純粋な言葉の重みに揺れる心
◉この小説には韓国語のセリフが出てきます。登場人物達の臨場感のある場面を想像してもらいたくて敢えて表記するようにしました。日本語訳を添えておりますので、読みにくいかとは思いますが、予めご了承くださいますと幸いです。
冬香が去った後、サクマはドアをの鍵を閉めて手紙に目を向けてみた。
(……長い。)
一瞬にして面倒になり、一度は手紙を机に放り投げたものの、去り際の彼女の深いお辞儀と小さな笑顔が頭を過ぎる。
「아… 진짜…」
(あー…もう…。)
結局、溜息をつきながら再びそれを手に取った。
漢字も入り混じっているので読むのには時間がかかりそうだ。
サクマは携帯電話を取りだして、分からない漢字を調べながら少しずつ読んでいく。
──────────
ここは、あなたのお家だったのですね。
失礼な勘違いをしてしまって、本当にごめんなさい。
“誰にも話さないで“と聞いて、無断でこの家に住んでるかもしれないと思ってしまったんです。
もしそうだとしたら、ここには管理人がいるだろうから、あなたはいつか警察に捕まってしまうかもしれない。
そう思って心配で来てしまったんです。
ごめんなさい。
でも、勘違いで良かった。
このことを誰にも話すつもりはありません。
あなたが困るようなことはしたくないから。
私は1年くらい前から失語症を患っています。
たくさんリハビリを頑張ってるけど、なかなか治りません。
恥ずかしながら、お見舞いに来てくれる人も、応援して支えてくれるような人も、私の退院を待ってる人も誰もいないから、だんだん一人で頑張っても意味ない気がしてきちゃって。
こうして文字を書いて相手に読んでもらうのも、迷惑だろうなってずっと申し訳なくて。
先日は、あなたの言う通り、ここに死にに来ていました。
だけど、あなたを幽霊だと勘違いしてしまって、おかしいですけど、それで踏みとどまったんです。
私も死んだら、あんな風になるのかと考えてしまって…。
でもあなたは生きていた。
この小屋の中で生活しているあなたを見て、本当に安心したんです。
それだけじゃない、あなたは凍え死にそうだった私を助けてくれた。
だから、私はあなたにとても感謝をしています。
本当にありがとうございました。
あなたのおかげで、もう少し生きてみようと思いました。
リハビリも、もう少し頑張ってみます。
突然来てしまって、たくさん迷惑をかけてごめんなさい。
これだけはどうしても伝えたかった。
私のことを救ってくれて、本当にありがとう。
──────────
気付けば、外は真っ暗。
サクマはソファの上で冬香の手紙を何度も読み返していた。
その文字から感じ取れるのは、彼女の心の底からの感謝と純粋な気持ちだ。
「……왜 이렇게 진지해?」
(……なんで、こんなに真面目なんだ。)
彼はぼそりと呟き、手紙を机に置く。
だが、彼の視線は手紙から離れない。
手紙には、彼女が自殺未遂であったこと、失語症を患っていること、そして彼に対する感謝の気持ちがしっかりと書かれていた。
「자기 일로도 벅차야 할 텐데… 나한테 감사할 여유가 있을까?」
(自分のことで精一杯なはずなのに…、俺に感謝する余裕があるのか。)
サクマは苦笑いを浮かべながら、少し自嘲気味に首を振った。
彼がこれまでに出会ってきた人間は、皆どこか裏があり、計算で動いているものだと考えていた。
あの場で書いて見せたこの長文には、それが一切ないように見える。
彼女の言葉はまっすぐで、何の裏表もない。
そのことが、彼を一番戸惑わせた。
(誰もお見舞いに来ないって…本当に誰もいないのか?)
彼女の孤独が、手紙の言葉からひしひしと伝わってくる。
それが不意に彼の胸に響いた。
自分もまた、長い間孤独だった。
誰にも心を開けず、ただ任務をこなす毎日。
冬香の境遇と、どこか重なる部分があることに気づいた。
(一番支えて欲しい時に、周りに誰もいなかったのか…。)
自分はそれが当たり前だと思っていたが、境遇の違う彼女にとってどれだけそれが苦痛であるかを、何となく感じ取る。
(……“迷惑をかけてごめんなさい“、か。)
彼女の素直な謝罪の言葉。
自分に感謝し、謝り、さらに自分の存在を誰にも話さないと言う。
まるで、自分を守ろうとさえしているかのようだった。
サクマはソファに深くもたれかかり、天井を見上げた。
(…いや、これで終わりにするべきだ。
何もしてやる義務なんかない。)
頭の中ではそう言い聞かせていたが、何かが引っかかる。
それは、彼女の「ありがとう」という言葉だった。
自分が人に感謝されることなど、今までほとんどなかったはずなのに。
縁のない言葉だったはずなのに。
この言葉はどうして、こんなに心に残るのか。
「……감사 같은 거, 쉽게 말하는 게 아니야.」
(……感謝なんて、簡単に言うもんじゃない。)
彼は軽く頭をかきながら立ち上がる。
いつもなら、冷静に割り切って関わらないようにするのに、今回はなぜかそうもいかない。
「내가 그녀를 도와줬다고, 감사하고 있어…? 그런 것으로 쉽게 살아가는 의미를 찾을 수 있다면, 세상은 훨씬 더 쉬운 거야.」
(俺が彼女を助けたから、感謝してる……?
そんなことで簡単に生きる意味を見つけられるなら、世の中もっと楽なもんだ。)
ドヒョンは言葉にしながらも、自分に言い聞かせるようにしていた。
だが、その言葉とは裏腹に、手は勝手にコートを手に取り、足は玄関へと向かっていた。
「아니, 아니… 나는 도대체 뭐 하러…」
(いやいや…、俺は何をしに…。)
そう言いながら、彼は足を止めて再び冷静になろうと頭を小さく揺さぶり手で抱えた。
考えれば考えるほど、彼女の言葉が彼の中で、かすかな変化を生んでいた。
ーー自分が救った命。
その重みが、彼に行動を促しているのだと、彼はようやく気づいた。
「……정말 귀찮네.」
(……本当に面倒だな。)
手紙の一文が頭に浮かぶ。
“あなたのおかげで、もう少し生きてみようと思いました。“
彼はその言葉に、無言のまま深く息を吐いた。
自分が与えた影響を、軽く見積もっていたことに気づいたのだ。
彼女が感じた「生きる意味」。
それは決して彼女の独りよがりではなく、自分が無意識に彼女に与えたものなのかもしれない。
「……저 사람, 지금도 혼자서 재활을 하고 있는 걸까…?」
(……あいつ、今も一人でリハビリを…?)
なんとなく、彼女が一人で病室のベッドに座り、寂しく佇んでいる姿を想像する。
その姿は、かつて自分が幼い頃、まだ両親を亡くしたばかりの時の寂しげな佇まいに似ているようだった。
彼はあの時の自分と重ね、ただ、彼女が哀れに思えた。
「감사라… 그렇게 쉽게 할 수 있는 게 아니야.」
(感謝か……そんなに簡単じゃないんだぞ。)
そう呟きながらも、彼は手紙を見つめ続ける。
そうして一晩中、病院へと急ごうとする足を、必死にその場所へ留めていた。
◉この物語に登場する人物、組織団体、その他地域施設などは全てフィクションで架空のものです。
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