続・こちら、異世界サポートセンターのスズキが承ります
「はいー、こちらサポートセンターのタカハシですー」
「あ、あの、……す、スズキさん、いますか、」
「は?」
「す、スズキさんに、ハァハァ、代わってほしい……ん、です、けど、……アッ俺は、あの、」
ガチャ。
「スズキせんぱーい」
「あ、タカハシちゃん。お疲れ様」
休憩室でお弁当を食べていると、ふらふらと後輩のタカハシちゃんが入ってきた。
タカハシちゃんのシフトだと、休憩はまだ1時間以上後のはずだ
彼女は少し脱力系というか、……サボり癖があるというか。
勤務時間なのに席を外すことがあって、上司にもよく怒られているようだが、本人はあんまり気にしてない様子だった。
来たばかりの頃に比べたら、頑張っているとは思う。私にとって初めての後輩だったので、私も自分なりに頑張って教えた。だが、席にいてナンボの仕事だ。怒られるのも仕方ない。
タカハシちゃんが私の隣にしゃがみ込んで、机にだらんと大きな身体を預ける。
その綺麗に整った爪に目が行った。またネイルが変わっている。きらきらしていて……タカハシちゃんによく似合う。
「スズキせんぱいってー、結構変なヒトに好かれますよねー」
「え」
「変態電話、かかってきましたよー。しかも、せんぱいご指名でー」
タカハシちゃんの言葉にぞっとする。
サポートセンターにはたまにセクハラ電話がかかってくる。たまにというか割とよくかかってくる。
別に自分がそういう人に好かれやすいとは思っていない。だが割と貧乏くじを引きがちというか……そういう電話を取りがちなのはなんとなく自覚があった。
生き残った時点で運、使い果たしてしまったのかもしれない。
「だ、大丈夫だった?」
「ガチャ切りしましたー」
タカハシちゃんがピースサインをこちらに向けてきた。
「うん、ガチャ切りはやめようね」
「せんぱい、今日もお弁当ですかー?」
私の注意をスルーして、タカハシちゃんが私のお弁当を覗き込む。
お弁当と言っても、パンに野菜とハムを挟んだだけの簡単なものだ。
「うん。どうせ作るから、自分の分もって」
「えらすぎー」
タカハシちゃんがけらけらと笑う。
大きく口を開けて笑うと、尖った犬歯がよく見えた。
来たばかりの頃は敬語も使えなかったタカハシちゃんだが、最近は仕事中はきちんと敬語が使えている。
私には相変わらずタメ口だけども。
「自分の子じゃないのに。ほんとお人よしなんだー」
「だって、放っておけないよ」
タカハシちゃんが言っているのは、私が預かっている半魔の子ども……マオくんのことだ。
いろいろあって、――あれもたまたま、あの電話を私が取ったから、というきっかけだ――魔族の力を封印して、一緒に暮らしている。
たまたまではあったけれど……あの出来事のことを、私は貧乏くじとは思っていなかった。
子育ての経験なんてないし、知らない子と暮らすことに不安がなかったと言えば嘘になる。
それでも、マオくんを預かることに決めてよかったと、今もそう思う。
困ったり、うまくいかないことももちろんあるが……マオくんはとってもいい子だった。勇者協会からも支援をもらえるおかげで、何とかやれていた。
何より……あの時勇者様が駆けつけてくれて、助けてくれて。そして、私とマオくんが一緒にいられるようにしてくれた。その恩に報いたい、と思う。
私の命も、昔別の勇者様に救ってもらったものだ。
両親を亡くして泣いていたマオくんは……きっと、あの日の私だ。
「私だって一歩間違えたら、同じだったかもしれないんだし」
「…………んふ」
タカハシちゃんが机にもたれたまま、へらりと口元を緩めた。
「あーし、せんぱいのそーゆーとこ、スキ」
「おい、スズキ。休憩中悪いが、」
休憩室のドアがノックと同時に開き、係長が入ってきた。
そして入り口に近い方にいたタカハシちゃんに気づく。
係長のこめかみに、ピキリと青筋が浮かんだ。
「タカハシ! お前まだ勤務時間中だろう!」
「はーい、今戻りまーす」
タカハシちゃんはすっくと立ち上がると、身長に見合った歩幅であっという間に休憩室から出て行った。
完全にどこ吹く風というか、まったく応えていなさそうだ。私の方がハラハラしてしまった。
係長がタカハシちゃんの後ろ姿にふわふわ揺れる、ボトル用のブラシのようなしっぽを眺めて、ため息をつく。
