はじめてのお見舞い
◉この小説には韓国語のセリフが出てきます。登場人物達の臨場感のある場面を想像してもらいたくて敢えて表記するようにしました。日本語訳を添えておりますので、読みにくいかとは思いますが、予めご了承くださいますと幸いです。
ーー翌朝。
「왜…내가 여기 있는 거지…?」
(だからなんで…俺はここに…。)
結局、彼女の病院の外来受付の前まで来てしまった男、サクマ。
ご丁寧に、メガネをかけて清潔感のある明るめの服装で、いつも表に出る時の変装までこなしてしまっている。
そんな姿でこの場所にまんまといる自分が、とてもマヌケに思えて仕方がない。
自身に対してほとほと呆れ果て、思わず溜息をこぼす。
(……ここまでして、あいつが大勢の見舞い客に囲まれていてでもしたら、速攻で殺しに行ってやる…。)
当然そんなこと出来るはずもないが、彼は重たい足取りで病院の中を歩き、冬香がいる病棟へと向かって行ったーー。
適当にナースステーションで“山本冬香”の病室を聞き、教えてもらった廊下をそのまま辿っていくと、ようやくそれらしい病室が見えてくる。
開けられた引き戸のすぐ側にある、数人の患者名が目に入る。
“山本冬香”
その名前は確かにそこにあった。
「はぁ……。」
この部屋を覗けば、きっと彼女は居るのだろう。
誰のものかは分からないが、中から微かに静かな気配を感じる。
(会わなくても…良いよな…。
ただ、顔を見るだけで…。)
彼は開いた引き戸の傍にそっと寄りかかり、気付かれないよう顔だけ病室の中へ覗かせた。
そこには4つのベッドがあって、カーテンは微妙に開いている。
奥の窓際の右手にあるベッドには、足のような膨らみがあり、その他のベッドは空だった。
(あれか…?)
角度的にも足元しか見えず、布団に入ってることから彼女かどうか分からない。
(どうする…もう少し入ってみようか…。
いや……本当に……これでいいのか…?)
病室に片足だけ入れては戻して、何度も躊躇っているうちに、後ろから突然声がした。
「あっ!ユンさん!?」
驚いて振り返ってみると、倒れていた彼女を病院に送り届けた時に対応した、あの看護師が立っていた。
彼女はサクマの顔を見るなり、手を小さく叩いて豊かな笑顔を見せた。
「まあ!本当にユンさんだ!先日はありがとうございます!
山本さんのお見舞いに来てくださったんですか?」
サクマは思わず顔を引きつらせる。
「あ…あー…、ハイ…。」
とりあえず適当に返事をしてみたものの、看護師はその反応を気にする様子もなく、相変わらず嬉しそうにニッコリと笑っていた。
「良かった〜!山本さんきっと喜びますよ!
ここだけの話…お見舞いはあなたが初めてなの…!」
その言葉に、サクマは気まずそうに頷く。
(本当に…ずっと一人だったのか…。)
手紙の内容が真実であったことが分かり、サクマは病室に居るであろう冬香の方へゆっくりと体を向けた。
「ご希望通り、あなたのお名前などはご本人にお伝えしておりませんけど…、もし宜しければ、もうすぐ起きると思うし、彼女に会ってあげて? ねっ?」
切実な彼女の表情には、本当に冬香に会ってほしいという、まるで保護者のような感情が籠っている。
「…………はい。」
看護師の言葉に背中を押され、結局サクマは、促されるまま病室へと躊躇うように少しずつ足を踏み入れた。
その様子を見届けた看護師は微笑み、その場を去っていった。
病室内には静かな空間が漂っている。
右奥のベッド以外は空だった。
(……アレなんだな。)
ベッドの足元のフチに掛けられたプレートに、“山本冬香”と書いてある。
そーっと、そこに横たわっている冬香の足元まで来てみた。
やっと、顔まで見える位置だ。
布団に包まれて穏やかな呼吸をしている彼女の寝顔を見て、サクマは再び溜息をつく。
「……겨우 와줬더니, 자고 있네. ‘야마모토 후유카’ 씨.」
(……せっかく来てやったのに、寝てるのかよ。
“やまもと ふゆか”さん。)
小さい声で言ったはずが、その声で彼女はギュンっと目を覚ます。
「!?」
吃驚して飛び上がり、サクマは慌てて後ろのカーテンの裏へ隠れた。
(なんで突然起きるんだよ…!)
サクマの心臓はホラー映画を見た時のようにバクバクしている。
カーテン越しに、冬香がのそりと体を起こす気配がする。
彼は未だ、カーテンの裏にしがみついていた。
コン、コン。
冬香の方からノック音が聞こえる。
それはとても控えめで、こちらの様子を伺うかのような音だった。
(気付いたのか…?)
