1年前
◉この小説には韓国語のセリフが出てきます。登場人物達の臨場感のある場面を想像してもらいたくて敢えて表記するようにしました。日本語訳を添えておりますので、読みにくいかとは思いますが、予めご了承くださいますと幸いです。
ー少し肌寒さを感じる、ある日の夜。
サクマは仕事の依頼を遂行するため、中華街裏の人気のない路地を歩いていた。
耳に装着した小さなイヤホンマイク越しに、次の依頼内容について話す雇い主の男の声を、無言で聴いている。
《カマタ キヨノリ、48歳。
タクシー運転手をやってる。今勤務中だ。
顔は写真送ったから分かるな?
コイツの噂はお前も聞いたことあるだろ。
裏で中国人客に売春を斡旋してて、最近は家出した子供にも手を出してる。
ヤツを下半身不随にしてほしいらしい。
次の取引前に、奴に二度と他所のシマで商売できないよう警告を与えるんだ。》
一通り説明をし終えたあと、男は黙ったままのサクマに尋ねた。
《하...어떻게 처리할 거야?》
(はあ…どうやってこなすつもりだ?)
サクマはその声に耳を傾けながら、慣れた手つきで黒革の手袋に指を通す。
「그냥 현장에서 처리할 겁니다. 급해서요.」
(普通に現場で処理します。急いでるので。)
相変わらず声色ひとつ変えない無愛想なサクマに、男は冷静な声でもう一度今回の依頼内容を易しく唱える。
《클라이언트는 오늘 밤 안에 타겟의 하반신 마비를 원하고, 그 타겟은 지금 야간 근무 중이야.》
(“クライアント様”は今夜中にターゲットの下半身不随を望んでいて、そのターゲットは今、夜勤中なんだぞ。)
そんな男のことはお構い無しに、サクマは路肩の隅の方で身を潜めるように停まっている古いセダンを物色していた。
ガソリンは入っているようだ。
「그런가 보네요.」
(そうみたいですね。)
まるで他人事のようなサクマの相槌が、男を余計に苛立たせていく。
《알고 있냐? 뭔가 실수라도 하면, 지금까지 조직에서 쌓아온 신뢰가 물거품이 되는 거야.》
(分かってるのか? 何かしくじったりしたら、これまで組織に築いてきた信用が無駄になるんだぞ。)
車にドライブレコーダーがないことを確認したサクマは、「クラウンか…」と呟いて運転席に乗り込み、落ち着いた声で男を宥めるように応えた。
「카마타는 택시 기사죠? 시간도 없고, 운전 중을 노려야 할 거예요.」
(カマタはタクシー運転手ですよね? 時間もないし、運転中を狙うべきかと。)
そう言いながら車内に放置されたゴミや服を後部座席に放り投げていると、助手席の足元に鉄の工具箱を見つける。
(…ラッキーだな。)
サクマは重たい工具箱を助手席に置いて、刺さったままのキーを回し、無灯火でターゲットが居るすぐ近くの繁華街の裏路地へと向かった。
《그럼 어떻게 할 건데, 설명해봐.》
(じゃあどうやるんだ、説明してみろ。)
男は焦っていた。
近頃、依頼の頻度が多くなり内容も前より難しく厳しいものになってきている。
今回も、土壇場でこなすには失敗する確率が高い案件だった。
サクマとその雇い主である男にとって、10年以上交友が続いている裏組織「多川会」の信頼を失うことは、今後の人生に大きな損失をもたらす。
下手をすれば、こちら側の組織の壊滅も免れない。
その手綱を、今サクマが握っているからには、彼の意図を把握しなくては気が済まなかった。
それでもサクマは何ら気にせず、車を運転しながらいつもと同じく淡々と口を開く。
「전에 이 근처 차이나타운에서 도난차를 발견해 놓았었습니다.」
(前にこの辺の中華街で盗難車を見つけてたんです。)
《도난차?》
(盗難車?)