「こら、……まったく、いつまで経っても自由で困る。これだから獣人は……」
昨今のコンプラとかハラスメント的にアウトなことを言う係長。
タカハシちゃんがここに来たばかりの頃のことを、思い出した。
二人で一緒に、外にお昼を食べに出た時のことだ。
タカハシちゃんの姿を見て、周りの人が「獣人だ」「何の動物だろう」とか、ひそひそ話すのが聞こえてきたのだ。
タカハシちゃんは素知らぬ顔だったけど、私は気まずさに我慢できなくなった。
無駄に大きな声で「綺麗な爪だね!」とか話して、周りの人の声をかき消そうとしたのだ。
今思い出しても恥ずかしい。完全に動転してしまって、そこから先はもう、やたら大きな声を出してしまったのを何とか誤魔化そうと必死だった。
正直から回ったと思ってる。初めての後輩だったので、完全に張り切りすぎていた。
でもその後タカハシちゃんは、翌日さっそく可愛いネイルをした爪を見せた。
タカハシちゃん、そういう可愛いところも、素直なところもある子なのだ。私の恥はともかく。
ぶつぶつ言っている課長の声を遮って、問いかける。
「あ、あの! 私に何か……?」
「ああ、そうだった」
係長は思い出したように私に向き直った。
「勇者協会から連絡だ。何でもさっきサポートの方にかけたようなんだが、うまく伝わらずに切れてしまったらしい」
勇者協会から、連絡? 私に?
心当たりがすぐには思い浮かばず、首を捻った。
切れてしまった、という言葉で一瞬タカハシちゃんの言っていた電話が頭を過ぎる。
だがすぐにそれを脳内から打ち消した。あれはセクハラ電話だったんだから、まったく別の電話のことだろう。
「例の勇者様から、お前に電話だ」
〇 〇 〇
「あ、あの、スズキさん、」
「はい?」
「や、やっぱり俺、外で待って……」
「いえ、せっかくですから、お茶くらい飲んで行ってください!」
連絡をくれた赤髪の勇者様と、サポートセンターで待ち合わせをして一緒に家に帰ってきた。
約束をした通り、マオくんの魔力の封印の様子を見に来てくださったのだ。
やっぱりこの勇者様はとっても誠実だ。普段のサポートセンターの仕事も、彼のような勇者様の活動に少しでも貢献できているなら、やりがいがある。
あの時の電話の男の子が、こんなに大きく立派になるなんて。時間の流れは凄まじい。
時間の流れといえば……マオくんといても、それは顕著に感じることだった。
「ただいま~」
「! スズキ!」
ドアを開けて、パンプスを脱ぐ。スリッパに履き替えて勇者様用にもう一足準備していると、マオくんが部屋の中から駆け出してきた。
飛びついてきたマオくんをぎゅっと抱き留める。
「おかえり、スズキ!」
「ただいま。いい子にしてた?」
「スズキいないとつまんないよ」
口を尖らせるマオくん。
助けた時には5〜6歳くらいの見た目だったが、今は10歳くらいに見える。
預かってまだ半年も経っていないのに……魔族は成長が早いとは聞いていたけれど、まさかここまでとは思わなかった。
幸せそうに私の胸に顔を埋めていたマオくんが、背後にいる勇者様に気付いて眉を顰める。
「……なんであいつがいるの」
「マオくんの様子を見に来てくれたんですよ」
「こ、こんにちは~マオくん~」
勇者様がにこにこしながら、マオくんに手を振った。
さすが勇者様、子どもにも優しいなんて。
そう感動している私をよそに、マオくんはぷいと顔を背けてしまう。
「ぼくあいつキライ」
「なっ」
「こら、マオくん!」
「ここはぼくとスズキの愛の巣なんだぞ」
「あっ、愛!?」
叱ろうとした私の腕をすり抜けて、マオくんが勇者様にべーっと舌を出す。
そんな言葉、一体どこで覚えてきたのだろう。私が留守の間に聞いているラジオだろうか。
しゃがみ込んで視線を合わせて、マオくんに言い聞かせる。
「ダメだよ、勇者さんは私たちの命の恩人なんだから」
「ぼくを助けてくれたのはスズキだもん」
だがマオくんはぷいとそっぽを向いてしまう。
いつもはいい子なのに、今日はどうしてか機嫌が悪いようだ。
「スズキさん、やっぱりマオは協会で預かります」
「いえ、いつもはもっといい子なんです!」
