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揺らぐ日常、迫り来る影





翌日、カフェ「海猫亭」に出勤した貞子は、どこか上の空だった。昨夜の出来事が、まるで現実のことではなかったかのように、周囲の日常はいつもと変わらない。沙織の明るい声、葉月の屈託のない笑顔。それらが、彼女の心に巣食う不安感を一層際立たせるようだった。


「貞子ちゃん、どうかした? なんか元気ないみたいだけど」


葉月が心配そうに顔を覗き込んできた。


「ううん、大丈夫だよ。ちょっと寝不足かな」


そう答えたものの、貞子の胸のざわめきは収まらない。あの白い影、そして耳元で聞こえたかすれた声。「還らない」という言葉の意味は何なのか。


その日の午後、栞から電話がかかってきた。


「貞子、元気? 大島では、最近変な噂があってね……」


栞の声は、いつもより幾分か低い。


「変な噂?」


「うん。満月の夜になると、白いワンピースを着た女の人が港を歩いているんだって。顔は見えないらしいんだけど」


栞の言葉に、貞子の心臓が跳ね上がった。それは、昨夜彼女が見た影、そして博多の街で囁かれている噂とあまりにも一致していた。


「栞ちゃん……実は、私も昨夜、博多で同じような影を見たんだ」


貞子は、昨夜の出来事を栞に詳しく話した。電話の向こうで、栞が息を呑む音が聞こえた。


「やっぱり……何か繋がっているのかもしれない」


二人の間に、重い沈黙が流れた。遠く離れた場所で、それぞれが見聞きした奇妙な現象。それは偶然とは言い切れない、不吉な予感を孕んでいた。


その夜、アルバイトを終えた貞子は、帰路につくのがひどく憂鬱だった。再びあの白い影に遭遇するのではないかという恐怖が、彼女の足取りを重くする。


アパートの近くまで来た時、ふと、背後から微かな気配を感じた。振り返ると、街灯の下に、ぼんやりとした白い影が立っている。昨夜と同じ、白いワンピースを着た、顔の見えない人影だった。


今夜は、昨夜よりもはっきりとその姿が見える。風もないのに、白いワンピースの裾がわずかに揺らめいている。そして、昨夜と同じ、かすれた声が聞こえた。


「……探……し……て……」


その言葉は、昨夜の「還らない」とは異なり、どこか切実な響きを持っていた。まるで、何かを探しているかのように。


恐怖と同時に、貞子の心に奇妙な感情が湧き上がってきた。それは、憐れみのような、あるいは共感のような、複雑な感情だった。この白い影は一体何なのか。なぜ、彼女の前に現れるのか。


意を決して、貞子は声をかけた。


「あなたは……誰ですか?」


しかし、白い影は何も答えない。ただ、じっと貞子の方を見つめているように感じられた。顔は見えないはずなのに、その存在から強い視線を感じる。


次の瞬間、白い影はゆっくりと動き出した。しかし、貞子の方へ近づくのではなく、まるで何かを目指すように、ふらふらと歩き始めたのだ。


貞子は、どうすることもできず、その影の背中を見送ることしかできなかった。夜の闇に溶け込んでいく白い影。残された彼女の心には、新たな疑問と、拭い去れない不安だけが深く刻まれた。あの影は一体何を探しているのか。そして、なぜ、彼女に「探して」と訴えかけたのか。満月が近づくにつれて、謎は深まるばかりだった。

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