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悪縁の顛末  作者: muniko
第四話
21/29

笑顔の裏には

◉この小説には韓国語のセリフが出てきます。登場人物達の臨場感のある場面を想像してもらいたくて敢えて表記するようにしました。日本語訳を添えておりますので、読みにくいかとは思いますが、予めご了承くださいますと幸いです。



車で変装を済ませたサクマは、病棟のエントランスを抜けてエレベーターに乗り込む。


周りに田島らしき医者がいないか、携帯の画面に映し出される顔写真を見ながら歩いていたが、今のところ居なさそうだ。


田島の動向を探り、あわよくば彼が冬香に何か悪さをしないかを監視するため、サクマはこれから頻繁にこの病棟へ出入りすることになる。


(まずは彼女の所だ。)


メガネをスっと整えて、開いたエレベーターを颯爽に飛び出し、冬香のいる病室へと急いだ。


看護師たちの朝の慌ただしさを感じながら病室の前まで辿り着くと、中から男の話し声が聞こえてきた。

サクマは慌てて扉の裏に身を隠し、そろりと中を覗き込む。


そこには、白衣を着た男が右奥のベッドで、優しげな笑みを見せている光景があった。


(なんだ…?彼女のベッドにいるぞ…。)


サクマは嫌な予感がして、男の顔をしっかりと確認する。


(……田島…!)


その男こそ、“流し”の仕入先となる医師ーー田島修二だった。


(まさか…彼女の主治医か…?)


若手の外科医として名の知られたこの男が、冬香の担当医だという事実は、サクマにとっては偶然であり、同時に不運だ。


田島は完璧に笑顔を作りながら、何やら優しく声をかけている。


一見爽やかで、エリート風吹かせた人当たりの良さそうな好青年だが、その甘い笑顔の裏には誰も知らない狂気的な一面を持っていることを、今この病院で唯一知っているのはサクマだけだ。


「하필이면… 왜 그 자식이야…」

(よりによって…なんでアイツなんだよ。)


呟く声は低く、苛立ちを帯びていた。

臓器売買に協力するような人間が、大切な人のすぐそばにいる。

それを思うだけで、サクマの背中には冷たい汗が滲む。


「はは…、そうでしたか…。」


断片的にしか聞こえないが、時折、田島の小さな談笑が外まで響いてくる。


(…筆談で何を盛り上がってるんだ。)


気になったサクマは、少しずつ身を乗り出し、冬香の顔が見える位置まで出てきていた。

見たところ、彼女も笑っているようだ。


しかし、その二人の距離の近さに、サクマは思わず眉を顰める。

ベッドに座る冬香に寄り添うように、すぐ隣へ腰掛けて顔を向き合わせる二人。


「뭐, 뭐야, 거리감이 이상하잖아…」

(な、なんだ、距離感がおかしいぞ…。)


その様子を、サクマは目を丸くしてじっと見ていた。

すると今度は、田島が腰掛けていた位置をずらして少しずつ冬香に近づいていく。


その瞬間、田島は手を伸ばして彼女の額に手を添えた。

瞬時にサクマの身体が反応し、一瞬病室の中へと飛び込みそうになった。


「야, 야, 야…쉽게 손대고 있네… 개같은 의사놈이…!」

(ちょっ…おい…簡単に触れやがって…クソ医者が…!)


歯を食いしばって漏れ出る声を抑えるも、扉に添えている手には、血管が浮き出るくらいの力が込められている。


田島はまるで親しげに接しているようだが、冬香の顔色は、笑っているもののどこか困ったような表情をしている。

引き攣る顔で、近づく田島から少しずつ仰け反っているかのようだった。


それを見た途端に、サクマの頭の中で何かが弾けたような音が鳴る。


「저 자식… 죽여버리겠어…」

(あの野郎…ぶっ殺してやる…。)