「いや、でも封魔の術を施してる割にはかなり成長が早くてですね……魔族の普通の成長スピードだと半年くらいで大人になるし」
いけない、マオくんが誤解されてしまう。
慌ててマオくんの肩に手を添えて、勇者様の方へと進ませる。
マオくんは不満げな様子で俯いていた。
「ほら、勇者さんにマオくんの角、見せてあげて」
「……いい子にしてたら、よしよししてくれる?」
「よ、よしよし!?」
何故だか驚いたような声を上げる勇者様。
私はこちらを見上げるマオくんに、しっかり頷いてみせた。
そうだ、マオくんはきっとちょっと勇者様が怖いだけだ。本当はいい子なんです、勇者様。
マオくんがさらに、甘えるように言う。
「ぎゅーもしてくれる?」
「ぎゅー!?」
「うん、もちろん」
「もちろん!!??」
勇者様が私とマオくんの顔を見て仰天していた。
両親を亡くして不安なマオくんが私を頼っているから、という部分も大いにあるとは思うけれど……この数ヶ月一緒に暮らして、私とマオくんはかなり仲良くなったと思う。
それにびっくりしているのかもしれない。
おずおずと勇者様の前に進み出たマオくん。
しゃがみ込んだ勇者様が、マオくんの額に触れた。
ふわり、と魔法の光で描かれた魔法陣が浮かび上がる。
勇者様が呪文を唱えると、魔法の光がすぅっと消えていく。
立ち上がった勇者様が、私に言う。
「まだ大丈夫ですけど、一カ月後くらいにかけ直した方がいいですね」
勇者様の説明に、頷いた。
確か半年くらいで封印の効果が弱まってしまう、と言われていた。その度にかけ直さないと、マオくんは人間の中では暮らしていけない。
窮屈かもしれないけど……せめて、もう少し大きくなるまではと、そう思っていた。
勇者様はしばらく私の顔をじっと見つめていた。
マオくんじゃなくて何故私を? と思っていると、やがて何か決意をしたように口を開く。
「な、なので、ですね! その、今回みたいに、サポートセンターにお電話するのも、あの、アレなので」
勇者様がお尻のポケットから携帯端末を取り出して、私に向かって突きつけた。
「れっ、れれ、連絡先、を! 教えていただけないでしょうか!!」
「はい、もちろんです」
「!!!!」
勇者様が後ろを向いてガッツポーズしていた。
何のガッツポーズかはよく分からなかったが、とりあえずお互いの端末に番号を登録する。
登録名は「勇者様」にしておいた。
私の携帯端末はサポートセンターから支給されているものだ。主に誰かが急病とかでシフトに穴が開いたときとかに鳴るので、あまりいい印象はない。
登録されている連絡先は職場の固定電話と、課長と係長、そしてタカハシちゃんの番号くらいだ。
その中に勇者様の連絡先が加わるなんて、何だか不思議な気分だった。
携帯端末は王都の中でしか通信が届かない。勇者様はともかく私は基本的に王都から出ないから、勇者様からの連絡を受け取る分には問題ないと思う。
「何かあったら、連絡ください」
勇者様が、携帯端末を持った私の手を、包み込むように握る。
大きくて、硬くて、ごつごつしていて……男の人の手だ。
急に、顔が熱くなってきた。こんな風に男の人に手を握られるなんて、初めてだったからかもしれない。
「俺、どこにいたって、何してたって、いちばんに駆けつけます」
まっすぐに私を見つめる勇者様。
赤い前髪から透ける瞳は、べっこう飴みたいに澄んだ色だ。
熱くなる頬を隠すために、俯く。
相手は勇者様なんだから、勝手にドキドキするのは何となく、よくないことのように思えた。
「貴女が俺を……助けてくれたみたいに」
「スズキ、ぼくは!? ぼくは!?」
マオくんに腕を引かれて、はっと我に返る。
勇者様もはっと何かに気付いた様子で、慌てて私の手を離した。
マオくんの頭を撫でながら、やさしく言い聞かせる。
「マオくんは、もう少し大きくなったら、ね」
「…………封印さえなければ、もっと早く大きくなれるのに」
マオくんが拗ねたように呟いた。
そして私の手にあった携帯端末に触れる。
カッと、目を開いていられないほどまばゆい光が散った。
「あ、こら!」
咄嗟にぎゅっと瞑った目を開くと、勇者様がマオくんの手から携帯端末を没収しているのが微かに見えた。
でもまだ、ちかちかする。
「ダメだろ、魔力使ったら封魔の術が緩みやすくなるんだぞ!」
