凍える朝
◉この小説には韓国語のセリフが出てきます。登場人物達の臨場感のある場面を想像してもらいたくて敢えて表記するようにしました。日本語訳を添えておりますので、読みにくいかとは思いますが、予めご了承くださいますと幸いです。
小さな廃屋の中、サクマは柔らかいソファーベッドの上で寝返り、目を覚ました。
熟睡をしたつもりが、まだ疲れが癒えてないように感じる。
日が出る少し前、青空がやや薄ら明るい窓の外を眺めながら、ふと、深夜のことを思い出す。
“あなたは?”
小さなメモ帳を震える手で持つ、今にも泣きそうな女性。
サクマは頭を抱えた。
「하… 왜 얽혀버린 거지… 진짜…」
(はぁ…なんで関わってしまったんだ…もう…。)
たとえ、死にたがってる人間が相手だからといって、いちヤクザの雇われをやっている陰の男が、そのままの姿で彼女に会うのはあまりに不用心すぎた。
“あの人”と雰囲気が似てたからといって、やっていい事じゃない。
「괜찮아… 어두워서 못 봤을 거야.」
(大丈夫…暗かったから見えてないはず。)
自分に言い聞かせるように小さく呟いて、ようやく重たい体を起き上がらせた。
廃屋にはひと通り必要なものを揃えてある。
寝床になるソファーベッド、テーブル、椅子、ガスコンロ、シンク、小さな冷蔵庫、そしてインスタントコーヒーとマグカップ。
その日も疲れて冴えない頭を無理やり覚ますため、熱いコーヒーを少しずつ冷ましながら口に運ぶ。
暖房もあるが、基本使うことは無い。
どうせ寝に帰るか仕事で使う小屋。
サクマはシンクのそばにある地下道への隠し扉を見つめながら、今日もまた組織の捨て駒であることを自負していた。
(さむい…。)
コーヒーを飲み終えると、一段と冷え込む部屋の中で厚手の上着を羽織る。
外の様子を伺うために、いつものように防犯スイッチを消して玄関となる扉を開けた。
(外は一段と冷えるな…。)
冷たい空気が首筋を通り、喉や鼻に刺さりこんでいく。
思わず首元まであったタートルネックを顎が隠れるまでに引き上げ、数歩歩いたところで視界の端の何かに気付き、立ち止まる。
「………?」
横たわる人の足が見え、徐々に視線を奥にやると、廃屋のすぐ側で、枯れた枝葉に塗れた人が倒れていた。
(……何だ…?)
慎重に覗き込んでみると、その人が深夜に会った女性だった事に気付く。
彼女は先程と同じ服装で、倒れている姿はまるで一晩中この森の中で不本意に放置されたように見えた。
気温の低い中、防寒具もなくこの森の中で一晩過ごしたとなると、低体温症で死んでいてもおかしくない。
サクマはゆっくりと様子を伺いながら彼女の側に立ち寄り、声をかけてみた。
「………야 (おい。)」
手や顔は青白く、唇は紫色になっているその姿に、少しだけ緊張が走る。
指先ひとつ動かない。
“一般人”の死に直面するのは久しく、彼女の姿を見て思わず目を逸らしてしまった、その時だった。
カサッ…
サクマの呼び声に遅れて反応し、彼女は微かに腕を動かした。
サクマはその音が聞こえた瞬時に屈んで、もう一度顔の近くで呼びかける。
「…生きてますか?」
彼女は相変わらず声を出さないが、ゆっくりと首を下に動かす動作を見て、サクマは一瞬迷いに手を震わせた。
(どうする…助けるか…?
おそらくさっきは死のうとしてた。
…助けても良いのか?)
今にも彼女の息は消えかかっている。
(でももし…また、助けることが出来なかったら…?)
彼女に伸ばしかけた自分の手が、子供の頃の過ちを繰り返しそうで、躊躇してしまう。
幼い頃、助けられなかった大切な人の最期と同じように、また目の前で見なくてはいけないのか。
そう、再び彼女の顔を見下ろした時、夢に出たあの女性の顔が彼女の顔と重なる。
《大丈夫、私が助けてあげるから》
あの記憶の中での温かくて優しい声が蘇ると共に、女性の眉が、ほんの少しだけ苦しそうに動くのが見えた。
その瞬間、サクマは素早く彼女の体を抱きかかえ、無言で廃屋内へと戻った。
何がなんでも、助けないと。
かつての記憶が、サクマをそうつき動かしたのだ。
手のひらに伝わる冷たさが、思考を許さない。彼の動きは無駄がなく、すぐにでも処置を始めるかのようだった。
女性の冷えきった体を温めるように、自分のソファーベッドに寝かせて部屋にあるだけの毛布全部を被せる。
「…이건 부족해.」
(…だめだ、足りない。)
普段滅多に使わないストーブをつけて彼女の近くに置き、水を沸騰させ湯たんぽを毛布の中で足元に密着させたところで、足に触れるサクマ温かい指先に気が付いた女性が少しだけ口を開いた。
「………う…、」
とても小さく乾燥した声で、ゆっくりと瞼を開けた彼女に、サクマは僅かに安堵の息を漏らす。
彼女の近くへ腰を下ろし、小さな声で話しかけてみた。
「…こんなに寒いカッコで…凍え死にますよ。」
「あ……う…。」
サクマの声はしっかりと聞こえているようで、彼女はそれに反応するように頭を小さく揺すった。
サクマは呆れたように溜息をつく。
「はぁ…やっぱり、死のうとしてたんですね。
なんでここに居たんですか?
あの後、僕を追ってきたんですか?」
女性は手に握りしめた小さなメモ帳を、力なく震える手で差し出した。
ずっとその手に持っていたであろうメモ帳は、土がついて汚れてしまっている。
サクマはメモ帳を受け取り、軽く汚れを叩いてからその字に目を通す。
“ゆうれいだとおもった
いきてるひとでよかった“
寒さに震えるような字で書かれていたのは意外にも呑気な言葉で、サクマはきょとんとする。
「……………ゆーれい?
……귀신인가?」 (…幽霊のことか?)
首を傾げてふと彼女を見ると、いつの間にか静かに眠りについていた。
つい先程とは違い穏やかな顔で眠っている女性に、サクマは納得したように呟いた。
「… 그래서 그렇게 겁먹은 거였구나…」
(…だから、あんなに怯えてたのか…。)
少しずつ赤色に戻りつつある彼女の唇を見て、目の前で“一般人”が死ぬのを避けられたことを悟り、サクマは立ち上がって今の状況に眉をひそめる。
「젠장…, 이 장소는 누구에게도 들켜서는 안 되는데…」
(しまったな…、この場所は誰にもバレてはいけないのに…。)
そうボヤきながら、女性の手首に付いている薄ピンク色のネームバンドが目に付いて、再び彼女の顔を見つめるサクマ。
ネームバンドには、病院名と彼女の名前が書いてあった。
《風南市立病院 患者:山本 冬香》
「…목숨을 건졌구나, 너.」
(…命拾いしたな、お前。)
漢字の上に小さく書かれたふりがなを見た瞬間
、何かが胸を突いた。
サクマは顔をしかめながらも、彼女の名前を口にする。
「やまもと…ふゆか…。」
彼は冬香という女性の眠った姿を、無表情で暫く見下ろし眺めていた。
◉この物語に登場する人物、組織団体、その他地域施設などは全てフィクションで架空のものです。
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