エルザ、茶会へ行く
それは、ハンバード邸の玄関を出ようとした時のことだった。
「そこのあなた」
鼻にかかったような甘ったるい声が、私を呼び止める。
振り向くと、そこにセーラ・ブルーノ……今はハンバード家の正室であるセーラと、彼女に付き従うようにして数人のメイドが立っていた。
「見かけない顔だけれど、客人かしら? ハンバード家に来ておいて女主人の私に挨拶もしないなんて、どういう神経しているのかしら?」
太陽の光に照らされた水面のように輝く瞳が、私の頭の先から爪先までを不躾なほどじろじろと眺めている。
私と同い年の18歳だが、小柄な彼女は小動物のように愛らしく妖精のように可憐だ。
ジェラルドが彼女のような女性が好みだったのなら、背が高く陰気な容姿の私を嫌うのは当然だろう。
(まぁ、ジェラルドの好みなんてどうでもいいことね)
セーラは、私がエルザだとは気付いていないようだ。
ジェラルドに側室になれと告げられた時の一度しか会っていないので、当然といえば当然だろう。
「あの……。セーラ様、私エルザです」
「あっ、あなた、エルザ様なの?」
私の言葉に驚いて仰け反ったセーラは、私の身につけているドレスや宝石に先程と同じ不躾な視線を向けた。
「あなたねぇ、側室の分際でそんなに着飾って、一体何様のつもり?」
「茶会に行く所でして……」
「茶会? それにしても、随分と良いドレスを着ているじゃない。それにその宝石。ジェラルドが買ってあげるわけがないし……。あなた、まさかハンバード家のお金に手を付けてるんじゃないでしょうね?」
「そんなことは……。このドレスと宝石は、貸衣装店で借りたものなのです」
目を点にさせ何度か瞬きをした後、堪えきれないというように吹き出すセーラ。
「貸衣装!? ドレスも宝石も借り物ってこと? 何て可哀想なんでしょう! ジェラルドは、私には欲しいものは何だって買ってくれるのにね!」
自慢げに鼻を鳴らすセーラだが、言われなくてもそんなことは知っている。
請求書を確認して、支払いをしているのは私なのだから。
(これ以上話をしていたら、茶会に遅れてしまうわね)
「セーラ様、私そろそろ……」
「いいわいいわ。いってらっしゃいな!」
上機嫌なセーラは、私を笑顔で送り出してくれたのだった。
幸いにも、クローリー邸には約束の時間より早く到着した。
メイドに案内され向かった庭園のガゼボでは、すでに三人の女性が席に着いている。
この茶会の主催者、シンシア・クローリー。
それから、彼女の友人のマルレーヌ・ストララン子爵令嬢と、ソフィア・リテンベルクス伯爵夫人。
シンシアは、私を見ると少し驚いたような顔をした。
ボサボサの髪を隠すためのひっつめ髪と、化粧っ気のない地味な顔。それがシンシアの知るエルザだったから。
そんな姿を期待していたのだから、エミリーが気合を入れて作り上げた私に驚くのは当然だろう。
気を取り直したようにすました顔をしたシンシアは、椅子から立ち上がりもせずに私を見据えると、嘲るようににやりと笑った。
「随分肌艶が良いようですね。エルザ夫人には、側室の暮らしが性に合っているのかしら?」
シンシアの言葉に呼応するように、手や扇子で口元を隠しながら、押し殺したように笑うマルレーヌとソフィア。
やはり、この茶会は私を吊るし上げるために催されたようだ。だけど、むざむざと攻撃されるつもりはない。
(こんな時は先手必勝よ!)