「そしたらスズキに会えるから嬉しいくせに」
「うっ」
マオくんの言葉に、勇者様が口ごもる。
勇者様は善意で言ってくれているだけなのだから、そんなに反応に困ることを言ってはいけない。
「いや、俺は、その。スズキさんが心配なだけで。最近、また勇者殺しの勇者が指名手配されたりしたし、物騒だし、モンスターだっているし」
勇者様がごにょごにょと言っていると、マオくんが私の腕にぎゅっとしがみついてきた。
「スズキが困ったときは、僕がいちばん先に行って、スズキのこと守るからね!」
「マオくん……ふふ、ありがとうございます」
マオくんの頭を撫でてあげると、マオくんが嬉しそうににへらと笑った。
笑顔が可愛くてきゅんとしてしまう。仕事の疲れに染みる、癒しの力を感じた。
「お、俺も……」
勇者様は何か言いたげにしばらく空中に手をふらふらさせていたけれども、やがて気を取り直した様子で、「一カ月後にまた来ます」と言って帰っていった。
結局お茶も出せないままで帰ってしまった。勇者様は忙しいとは思うが……次はちゃんとお茶請けも用意しておこう。
〇 〇 〇
「はい、この度は大変申し訳ございませんでした」
謝罪と共に、電話が勢いよく切られる。
ふぅ、と小さく息をついた。
水を口に含んだところで、タカハシちゃんのところに課長が来ているのに気づいた。
課長の後ろについて、タカハシちゃんが席を立つ。
二人で連れ立って歩いて行く。何となくその背中を視線で追いかけると……廊下の奥、転移装置のある部屋のあたりで、二人の姿が見えなくなった。
係長じゃなく課長が来るなんて、珍しい。
そう思っていると、また電話が鳴った。
端末を操作して、通話を繋ぐ。いつもの台詞を口にした。
「はい、こちらサポートセンターのスズキが承ります」
そのあと何本か電話を受けたけれど、タカハシちゃんは一向に戻ってこない。
だんだんと心配になってくる。
もしかして、怒られている、とか?
あの転移装置、普段は偉い人が本部とここを行き来するのに使っているらしいが……
もしかしてタカハシちゃん、ついに本部に呼び出されてたり、するのだろうか。
次の電話を取るけれど、すっかり気もそぞろだ。
どうしよう。
タカハシちゃん、確かにサボり癖はあるけど、それは仕事に慣れてないからで。
獣人の大きな身体で狭いデスクに収まっているのは、疲れると思うから、仕方ない部分もある。
電話の取り方も、敬語も、全部わからないところからだった。
それでも、タカハシちゃんは一つずつ、覚えてやってきたのだ。出来ないことを一つずつ、出来ることに変えてきたのだ。
確かにちょっとだらしないところはあるけれど。
私にはまだ全然敬語で喋ってくれないけれど。
獣人だからって、誤解されることもあるけれど。
それでも、タカハシちゃんが頑張っていないわけじゃない。
それは、私が知っている。
だから、私が……伝えないと。
だって私は、タカハシちゃんの先輩だ。
タカハシちゃんは私の、初めての後輩だ。
端末を操作して、電話を転送設定に切り替える。
そして席を立って、廊下を早歩きで横切って、そして。
転送装置の前に立つ。
確認すると、やっぱり30分前に動いている。
行き先の番号をリダイヤルして、私は装置の中に飛び込んだ。
〇 〇 〇
「あ、あれ?」
私が転送されたのは、何だろう。廃墟のような、場所だった。かなり砂埃が積もっていて、薄暗い。
思わず目を瞬く。
てっきり、サポートセンターの本部に飛ぶとばかり。
でも、リダイヤルしたし番号に間違いはないはず。
「せんぱい?」
タカハシちゃんの声がした。
部屋の中に積み上がった瓦礫の奥から、タカハシちゃんがのそりと姿を現す。
見るからに傷だらけのタカハシちゃんに、私は大慌てで駆け寄った。
「タカハシちゃん!」
「……何で、来ちゃうかな」
タカハシちゃんの髪――いや、たてがみ?――が血で濡れている。動きも身体を起こすのがやっとというくらい緩慢だし、いつも綺麗にしている爪も割れてしまっていた。
見慣れたサポートセンターの制服も、汚れたり破れたりしている。
そんなタカハシちゃんを前にして、私はおろおろすることしかできない。
「ど、どうしよう、救急箱も持たずに来ちゃった、」
「は?」
「きっと本部の人に怒られてるんだと思って、それで、」
