エルザ、真相を知る
シンシア主催の茶会のメンバーになった私は、月に一度開かれる、美容について語り合う茶会へ参加させて貰うことになった。
それは、二度目の茶会でのことだった。
その日の手土産は、キャロブを使ったクッキー。
ロバートの植物店で材料を購入し、私が作ったものだ。
キャロブとはマメ科の植物で、鞘の内側にある果肉をローストし粉末にしたものは、甘みがありチョコレートに風味が似ている。
チョコレートには脂質や糖質が多く含まれていて肌荒れの原因になるが、キャロブは低脂質低糖質で、その上カルシウム、鉄分、食物繊維が豊富に含まれていることから美容にも健康にも効果があるのだ。
「このクッキー、チョコレートと変わらない美味しさね!」
「こんなに美味しいのに美容にも良いなんて!」
「エルザ様、このキャロブクッキーは最高ですわ!」
私の説明を聞いた三人は感嘆の声を上げ、キャロブクッキーはあっという間になくなったのだった。
お茶の後、クローリー邸の庭園を散歩することになった。
自然と二手に別れ、シンシアと二人きりになる。
私は、ずっと伝えようと思っていた言葉を口にした。
「シンシア、ごめんね。あなたと競い合った末、祖父同士が仲が良いなんていう理由で私がジェラルド様と婚約したのに、正室の座を明け渡すことになってしまって……」
薔薇の香りを楽しんでいたシンシアは、私の言葉に小さなため息をついた。
「正直、ジェラルド様が別の女を正室に迎えると聞いた時は頭にきたわ。あなたが婚約者に選ばれたのは、私よりあなたの方が賢いからだと思っていたから。それならば仕方がない。自分の実力が足りなかったのがいけないんだ。そうやって納得して、私はやっと現実を受け入れたの。それなのに、よりにもよってあんな馬鹿女が正室になるなんてね」
「馬鹿女って……。セーラのことを知ってたの?」
呆れたような顔をしたシンシアは、さっきより深いため息をつく。
「やっぱり、あなたは何も知らないのね。まぁ、教えてくれる友人もいなかっただろうから、仕方がないのかしらね」
それから、真剣な眼差しを私に向けた。
「令嬢の間では有名だったのよ。セーラ・ブルーノは、三股をするような馬鹿女だってね」
「さ、三股!?」
「始めは二股だったのよ。ベネット商会の息子のティノ・ベネットと、セルギーヌ子爵家の長男リッカルド・セルギーヌ。街中でデートしている姿が何度も目撃されて、令嬢や一部の夫人の間で噂になっていたの。だけど、噂はそこで止まっていた。低俗な噂を口にして、婚約者や家族にはしたないと思われたくない。令嬢はそんな理由で殿方には口をつぐみ、夫人は夫人で高みの見物をしていたから。リッカルド・セルギーヌにもティノ・ベネットにも婚約者はいないし、今は二人の間で迷っていても、いずれはどちらか一人と婚約か結婚をするのだろう。二股されている当の本人達がそのことに気がついていないのだから、外野が下手に騒ぎ立てる必要はないと。何より、リッカルド・セルギーヌもティノ・ベネットも、令嬢や夫人が興味をそそられるような男性ではなかったの。だから、誰もが眉を顰めて茶会の話の種にしながらも、静観を続けていた。だけど、セーラとジェラルドが付き合い出したことで状況は変わったわ。ジェラルドにはあなたという婚約者がいるし、男ぶりが良くて令嬢や夫人の間で人気があった。何より、彼は上位貴族であるハンバード侯爵家の当主。たかが男爵令嬢、その上二股していたような女が手を出していい存在じゃない。さすがに黙ってはいられない、静観できないとみんなが思い始めた矢先だった。セーラがジェラルドの子を妊娠し、二人が結婚するという話題が社交界を駆け巡ったのは。そうなっては、もう私達には何もできない。侯爵夫人になったセーラは私たちより身分が高い。そんなセーラの悪口を言ったり噂話を広げようものなら、不敬罪で罰を受けるのは私たちの方なのだから。そうして、誰もが見て見ぬふりを決めこんだのよ。だけど、みんな心の中では思っているでしょうね。セーラのお腹の子の父親は、一体誰なのかしらってね」
「そんな……!」
「知らないのは、殿方と騙されている当の本人たちだけだということよ。エルザ、あなたもその中の一人なのよ」
「…………」
その後茶会はお開きになり、屋敷に戻った私はリアムとエミリーに今日はもう休んでいいと告げて自室に入った。
『みんな心の中では思っているでしょうね。セーラのお腹の子の父親は、一体誰なのかしらってね』
シンシアの言葉が、頭の中で繰り返し鳴り響いている。
