残された影と新たな胎動
中巻から変更あります。
A子:沙織
B子:葉月
博多の片隅にある小さなアパートの一室。窓から差し込む朝の光が、質素な部屋を照らしている。ベッドの上で目を覚ました貞子は、昨夜、夢の中で見た白い影が脳裏に焼き付いて離れなかった。それはぼんやりとしていて、どこか自分に似ているような、それでいて全く違うような、奇妙な存在だった。
(あれは何だったんだろう……?)
胸に手を当ててみるが、鼓動はいつもと変わらない。しかし、夢の残像は、まるで小さな棘のように、彼女の心に引っかかっていた。
数日後、貞子はいつものように、博多駅近くのカフェ「海猫亭」でアルバイトをしていた。親友の葉月と交わす他愛ない会話が、わずかながらも日常を取り戻させてくれる。店長の紗栄子も、いつものように明るく店を切り盛りしている。しかし、ふとした瞬間に、貞子は奇妙な感覚に襲われるようになった。まるで、自分の体から何かが抜け出ていくような、言いようのない違和感。それは、あの夢を見た日から、特に強く感じるようになっていた。
「……また、この感じ……」
小さく呟き、首を振る。気のせいだと思おうとするのだが、その感覚は日に日に強くなっているようだった。特に、夜になると、その違和感は増すように感じられた。
一方、大島に戻っていた栞は、最近、島で囁かれている奇妙な噂を耳にしていた。満月の夜になると、白いワンピースを着た、顔の見えない女性が港のあたりを彷徨いているというのだ。最初は単なる噂話として聞き流していたが、その特徴が、数日前に貞子が送ってきた、どこか不安げな様子のメールの内容と重なり、彼女の胸に小さな引っかかりを覚えた。
その頃、博多の街では、葉月もまた、最近頻繁に耳にする奇妙な噂を気にしていた。深夜の繁華街や住宅街で、白いワンピースを着た、顔の見えない人影が目撃されるというのだ。最初は都市伝説の類だと思っていたが、その目撃情報があまりにも具体的で、まるで生きている幽霊のようだと語られるのを聞くうちに、彼女も言いようのない不安を感じ始めていた。
そして、ついにその異変は、貞子の身近にも及んだ。いつものようにアルバイトを終え、深夜の博多の街を一人で歩いていた帰り道のことだった。背後から、微かな足音が聞こえた気がして振り返ると、薄暗い路地の奥に、白い影のようなものが立っているのが見えた。
街灯の光に照らされて、それが白いワンピースを着た人影だと認識した瞬間、貞子は全身に鳥肌が立った。顔は見えない。ただ、そこに「何か」がいるという異様な気配だけが、肌を刺すように感じられた。
(あれは……一体……?)
恐怖で足がすくむ中、その白い人影はゆっくりとこちらに向かって歩き始めた。その動きはぎこちなく、まるで糸で操られているようだった。
「……還……ら……な……い……」
耳元で、かすれた、遠い声が聞こえた気がした。その瞬間、貞子は強烈な眩暈に襲われ、その場に立ち尽くしてしまった。
(これは……もしかして……あの夢の……?)
彼女の中で、漠然とした不安が具体的な形を帯び始める。あの夜から感じていた体の違和感と、今目の前にいる白い影。それらは、決して無関係ではないような気がしてならなかった。
満月が再び夜空に近づく中、貞子は、自身の身に起こり始めた奇妙な感覚と、博多の街を彷徨う白い影の正体を突き止めなければならないと感じていた。それは、これまでとは全く異なる、個人的な恐怖の始まりを告げるものだった。