「……あは」
動転して思っていることを全部口に出せば、タカハシちゃんがへらりと口元を緩めて、笑った。
笑っている場合じゃない。私はタカハシちゃんが思うよりずっと、混乱している。
「せんぱいのそーゆーとこ、ほーんと、スキ」
ドガン、と音がした。
さっきまで私がいた場所……つまり、固定電話のあったあたりだ。
視線を向けると、壁の上半分が、ごっそり抉り取られている。
そしてその壁の向こう側から、がっちりした体つきの男が数人、こちらを見ていた。
あれ、あの顔……指名手配中の勇者に、似ている……ような。
確か、勇者殺しの罪で……
さーっと血の気が引く。
どうしよう。
逃げなくちゃ、と思うのに、足が動かない。
ふと、隣のタカハシちゃんが身じろぎするのを感じた。
「時間稼ぐから、逃げてね」
そう言って、タカハシちゃんは立ち上がると、私を庇うようにして立つ。
ぼろぼろの身体で……それでも、私を守るように立ち塞がる。
タカハシちゃんの目がまっすぐ、男たちに向いていて……男が、こちらに向けた表情を、にやりと歪めて。
それで、やっと理解する。
きっとタカハシちゃんは、あいつと戦ってこんなに傷ついたのだ。
タカハシちゃんは背も高いし、身体も大きい。獣人だから、きっと私より全然、力も強い。
でも、そのタカハシちゃんだって……勇者には、勝てない。
タカハシちゃんの手を引いて、引き留めようとする。
私は弱い。
勇者じゃない。
でも、それでも。
こんなにぼろぼろのタカハシちゃんを、放っておけない。
「今、助けを呼ぶから」
「間に合わないって」
「間に合う」
言い切って、立ち上がる。
私より随分背の高いタカハシちゃんの肩を支えて、一番近くにあった瓦礫の山の後ろに引っ張り込んだ。
携帯端末を握り締める。
勇者様の連絡先を選んで、コールボタンを押す。
その瞬間、背後の瓦礫が吹き飛ぶ。
私もタカハシちゃんも一緒に吹き飛ばされて、地面に倒れ込んだ。
勢いよく地面に打ち付けられたせいで、一瞬息が止まった。
それでも、握った端末は離さなかった。
砂埃の中で、誰かが砂利を踏みしめて近づいてくる足音と一緒に……確かに、コール音が聞こえる。
「一緒に、信じて」
間に合う。
絶対間に合う。
だって、約束してくれたから。
いつでも、どこにいても、駆けつけるって。
約束してくれた勇者様を……私は、信じている。
あの時私を信じてくれた……勇者様、だから。
ワンコールで通話が繋がる。
ここが王都なのかも自信がなかったけれど、それでも、繋がった。
「勇者様、サポートセンターのスズキです!」
震える声で、私は叫んだ。
「お願いします、助けてください!」
「分かった」
声がした。
私の目の前に……本当に、一つ瞬きをする、その間に。
現れたその人は、剣を構えた、真っ赤な髪の……勇者様。
そしてその隣には、見慣れない人影が、もう一つ。
黒い髪に浅黒い肌、一本だけの角と、赤い瞳は……マオくんに、似ている。
「今度は俺が助ける」
「今度は僕が助ける」
二人が私たちを守るように立ち塞がって、タカハシちゃんがぐいと、私の身体を引き寄せた。
震える手で、タカハシちゃんの手を握りしめる。
「おいおい、何だ、魔族じゃねぇ、」
か、と言おうとした口の形のまま、残像を遺して男の一人が吹っ飛んでいった。
黒髪の男の人が身体の前にかざした手のひらに、魔法の光が収束していく。
次の瞬間射出されたそれが、辺り一面を更地に変えた。
「ふざけんな、お前ら何で、」
吹っ飛ばされた男たちの眼前に、赤髪の勇者様が一瞬で躍り出る。
構えた片手剣を、振るった。
ごう、と勢いよく炎が巻き上がり……更地になった場所が、火の海に包まれる。
そしてやがて、その場に立っているのは、勇者様だけになった。
「スズキさん!」
「スズキ!」
二人が私のところに駆け寄ってきた。
黒髪の男の人が、にこにこと私を見つめている。
その赤い瞳にはやっぱり、見覚えがあった。
「僕、早かったよね? 一番だった?」
「え、えーと、……マオくん?」
「なぁに、スズキ」
マオくんが返事をした。
どうやら本当にマオくんらしいけど……見た目は10歳どころか、20歳くらいに見えるというか……魔族の成長が早いにしたって、こんなに急成長するものだろうか?
