第二話:エピローグ
◉この小説には韓国語のセリフが出てきます。登場人物達の臨場感のある場面を想像してもらいたくて敢えて表記するようにしました。日本語訳を添えておりますので、読みにくいかとは思いますが、予めご了承くださいますと幸いです。
2日前ーー。
冷たい風がまだ吹き続ける早朝。
山の小鳥の囀りが聞こえる中、俺は廃屋の離れに停めてある車へ、彼女を抱えて歩いていた。
凍え死にそうだった彼女を廃屋で温めたあと、眠ってしまってから一度も目を覚ますことなく、途方に暮れた俺は、仕方なく彼女のネームタグに記載された病院へ向かうことにしたのだ。
わざわざむず痒い色の服に着替えて、メガネもかけて、頭からつま先までしっかりと変装をして。
これがめんどくさいから昼間はなるべく外に出たくないんだが、今回ばかりは仕方がない。
念の為、保険用に韓国人留学生「ユン」と偽装した身分証もポケットに忍ばせておいた。
これで一般人の擬態は完璧だ。
朝の山の外気はかなり冷たく、初めは手が悴んで力が入らないかと思いきや、彼女を冷やさないために丁寧にグルグルと巻き付けた毛布のお陰で、徐々に俺の体温も上昇していく。
「하…… 무거워……」
(はぁ……重い……。)
車が見えてきた頃には、額にうっすらと汗が滲んでいた。
無事、シートを倒した助手席に彼女を運び終え、しっかりと毛布を巻き付けたままズレないよう固定し、シートベルトを装着させる。
「…이렇게 해도 안 일어나네…」
(…ここまでしても起きないのか…。)
呑気に眠っている彼女の顔を見て、思わずボヤいてしまった。
だって、小屋から車までそんなに距離がないはずなのに、すごく遠く感じたんだ。
重すぎて。
毛布ってのは、何枚も重ねると相当な重さになるんだな。
ここまでの量を使ったことがないから知らなかった。
車の運転席に乗り込んだ俺は、隣で寝ている彼女の顔をちらりと見た。
昨晩の出来事がふと思い出され、眉間に皺が寄る。
彼女がなぜ一人で、真夜中に山中を彷徨っていたのかは明白だったが、それをわざわざ問い詰める余裕も理由も、今はない。
俺の目的はただ一つ――この人を病院まで送り返すことだ。
彼女のネームタグを手に取って確認した病院名に従い、車はスムーズに病院の外来入口に到着した。
毛布に包まれ芋虫のようになっている彼女を両腕に抱え、建物の中へと入っていく。
まだ時間外なのか、ロビーに患者がいる様子は無い。
しかし、受付付近で数人の看護師があたふたと駆け回っている。
看護師たちは、彼女がベッドに居ないことを既に気づいていたらしい。
「あの…。」
大きな芋虫を抱えてのそのそと入ってきた俺に、看護師全員がこちらを振り向く。
「えっ!山本さん!?」
「意識は!?」
「一旦こちらへゆっくり寝かせて!」
驚いて余計にバタバタと動き回る彼女たちに、俺は近くのベンチへ芋虫を置きながら言った。
「大丈夫、寝てるだけデス。」
それを聞いた看護師たちは安心して、それぞれ落ち着きを取り戻し、手際よくやるべき処置をはじめる。
一人は医師を呼びに行き、一人は寝かせた彼女に近寄って毛布の中で体温を測ったり脈を測ったり、もう一人は俺に近づいて深々と頭を下げてきた。
「本当に、ありがとうございました!
深夜の見回りの時には居たんですが、朝居なくなってて…、とても心配してたんです。」
「あー…、えぇ…良かったデス、じゃ…。」
すぐにでもその場を去りたい俺を、看護師は大声で引き止めてくる。
「あっ!待って!お名前聞いても良いですか?
今回のこと一応記録しておかないといけないので!」
朝っぱらから声の通る看護師だ。
お節介な中年女性といったところか。
韓国でも日本でも同じようなタイプがいるもんだな。
そんなことを思いながら、少々面倒くさげに、いつも使っている偽名を名乗った。
「ボクは…“ユン”、デス。」
「ユンさんね!本当にありがとう!
日本語がとっても上手ね!旅行中なの?」
会話が続かなくなるよう、わざとカタコトで話していたが、逆に興味を引いてしまったらしい。
彼女は手元に持っているバインダーにメモをとり始めた。
(あーもう…ほっといてくれ…。)
「いえ…留学生…。」
「あぁ〜!留学できたの!日本語すごく上手よ!」
(うるさい…。)
キンキンと頭に響く声に何とか耐えながら、俺は苦笑いで彼女の質問に答えていった。
「失礼ですけど、山本さんとのご関係は?」
「あぁー…、なにもナイ、
ただ向こうの道で…倒れて寝ていまシタ。」
「ここまで抱っこして運んできたの?」
「あ…エット…、車で。」
「このたくさんの毛布は? あなたの?」
「あ…ハイ、車に積んでいたので、冷えないように巻いた…デス。」
思った以上に事情聴取されている。
朝からご苦労なことだな。
まあ、俺もだが。
(帰りたい…。)
ふと芋虫の彼女を見下ろしてみると、相変わらずすやすやと心地よさそうに寝ている。
周りではこんなにバタバタしているのに、あまりにも呑気だ。
「山本さんが目覚めたら、あなたの事をお話するけど良い?」
「えっ、」
「助けてくれたんだもの!
彼女、きっとお礼がしたいはずだわ!
名前だけじゃなくて、連絡先とか!」
本当にお節介だな。
身分の証明とかではなくて、彼女のために連絡先を聞くのか。
「それは、チョット…困りマス。
何も、教えないでくだサイ。もう、行きマス。」
何がともあれ、自分のことを深く知られるのは許されない。
連絡先もしかりだ。
「ユン」という名前で満足しておいて欲しいところだな。
「そう…分かった!この毛布お返しするね!
代わりの毛布が来るまで、もう少しだけ待っててくれる?」
そう言った看護師に、俺は慌てて首を振る。
「いえ、大丈夫デス、あげマス。」
「そんな気を遣わないで!今持ってくるから!」
「いや、ホントにダイジョブ……。」
言い終わる前に彼女は走り去ってしまった。
なんなんだ、あのまるで小動物のような動きの速さは…。
まあいい、これ以上深入りするつもりもないし、もう帰っても問題ないだろう。
俺は溜息をひとつだけついて、出口の方へ体を向ける。
だが最後に、一度だけ振り返った。
ベンチで毛布に包まれたまま、無防備な姿で眠る彼女の姿を見つめる。
側に居た看護師も、今はもう彼女から離れていた。
彼女の安らかな顔に、彼の胸にわずかに揺らぐものがあった。
聞いてるはずもないことはわかっているが、俺は心から願い呟く。
「…겨우 살려준 목숨이야, 감사히 살아라.」
(…せっかく助けてやった命だ、有難く生きろ。)
その言葉は確かに小さくロビーに響き、そして静かに消えていく。
俺は再び前を向き、どこからか湧き上がる晴れやかな気持ちを感じながら、病院を出て行った。
◉この物語に登場する人物、組織団体、その他地域施設などは全てフィクションで架空のものです。
◉もし少しでも面白いと感じたらブックマーク・評価などよろしくお願い致します。励みになります。