コン、コン。
サクマは観念したように、仕方なくゆっくりとカーテンから顔を覗かせる。
その瞬間、既に起き上がっている彼女とばっちり目が合った。
「……………………。」
冬香は意外なその顔を見て、驚きの表情を露わにする。
もう二度と会わないだろうと思っていたのに。
まさか、あの人がここに来るなんて。
サクマはというと、気まずさでどうすれば良いか分からず硬直していた。
そんな彼に、冬香は近くの椅子をベッド傍に配置し、手で“どうぞ”促す。
(座れと言うのか…、すぐ帰ろうと思ったのに…。)
小さく咳払いをしながら、相変わらず無愛想な表情で、彼はしぶしぶ冬香の隣の椅子に座った。
まだ信じられないといった顔で、彼女はサクマの顔を見ている。
そんな彼女からサクマは視線を逸らし、窓の外辺りを眺めながら口を開いた。
「……手紙を読んだので…来ました。」
その言葉を聞いて、冬香は徐々に嬉しさが沸きあがる。
自然と口角が上がり、彼とは対照的に明るい表情へと変わっていった。
彼女はメモ帳とペンを取り出す。
ペン先が少し震えて、言葉を選ぶような素振りをしたあと、まずはただ一言だけを書いて見せた。
“ありがとう”
視界に入るその文字を見て、サクマは余計に心臓が痒くなるような感覚を覚えた。
「いえ……。」
気恥しそうに見える彼に、冬香は小さく笑いながら再びペンを進めた。
今度は迷いがなく、スラスラと文字が綴られていく。
サクマも、次は何を書かれるのかと、少し気になってチラチラとメモ帳を盗み見る。
“きょうは なんだか ふくが ちがう”
サクマはハッとして、自分が今変装中であることを思い出した。
明らかに前彼女と会った時の雰囲気とは違う。
咄嗟に頭を回転させ何とか言い訳を考えた。
「あー…、昼は、この方が気分が上がります…。」
(なんだそれ…そんな奴いないだろ…。)
考えた結果が陳腐な言い訳へと成り代わり、思わず自分自身にダメ出しをする。
なにやら項垂れている彼に、冬香は悪気なく追い打ちをかけるようにメモ帳を見せた。
“めがね にあいますね”
サクマの焦りなど知る由もない彼女は、無邪気なのか呑気なのか、平気でその見た目を褒めてくる。
彼は呆れて、もうやけくそに会話を続けようとした。
「…ところで、どうしてずっとひらがなで書いてくれるんですか?」
彼女は瞬時に眉毛が下がり、申し訳なさそうにペンを動かす。
文字を書く速度が変わり、慎重に文章を作っているように感じた。
その表情の変化に、彼はつい目を奪われる。
“にほんのひとでは ないですよね?
ひらがなのほうが よみやすいと おもって
めいわく でしたか?”
彼女の表情とメモ帳に書かれた言葉は、非常にリンクしていた。
声がなくてもこんなに分かりやすい人がいるのかと、サクマは少しだけ面白くなった。
「多少の漢字は読めます。」
サクマがそう言い放つと、彼女は焦った顔で再びメモ帳に向かう。
その姿を見て、ほんの少し笑いが込み上げてきた。
“また余計なことをしました
ごめんなさい”
そんな彼女の文字を見て、サクマは不思議に思った。
(文字にも感情が現れるんだな。)
彼は携帯電話を取りだし、メモ帳にある漢字を翻訳する。
何となくその意味の予想はついていたが、しっかりと翻訳された内容を認識し、冬香に視線を戻した。
「…これは読めない漢字でした。
いつも通り、ひらがなのほうが助かります。」
そう言って、韓国語に翻訳された携帯電話の画面をヒラヒラと見せる彼は、つい先程よりも柔らかい表情に見えた。
冬香はホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、昨日渡した手紙には非情にも漢字だらけだったことを思い出す。
“きのうの てがみ、
かんじがたくさん、ごめんなさい”
やってしまった…とでも考えてそうな彼女を見て、サクマは思う。
(ずっと、俺を気遣いながら書いてたんだな)
彼女はただ、言いたいことを書いているだけでは無い。
それを読んだ人がどう思うのか、常にそれを考えて“彼女の言葉”を書いている。
きっと声が出せたとしても、彼女はこの文字と全く同じ事を話すだろう。
ここまで相手のことを思いやれるのだから。
サクマは今度こそからかわず、低く落ち着いた声で応えた。
「大丈夫です。
ちゃんと…最後まで全部、読みましたから。」
とても真摯な彼の言葉が、冬香の心にはとても優しく響き、肩の力がゆっくりと抜けていくのを感じた。
心の中にあった不安や焦りがすっと消えて、代わりにほんのりとした温かさが広がる。
それは、久しぶりに感じる安心感と、どこか懐かしいぬくもりだった。
冬香は思わず、微笑みが小さく溢れ出る。
そのまま丁寧に書き綴られた文字に、サクマは心を揺さぶられた。
“こんなにうれしいものなんですね、おみまい”
微笑んではいるが、彼女の瞳には零れ落ちそうなほどの涙が溜まっている。
(ただ…手紙を読んで、ここに来ただけなのに…、泣くほど嬉しいのか。)
涙を堪えながらも幸せそうに笑う彼女に、サクマもまた、小さく笑って見せた。
◉この物語に登場する人物、組織団体、その他地域施設などは全てフィクションで架空のものです。
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