「スズキさん」
目を瞬いている私に、勇者様が一歩、歩み寄ってきた。
その顔を見上げて、咄嗟にぺこりと頭を下げる。
「あ、ありがとう、ございます! また、助けていただいて!」
「何言ってるんですか」
少し顔を上げて、勇者様の表情を窺う。
やさしく微笑む勇者様と、目が合った。
「俺を助けてくれたのは、スズキさんです。俺がこうして誰かを守れるのは……スズキさんのおかげですよ」
そのやさしい瞳に、胸がいっぱいになる。
本当に、こういう人のことを、勇者様と呼ぶんだと思う。
強くて、誠実で――信じた相手を、裏切らない。
「でも、どうやって……?」
「……転移魔法とか、いろいろ」
「こいつ、スズキの携帯に追跡魔法陣仕掛けてた」
「わー! わー!!!」
マオくんの言葉に慌てる勇者様。
追跡魔法をかけるほど、心配してくれていたのだろうか。
だが、半分とはいえ魔族のマオくんと一緒にいるわけだし、勇者協会では注意すべき存在として扱われていてもおかしくない。
勇者としてはそのくらいして当然、ということかもしれなかった。
そう思ってマオくんに視線を戻すと、ぽん! と音がして、マオくんの姿が元に……子どもの姿に戻った。
うとうとと眠そうな瞳を擦ってふらつく身体を、勇者様が抱き止める。
あっという間に寝息が聞こえてきた。勇者様がマオくんを、よいしょと背負う。
あの姿は一時的なものだったようだ。
よかった、さすがにずっと大人の姿でいられたらちょっと、気を遣う。私の部屋は成人2人が暮らすには狭すぎる。
タカハシちゃんはじっと黙って、私たちのやり取りを見つめていた。
そうだ。タカハシちゃんの怪我の具合を見なくては。
「タカハシちゃん、大丈夫?」
「すみません、俺回復魔法はあんまり……」
「大丈夫、すぐ治るから」
タカハシちゃんがややぶっきらぼうに答える。
勇者様がタカハシちゃんを見下ろして、ぽつりと呟いた。
「強化獣人、か」
「そう。昔の戦争の時に、作られた、ね」
「えっ」
思わず声が漏れた。
私の全く知らない話だったからだ。
強化獣人、という単語も初めて聞いた。孤児院からサポートセンターにそのまま就職したので、そのあたりのことにはあまり明るくない。
獣人だってタカハシちゃんを見るまでよく知らなかったくらいだ。
「サポセンで獣人が働くなんて、変だと思わなかった?」
「お、思わなかった……」
「あーし普通の獣人よりだいぶデカいし」
「獣人、初めて見たし……」
「せんぱいだけだよ、そんなの」
タカハシちゃんが呆れたように笑う。
言われてみればみんな、タカハシちゃんとはあまり親しく話したり、お昼に出たりしていなかった、かもしれない。
タカハシちゃんすごく人懐っこいのに何でだろう、とは思っていた。
まさか私以外はみんな、事情を察していたのだろうか。
「戦争終わって、もういらなくなったんだって、あーしたち」
「そんな、」
「でも急にいらないって言われても、あーしたちも生きてるわけじゃん? で、国のいろんな組織に割り振られることになったわけ」
タカハシちゃんの言う、国の組織。そのうちの一つがサポートセンターだったということか。
戸惑いつつ勇者様の方を窺うが、勇者様は真面目な顔で、黙って彼女の話を聞いていた。
「勇者を回せないような案件で、時々協力するって条件で、ね」
「勇者に、回せない案件……」
「今日みたいなやつ」
タカハシちゃんが何てことないように言った。
指名手配の、犯人。勇者殺しの勇者。
勇者に対抗できるのは、勇者しかいない。
だけれど勇者は日々魔物や魔族との戦闘に駆り出されていて、それだって十分とは言い難い。
圧倒的に勇者が足りていなくて……だからサポートセンターも、いつもてんてこ舞いで。
内輪の揉め事にまで勇者を駆り出している余裕は、確かにないのが現実だ。
勇者が暴走することに対して危機感を持つ人もいる。
