エミリーのひとりごと
私が旦那様の側室となるエルザ様の専属メイドになると決まった時、正直思った。
(よっしゃあ!)
他のメイド達にも羨ましがられた。
正室になったセーラ・ブルーノ……奥様が三股していたことは、この辺りのメイドならみんな知っていたから。
噂は令嬢や夫人の間で広まっていったが、貴族男性の耳に入る前に、あの女は懐妊しまんまと旦那様の正室の座に納まったのだ。
なんてしたたかな女なのだろう。
旦那様は、自分が騙されていることに気づいてもいない。
もちろん、私たちメイドも素知らぬふりだ。
旦那様はメイドの話に耳を傾けるような人ではないし、下手なことを言えばこちらの身が危うくなるのだから当然だろう。
触らぬ神に何とやらだ。
エルザ様は、旦那様の婚約者としてハンバード邸へ何度か訪れていて、皆がその人柄を知っていた。
無口で愛想はなかったが、メイドが粗相をしても決して怒らず、それどころか、さり気ない気遣いまで見せてくれる。
ひっつめ髪に化粧っ気のない顔。ドレスも地味なものばかりで宝石はつけていない。
だけど、エルザ様には化粧もドレスも宝石も必要なかった。
内面から滲み出るような凛とした美しさ。
エルザ様にはそれがあったから。
そんなエルザ様のことをメイドは皆好いていたので、専属メイドになった私は鼻高々だったのだ。
私と一緒にエルザ様付きになったのは、旦那様の補佐役をしていたリアム・スコット。
私より二つ年上の20歳だ。
スコットさんは、孤児院で暮らしていた9歳の時に、その賢さが大奥様の目に留まり、ハンバード家の下働きになったという異色の経歴の持ち主だ。
大奥様への恩に報いようと懸命に努力を重ねたスコットさんは、大旦那様に認められ、補佐役にまで登りつめたのだ。
そんなスコットさんだが、大奥様と大旦那様が亡くなられた後は、すっかりやる気をなくしてふてくされていた。
大旦那様の後を継いだ旦那様が、一体誰に似たのか不思議に思えるほど仕事ができなかったからだ。
自分の力不足を認めず、周りの意見に耳も貸さず、威張り散らすことしか能がない愚か者。
旦那様が良いのは見目だけで、中身はボンクラだったのだ。
エルザ様と面識がなかったスコットさんは、初めはエルザ様も旦那様と同じ穴の狢など思っていたようだ。
だけどその認識は、エルザ様が仕事を始めたその日のうちに覆された。
必要なことしか話さず、黙々と目の前の書類を片付けていくエルザ様。
それは本来正室である奥様がやるべき仕事だったが、エルザ様は文句の一つも言わなかった。
そして、エルザ様の仕事は無駄がなく、正確でもの凄く早かった。
スコットさんは、エルザ様の仕事ぶりにすっかり惚れ込んでしまったのだ。
エルザ様から、奥様を断罪し屋敷を出ていくつもりだと告白されたのは、そんな最中のことだった。
その年の寒さは例年より厳しく、エルザ様は夏の間に安く買い溜めた防寒具を高値で売り、大金を手に入れていた。
何か一人でこそこそやっているとは思っていたけれど、ハンバード家から出ていくための準備を着々と進めていたのだ。
断罪は、晩餐会の後で決行された。
三股女の罪は暴かれ、間抜けな男たちは真実を知ったのだ。
私とスコットさんに引きずられて馬車に押し込められた奥様は、エルザ様に向かって、
「側室の分際で! 私をこんな目に遭わせて、ただで済むと思ってるわけ!?」
と怒鳴り散らした。罵声を浴びせられたエルザ様は、小さなため息をつく。
「このままここにいれば、怒ったジェラルド様に何をされるかわかりませんよ。セーラ様の身の安全のためにも、ブルーノ家に戻ったほうが得策かと」
努めて冷静に話すエルザ様に対して、奥様はひどく取り乱していて、小動物のように愛らしい顔は見る陰もなく歪んでいた。
「ジェラルドはそんな人じゃないわ! きちんと話せばわかってくれるはずよ!」
「話す? 何をですか? 三股していたけれど、お腹の子はあなたの子供ですとでも言うつもりですか?」
「そっ、それは……!」
「それこそ、ジェラルド様を余計に怒らせるだけです。あの人を怒らせたら、本当に何をされるかわかりませんよ」
「だから! ジェラルドはそんな人じゃないって言ってるじゃない!」
「いいえ。あれはそういう男です。頭に血が昇れば、怒りに任せて平気で人を斬り殺す。それがあの男の本質なのです。私は9歳の時からあの男の婚約者候補でしたから、あれの人間性は理解しているつもりです。セーラ様、少なくともあなたよりは」
「もういい! やめて!」
奥様が耳を塞ぎ、地団駄を踏む。それに合わせて、馬車がガタガタと縦に揺れた。
「何で……! 何で私がこんな目に遭うのよ!」
エルザ様は、そう叫んだ奥様を真っ直ぐに見据えた。
「それは、あなたが命を弄んだからです。本来慈しむべき新しい命を、あなたは自分の保身と欲を叶えるための道具として扱った。その報いを受けるのは当然ではないでしょうか」
「あぁ……!」
奥様が耳を劈くような叫び声を上げ始めたので、私は馬車のドアを勢いよく閉めた。
こんな夜半に迷惑も甚だしい。
エルザ様が御者に合図をし、動き始めた馬車を私たちは見送る。
そして、二度と奥様の姿を見ることはなかった。
次の朝、エルザ様はハンバード邸を後にした。
もちろん、辞表を出した私とスコットさんも一緒だ。
私は決めていたから。
どこまでもエルザ様についていこうと。
(エルザ様はそっち方面に疎いから、運命の相手が現れても気づかないかもしれないわ。だから私が、エルザ様の運命の相手を見つけてあげるのよ!)
正直で真っ直ぐなエルザ様は、きっと最上の幸せを手に入れるだろう。
私はそれを、ずっと側で見ていたいと思うのだ。