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超ゴリラ

作者: 相浦アキラ


「ヴァアアアアアア!」


 雄たけびと共にゴリラはスマホを取り落としていた。ひび割れた画面には細々とした出金記録に交じって、手取り給与を示す「振込 146,158円」の文字。今年も年末年始特有の「逆ボーナス」が牙を剥いてしまったかと天を仰ぎ鼻白むゴリラであった。


 「逆ボーナス」とは日給制の非正規社員が年末年始や盆休み等の大型連休の前後に大幅な給与減額に見舞われる現象の事である。年末年始や盆休みの時期といえば多くの正社員にとってはボーナスと休みが一気に来るまさしくボーナスタイムであろうが、ゴリラのような日給制の非正規社員にとっては手取りが減るばかりで全く話が逆になってしまう。故に「逆ボーナス」である。ボーナスで給与減少を補おうにもそのボーナスが皆無なのでどうにもならない。とどのつまり正社員たちがボーナスの使い道に胸を膨らませる中、ゴリラは給与の大幅減少に対応すべくひもじく家計をやりくりしなければならないのであった。


 ひび割れた型落ちスマホを取り上げ、衝動的に握りつぶしそうになるのを堪えて静かにベッドにサイドスローするゴリラ。破れたジャンパーを羽織りまだ寒さの残る新春の県道に肩を怒らせ、近場のスーパーに向かった。黒点の目出つ見切り品のバナナを買いあさり、帰宅してさっそく取り出し皮を捻りきる。鋭い犬歯でドブのように黒ずんだ甘ったるさをかみ砕きながら、何かの間違いでありはしないかとまた銀行アプリを開いてみるゴリラ。しかし相も変わらず「振込 146,158円」の文字が無慈悲にもスマホに刻まれて毒々しく光っているばかりである。ゴリラは頭の奥にめまいのような感覚を覚えていた。それはハエを叩き潰す一瞬前の緊張と恍惚を凝縮して永遠にしたようでもあり、行き場をなくした熱く滾る殺意のようでもあって、漠然とした不満足、欲求不満、破壊衝動とかにも言い換える事はできるかもしれない。とにかくゴリラの生命と感覚と感情はすべて肥大し、どこまでも実体を伴いつつあった。


 ゴリラはこの感覚を不思議と嫌ってはいなかった。むしろこの感覚こそが自分を真に強く真にゴリラにしてくれる奇貨である、という確信めいた希望すら抱いていたくらいである。悪を成した者も正義を成した者も縄張りに入った敵を見つけたゴリラも、この脳に滾る実体のままに行為を成したに違いない。それはまさしく勇気であり力であったろう。ゴリラは肩を怒らせ胸を叩いてみる。ジャンベが如く乾いた軽妙な音が小さな部屋に反響していく。熱い胸板の反発が何より心強かった。やはり、俺は強い。強さこそ全てだ。強さは偉さであり、強さはすごさであり、そして自分は強い。しかもまだまだ強くなれる。この腐ったバナナみたいな世界のおかげで、自分はもっともっと強くなれる。もっともっとゴリラになれる。だから、この世界のすべては正しかった。自分のすべては正しかったのだ。……しかしそれはそれとして金が足りない。何とか派遣会社に頼み込んで週末に仕事を入れてもらうか、それとも毎日のバナナを減らすなりしてもっと出費を抑えるか……。逡巡しているうちにまた突発的な眩暈が脳をゆすった。


 ゴリラは小動物を叩き殺すつもりで勢いよくゴミ箱にバナナの皮を叩き落す。少しだけニヤついた満足があって、すぐ新たな不満足にかき消されていく。虚しさがあった。深い堀に落とした円らな黒い瞳は、新たな犠牲者をえり好みするように忙しなくベッドのスマホを拾い上げTwitterを開く。すべては順調で何も怖いものはなかったが、ただ暇だけがゴリラには恐ろしかった。早い所暇を潰さなければ、やることを見つけなければバナナのストックを食いつぶしてしまうかもしれない。政治談議やら男女論やらが流れるタイムラインを呆然とタップしていたゴリラだったが、ふと気になるツイートを見つける。


「強者男性限定オフ会開催」


 曰く、年収1000万以上かつパートナー持ちの強者男性に限ったオフ会との事で、日本の将来や弱者問題について大いに語り合う夕べといった趣のようであった。ゴリラはパートナーもなく年収も少ない為オフ会への参加要件を満たしていなかったが、自分が強者である事は明白なのでそんな事は些末な問題に感じられた。これはいい暇つぶしになるし、何より自分の強さを確かめる絶好の機会でもある。ゴリラは速攻で参加を決め、来るべきオフ会に備えてyoutubeで自重筋トレを調べ上げていくのであった。