私もとても勇者とは呼びたくないような勇者を何人も知っている。
だから、勇者だけに頼らず――勇者に対抗できる手段があった方が、安心できるという人もいる。きっと、そういうことなんだろう。
「転移装置があって便利だから、たまたま配属されただけなんだけど……あーし、ガチで運良かったわ」
タカハシちゃんが笑う。
尖った犬歯がよく見えて……いつものタカハシちゃんと、同じ笑顔で。
強化獣人。その事情は私には、まだよく分からないけれど……やっぱりタカハシちゃんが怪我をしているのは、嫌だと思った。
「なんにも知らなかったあーしに、あんなに根気よく教えてくれたの。せんぱいだけだよ」
「教えるよ、後輩なんだもん」
「そーゆー察し悪いとこ、最初は『この人すぐ死にそう』って思ってたけど……今はちょースキ」
タカハシちゃんがまた、にひひと悪戯っぽく笑った。
「すぐ死にそう」はなかなかひどい評価な気がする。たぶんここまで生き残れた程度には、運はいいと思うけれど。
私の隣に、勇者様が一歩歩み出る。そしてタカハシちゃんに、深々と頭を下げた。
「済まない。俺たち勇者が、不甲斐ないばっかりに」
「あは、勇者様が謝ることじゃないっしょ。もっとヤバい勇者、たくさんいるし」
「それも含めてだ」
「真面目~」
タカハシちゃんが立ち上がった。
そして私にすり寄ってくる。
その体を抱き留めて――タカハシちゃんが大きすぎてバランスを崩し、私はその場に座り込んだ。
「勝手に作り出されて、道具みたいに利用して。放り出されて、挙句にまた、引っ張りだされて。まぁ普通は、恨んだりするのかもねー」
「それも、当然だ」
「でもあーしは、あんまそーゆーのなかったかも。何か、だんだんさぁ」
タカハシちゃんが、私の膝の上に体を乗り上げて、目を閉じる。
そっとたてがみを撫でると、タカハシちゃんは心地よさそうに微笑んだ。
タカハシちゃんが、何の動物の獣人か――センシティブな問題なのかなと思って聞けてないんだけど……こうしていると、大きな猫みたいだった。
「あーしがこうやって戦って、せんぱいが笑っていられるなら、それでいいかもなー、みたいな」
「私は、タカハシちゃんが怪我するの嫌だよ」
血で固まってしまった毛並みを見て、悲しくなった。
タカハシちゃんが戦っていたことを、知らなかった。
私には、勇者様みたいな力はない。マオくんみたいな力もない。
それがやっぱり、悔しい。
「タカハシちゃんのネイル見せてもらうの好きだから、割れちゃったら悲しいし。お昼だってまた一緒に行きたいし」
「んー、ふふ。そだねー」
ただ我儘のように言い募ることしかできない私に、タカハシちゃんは機嫌が良さそうに鼻を鳴らした。
「ね、せんぱい、覚えてる? 初めて一緒にお昼行ったときさ。あーしが陰でこそこそ言われてるの見て……先輩、なんかめーっちゃ大きな声で、言ったんだよね。『わぁ、タカハシちゃんの爪綺麗! ネイルしたらすごく映えそう』って」
「……覚えてる」
「そんでさ。『私、仕事柄声は褒められるんだよ。だからね、私の声だけ聞いてて』って」
「そ、れは……あんまり覚えてないかも」
「あは」
思い出話をしながらも、タカハシちゃんはどこか、楽しそうだった。
ぼろぼろなのに――いつもの、サポートセンターで見るタカハシちゃんと、同じだった。
「何かさ、ちょっと――嬉しかったんだよね。こんなちっちゃくて、弱っちいのに……あーしを、守ろうとしてくれるとかさ」
「守るとか、そんなじゃない、けど」
「だからね、先輩」
タカハシちゃんがゆっくりと、目を閉じた。
寝言のように、タカハシちゃんが呟いた。
「お疲れサマ。また明日、ね」
〇 〇 〇
サポートセンターを訪れて、ごくりと息を呑む。
退役後の強化獣人の待遇改善を要望した結果、退役後も戦闘に従事する強化獣人のいる施設には、定期的に勇者が派遣されることになった。
