずべきこと、とする風潮がある。確かにそうだ。弱い者虐め程惨めでさもしいものもなく、それは権力を持つ人のするべきことではない。しかしそれは、下位の者が弱者性を盾にして高位の者を貶める為の下地ではない。そして、権力と地位は覆せるものでもない。庇護対象であるどころか、牙を剥いてきた頭の悪い羽虫に容赦は不要だった。


 男に向かってなんとか「貴方の主張は理解しました」と言い切った私は、けれど多少の声の震えを隠しきることはできなかった。当時の私は、まだ若かった。純粋な悪意を向けられて、まだ完全に冷静でいることは難しかった。男はまだいい。ただ男爵家の娘に言われるがまま言いたいことを言っただけだ。悪意はなかった。ただの馬鹿なのだ。だからこそ厄介でもあったが、けれど、あの娘の毒を含んだいやらしい目つきこそが少女であった私の心を抉ったのは事実だ。


 しかし、その後の私は冷静だった。両親にこの男が何をしでかしたのかを伝え、婚約はすぐに白紙とした。まだ結ぶ前だ、簡単だった。男はむしろ喜んで、あろうことか自称友人らに祝福されていたようであるが、そこからの転落は早かった。


 男の両親はこのことに激怒して、嫡男の資格を剥奪した。この男のほかに子どものいなかった伯爵家は、わざわざ遠戚から養子をとってでも男を次期伯爵に据えることを拒んだのだ。そして、私を小馬鹿にしたあの娘の男爵家に押しつけた。彼らは、学生の内に結婚させられた。


 この国で、学園を卒業前に結婚をするというのは、恥である。一過性のものではあるが、恥なのだ。それはまだ卒業前の、貴族として正式に認められていない内から体の関係を持ったという罪の証であるから。実際に彼らがそういった関係であったのかは知らない。元々婚約者ですらなかった男だ。そんなどうでもいいことは、調べる必要性すら感じなかった。ただ事実として、彼らは男の両親から激しい叱責を受け男爵家に追いやられ結婚を強制されたのだ。


 厳しい処分だったと思う。私は恥をかかされはしたが、婚約は結ぶ前だった。両家の契約は白紙になり損害はあったが、しかしそれも始まる前であったから最小限だ。我々は同格の伯爵家であったから、圧力もそう多くかけられはしない。ただ、男の両親が不義理を許さなかったからこその処分だった。そのおかげで私の尊厳は守られ、随分と胸がすいた。


 彼らの周りで囃し立てていた自称友人らは、彼らが堕ちていくとすっとどこかへいなくなった。学園内にはいただろう。ただ、彼らに寄り付かなくなっただけだ。まさに生き恥を晒しながら孤立し、それでも学園を卒業しなければならなかったから彼らは通学をやめることはできない。私はそれを横目で見ることすらしなかった。もう、私の関知しなければならないことではなかったから。


 私はその後、学園を卒業する前に正式にオルド侯爵家から打診をされ今度こそ婚約をした。そして結婚し、今に至る。


 目の前の男にかかされた恥は、私の経歴に傷をつけただろう。男爵家の娘ごときに侮られ遅れをとった私に、良縁など望めないと覚悟していた。けれど夫は「君には、それがあっても余りある才がある」と言ってくれた。「君の足りない部分は私が補おう。そして私の足りない部分を君に補ってほしい」とも。この言葉を思い出す時は、未だに涙が出そうになる。ありがたくて嬉しくて、貴族の結婚など利益さえもたらせばいいと斜に構えていた私が、夫の為になら命さえも投げ出そうと思えるくらいには。


