第一話:エピローグ
◉この小説には韓国語のセリフが出てきます。登場人物達の臨場感のある場面を想像してもらいたくて敢えて表記するようにしました。日本語訳を添えておりますので、読みにくいかとは思いますが、予めご了承くださいますと幸いです。
ー1年前。
カマタの依頼を終えたあと、2日後にターゲットが無事下半身未遂で入院していると聞いた。
暴走した盗難車のフロント部分がタクシーの運転席側にのめり込み、カマタの下半身は修復不可能なほどに砕けていたらしい。
カマタにはいくつも余罪があったので、この事故をきっかけに警察の捜査が入り、どうも事故当時も何かを企んでいた現行犯だったということで、本人の意識が戻った後に病院で緊急逮捕となった。
今回も、無理やりではあったが完璧にやった。
そう、思っていた。
ーヴーッ、ヴーッ。
翌日。
いつものように、廃屋で深夜の調査に向かう支度をしていると、携帯電話がポケットの中で震える。
仕事の電話か、最近特に人使いが荒いな。
そんなことを思いながら画面を開いてみると、相手はやはり雇い主のジョンウさんだった。
昨日カマタが捕まってくれたおかげで、ようやくリスクの高い案件がひとつ片付いたというのに、よくもそんなに消したい人間が次から次へと湧くもんだ。
「…여보세요?」
(…もしもし。)
俺は小さく溜息を吐きながら、軽い気持ちでその電話に出た。
だがーー、
《…지금 어디야?》
(…今どこにいる。)
ジョンウさんの声は、どこか怒りに満ちたように静かだった。
いつもと違う雰囲気に少し動揺しながら、俺は聞かれたことにだけ答える。
「폐가…인데요…」
(廃屋…ですが…。)
すかさず、ジョンウさんは俺に尋問を始めた。
《너, 상황 파악하고 있냐?》
(お前、状況は把握してるのか?)
「뭔 말씀이신지...」
(何のことです…?)
突如として、嫌な予感が全身を駆け抜ける。
ジョンウさんの言葉を待つ時間が、あまりにも長く感じた。
しかし、彼が次に発した言葉は、俺の心臓を大きく震わせるものだった。
《왜 민간인이 끌어들여졌냐? 설명해라.》
(なぜ民間人が巻き込まれているんだ? 説明しろ。)
一瞬耳を疑い、時が止まる。
「말려들…었다고…?」
(巻き込まれた…?)
心当たりのない叱責に、理解が追い付かない。
一体いつ?なんの依頼の時だ?
俺の存在を知った民間人がいるのか?
“巻き込まれた”って何なんだ?
頭の中が数々の恐ろしい疑問で膨らんでいく中、ジョンウさんの声が耳元で低く響いた。
《…가마타 택시에는 승객이 타고 있었다.》
(…カマタのタクシーには客が乗っていた。)
耳が詰まったように、電話口の声以外、何も音が聞こえない。
だんだん呼吸がしづらくなる。
《승객을 태운 카마타의 택시로, 네 도난차가 들이받은 거다…!》
(客を乗せたカマタのタクシーに、お前の盗難車が突っ込んだんだ…!)
そんなわけない。
だって、人なんて乗っていなかったじゃないか。
後ろの席にも、助手席にも、車内にはカマタ以外誰もいなかっただろ?
「그럴리가… 있을 리 없어… 그 전에 그런 정보 없었잖아…!」
(そんな…ありえない…、やる前はそんな情報なかったはずだ…!)
《있을 리 없어...?》
(ありえないだと…?)
ジョンウさんは鼻で笑いながら俺の無様な言葉を繰り返し、怒りに声を震わせながら静かに語気を荒げていく。
《병원에는 카마타만 있지 않고, 승객의 여자도 함께 실려 갔어...!》
(病院にはカマタだけじゃない、客の女も一緒に運ばれているんだぞ!)
病院...。
ああ、本当に…、
本当に、巻き込んでしまっていたのか。
俺が気付かなかったせいで...。
何の罪もない人を、こんな事で...。
言葉を失っている俺に、ジョンウさんは再び問いただす。
《...뒷좌석까지 확실히 봤냐? 가까이에서 제대로 확인했냐?》
(...後部座席までしっかり見たのか? 近くでちゃんと確認したか?)