そんなこと現実的には許されないが、居てもたってもいられなくなったサクマは、とうとう中へ足を踏み入れて、二人の後ろへと近づいていく。

先に足音に気づいたのは冬香だった。


サクマの顔を見て、嬉しさとホッとした安堵がいりまじったような表情を見せている。

それに対して、サクマも小さく笑みを見せた。


しかし、彼の心中は修羅のように荒れていた。

隣に立ちはだかる医師、田島に視線を向けると、あからさまに冷酷な目付きになってしまう。


そんなサクマに気付いた田島は、立ち上がって穏やかな笑顔で会釈をした。


「おはようございます、あなたが“ユンさん”ですか?」


田島が目付け役のことをどこまで知ってるのか分からなかったが、ひとまずサクマは「ユン」を演じることに集中した。


「…ハイ。」


「やっぱり!山本さんからお話伺ってたんですよ。

改めて、医師として感謝いたします。

患者の人命救助していただき、本当にありがとうございました。」


にこやかに頭を下げる田島の胸元から、ぶら下がっている名札に目をやり、サクマはわざとらしくその名前を呟く。


「たじま…しゅーじ…センセイ?」


彼が名前を発した途端、田島は一瞬動揺したような表情を見せ、すぐにまた笑顔へと戻っていた。


「…はい、山本さんの主治医をしております、田島です。

もう何度かお見舞いに来られてるそうで…リハビリのモチベーションに繋がるので、無理でなければ是非今後もお越しください。」


屈託のない顔でそう言う田島を、サクマは鋭い眼光を覗かせて睨みつける。


「そうですネ…、また来マス。

たぶん…そのときには、センセイにも会うでしょう。」


そこまで言うと、田島はようやく全てを察したように、フッと笑って小さく何度も頷いた。


「その時を楽しみにしてますよ。

…では、私は次の回診に行きます。

邪魔者は消えますから、ごゆっくりどうぞ、“ユンさん”。」


彼はイタズラっぽく笑って、白衣のポケットに手を突っ込みながら病室を出ていった。


「하… 제대로 감시자라는 걸 눈치챘네.」

(はぁ…ちゃんと監視役だと気付いたな。)


サクマの存在を田島が認知し、ようやく目付けの準備が整う。

目的通り、冬香から田島を離すことも成功した。

苛立っていたサクマも、少しずつ冷静さを取り戻していく。

すると今度は、モヤモヤとした黒雲のような感覚が脳裏を過ぎる。


ーー認めたくは無いが、田島は眉目秀麗でこの病院でも人気の外科医だ。

腕も確かで人望も厚い。

裏で悪事を働いていても、表向きは人々に好かれている魅力的な人間。

あの余裕の態度も気に食わないものの、こんなに短気な自分と比べて、どちらの方が良いかなんて一目瞭然だろうーー。


頭ではそう分かってはいるが、彼はどうしても田島を冬香の元から引き剥がしたかった。

勿論、彼が危険な医者だからという理由もある。

冬香が田島に心を許してしまっては、彼女が臓器摘出のターゲットになりかねない。


しかし、理由はそれだけではなかった。


サクマはゆっくりと、顔だけ冬香の方へと向ける。

彼はどこか気まずそうな表情で、じっと見つめる彼女の目線に目を合わすことが出来ない。


そのとき、サクマはようやく自覚した。

自分が何故こんなにも腹が立っているのか。

何故、こんなにも田島に嫌悪が湧くのか。


ーー簡単だ。

本当に、自分でも情けないと思う。


初めて憶えた“嫉妬心”。


その一時の感情に、自分がこんなにも翻弄されてしまうなんて知らなかった。

それでも、奴が簡単に彼女の顔に触れて、それで困ってる彼女を見たら、耐えられなかったんだ。

彼女の嫌がることをしている田島が、許せなかった。


でも、もし彼女がそれを喜んで受け入れていたなら、俺はどうなっていただろう。

想像するだけで、胸が痛くなるーー。


なかなか目を合わせないサクマに、冬香は段々と不安を抱き始める。

先程繰り広げられた、主治医との短くも意味深な会話から、彼が何か嫌な思いをしてしまったのかと考えていた。


コンコン…。


控えめに机を叩いて、冬香は自分の方へと注目を呼びかける。


ーー彼はきっと、今日もお見舞いに来てくれたはず。

お医者さんがいて気まずかったかな…ーー。


考えてもよく分からないので、冬香はとりあえず、筆談用の手帳を開いて、たった今気がついたことを書き始めた。

彼女は驚いたような表情をして、そのページを掲げる。


“なまえ かんじだったのに すぐよめたね すごい

わたし いままで「たじま」さんなのか

「たしま」さんなのか ずっと わからなかった”


その呑気な文章を横目に読んだサクマは、思わず笑みが零れそうになった。


(人の気も知らないで…そんな所に気づくのか。

なかなか勘が良いな、目ざといヤツ。)


危うく彼女が本性に触れそうだったにも関わらず、サクマは余裕げな態度で冬香に近づいて行く。

そのまま目の前に立ち止まって、じっと無言で彼女を見下ろしていた。


少し圧を感じるその姿に、冬香は違和感を感じながらも、思い出したように慌てて手帳に言葉を書き記した。


“さっきは ありがとう

いつも せんせいの きょりが ちかくて

ちょっと いやだったから

ユンさんが きてくれて たすかった”


申し訳なさそうに眉を下げて、その文字を恐る恐る見せてくる彼女はとても愛らしくて仕方ないが、サクマは首を傾げながら少し冷たい口調で言い放つ。


「イヤだったなら、笑わないでください。」


思いもよらなかった第一声に、冬香は一瞬動きが止まった。


「笑っているから、触れても良いと勘違いされるんです。」


短いその言葉には少しトゲがあり、冬香の胸に痛く刺さった。

でも、その通りだと彼女は真面目に納得する。


ーーいつもそうだった。

今までどれほど、苦笑いを勘違いされて来たことか。

“嫌だ”という気持ちがあっても、笑っていては伝わらない。


私また、同じこと繰り返してた。

彼に見透かされて…嫌われてしまったかもーー。


そんな当たり前のことを彼に指摘されて、冬香は自分が恥ずかしくなった。

彼女は俯きながら手帳にゆっくりとペンを滑らせ、顔も上げずに手帳の文字だけを見せる。


“ほんと そうですよね ごめんなさい”


思いのほか深刻に落ち込んでしまった冬香の姿に、サクマは慌ててしゃがみながら、彼女の顔を覗き込んだ。


「す…すみません、意地悪を言い過ぎました…。

気にしないで、今のは僕のわがままですから。」


そう言って目線を合わせて見つめてくるサクマに、冬香は少しだけ顔を上げてみる。


(わがまま…?)


