8話 護衛騎士
「あら、そういえば、神殿からの祝福は受けなかったの? あれは、ギフト持ちを探す行事と揶揄されているくらいだから、すぐ分かったでしょうに」
「ああ、そういえばそんなのあったっけ」
「……神殿からの祝福?」
二人の会話に、マナミが首を傾げる。
「五歳になった子は、神殿がその成長と未来を言祝ぐのよ。その時、もしギフト持ちだったら天から光が差すの。……子供は必ず通る行事だと思っていたのだけれど、もしかして、そんなことはなかったのかしら」
「え、ええと、田舎だからかも。神殿のある都市まで遠かったし……」
わたわたと慌てるマナミに、セレンがパン片手に付け加える。
「んー、あとは、生活に余裕があるかどうかじゃない? ボクはあんまり裕福じゃない孤児院にいたから、明らかにギフト持ちだって分かる子以外は行かなかったよ」
「あら、そうだったの?」
「うん。準備とか時間の確保とかで、それなりにお金がかかるらしいからねー」
パンを食べる手を止め、セレンがヴィルトリエに顔を向けた。
「話が出たついでに頼みたいんだけど、報酬の一部、前借りして毎月孤児院に送ってもらうことってできる?」
「いいわよ。支部長に言付けておいてあげる」
「ほんと? ありがとー! 大体食費で消えちゃうから、あんまり仕送りできてなかったんだよね。これで顔向けできるなぁ」
満面の笑みで残ったパンを食べ進めるセレンに、マナミがおずおずと口を開く。
「孤児院にいたんですか?」
「え? うん。よくある話だし、そんなに気にしないでいいよ。お金がなくてみんなで支え合ってたから、孤児院全体が家族みたいなものだったし」
「そうなんですか?」
「そうそう。ボクはこの怪力だから、みんなの頼れるお姉さんだったんだ。マナミも頼っていいよ?」
「ふ、ふぇっ!?」
思いがけない言葉に反応できず、ただ狼狽える。セレンがそれを見て、おかしそうに笑った。
「さて、じゃあそろそろ次の目的地の話をするわね」
ヴィルトリエが、ことりと紅茶のカップを机に置いて告げた。
「また他の都市で傭兵を雇うのかな?」
「いい傭兵がいたらね。でもそれは道すがらでいいわ。ひとまずの戦力は確保できたと思うから」
「じゃあ、もしかして魔王のいる……魔王って、どこにいるの?」
マナミの疑問に、ヴィルトリエはにっこりと笑みを浮かべる。
「そう。それを知るために、賢者の塔へ向かう予定よ」
「……賢者の塔、って」
マナミでも知っている。王国の北にある賢者の塔。それは、魔法をはじめ、世界のありとあらゆる物事を研究し、後世に伝えることを生きがいとする賢者たちが集う塔だ。その性質からか、賢者たちはみな属性魔法使いで、人によっては複数の属性を扱うこともできると言われている。
「なるほどね。賢者の塔だったら、魔王の住処とか、魔王が生まれた場所とか割り出せててもおかしくない。いや、むしろ賢者たちに分からなかったなら、もう誰にも分からないかもしれないね」
「ええ。王都で得られた情報だけでは、最終的に向かうべき場所が分からなかったの。だから次は、その魔王の居場所を探すために、賢者の塔を目的地とするわ」
「じゃあ、北の街道へ進むの?」
マナミの問いかけに、ヴィルトリエが首を振る。
「いいえ。一旦西に出て、途中の街道から北へ向かうわ」
「あれ、なんで?」
セレンが、最後のパンを味わいながら尋ねる。
「賢者の塔へ向かうことくらい、お父様にも見当がつくもの。騎士が見張ってたら嫌じゃない」
「そっか。トリエ、まだ使者を送ってないもんね……」
「ええ。全く、お父様は考えが固くて困るわ」
たぶんどちらかと言えば、国王の方がヴィルトリエの言動に困ってると思う。
