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舞子の決断





貞子の意識が、ゆっくりと浮上していく。薄闇の中で見えていたのは、あの白い花の押し花。そのか細い光が、闇に囚われそうになった貞子を現実に引き戻したのだ。身体はまだ重く、倦怠感が全身を覆っている。それでも、自分の意志で指先を動かせるという確かな感触が、貞子の中に小さな希望を灯した。


「ハァ…ハァ…」


荒い息を整えながら、貞子はゆっくりと上体を起こした。肌を刺すような冷気は和らぎ、代わりに湿った土の匂いが鼻腔をくすぐる。あたりを見回すと、やはり古びた井戸の縁にもたれかかるように自分が倒れていたことが分かった。夜の闇が、森を深く覆い尽くしている。


(私は…生きている…)


あの深淵に飲み込まれず、戻ってこられた。それは、奇跡としか言いようのない感覚だった。身体に残る倦怠感とは裏腹に、心の奥底には、これまで感じたことのない清澄な感覚が広がっていた。悲しみや憎しみが完全に消え去ったわけではない。しかし、それらが貞子自身を支配するものではなく、過去の記憶として整理されているような、不思議な感覚だった。


その時、遠くから波の音が聞こえた。そして、複数の足音が、こちらに向かってくるのが分かる。


時を同じくして、博多湾の港から猫島へと渡るフェリーの上で、舞子と栞は焦燥感を募らせていた。船員から得た「あの古井戸のある場所は、時折不気味な気配がする」という情報に、二人の不安は募るばかりだ。


「舞子姉ちゃん、大丈夫?顔色が悪いよ」


栞は、額に汗を滲ませ、荒い呼吸を繰り返す舞子を心配そうに見上げた。海門の封印を修復したばかりの舞子の体力は、限界に近かった。


「大丈夫…あと少しだから…」


舞子は力なく頷き、島の闇に目を凝らした。胸騒ぎが止まらない。あの時、貞子さんの周りに漂っていた不吉な影。それが、再び彼女を蝕んでいるのではないかという恐れが、舞子の心を締め付けていた。


ようやくフェリーが猫島の港に着岸すると、二人はすぐに駆け出した。夜道を急ぐ舞子の足元は、ふらつき始めている。それでも、貞子への思いが、舞子の身体を突き動かしていた。


そして、森の中。古びた井戸が、不気味な姿を現した時、舞子と栞は息をのんだ。


井戸の周りを、ふらふらと歩く貞子の姿。その纏う空気が、あまりにも異様だった。月明かりの下、貞子の顔は青白く、その瞳には生気が感じられない。まるで、魂が抜け落ちてしまったかのような、空虚な表情だった。


舞子の全身に、悪寒が走る。これは、あの時感じた、不吉な気配。封印の力で一時的に抑えられていたものが、貞子の心に取り憑いてしまったのだ。


「貞子さん…っ!」


舞子の声は、震えていた。遅れてごめんなさい、という謝罪の言葉が、その声に混じる。


「栞…」


舞子は、固く決意した表情で、隣の栞に目を向けた。


「井戸ごと…貞子さんも封印する」


その言葉に、栞はハッと目を見開いた。驚きと、そして舞子の覚悟を悟ったような、複雑な表情を浮かべる。しかし、舞子の瞳には、もはや迷いはなかった。このままでは、貞子は取り込まれてしまう。そして、いずれは周囲に災いを撒き散らす存在になってしまうだろう。それは、巫女として、そして貞子を大切に思う友人として、決して許されることではなかった。


舞子は、最後の力を振り絞るように、震える足で井戸へと向かって歩き出した。その手には、あの海門の封印に使われた、不思議な模様の古い石が握られていた。

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