 ☆


 ……そして来るオフ会当日、20年ほど前の成人祝いに親が買ってくれたが結局ほとんど着ていなかったスーツに着られながらも、ゴリラは変に胸を張って借りてきた猫のようにホールの隅に立っていた。夕べは立食のビュッフェ形式となっているようで、ご馳走が並んだ丸テーブルが林立している。トゥロンや焼きバナナのようなバナナ料理は見当たないのでゴリラは少し意気消沈したが、それはそれとして強者との対決に向けて例の明確な殺意と静かなる衝動を尖らせていくのであった。


「素晴らしい筋肉ですね」


 ゴリラが振り向くと狐みたいに狡猾そうな小男がワイングラス片手に佇んでいるではないか。狐は品定めするようにゴリラの厚い胸板に目をやっている。


「やり手の営業マンの方とお見受けします……筋肉があるだけで人は無意識に信頼を置いてしまう。その心理を最も合理的に利用できるのが営業マンという推測ですが……」


「お前、強いのか」


 一日前のコンビニ会計ぶりに声を上げたゴリラは自分の声の太さに驚きつつも確かな手ごたえを感じていた。やはり自分は強くなっている。ゴリラになっている。少なくともこのひ弱そうな小男に負ける要素は全く見えない。傷んだバナナを握りつぶすように一ひねりだろう。ゴリラの殺意を感じ取ってか狐みたいな男は半身を引いて目を背けてしまったが、それでも毅然とゴリラを見上げなおす。


「ハハハ……私が強いかですって? ……まあ人並み以上には強者男性であると自負しておりますが」


「お前、弱そうだ」


「……失礼ですが、そういうあなたの年収は?」


「190万だ」


「ハッ……! フフ……おっとこれは失敬! えっと、190万? 190万ですか? いやいやいや……アハハハ! おっとまた失礼。……いやしかしですねえ。これは失笑も許されるというものでしょうよ。そもそもあなたのような弱者男性はこのパーティの参加要件を満たしておりませんのでね。少なくとも年収2000万を優に超える私があなたのような弱者に『弱い』なんて見下される謂れは全くないハズなんですがね。ハハッ………」


「年収に何の意味がある。お前が俺より弱い事に変わりはない」


「この私が、弱い? 年収190万より? こいつは傑作だ。……頭と懐の弱いあなたの為に特別に講義して差しあげますがね、金というのは力なんですよ。金さえあればほしい物は何だって手に入りますし、健康で安全で有意義な人生を送れるのはもちろん、たくさんの人に影響力を持つことも自由自在に支配する事もできるのですよ。これが力でなくてなんなのでしょう。そしてその力を私は人並み以上に持っている。あなたの何十倍何百倍何千倍と持っているのです。多少筋肉がある程度で調子に乗っているようですが、世間一般的に見てあなたは弱者なんですよ」


「俺にはお前が強いとはどうしても思えない。お前が強いというなら俺を殺してみろ。もちろんお前が俺を殺すというのならその前に俺がお前を殺すが」


「おいこいつを連れていけ。多少手荒くしても構わん」


 狐が顎をしゃくると筋骨隆々なタキシード二人組が腕を振り振りやってくる。少しは骨のありそうなやつが来たと意気込んだゴリラ。背を落とし肩を怒らせ、飛び上がるようにタキシード二名へと躍り出た。……結末は拍子抜けするほどあっけなかった。二人の男は叫ぶ間もなく赤いべたべたになって、まるで静止した時間そのものが形になったように微動だにせず床にこびり付いてしまった。狐はへたり込んで高そうなスーツの股間を黒く濡らしている。ゴリラは銀の背を翻しその様をじっと見下す。


「ひっ……ひいっ! やめろ! ひいいいいい!」


 何とか後ずさろうと脚と指が痙攣しているがテカついたフローリングと小水で滑って空回りになっていた。やはりこの男は弱いとしか思えなかったが、人は見かけによらないとか能ある鷹は爪を隠すといった言葉をゴリラは思い出したので、念のため全力で腕を叩き落とす事にした。しかし例によって何の抵抗もなく3つ目の赤いべたべたが床に広がるだけであった。


 あまりのあっけなさに例の不満足だか虚しさだかが脳にしみ込んでいく。叫び声と食器の割れる音がホールに響きわたり蜘蛛の子を散らしたように人々が逃げていく。誰か一人くらい向かってくるのではないかと期待したゴリラであったが、ただっぴろいホールに一人取り残されるばかりであった。


「あなた、強いのね」


 振り向くと気配があった。無人になったはずのホールに、一人の女が立っていた。腕を組み一本の芍薬のように通った背筋を伸ばしている。その姿にゴリラは釘付けになっていた。目をそらしたかったが、微動だにできなかった。彼女はどこまでも女であった。


