エルザ、茶会の招待を受ける
ジェラルド・ハンバードの側室になってから3ヶ月が過ぎた。
防寒具の購入資金は着々と貯まっていて、この分だと夏の間にかなりの量を仕入れることができそうだ。
私はそれを、書類上は危機管理費として計上していた。
リアムに突っ込まれた時に、「自然災害など予期せぬ事態が起こった時に対応するための資金」だと言い含めるつもりだったが、リアムは何も聞いてこなかった。
今ではハンバード家の執務の全てを私に丸投げしているジェラルドが気づくこともない。
ジェラルドとセーラは、毎日贅沢三昧をして遊び暮らしているようだ。
一度目では知りようのなかった二人の様子を、今はすっかり仲良くなったエミリーが嬉々として報告してくれる。
一度目の時は、領民が治める地税が領地に還元する前に泡のように消えていくのが不思議でならなかったが、何のことはない。ただジェラルドとセーラが贅沢に暮らすために使われていたのだ。
このままいけば、多くの小作人がこの地を見限って出ていくだろう。そうなれば、広大な領地からの地税だけで成り立っているハンバード家は存続の危機に瀕するはずだ。
だけど、私には関係のないことだ。
私は私に与えられた仕事をしているし、その頃には私はいないのだから。
(それにしても……)
薄紫色の封筒を見つめながら、私は溜め息をつく。
(招待状がこれ一通とはね)
逃亡資金を貯める計画は順調だ。
期限である年末までには、しばらくの間一人で生きていけるだけの資金を貯められるだろう。
資金の次に必要なもの、それは人脈だった。
一度目の記憶がある私には、一度目の経験の中で得た情報がある。
けれど、一日の殆どを執務室で過ごしていた私の持つ情報は、ハンバード家の領地内の出来事と、毎朝新聞に目を通して得ていた比較的大きな事件や出来事だけ。
実際に街や社交界で何が起きているか、私はそれを知らない。それを知るためには、他の家門の夫人や令嬢と交流する必要があった。
最も手っ取り早い方法は屋敷で茶会を開くことだが、結婚式の三日前に正室から側室になった女の開く茶会になど誰も来たがらないだろう。
それに、派手な動きをすればジェラルドに逃亡資金のことを勘付かれる恐れがある。
招待された茶会に行くのが一番無難だが、側室になって早3ヶ月、招待状は一通しか届いていなかった。
(しかも、差出人がシンシア・クローリーとはね)
シンシア・クローリーと私は、共にジェラルドの婚約者候補だった。
二人とも伯爵家の令嬢だが、地味で面白味のない私に比べて、シンシアは美人で愛嬌があり、何よりジェラルドに恋心を抱いていた。
その上、父が手掛けた事業の失敗により困窮していたヴィリオン家は、他家からの援助が必要ないわくつき。
それでも私が選ばれたのは、ヴィリオン家がどの政治派閥にも属していなかったことと、今は亡き先々代、ジェラルドの祖父と私の祖父が友人同士だったからだ。
私に負けるわけがない、そう高を括っていたシンシアの怒りは凄まじかったが、貴族令嬢としての矜持を守り、表向きには私とジェラルドを祝福した。
それなのに……。
私は結婚式の三日前にむざむざとその座を奪われ、側室に成り下がったのだ。
きっと彼女は、私を嘲笑っているに違いない。
つまり、この茶会は私を吊るし上げるための茶会なのだ。
ふと、鏡に映る自分の姿に目を遣る。
老婦人のようなひっつめ髪に化粧っ気のない地味な顔。
実家は困窮していてお洒落をする余裕などなかったし、一度目では、愛されることのない側室が着飾っても虚しいだけだと思っていた。
二度目の今もその考えは変わらないが、そもそも、私が受け取っている品位維持費ではお洒落のしようなどないのだ。
(この先、私に茶会や夜会の招待状が届くことはないでしょうね。それなら、シンシア主催のこの茶会しか人脈を作る手段はない。だけど、この姿のままで茶会に行くのは、吊るし上げにしてくださいと言っているようなものよ)
茶会まで一週間を切っている。
(やるしかないわ。エルザ、覚悟を決めるのよ)
茶会に参加する旨の返事を書き、封をする。
それから、エミリーに声をかけた。
「エミリー、この手紙を出してきてほしいの。それから、一つ聞きたいことがあるんだけど……」
「何ですが? エルザ様」
「薬草や、変わった食材を売る店を知らないかしら?」
少し驚いた顔をしたエミリーは、すぐに目を輝かせて、
「とびきりいい店を知ってますよ!」
と答えたのだった。