そんな当たり前のことを聞かれて、つい俺も頭にきて反論してしまった。
「봤을 리가 없겠어…! 아니, 급해서 가까이서 확인은 못 했지만… 적어도 승객이 타고 있는 모습은 없었어…!」
(見たに決まってるでしょう…! いや、急いでいたので近くでは確認できてませんが…でも少なくとも客が乗ってる様子なんてなかった…!)
その時ふと、当時の状況が脳内を過る。
俺がタクシーに狙いを定める直前、カマタの見張りとすれ違ったことを思い出した。
「그 놈... 그 하급자가...!」
(あいつ…あの下っ端が…!)
《뭐야...? 하급자?》
(なんだ…? 下っ端?)
「카마타를 지켜보고 있던 놈이 있었을 거야! 그놈은 뭐라고 말하는 거지...!?」
(カマタを見張ってたやつが居たはずだ!あいつはなんと言ってるんです…!?)
焦る俺に、ジョンウさんはあきれたように深く息を吐いた。
それでも俺は少しでも事実から逃れたくて、必死に口を動かす。
「계속 지켜보고 있었으니까 승객이 택시 안에 있었던 거 정도는 알았을 텐데...!」
(ずっと見張ってたんだから客がタクシーにいたことくらい分かってるはず...!)
《서 도현!!》
(ソ・ドヒョン!!)
ジョンウさんは突然、その名前を口にした。
それまで頭を巡っていた疑念や焦りが、すべて真っ白になっていく。
沈黙とともに、ただ、ジョンウさんの苛立った呼吸音だけが聞こえていた。
「......이럴 때만…그렇게 부르는 거냐...?」
(……こんな時だけ、そう呼ぶのか…。)
俺は思わず小さく呟く。
彼がそうやって俺の本当の名前を呼んだのは、本当に…、久しぶりだったから。
こんな風に、呼ばれたくなかった。
そんな俺のことはつゆ知らず、ジョンウさんはただひたすら感情的に怒鳴り続ける。
《…今のお前が何をどう言っても、ただのくだらない言い訳でしかないんだ!
結果的にお前がやったことは、組織の信頼を覆す致命的な“失敗”だったんだよ!!》
次々とジョンウさんの声が突き刺さる。
全ての言葉の鋭い痛みが、ショックを受けた俺の胸の奥に広がった。
“失敗”…? 俺が?
今まで一度も許されなかった言葉が、今、目の前で突きつけられる。
完璧じゃなければならない。
ずっとそうやって生きてきた。それが俺の役目であり、存在理由だった。
それが…崩れた。
頭の中が混乱する。
言い訳なんかした覚えはない。
けど、何を言ったところで言い逃れだと分かっている。
失敗は失敗だから。
後部座席を、ちゃんと近くで確認すれば良かったんだ。
紛れもなく…俺の責任だ。
ジョンウの言葉が正しいのは分かってる…だけど、胸の奥に突き刺さる痛みは、叱責の言葉よりもっと深いところにある。
――民間人が、巻き込まれていた。
その事実が、心臓に重くのしかかる。
何の罪もない人間が、俺のせいで危険に晒された。
意図してそうなったわけじゃない。
それでも、俺の行動が引き金になったことは間違いない。
何も悪くない誰かを巻き込むために、こんなことしてるわけじゃないのに。
こんなはずじゃなかった。
手が震える。指先が冷たい。俺が――俺がやってしまったんだ。
崩れ落ちそうになる足を踏みとどめようとするが、力が入らない。
ふと膝が地に触れる。
ジョンウの声がまだ響いている。
けれど、それも遠い。
心の中に、どんどん広がる空虚さが、全てを飲み込んでいく。
「나는… 뭘 해버린 거지…」
(俺は…何をしてしまったんだ…。)
呟きが漏れる。
自分でも聞き取れないほど小さな声だ。
胸が重い。
自己嫌悪が、じわじわと広がっていく。
完璧を求められてきた俺が、誰よりも大事にしてきたものが、このたった一度の“失敗”で、全部崩れ去っていく。
とうとう俺は、無差別に誰かの命を奪おうとしてしまっていたのだ。
◉この物語に登場する人物、組織団体、その他地域施設などは全てフィクションで架空のものです。
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