 そんな大切な侯爵家に、この男を乗り込ませてしまったのは私の不手際だ。関知せずともいい、なんて捨て置かずに完膚なきまでに思い知らせなければならなかったのだ。



「……アエル男爵、話を整理いたしますとつまり、貴方はわたくしに男爵領を助けてほしいということ?」

「そ、そうなんだ、あのっ」

「“そうなんだ”?」

「あ、いや、申し訳ない、夫人。そうで、ございます」

「結構」



 まず、誰に口を利いているのか、この男に正確に理解させねばならない。そもそも特に親交のない男爵風情が、侯爵家に訪ねてきている時点でおかしなことであるのだ。しかも、知らせすらなかった。追い返してもよかったのだがここで潰しておく必要があるからと、わざわざ相手をしてやっている。それも、分からせなければならかった。



「さて、どうしてアエル男爵領をわたくしが?」

「どうしてって、それは君が、あ、いや、貴女がとても素晴らしい魔法使いであるから」

「わたくしは魔法使いではありません。侯爵夫人です」

「それは存じ上げておりますが、貴女は素晴らしい魔法でいくつもの領地を救ったと。ですから、我がアエル男爵領も、是非」



 男の言う、素晴らしい魔法とは単純な水魔法だ。ただ水を出すだけ。貴族であれば子どもでもできるもの。それなのに救ったとまで言われるのは、水不足の最中、大量の水を惜しみなく与えたからである。


 魔法には魔力が必要で、魔力は人の身や魔石に宿るもの。けれど使ったらなくなってしまうもののだ。体力と同じで休めば回復するがつまり、人一人が一度に出せる水には限界がある。普通の人は、せいぜい湯船半分で限界だろう。いや、それよりも少ないかもしれない。けれど私は、ため池を満杯にしてもまだ水が出せた。魔力が人より多いのではない。魔力の使い方が人より優れているのだ。学生時代に魔法の勉強に明け暮れたことは、無駄ではなかった。


 私は、男に向かって優雅に微笑んで見せた。



「どうして?」

「え?」

「どうして、わたくしがアエル男爵領を助けねばならないのです?」

「ど、どうしてって、うちの領地は干上がっていて、民も苦しんでいるのです。何故そのような意地の悪い問答をなさるのですか」

「意地が悪い、ですって? まあ、なんてひどいことを仰るのかしら。主人もいない中、先触れもなくやってきた無作法者を応接室にまであげて差し上げたのに」



 もう一度微笑むと男はかっと頬を赤らめ、ぶるぶると震えながら俯いた。学生時代、散々恥知らずと笑われていた彼であってもまだ羞恥は感じるらしい。



「……どうしたら、助けていただけるのでしょう。額を地につければよいですか、それとも靴でも舐めればよろしいか。どうしたら、あの時のことを許してくださるのか、どうか教えていただきたい」



 私は、ふう、とまたため息を吐いた。まだ、分からせることができないらしい。力不足を痛感して、同時に夫に申し訳なく思う。こんな半端な妻を迎えさせてしまったことを、どうやって謝罪すればいいのだろう。



「勘違いをなさらないで、アエル男爵。貴方がそんなことをしようと何の価値もありません。そもそも額を地につけるって、我が家の絨毯のことですか? 汚れるから決してなさらないで。靴もそうです。まさか、わたくしの靴のことではないでしょうね。主人から貰った大切な靴が二度と履けなくなるではありませんか」

「な……っ」

「どうしたら助けてもらえるか、なんて、まずご自身で考えるものです。わたくしが助けた領主方はきちんと相応の取り引きをなさいました」

「と、取り引き? 金をとるのか!?」

「……お金の場合もあれば、物品の場合もございました。逆に何故そこまで驚かれるのです。まさか、慈善事業とでも? 侯爵夫人が、わざわざ?」

「しかし、人の命がかかっているんだ! 命は尊い! だからこそ僕は、恥を忍んで!」



 男は昔、カフェテリアで高らかに宣言した時のように立ち上がり声高に叫び出した。その無作法に顔を顰めながら黙らせなければと口を開こうとしたその時、応接室の扉が大きな音を立てて開く。


 ああ、もう、本当に私は駄目なのだ。


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