「네, 이번 현장이 가까워서 이 차를 쓸 겁니다. 거리만 맞추면 문제없어요.」
(はい、今回は現場が近いのでこの車を使います。距離さえ間違えなければ死にはしません。)
男が少し黙ったあと、納得したような溜息を吐く音が聞こえた。
《…발자국 남지 않겠지?》
(…足はつかないだろうな?)
丁度その頃、繁華街裏の暗い路地に差しかかり、道沿いの少し遠くの方でカマタのタクシーがこちらを向いて停車しているのが見えてきた。
ひとまず様子を伺うと、道路脇からカマタの見張り役をしていた人間がすれ違いざまにサクマへ目線を向ける。
「하급자네…」
(下っ端だな…)
低く呟いたサクマの声に、通話相手の男が即座に反応した。
《뭐라고?》
(何だと?)
「아무것도 아니에요.」
(何でもないです。)
サクマはその場でカマタのタクシーと向かい合うように車を停め、暗がりの中で冷静に現場の状況を確認し始める。
「카마타는 중국인과 거래했죠. 이 차도 차이나타운에서 봤던 차입니다. 다카와 회인 걸 알릴 일은 없어요.」
(カマタは中国人の連中と取引がありました。この車も中華街でみかけた車です。多川会の仕業とはバレないはず。)
《…민간인은?》
(…民間人は?)
「없습니다. 택시는 빈 차 표시등이 켜져 있고, 보기에 손님이 타고 있는 기미도 없습니다.」
(いません。タクシーは空車ランプがついてますし、見たところ客が乗ってる気配もないです。)
男は腹を括ったように再び溜息をつく。
《…알았다, 끝나면 연락해.》
(…わかった、終わったら連絡しろ。)
「네.」
(はい。)
通話を切った後、サクマは周囲を見渡す。
幸い、ちょうど人気がなく監視カメラはどこにもついていない。
サクマはタクシーの近くにある狭い路地の入口を通って繁華街に抜け、民間人に紛れ込む計算を企てた。
タクシーの中では、運転手の男が電話をしている。
依頼と一緒に送られてきた写真と同じ顔、カマタで間違いなかった。
「…안심해. 앞으로도 전화 정도는 할 수 있을 테니까.」
(…安心しろ、これからも電話くらいは出来る。)
サクマはブレーキを踏んでギアに手を伸ばし、ゆっくりとドライブへと動かしていく。
「지금보다 조금 불편해질 뿐이야.」
(少しだけ今より不自由になるだけだ。)
カマタが携帯電話をしまい、タクシーのエンジンをかける。
サクマは助手席の工具箱の重みを感じながら片手に抱え、ブレーキを踏んだままもう片方の手でドアノブを握った。
タクシーのエンジン音が発進する音に変わったその瞬間、咄嗟に車を飛び出し工具箱を勢いよくアクセルペダルに押し込んだ。
突如フルスロットルで走り始めた盗難車は、こちらに向かってきていたタクシーへと勢いよく突っ込んでいく。
「…うわあっ!!やめろっ…来るなあぁ…!!」
けたたましい男の叫び声が微かに聞こえたほんの少し後、車同士が壮絶にぶつかり合う激しい音が響き渡った。
鳴りっぱなしのクラクションと、エアバッグが作動して起こる警告音が煩く、つい足早にその場を去りたい衝動に駆られる。
自分が引き起こした光景を横目に、狭い路地を潜って繁華街に抜けるサクマ。
「……끝났어요.」
(……終わりました。)
男に電話をして、サクマは夜の街へ消えていった。
ー2日後。
カマタが下半身不随で入院したと知らせが届き、この仕事は完璧に遂行されたと思っていた。
さらに翌日、あのタクシーにカマタだけでなく、無関係の民間人も乗っていたと知らされるまでは。
9年間、冷徹な人間を優秀に演じていた彼の心に、初めての黒い影が落ちたのだ。
◉この物語に登場する人物、組織団体、その他地域施設などは全てフィクションで架空のものです。
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