弟とお魚さん
世の中がクリスマスを迎えようと、賑わいでる最中サエコは生まれた。
とても元気な産声だ。
サエコの母親は、一度死産で子どもを亡くしている。男の子だった。
だから尚更、サエコの産声は、母親にとって、この世の何物にも代えがたい歓びだったに違いない…
「一生大切にしよう…」
家業が忙しく、生まれてから病院にかけつけた父親も、涙を流した。
忙しい両親に代わり、父方の祖父母が概ねサエコの面倒を見ていた。
2歳になって弟が生まれ、それまで独り占めしていた両親や祖父母を取られるという思いと、それでいて弟の存在が愛おしく、サエコは、なんとも表現し難い感情になった。
その感情が、弟ではなく違う方向へ向かっていったのだ。
両親の知り合いが、生きた魚を2匹持ってきた。
それを、赤ちゃんの頃にサエコが水浴びをしていた桶に泳がせていた。
サエコは魚に名前をつけて、人一倍可愛がり、大きいのはダイ、小さいのはショウと呼んでいた。
オスかメスかもわからない幼稚園児のサエコは、大小の名前しか付けられなかったのだ。
…ひと月ほど経ち、ダイが桶に横向けになり浮かんでいた。
ひと目で死んでいる…とわかり、咄嗟に父親を呼んだ。
次の日には、ダイはいなくなっていた。
大人達がサエコの知らぬ間に処理していたのだ。
そして、ショウだけになった。
ずっと2匹でいたから元気が無いように見えた。
そのショウをサエコは、小児喘息で病弱な弟と重ねてしまい、とても可愛がるようになっていった。
…まるで大好きな人形のように…
「抱っこしたい」
サエコは急にそう思って、ショウを両手で持ち上げる。
その瞬間、ショウは飛び跳ねて、サエコの手から桶に向かってダイブする。
ショウは捕まえられないように逃げ回る。
しかし、サエコは遂に捕まえて離さなかった。ショウのエラがプクプクと動いている。
「もう、逃げちゃダメよ」
と言うと、力強く握った。
そして、桶に戻した時、ダイと同じように横向けに浮いた。
ドキドキして、それでいて、ダイとこに行くほうがいいのかな…
と、ふとそんな考えが頭によぎった。
しかし、それとは裏腹に、どうしよう…怒られるかも…と自分のしたことより、そっちの考えのほうが頭いっぱいに膨らんだ。
間もなくショウは動き始めた。
サエコは心から安堵していた。
…良かった。
次の日、桶は片付けられていた。
父親に聞いたら、やっぱりこんな入れ物じゃ早く死ぬ…と独り言のようにサエコに言った。
…私が、殺した…
サエコは、自分の中にある、恐ろしい何かに気づいてパニックになっていった。
ぬるま湯の中に、突然熱湯を注ぎ込まれるかのような衝撃がサエコに走る…
怒られると思いながらも、父親に打ち明けた。あの時、たぶん私が強く握ったからだと…
父親は、泣きながらしゃくりあげてるサエコを見て、怒らず言った。
「サエコ、生きているものは必ず死が来る。いいか?必ず来る。それはお前が強く握ったとしても、放っておいたとしても、お魚の寿命なんだよ」と。
サエコは父親の言葉を理解するより、怒られなかったと安堵していた。小さなサエコには、寿命という言葉が雲にかかったように、それでいて怖い響きであり、それ以上、この件に触れたくないと思っていた。