満月の導き、断ち切れぬ想い
有紗という名前。それは、白い影が見せてくれた悲しい記憶の中で、何度も心の中で叫ばれていた名前だった。オルゴールの音色と共に蘇った映像は、満月の光の下、灯台の近くの岩場で、絶望に打ちひしがれる有紗の姿を鮮明に映し出していた。そして、彼女の背後に忍び寄る黒い影は、まるで彼女の希望そのものを奪い去ろうとしているようだった。
「有紗さん……」
貞子は、壊れかけたオルゴールをそっと抱きしめた。その冷たい感触が、有紗の残された悲しみを伝えているようだった。
「栞ちゃん、この事故について、もっと詳しく教えて」
栞は、少し考え込むように顎に手を当てた。
「うーん、もうずいぶん前の話だから、詳しいことは……ただ、確か恋人と一緒に来ていて、満月の夜に、二人とも海に落ちて亡くなったって聞いたことがあるよ。白いワンピースを着ていたのは有紗さんの方だったはず」
恋人。その言葉に、貞子の心に小さな引っかかりを覚えた。記憶の中の有紗は、一人で海を見つめていた。恋人の姿はどこにもなかった。そして、あの黒い影は一体何だったのか。
その夜、満月が空高く昇った頃、貞子は再び灯台へと向かった。栞も心配そうに後を追ってきた。岩場には、かすかに潮の香りが漂い、波の音が静かに響いている。
「今夜、あの白い影は現れるだろうか……」
貞子が呟くと、栞は不安そうに周囲を見回した。
しばらく沈黙が続いた後、遠くの岩陰から、ぼんやりとした白い影が現れた。それは、昼間に見た夢の中の影、そして博多の街で出会った影と同じものだった。白いワンピースが、月明かりにぼんやりと照らされている。
「やっぱり……」
貞子は、ゆっくりと影に近づいていった。その動きに合わせて、影もまた、ゆっくりとこちらを向いた。顔は見えない。しかし、その存在からは、昨夜よりもさらに強い悲しみと、焦燥感が伝わってきた。
「有紗さん、あなたですか?」
貞子がそっと声をかけると、白い影はわずかに震えたように見えた。そして、かすれた、しかしどこか切実な声が聞こえた。
「……見……つ……け……て……」
その言葉と同時に、白い影の周囲に、黒い靄のようなものが立ち込めた。それは、記憶の中で有紗の背後にいた、あの黒い影だった。
「あれは……!」
栞が驚きの声を上げる。黒い靄は、まるで生き物のように蠢き、白い影を覆い隠そうとしていた。
「有紗さん! 一体、何を探しているんですか!」
貞子の問いかけに、白い影は苦しげに身をよじった。そして、途切れ途切れの言葉を紡ぎ出した。
「……約束……返……し……て……」
約束。その言葉を聞いた瞬間、貞子の脳裏に、再び鮮明な記憶が蘇った。満月の夜、この灯台の近くの岩場で、有紗は一人の男性と寄り添っていた。二人は何かを誓い合い、小さな貝殻を互いに手渡していた。そして、その時、背後から忍び寄る黒い影が、男性から何かを奪い取ったのだ。有紗は、奪われた何かを取り返そうとして、海に身を投じた――。
「約束……貝殻……!」
貞子は、ハッとした。有紗は、恋人と交わした大切な約束の証である貝殻を、あの黒い影に奪われたのだ。そして、今もなお、その約束を取り戻そうと、彷徨い続けている。
「有紗さん、私に力を貸してください! あなたの探しているもの、一緒に見つけます!」
貞子が強く呼びかけると、白い影はわずかに光を増したように見えた。そして、その手が、ゆっくりと貞子の方へ伸ばされた。満月の光の下、二つの手が触れ合った瞬間、貞子の体の中に、有紗の切なる願いが流れ込んできた。それは、深く、そして痛ましいほどの、愛の記憶だった。