断罪は晩餐のあとで
晩餐会は穏やかに進んでいった。
ジェラルドより身分の低いリッカルドと平民のティノがひたすらジェラルドを褒めそやし、特にティノは、さすが商人の息子と感心するくらい言葉巧みにジェラルドをおだてるので、周りが思うより単純で自意識の高いジェラルドは、いつもの仏頂面をしながらも内心は上機嫌のようだった。
そして、しゃしゃり出る気満々だったセーラも大人しくしてくれている。
食事が終わり、食後の紅茶が運ばれてくる。
この紅茶を飲み終われば、晩餐会は終了だ。
私は、皆のティーカップが空になったタイミングを見計らって口を開いた。
「とても有意義な時間でした。これを機会に、ますます交流を深めていきたいですわ」
ティノとベネットがそれに答える。
「こちらこそ、楽しい時間をありがとうございました」
「心のこもったもてなし、感謝いたします」
ナプキンをテーブルに置く二人。
二人が立ち上がる前に、すかさず次の言葉を投げかけた。
「そういえば、ベネットさん。先日恋人がいるとおっしゃっていましたが、婚約者だそうですね。金髪碧眼で、小動物のように可愛らしい方だとか。次は、その婚約者の方もお招きさせてくださいね」
ビクリと肩を震わせて、ティノがゆっくりと私に向き直る。
「こ、婚約者? そ、そんな人はいませんよ」
「おかしいですわね。街中で堂々とデートをしている姿を、多くの令嬢が目撃したと聞いていますよ」
「そ、それは……、ひ、人違いではないでしょうか」
「それでは、婚約者はいないとおっしゃるの?」
「そ、そうです。その通りです。僕には婚約者などいません!」
ティノは声を張り上げたが、体は震え、目は泳ぎ、額には汗が滲んでいた。
そんなティノを横目に、私は話を続ける。
「そんなはずはありませんわ。婚約指輪まで誂えたというではないですか」
「な、なぜそれを……!」
「昨年の9月24日、13時40分。婚約者の方とシャーリー宝石店に来店し、サファイヤの指輪を購入されていますね。その際店員の女性に、婚約の記念に、彼女の瞳の色の宝石を贈りたいと仰ったとか」
「なっ、何を! そんなことはデタラメだ!」
「そうですか? あら、ここにこんなものが」
「そ、それは?」
「これは、あなたが購入した婚約指輪の購入証明書です」
高価な宝石を売買する宝石店では、後々にトラブルが起きないように、詳細が記録された証明書が発行される。
もちろん、これは大切な顧客情報。
見せて下さいと頼んで見せてもらえるものでも、ましてや写しを手に入れられるものではない。
そこで私は、一度目で得た情報を使った。
11月半ば、北部にある辺境の廃鉱山で新たな鉱脈が見つかり、良質なピンクダイヤモンドが発掘される。
一度目で読んだ新聞記事のおかげで、この時期にその出来事が起こることを知っていた私は、シャーリー宝石店を訪れその情報を伝えた。
対価は、ティノ・ベネットが購入した婚約指輪の購入証明書。
ピンクダイヤモンドは、王女様が年明けの建国祭で着用するティアラに使用したいと明言していて、国中の宝石商や宝石店の店主が血眼になって探していたのだ。
一度目では、一番早く北部の鉱山に駆けつけた宝石商がその権利を手に入れたが、採掘される時期がわかっているのだから、北部から距離がある王都の宝石店の店主でも、一番乗りで鉱山に駆けつけることが可能だ。
あとは店主が私の話を信じるか信じないかだが、柔軟な考えを持ち突拍子もないことが好きな店主は、私の話を面白がって、もし実際にピンクダイヤモンドの権利を手に入れることが出来たら、情報の対価として購入証明書の写しを渡そうと約束してくれたのだ。
ついでに教えた、ベネット商会が資金繰りに困っているという情報も、店主がティノ・ベネットを切り捨て私に懸けようと判断するのに一役買ったようだ。
この購入証明書は、そうして手に入れたものだったのだ。
「指輪の裏側に、相手の名前を刻印したようですね。この証明書にその名前が明記されています。セーラ……セーラ・ブルーノ」
ジェラルドが、両手に握っていたカトラリーを皿に振り下ろすと、ガチャリという耳障りな音が大食堂に響き渡る。
ビクリと肩を震わせながらも、精一杯表情を取り繕ったセーラが、そんなことは何でもないというふうにこう言い放った。
「まぁ! 私の旧姓と同姓同名の女性がいるようですね」
「はっ!」
私の口から、淑女として相応しくない声が漏れてしまう。
平民ならば、同姓同名は珍しくないだろう。
けれど、貴族の家門の名に二つとして同じ名前などありはしない。
つまり、この国にブルーノ家は一つしか存在しないし、ブルーノ家のセーラだった女性は一人しかいないのだ。
「セーラ……!」
ジェラルドが、地獄からの使者のような低く掠れた声を出す。
そんなジェラルドの言葉に被せるようにして、叫んだのはリッカルドだった。
「セーラ! 君は僕と交際しながら、こんな平民とも付き合っていたのか!」
そう、ティノとリッカルドは知らなかった。
ジェラルドのことは、セーラに説き伏せられ納得したのかもしれない。それが、我が子の将来のためだと呑み込んだのだ。
だけど、リッカルドは知らない。
セーラに自分とジェラルド以外の相手がいたことを。
そして、ティノも知らない。
セーラが、自分とジェラルド以外の誰かと交際していたことを。
「こっ、交際!? セーラと交際していたのは僕だ! 婚約だってしていたんだ。指輪の購入証明書が証拠だ!」