挨拶を終えた私は、椅子に座るなり持ってきたものをテーブルの上に置いた。
「今日は手土産を持ってきたんです」
「手土産?」
箱を開けると、シンシアが困惑したような声を出す。
「なっ、何よ、この真っ黒い物体は!」
「これは、デーツを使用したケーキです」
「でぇ……つ?」
「デーツとは、ナツメヤシの木になる実のことです。デーツには様々な栄養があり、食物繊維や鉄分の他、美しい髪や健康な肌を作るのに欠かせない亜鉛や、シミを予防する効果のあるβ‐カロテンが含まれています。また、デーツ自体に濃厚で強い甘みがあることから、このケーキには砂糖が使われておりません。つまりこのケーキは、『体の内側から美しくなる』を実現してくれるケーキなのですよ」
私の顔とケーキを交互に見比べている三人の女性が、ごくりと喉を鳴らす。
「体の内側から美しく……!」
他の令嬢との交流がなかった私だが、同じジェラルドの婚約者候補として、シンシアとだけは頻繁に会う機会があった。そのため、彼女の人となりや趣味嗜好を知っていたのだ。
シンシアは根っからの美容オタク。
美容に関する情報を集めたり、他の令嬢や夫人と美容について語り合うのが大好きなのだ。
そして、シンシアの友人であるならば、他の招待客も美容好きに違いないと踏んだ私は、ケーキの他にも手土産を用意していた。
「それから、こちらはマルレーヌ様への手土産です」
「こ、これは何かしら?」
「こちらは、ローズマリーとカモミール、セージとレモンの絞り汁で作った髪を艷やかにする液体です。ローズマリーが頭皮の血液循環を改善し、カモミールが潤いを与え、セージが頭皮を浄化してくれるのですよ」
最近サロンでパーマをあてたマルレーヌは、髪の傷みがひどくそのことをとても気にしているらしい。
この情報を探ってきてくれたのはエミリーだ。
メイドの持つ情報網はあなどれない。
彼女たちは主人の使いで同じ店を利用することが多く、自然と仲良くなると、日頃の鬱憤をぶち撒けるように話に花を咲かせるのが常なのだ。
「そういえば、さっきから気になっていたのです。エルザ夫人の髪は何て艷やかで美しいのかしらって」
「実は、私もこの液体を使っているのです。手入れを始めてまだ一週間程度ですが、元がひどすぎたこともあって、メイドが驚くほどの効果が現れたんですよ」
「まぁ! それを私にくださるなんて。私、とても嬉しいです。エルザ様、ありがとうございます」
「喜んで頂けて何よりですわ。それから、こちらはリテンベルクス夫人への手土産です。ニームと蜜蝋で作った、肌荒れに効果がある軟膏なんですよ」
「肌荒れ……」
「お嬢様が肌荒れに悩んでいるとお聞きしました。思春期特有の肌荒れの場合は、油を多く含んだクリームを塗れば却って症状を悪化させてしまいます。ニームには抗炎症作用と抗菌作用がありますから、この軟膏には肌荒れや赤みを抑え、ニキビの発生を防ぐ効果が期待できるのですよ」
「何て気の利いた手土産かしら! ありがたくちょうだいしますわ」
「最後に……。こちらはシンシア様への手土産です」
「これは……、一体何なのかしら?」
「ペパーミントとクローブ、天然塩で作った歯をきれいにする歯磨き剤です。ペパーミントの殺菌作用とクローブの抗炎症作用が、口腔内を清潔に保ち虫歯を予防してくれるのです。いくら髪や肌の手入れが行き届いていても、歯が汚ければ全て台無しですからね」
「確かに、あなたのおっしゃる通りだわ!」
感心したように歯磨き剤が入ったケースを手に取るシンシア。
彼女たちは美容オタクだが、彼女たちが詳しいのは市販の化粧品やどこのサロンの施術が良いかということで、原料となる植物にまで考えは及ばないしその知識もない。
常に新しい情報を求めている彼女たちにとって、私の話は新鮮で、この上なく魅力的に聞こえたに違いない。
そして実際に、彼女たちは私の話に食いついたのだ。
「エルザ夫人」
立ち上がったシンシアが、私の手をぎゅっと握る。
「あなたがこんなに美容に詳しいなんて、全く知らなかったわ! ぜひ、美容について語り合うこの茶会のメンバーに加わってちょうだい!」
「私がメンバーに……。いいのですか?」
力強く頷くマルレーヌとソフィア。
それから、シンシアがライラック色の瞳を輝かせて言った。
「エルザ夫人。いいえ、エルザ。私達、友達になりましょう!」
こうして、私は友人と人脈を手に入れたのだった。