仮面の裏に忍び寄る足音
◉この小説には韓国語のセリフが出てきます。登場人物達の臨場感のある場面を想像してもらいたくて敢えて表記するようにしました。日本語訳を添えておりますので、読みにくいかとは思いますが、予めご了承くださいますと幸いです。
人々が行き交う昼目前の繁華街。
サクマは冬香の見舞い中に依頼された、例の仕事に向かっていた。
ジョンウから送られてきた詳細な内容は、予想以上に多かった。
特に、近辺の売人を調査する部分が厄介で、サクマはあまりの手間に内心でため息をついている。
しかし、今回の彼は今までとは少し違っていた。
ーーこの仕事を終えれば、また冬香に会える。
その為には、ひとつひとつの調査を無駄なくこなす必要があると悟り、端末に表示された場所のルートを素早く決めて足早に移動を始めた。
今回は昼間の調査のため、大通りでは「ユン」として人混みに溶け込む他ない。
面倒ではあったが、簡単に脱ぎ着できる大きめのグレーパーカーを羽織り、変装用のメガネとネックウォーマーをしっかりと装着した。
ジョンウの指示を聞き逃さないよう、耳にイヤホンマイクも忘れず刺し込んでいる。
ある程度の武器や工具と、薬物回収用のポリ袋を背中のバックパックに詰めているが、中だけ見られなければ別にどこにでもいる一般人そのものだ。
「자…, 얼른 끝내자.」
(さあ…、とっとと終わらせよう。)
彼女と約束したからには、早く片付けなければーー。
サクマは自分を奮い立たせ、風を切り裂きながら目的地へと足を進めた。
最初に訪れたのは、指定された質屋の裏にある小さな倉庫。
入る前に、周囲の状況をじっくりと見極めた。倉庫の周りには大きめの雑居ビルが囲っていて、人影も少なく実に侵入しやすい。
裏にはたった一台しか設置されてない監視カメラの死角も確認済みだ。
それらの状況を利用して、サクマは静かに倉庫の裏の隙間へ入り込んだ。
革手袋を指にはめ、窓をこじ開けて内部に足を踏み入れるも、ブランド物の服や装飾品がダンボールいっぱいに積まれていて、歩き回るには身動きが取りにくかった。
「아, 진짜… 좀 치워라, 더럽잖아.」
(あーもう…片付けろよ、汚いな。)
苛立ったサクマは、その辺に転がるダンボール箱を無造作に蹴り飛ばす。
メガネを外し、パーカーを脱いでバックパックに詰め、かわりに近距離で使えるスパナや小ぶりのバールを腰に携えた。
肌にぴったり密着した黒いインナーウェアが、彼を身軽に見せている。
これだけ不審な物音がしていて、誰も気づかないはずがない。
もうあと数秒もすれば、ここの店主がこちらへ来るだろう。
その男こそが、今回の対象だ。
染谷が警察署でバラした別の売人。
そいつは、この質屋を一人で任されている雇われの店長で、ブツもこの倉庫に隠している可能性が非常に高い。
こんな山詰めのダンボールをひとつひとつ探るのは面倒だ。
“店長さん”に直接、聞いてみるとしよう。
…バダンッ!
ちょうどその頃、真っ青に怯えた面構えの男が倉庫へと飛び込んでくる。
気だるそうに待ち構えていたサクマの姿を見て、この状況を察しているようだ。
「お前っ…!! もしかして多川会の…!? 染谷に何をした!?」
他人の心配よりも、自分の心配をしてほしいものだ、とサクマ呆れ返った。
「…残念ですが、その男は今朝逮捕されました。
聞いたところによると、ここにも大事なモノを隠してあるそうですね?」
革手袋をしっかり指の奥まで馴染ませながら、じりじりとゆっくり店主の方へ歩み寄っていく。
サクマが一歩踏み出すたび、床板が微かに軋む音だけが響いた。
重苦しく一変した空気の中、彼は無言で冷たい眼差しを店主に向ける。
店主の男は足を震わせて腰を抜かし、今にも泣きそうな無様な顔で、恐ろしいほど感情がないサクマの暗い顔を見上げていた。
店主の額からは汗が滴り落ちる。
そして、悪魔のような低く恐ろしい声が耳元で囁いた。
「…全て返してください。死にたくなければ。」
ーー店主は簡単にクスリの場所を吐いた。
洗いざらい、隅々まで隠してあったものまで、全部サクマへと返した。
ついでに、他の売人の情報を聞いたサクマは、再び「ユン」の姿へとなりすまして、質屋の倉庫を後にした。
すると、すれ違いざまに質屋へと向かう警察の群れを見かけた。
おそらくあの店主を逮捕しにきたのだろう。
何食わぬ顔でその横を素通りしたものの、群れの中の一人の刑事がこちらの存在に気づいた。
あからさまにこちらを振り返るその男には見覚えがある。
多分、今朝冬香との時間を邪魔しに来た小山田とかいう刑事だ。
サクマはネックウォーマーを口元まで上げて、姿を振り切るように、路地から大通りの人混みへと姿をくらました。
かなり後ろの方ではあるが、どうも小山田は人の陰に隠れてついてきているらしい。
(…勘だけは良いんだな。)
内心小馬鹿にしつつも、サクマは小山田の尾行を撒きながら、淡々と目の前の仕事をこなしていった。
何度もパーカーを脱いでは着て、必要であれば「ユン」の姿で周りの人間に笑顔で会釈をしたり、挨拶をかけたりもした。
そうして着々と調査が進んでいく中で、ちょうど犯行に及ぶ姿だけ見逃している小山田が、何とかサクマを追いかけてきていた。
彼が到着する頃には、もう必要な作業を終えた直後。
ただあちこちへと歩き回るサクマに振り回されるだけの小山田は、それでも息を切らしながら必死で後を追って行った。
(絶対あの質屋から出てきたはずなのに…!