立ち上がったティノが声を張り上げると、今度はリッカルドが喚き散らす。
「何を言う! セーラは僕の恋人だ! 僕たちは近々婚約する予定だったんだ! それに、セーラのお腹の子の父親は僕なんだぞ!」
「なっ、何を……! お腹の子は、僕とセーラの子供だ!」
「やめてぇ!」
耳を防ぎながら、悲鳴にも似た叫び声を上げるセーラ。
そんなセーラに、椅子から立ち上がったジェラルドがゆっくりと近づいていく。
「セーラ、一体どういうことだ? この二人とも交際していただと? 赤子が俺の子ではないだと? お前が……お前ごときが、この俺を騙したというのか!」
ジェラルドの振り上げた右手が、セーラを打ちつけようとしたその時、
「そこまで!」
大きく息を吸って腹の底から出した私の声に、皆が動きを止めた。
「晩餐会はすでに終わっています。馬車を用意しておりますので、どうぞお帰りになってください。皆様、楽しい時間をありがとうございました」
私の言葉を合図に、待機していたリアムとエミリーが大食堂のドアを開ける。
「まだ話は終わっていない!」
「そうだ! このままで帰れるわけがない!」
顔を真っ赤にし、目をつり上げているティノとリッカルド。そんな二人に近づいた私は、その耳元でそっと囁いた。
「ハンバード侯爵に殺されたくなかったら、今すぐ出ていったほうが身のためですわよ」
「ちっ!」
「くそっ!」
悔し紛れに舌打ちをしたり地団駄を踏みながらも、このままここにいてはただでは済まないと察した二人は、逃げるように大食堂を後にする。
そしてセーラは……。
「お帰りくださいって何よ! 私の家はここよ! 私はこの屋敷の女主人なのよ! ちょっと! 使用人の分際で私に触るんじゃないわよ!」
髪を振り乱して叫びながら、リアムとエミリーによってずるずると引きずられていくのだった。
屋敷の前には3台の馬車が待機していて、御者にはそれぞれの行き先が告げられていた。
ティノはベネット家へ。
リッカルドはセルギーヌ家へ。
そして、セーラは彼女の実家であるブルーノ家へ。
馬車を見送った後大食堂へ戻ると、ジェラルドがティーカップやらポットやらを片っ端から床に投げつけている。
テーブルの上の食器を全て使い物にならなくしたジェラルドは、私に気がつくと乾いた笑い声を上げた。
「ふははは。まさか、セーラがあのようなふしだらな女だったとはな!」
それから、私に向けて大仰な仕草で両手を広げた。
「よくやった、エルザ! お前はあの性悪女からハンバード家を守ったのだ!」
「はぁ……」
「それにしても、お前がそれほど俺に惚れていたとはな」
「はっ?」
「俺に愛されるあの女が憎かったのだろう? だから、あの女の罪を暴き白日のもとに晒したのだ。今も、俺と二人きりになるために邪魔者を追い出したのではないのか? それにその姿、俺のために美しくなる努力をしたのであろう」
(この男は、この期に及んで何を言っているのかしら?)
私が三人を帰らせたのは、頭に血が上ったジェラルドが、一度目で私に斬りつけたように彼らのことも殺しかねないと思ったからだ。
そのために騎士を下がらせ、凶器になりそうな装飾品を隠し、馬車を待機させていたのだ。
セーラのことは憎かったが、それでも死ねばいいなどとは思っていない。
私の沈黙を肯定と受け取ったのか、ジェラルドは嬉々として話を続ける。
「エルザ、喜ぶがいい。お前など全く好みではなかったが、今のお前なら隣に置いてやってもよい。お前を正室にしてやろう!」
「いえ、結構です」
「……ははーん。これまでセーラにかまけてお前を蔑ろにしていたから、意地を張っているのだな。エルザよ、今こそ素直になる時だぞ」
「いえ、本当に結構です。それより、こちらにサインをお願いします」
私がジェラルドの前に突き出した一枚の紙切れ、それは離縁状だ。すでに私のサインは書いてある。
始めはこっそり出ていく予定だったので諦めていたが、離縁状を提出できるならそれに越したことはない。
離縁状を見たジェラルドは、怒りを剥き出しにした視線を私に向けた。
「お前は正気か?」
「私は正気です。荷物は纏めてあるので、明日には出ていきます。もう気が済みましたから。後はその離縁状にサインを頂ければ、何の憂いもなく発つことができますわ」
「出ていくだと? そんなことは許さん! そんなことをすれば、ヴィリオン家への援助を打ち切るぞ!」
「構いませんよ。あの人たちがどうなろうと、私の知ったことではありませんから」
私の返事を聞いたジェラルドは、ガクリと肩を落として情けない声を出す。
「お前は、俺を愛しているのではないのか?」
(本当に、この男は何を言っているのだろうか)
一体、私に愛されることがどれだけ重要だというのだ。
ジェラルドは私を愛さなかった。それなのに、自分だけは愛されていたいとでもいうのだろうか。
(そういえば、巻き戻った時も同じようなことを聞かれたわね)
あの時はこう答えたのだ。
「私、一度でも言いましたっけ? あなたを愛していると」
どうやら、この男にはそれでは伝わらなかったようだ。
(それならば、はっきり言ってあげるべきね)
「愛していません。あなたを愛したことはないし、これからも愛することはないでしょう。それでも、一つだけ感謝しています」
「感謝……だと?」
「側室の生活はなかなか有意義でしたわ。それでは、ごきげんよう。二度とお会いすることはないでしょう」
そうして私は、大食堂を後にした。