その言葉で、全てが繋がったのだ。
この国には、嗣子確定法という法律がある。
一夫多妻制のこの国で、正室と側室の間で起こる争いごとを回避するために定められた法律で、赤子が腹の中にいる段階で戸籍を作り、その子が跡継ぎであると承認する制度だ。
セーラのお腹の子が誰の子供のなのか。
三人の男性と同時に交際していたのだ。きっとセーラ自身にもわからないのだろう。
もし、生まれてきた子が金髪ではなかったら。
ジェラルドにもセーラにも似ていなかったら。
そこで、セーラは考えたのだ。
側室である私が、お腹の子の命を狙っている。
ジェラルドにそう思わせればいいのだと。
この国では、胎児を殺害してもたいした罪にはならない。ひどい話だが、それがこの国の法律なのだ。
けれど、嗣子確定法を利用すれば、お腹の子は一人の人間として認められる。
しかも、未来の侯爵家当主だ。
その子を殺したとなれば、極刑は免れないだろう。
そして、セーラはジェラルドに囁いたのだ。
その絡みつくような甘ったるい声で。
「エルザ様が、お腹の子の命を狙っていると聞きました。旦那様、私は恐ろしいのです。エルザ様がお腹の子を害しても、たいした罪には問われないのですから。けれど、この子がハンバード家の戸籍に入り嫡男と承認されれば、この子を害することは極刑を意味します。そうなれば、エルザ様も他の誰も、この子を害そうなどとは思わないでしょう。この子を救えるのは旦那様だけなのです。どうか、この子のために決断してくださいませ」
嗣子確定法で一度承認を受ければ、覆すためには裁判を起こすしかない。
けれど、裁判など起こせばハンバード侯爵家の名前に傷がついてしまう。ジェラルドはそんなことはしないだろう。
生まれてくる子が金髪でなくても、ジェラルドにもセーラにも似ていなくても、例え生涯父親に愛されることがなくても、その子がハンバード家の嫡男であり次の当主であることは未来永劫揺るがない。
そのために、セーラは私を利用したのだ。
私の部屋に毒薬を隠し、それを騎士に発見させ、半信半疑のジェラルドに確信を与える。
セーラには勝算があったのだろう。
ハンバード家の実務の全てを担っている私を、ジェラルドは追い出したりはしないと。私がいなくなって一番困るのはジェラルドなのだから。
それならば、子供が生まれるまで私を閉じ込めておくのはどうか?
そんなことをすればその間の実務は滞るし、四六時中見張るのだって労力がいる。
そんな面倒なことをするくらいなら、書類を一枚提出して赤子の身の安全を守る方が余程効率がいい。
だから、ジェラルドはセーラの提案を受け入れる。
セーラはそう考えた。
だけどセーラが思うより、ジェラルドは浅はかで軽率でカッとなりやすい短気な男だったのだ。
突発的に私を斬りつけてしまうほどに。
体を引き裂かれるような激しい痛みが、再び私に襲いかかる。
あの日私は死に、時間は巻き戻った。
私に怒りはなかった。
誰が私を嵌めたのか、何のために罪をなすりつけたのか。どれだけ考えてもそれがわからなかったからだ。
私の弁明すら聞かず、手を下したのはジェラルドだったが、ジェラルドに対しても怒りはなかった。
見目麗しく男らしい、社交界一の紳士。
ジェラルドはそう評されていたが、私は知っていたから。
本当の彼が、浅慮で矮小で見栄っ張りで、頭に血が上ると周りが見えなくなるような単純な男であることを。
あの場にいたのが私でなくても、ジェラルドは相手に斬りつけていただろう。カッとなれば周りが見えなくなり、平気で人を傷つける。それがジェラルドの本質なのだ。
彼の両親が亡き今、その本質を知っているのは、長らく婚約者だった私と、騎士団にいる彼の弟のアストリドくらいだろうか。
私はとうの昔に、ジェラルドがそういう男だと諦めていたのだ。彼に対して何の感情も湧かなくなるほどに。
怒りはなかった。だけど恐怖はあった。
それはジェラルドにというより、誰かに陥れられ命を奪われることに対する恐怖。
だから、側室にはならないと宣言した。
それでも側室になってしまったから、逃げようと思った。
あの事件が起こる前に逃げてしまおう、それしか道はないのだと。
だけど、私は知ってしまったのだ。
なぜ自分が嵌められ、殺されなければならなかったのかを。
「そんなことのために、そんなことのために私は……」
ただ、セーラの保身のために、欲のために、私は死ななければならなかったのだ。
「許さない……許さないわ」
そうして私は決意した。
セーラ・ハンバードを断罪することを。