次の日、午前中で仕事を終わらせた私は、エミリーと一緒に商店街が立ち並ぶ大通りへ繰り出した。
エミリーが案内してくれた店は、長い商店街の一番端にあった。
濃紺の三角屋根が可愛らしい小さな店。
看板には、『ロバートの植物店』と書かれている。
店の中に入ると、様々な草花が混じり合った何とも言えない香りがした。
棚の上には、乾燥させた草花や木の実が入ったガラス瓶が並んでいる。
「カモミールもカレンデュラもラベンダーもある! エミリー、素敵な店ね!」
興奮する私を見て、エミリーがにこりと微笑む。
私の唯一の趣味、それが植物だった。
植物に関する本を読み漁り、暇さえあれば庭師の仕事を見学していたが、令嬢の趣味として相応しくないと両親にいい顔はされなかった。
本当は研究者になりたかったが、ジェラルドとの結婚が決まっていた私にとって叶うはずのない夢だったのだ。
「エルザ様、実は、この店は私の父の店なんです」
そう話すエミリーの隣に、いつの間にか人の良さそうな中年の男性が立っている。
その中年の男性、エミリーの父親が深々と頭を下げた。
「エルザ様、いつも娘がお世話になっております」
「頭を上げて! 助けてもらっているのは私の方なんだから。ロバートさんとお呼びしても?」
「もちろんです。ところで、エルザ様は植物への造詣が深いとお見受けしました」
「ええ。子供の頃から植物が大好きなの。この店は本当に素敵だわ」
「ありがとうございます。この店に置いてあるのは、私が各地から集めたハーブや木の実なんですよ。定番のものから珍しいものまで取り揃えてあるのです」
にこにこしながらそう話すロバートの隣で、エミリーがやれやれという顔をしてため息をつく。
「エルザ様。この店は確かに品揃えは抜群にいいです。だけど、重大な問題があるんですよ」
「問題?」
「ご覧の通り、全く流行っていないってことです」
エミリーの言うように、私たち以外に客の姿はないし、客が入ってきそうな気配もない。
「こんなに素敵な店なのにもったいないわね……」
私の言葉に、ロバートは苦笑いし、エミリーはもう一度ため息をつくのだった。
軍資金は3ヶ月分の品位維持費。
その店で必要なものを買い揃えた私は、エミリーの案内で化粧品店に行きいくつか化粧品を購入し、貸衣装店で茶会当日に着るデイドレスと宝石の予約をした。
夜、コックが帰った後で厨房を使わせてもらい、今日買ってきた材料であるものを作る。
そして翌日。
「エミリー、後で入浴を手伝ってもらいたのだけど……」
そうお願いすると、「お任せ下さい!」と言って笑顔を見せるエミリー。
実家では一人で入浴するのが当たり前だったので、ハンバード邸に来てからもエミリーの手を煩わせることはなかったのだが、今日からは事情が違う。
「エミリー、これを髪に染み込ませてほしいの」
昨晩作ったものが入った小瓶を渡すと、エミリーは不思議そうにその小瓶を眺めた。
「エルザ様、これは何ですが?」
「これは髪を艷やかにする液体よ。ローズマリーとカモミール、セージとレモンの絞り汁で作ったの」
液体を髪に染み込ませてもらい、少し時間を置いてから洗い流す。
入浴の後は、エミリーに髪を乾かしてもらいながら顔の手入れをした。
ローズゼラニウムの葉と乾燥させた薔薇、精製水で作った化粧水を吹きかけて、カレンデュラオイルと蜜蝋で作った軟膏を塗る。
どちらも、ロバートの植物店で買った材料で私が作ったものだ。
そして翌朝。
「エルザ様、髪がつやつや! しかもお肌がプルプルです!」
長い間何の手入れもしていなかった髪と肌はあまりに状態が悪く、たった一日の手入れで目に見える効果が表れたようだ。
朝と晩の肌の手入れ、入浴時の髪の手入れを続けて数日が過ぎ、いよいよ茶会の当日になった。
エミリーに化粧とヘアセットをしてもらい、貸衣装店から借りた濃紺に銀の小花が刺繍されたデイドレスに身を包む。それから、同じく貸衣装店で借りたエメラルドのネックレスとイヤリングをつけた。
「エルザ様、まるで女神のように美しいです!」
エミリーはそんな風に言ってくれたが、お世辞なのはわかっている。
婚約者に地味で面白みがないと嫌われていた女が、少し手入れしたくらいで美女に変わることなどないのだ。
(だけどまぁ、今までに比べたら遥かにましになったわね)
「それじゃあ、エミリー、行ってくるわね!」
「エルザ様。ハンバード家に来てから初めての茶会、楽しんできてくださいね!」
こうして私は、エミリーに見送られながら茶会へと向かった。