 ゴリラは自己の生命の拡大を感じていた。最も重要で最も真剣な瞬間がそこにはあって、世界のすべてが今までと違っているようにすら感じられた。ゴリラは女のすべてを五感を持って感じ、知らなければならなかった。それだけが使命であり、それだけがこの世界で最も重要な事のように感じられた。目をそらす事などできるハズもなかった。


 そうやってゴリラが永劫の中に揺蕩う間も、黒ハイヒールを鳴らし女は歩み寄ってくる。立ちすくむゴリラの視界から初めて女が外れる。そうなってからもゴリラが女が立っていた虚空を見つめ続け、瞳孔に焼き付いた女の立ち姿を噛み締める。まだ女の気配はゴリラへと近づいていく。心音が高鳴っていた。そして……ゴリラの胸板に柔らかさがあった。どこまでも巨大な柔らかさが、ゴリラの胸板を針の一穴に弛緩させていく。女の口づけを胸に受け、恍惚と興奮と驚愕の中で、ゴリラは拳を握り締め確かな今を脳に刻んでいた。

 

「私、強い人好きよ」


「俺もお前が好きだ」


「私の事、守ってくれる?」


「ああ」


 刹那、轟音。ゴリラの後頭部を無数の弾頭が襲う。とっさに前転でベクトルを変え間一髪メタルジェットをやり過ごすゴリラ。粉々に打ち砕かれた大理石の柱がジェットの威力を物語っている。黒く焼け焦げてしまったシルバーバックの毛並みを翻し、眉根にしわを寄せ、ゴリラは不意打ちを食らわせた10式戦車を睨む。


「お前は強い……だが俺の方が強い」


 砲弾の自動装填まであと2秒は猶予があるハズだった。砲塔から身を外すように左旋回しつつ距離を詰め、そのまま回り込むと見せかけて真逆に飛び込み一気に距離を詰める。ゴリラの巧みなフェイントに追いついた砲塔が次弾発射する刹那、ゴリラが砲塔を叩き潰すしへし折っていた。そのまま乗り上げさんざんに足踏みし乗組員圧殺を目論むゴリラであったが、後頭部に痒いような違和感を覚え飛びのく。


 爆音。黒煙。砂埃。天井が崩れ火柱となって降り注いでくる。……女! 女が危ない! 咄嗟に女に覆いかぶさったゴリラの背を新手の10式戦車三台の砲塔が追尾し、容赦なく成形炸薬弾を放っていく。全身を突き抜ける液体金属の奔流に顔を歪めるゴリラ。3秒足らずで次弾が撃ち込まれる。また轟音。何度も何度でも撃ち込まれる。それでもゴリラは無敵だった。少なくともそう信じる事ができた。腕の中に確かにある彼女の美しさに、その柔らかさにゴリラは無敵だった。……しかし、やがてゴリラは力が抜けてくるのを感じつつあった。それも一過性のものではなく、どこまでも力が抜け続けていく。奈落の底に落下し続けているようだった。


「俺は……弱い……俺は弱いのか」


 砲弾の雨が止んだ頃にはゴリラのシルバーバックは全て黒炭と化し、太かった手足は抉れちぎれ落ち、力の全てが揮発しつつあった。否が応でも長く生きられない事が分かった。そんな虫の息のゴリラのこめかみに女は銃口を突き付ける。女はハエを潰す一瞬前のような確信的殺意に満ちた鋭い目で顔を寄せていた。大した口径でもなかったが、ゴリラ殺傷に特化した銃弾が込められている事は想像に難くなかった。


「最初から俺を殺すのが目的だったのか」


「そうよ」


「俺のことがそんなに嫌いか」


「任務よ。超ゴリラ対策本部のね」


「どうしてこうなってしまったんだろうな」


「仕方がないのよ。強すぎる力は消すしかないの」


「俺は力が欲しかったんじゃない。俺はただ愛されたかっただけなんだ」


「愛なんてものは存在しないわ。あるとしたら自己愛だけよ」


「……だとしてもだ」


「踊るしかなかったんでしょうね。それが人生」


「……俺は弱い」


「気にすることないわ。あなたが負けた自衛隊だってアメリカ軍に比べたら弱いし、アメリカ軍だって帝国艦隊には手も足もでない。その帝国艦隊だって超新星爆発に比べたらゴミみたいなもんよ」


「…………」


「さてそろそろ終わらせるわね。隊長がおしゃべりが過ぎるってカンカンよ。……最後に言いたいことは?」


「結局、一番強いのはお前だったな」


 銃声が鳴り響いて、ゴリラは死んだ。


「私だって弱いのよ」


 背を向けた女の髪が一本抜け落ち、流れていく。焼けただれたゴリラの後頭部へと弧を描き流れていく。そして寄り添うようにそっと舞い降りた。冷たい夜の街に、ヘリコプターとサイレンの音が鳴り響いていた。




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