何者なんだよアイツ…くそっ、早くて追いつけない…!)
普通の留学生でないことが分かるほど、サクマの動きは洗練されていて余裕があった。
日本で言うなら、まるで忍者のように。
──質屋の近くで、すれ違いざまに彼が歩き去る瞬間、小山田は遠くからその背中をじっと見つめていた。
(あいつは確か今朝の……。)
確信はないが、刑事の勘がざわついている。
彼の動きは自然だが怪しいほどに早すぎる。
だが、決定的な証拠がまだ掴めていない。
焦りと苛立ちが小山田の胸を締め付けた。
自分が間違っているのか? それともーー…。
今は後を追うしかない。
タイミングを誤れば全てが水の泡になる。
「ユン」が消えるまで、彼はその影を追い続けた。
(絶対に、見逃すわけには行かない…!) ──
小山田は一日かけて彼の姿を追っていたが、なかなかしっぽが掴めず、日が暮れる頃にはもう自分はどこに向かって歩けば良いのか分からなくなっていた。
「もう…どこ行ったんだよ…はぁ…はぁ…どんだけ歩くんだよ…。」
冬だというのに一人汗だくで、薄暗くなってきた住宅街の坂道を登っている小山田。
すると、後ろから軽快な足音が近づいてくる。
スっと真横を通り過ぎて行ったその後ろ姿は、今まさに探し追っていた彼のものだった。
「おいユン…!!ちょっと待て!!」
決死で呼び止める小山田の声に、「ユン」は何食わぬ顔で振り向いた。
そして、まるで再会を喜ぶかのように笑顔で手を振って見せた。
「オ、あさ病院で会ったヒト…!
あー、えと…ケーサツの…おやまだサン!」
病院で会った時の雰囲気とはだいぶ違う彼に、小山田は不信感を募らせる。
(何だ…? この高いテンション…。)
愛嬌すら感じさせる笑顔を怪しみながら、ゆっくりと彼に近づいた。
「お前…今日一日、何をしていた?」
柔らかい表情の彼に対し、小山田は堅く真剣な面持ちで声をかける。
その声は冷静さを保つように、少し低く落ち着いていた。
そんな小山田に、「ユン」は何の気なく肩を竦める。
「今日? とても忙しかったデス。
シゴト、ベンキョ、あそんで、シゴト…。」
「おい、真面目に聞いてるんだ。
今日何をしていた? 質屋から出てきたのはお前か?」
ヘラヘラとした態度の「ユン」に、小山田は感情を露わにする。
その様子を見て、「ユン」は不敵な笑みを見せた。
「シチヤ…? それは何デスか? ごはん屋サン?」
相変わらずしらを切る彼を見て、小山田も苛立ちが抑えられない。
「…ユン、いい加減にしないと…。」
「小山田サン。」
突如、彼は小山田の目の前へと距離を詰めて、しばらく無表情で顔を見つめた。
ーーポンポン、と肩を軽く叩いて、「ユン」は再び笑顔を向ける。
「…ガンバってください。」
意味深な彼の言葉に、小山田は不気味さを感じていた。
そう言い放ってすぐ背中を向け歩き出した彼。
呆気にとられていた小山田は慌てて声を荒らげた。
「ちょっ…どういう意味だよ!ユン!!」
「おつかれサマです〜。」
こちらを見ることもせず、彼はヒラヒラと手を振って去っていく。
結局、何も掴むことが出来なかった小山田は、自分の不甲斐なさに地団駄を踏みたくなるほど悔しくなった。
「あぁ〜っ…! もう…っ! なんだアイツ…!」
後ろの方から聞こえてくる小山田の声を聞きながら、サクマは鼻で笑って、目の前の道を見つめる。
(…もうすぐだ。)
彼女の姿を思い浮かべながら、次の現場へと向かって行った。
◉この物語に登場する人物、組織団体、その他地域施設などは全てフィクションで架空のものです。
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