彼は少し不安げな様子で、冬香と目が合っても尚申し訳なさそうに続けた。


「ごめんなさい…本当に、気にしないで。

笑うのはとても良い事です。

冬香さんの笑顔は誰かを救うこともある。

僕も…そう、救われた一人です。」


メモ帳を持つ彼女の手に、サクマは躊躇いつつゆっくりと両手を添えて、今度はできる限りの優しい口調を心がけて言う。


「ただ…嫌な時は、無理に笑わなくて良い。

そんなことで、嫌われることを恐れなくて大丈夫。…僕がついてますから。」


ひんやりとした大きな手が、彼女の手を包み込んでいる。

冬香はバッとサクマの顔を見上げ、驚いた様子で手と彼の顔を交互に見た。


「…嫌ですか?」


彼の一言で再び動きが止まり、冬香は静かに、手元にある彼の手を見つめた。


長くスラリとした白い指は、所々薄紅色に染まっていて、節々も太くて力強く感じる。

男性のものでありながら、どこか美しさすら感じるその手に、冬香は顔を赤らめて、首を小さく横に振った。


「ふ…良かった。」


そう微笑みながら、サクマは彼女の赤く染った顔をずっと見つめていた。

冬香もまた、恥ずかしそうに笑みを浮かべている。


ふと、彼女がペンを握り直し、メモ帳に再び文字を書き出した。


“わがままって?”


その問いかけを見たサクマは、思わず言葉が詰まる。

調度良い説明が思い浮かばない。

その意味を伝えるには、どうやら直接そのまま言葉にするしか無さそうだ。


彼は少し咳払いをして、一度目線を落とし、覚悟を決めたように彼女の方へ向き直る。


「誰かに笑っているあなたを見てたら、

胸がこう…、変な感じが…します…。」


冬香の表情は変わらず、どうも釈然としてない様子。

サクマは諦めたように、分かりやすく言葉を選んで言った。


「…嫉妬です。

あなたがあの人に触れられて、笑ってると思うと…胸が痛くて。」


その言葉に、冬香はますます顔を真っ赤にのぼせ上がらせた。

つられて、サクマの頬も、恥ずかしさからほんの少しだけ赤く染る。


「…だから言ったでしょう…僕のわがままです。」


拗ねたような口振りでそう言いながら、やや唇が尖っている彼の顔に、冬香の心臓が大きく鳴り響いた。


(…なにこれ…可愛すぎない…?

嫉妬してる姿ってこんなに尊いの…?)


きゅうっと胸が締め付けられ、冬香はサクマの顔から目が離せないでいた。


「意地悪を言って、すみません…。

ただ、あの先生が普通に額に触れてるの見て嫉妬しただけです。

今の僕はまだ、…これくらいが精一杯だから。」


彼の大きな手が、きゅっと控えめに冬香の手を握る。

指の先から、ドクドクと彼の鼓動が伝わってきた。


それが心地よく、どこかくすぐったさを感じる。

田島が額に触れた時とは全く違う感覚。

一方的じゃなく、ちゃんと彼女の反応を伺いながら、少しづつ慣らしていくように触れる彼の手が、冬香に大きな安心感を与えていた。


「だからもう…落ち込まないでください。」


彼はそう静かに呟き、冬香の顔を見つめた。

そんなサクマの手を、彼女もそっと優しく握り返す。

その瞬間を見た彼が、再び顔を見上げてみると、彼女は今にものぼせそうな顔色で微笑んでいる。


握られた手から、じんわりと彼女の温もりが広がっていく。

まるで、彼の冷えた心を溶かしていくように。


二人は目を見合せて、互いの手の感触に浸りながら、照れ笑いを零した。


⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯


“でも あれは ねつが ないか みてた だけだよ”


「…わかってます。

でも普通は体温計を使うでしょう…。」


“あのせんせいは だれにでも きょりが ちかいから

いつも あんな かんじだよ”


「……セクハラでは。」


“たしかに いやなひとにとっては セクハラかも”


「…僕がやっつけてきましょうか。」


慌てて首を振る冬香。


「…冗談です。

でも何か困ったことがあったら言ってください。

僕は明日も明後日もここに来ます。」


“そんなに きてくれるの?

うれしいけど むりしてない? だいじょうぶ?”


「…実は、この辺りで受け持った仕事があって…。

むしろ嫌じゃなければ、また会いに来ても良いですか?」


嬉しそうな笑顔で頷く冬香に、サクマもまた優しく笑みを浮かべた。



◉この物語に登場する人物、組織団体、その他地域施設などは全てフィクションで架空のものです。

◉もし少しでも面白いと感じたらブックマーク・評価などよろしくお願い致します。励みになります。

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