特に動員がかかるような日は必ず同行する、と、試験的にそう運用することが決まったのだ。
基本的に勇者は複数人で行動する。
勇者でチームを組むには人員が足りないが、獣人とツーマンセルなら何とか回せる。そういう場合には有用だろうと判断されてのことだ。
強化獣人の話は聞いていた。そんなことが許されていいのだろうかと思いつつ、一介の勇者でしかない俺には難しい。
そう諦めてしまっている部分があった。
だが目の前で傷だらけになっていた獣人……タカハシさんを見て。
そしてそれを守ろうとしているスズキさんを見て。
やっぱりこんなやり方は許せないと、強く感じたのだ。
勇者協会も最近は少し柔軟になってきている。結果として、サポートセンターには俺が派遣されることになったのだ。
試験的な取り組みであっても、何かが、少しでも変われば。
スズキさんが胸を痛めるような出来事が、減るならば。
そう思って働きかけたことは事実だ。
事実、なのだが。
また明日。
スズキさんにそう言えるのが、羨ましい。
そういう気持ちがまったくなかったわけではないので、非常に後ろめたかった。
サポートセンターって階段を上がると、何やら賑やかな声が聞こえてくる。
「スズキ! おべんとうにはいってたこの緑のやつ、にがい! 毒!?」
「ま、マオくん!? 勝手に出歩いちゃダメだよ!!」
「いーなー、あーしもお弁当ほしーい」
マオ、また勝手に抜け出したのか。
この前もスズキさんの家からあの廃墟まで、勝手に転移していた。
俺の追跡魔法を利用したみたいだが、そんな芸当、普通の魔族だってなかなかできない。
やっぱりアイツは油断がならない。
もう完全にスズキさんのことを好きになっている気がするし、この前大人の姿になっていた時のことを思い返すと心配は増すばかりだ。
大人のマオ、何かちょっとかっこよかったし。俺より背も高かったし。
封印しているのにも関わらず、魔族としての力をすべては抑えられていない。
そのくらい魔力が強いようだ。このままいくと一年も経たないうちに大人になってしまう。
これはまずい。このままにはしておけない。やっぱり早めに勇者協会のほうで引き取らないと。
声のする部屋を覗き込むと、スズキさんとマオ、そしてタカハシさんがいた。
改めてタカハシさんの姿を見る。スズキさんよりだいぶ背が高い。それこそ俺よりも背が高いし、がっしりと筋肉質な身体をしている。
身体を覆う毛はぶち模様で、耳は丸い。
首周りの毛が少々長くて、尻尾の先は食器を洗うブラシみたいな形だ。
その条件に当てはまる生き物を、俺は一つ知っていた。
……タカハシさんも、油断ならない。
彼女は、ハイエナの獣人だ。
にこにこ無防備に微笑みながら、弁当をタカハシさんとマオに分け与えているスズキさん。
スズキさんは、普通の人だ。か弱い人だ。
それなのに、誰かを守ろうとする気持ちは……きっと、誰よりも強い。
当たり前のように、誰かに手を差し伸べられる人だ。
それが出来る人間は、多くない。
俺も、マオも、タカハシさんも。
みんな、スズキさんに助けられた。
スズキさんのことを考えると、俺もスズキさんみたいになれたらと、そう思う。
正しい行動を起こすための、勇気が湧いてくる。
きっとスズキさんみたいな人のことを――本当は、勇者と呼ぶのだろう。
「え、これおいしい」
「鶏肉のフライだよー」
「スズキ、ぼくにも『あーん』して!」
――それは、さておき。
スズキさんの手料理、手作りお弁当。
あまつさえ、「あーん」。
羨ましすぎる。
いつかは俺もきっと、いやいや、まずはもっと、お近づきになってから!
休憩室の入り口をくぐる。
前にサポートセンターに電話した時は、仕事が片付いたばかりで焦っていたのもあって、息も切れ切れになってしまった。
同じ過ちは犯すまいと、呼吸を落ち着けて。
スズキさんに向かって、挨拶をする。
「きっ、今日から、お世話になります、スズキさん!」