マナミは曖昧に笑みを浮かべながら、ヴィルトリエの旅計画に耳を傾けた。
「で、なんでシュナがいるわけ?」
アフュサスの西門の前で、ヴィルトリエが口を尖らせる。声をかけられたシュナというらしい女性騎士は、呆れた顔で肩をすくめた。
「何年トリエ様の護衛騎士を務めていると思っているんですか。お見通しですよ」
「わたくしの王城脱出、止められなかったくせに」
「まさか、魔王相手にほぼ一人で挑むつもりだとはさすがに思わなかったんですよ。いえ、その考え自体は合っていたんですが」
はあ、と息をはいた騎士はふとマナミとセレンの方に顔を向け、姿勢を正した。
「これは失礼を。わたしは王女護衛騎士筆頭、シュゼルティーナ・モルヴァースと申します。今は一介の騎士の身ゆえ、気軽にシュナとお呼びください」
「ボクは“怪力の女傭兵”セレン。よろしくね」
「え、あ、えっと、マナミ・カイゼです」
名乗り返したセレンを見て、マナミは慌ててお辞儀を返す。というか、端から見たら自分は場違いじゃないだろうか。巨大な大斧を背負って装備を整えたセレンを見て、マナミは目を彷徨わせた。
「ちょっとシュナ、何名乗っているの。同行するつもりじゃないでしょうね」
ヴィルトリエが、睨みつけるようにシュナを見据える。こちらが怯えそうなその視線に、シュナは顔色一つ変えずヴィルトリエを見返した。
「同行したいところですが、させてもらえないのでしょう?」
「当然よ。そのつもりなら、お父様の案に乗っているわ」
「ですよね。護衛騎士としては歯がゆいですが、トリエ様のお考えは理解できます。なのでご安心ください」
眉をひそめたヴィルトリエに、シュナが静かに告げる。
「トリエ様がいない間、トリエ様が守りたいものは、わたしが代わりに守ります」
「……そう。なら、しばらく任せるわ」
ヴィルトリエはそう言って、シュナから目をそらした。それに困ったように笑って、シュナはまたマナミたちに目を向ける。
「お二人とも、トリエ様をよろしくお願いいたします。護衛をしろとは言いませんので、どうかみなさま、無事に帰ってきてください。相手が相手なので、難しいかもしれませんが……」
「あはは、大丈夫だよ。ボクたちみんな、元気に戻ってくるよ。ね、マナミ?」
「え、……う、うん!」
気休め、だとは思う。相手は遙か昔より言い伝えられる魔王、戦って何もないわけがない。でも、明るく微笑むセレンを見ていると、本当にみんな無事に帰ってこれそうな、そんな気がした。
「シュナ、用件はそれだけ?」
「はい。あ、いえ。もうご存じかもしれませんが、この先で暴れ縞鹿が何匹も目撃されているそうです」
「暴れ縞鹿が?」
ヴィルトリエが顔をしかめる。一匹ならともかく、何匹もいるというのなら、縞鹿の群れを怯えさせた何者かがいる可能性が高い。事故ならともかく、故意での行動なら、警戒しなければならない。マナミはぐっとこぶしを握った。
「分かった。気をつけるわ」
「本当にお願いしますね。なんだったら、助け笛でも身につけてください」
「荷物には入っているから安心して。それに、身につけるとしてもマナミくらい……そういえばマナミ、助け笛は?」
「……い、今出します」
「馬鹿なの?」
完全に忘れてた。内心頭を抱えながら、急いで助け笛を取り出す。母の手作りの笛は、成人前に作ってもらったこともあって、少し小さい。
「貴方、もう少し危機感を持った方がいいわよ?」
「え、謁見の前に外してから、色々あって頭から抜けてて……」
「まあまあ、今思い出せてよかったよ。これで万全だね」
「そうね、今後は肌身離さず身につけなさい」
「そうします……」
助け笛はその名の通り、助けを求めるための笛だ。音程が統一されていて、その音が聞こえた者は、出来る限り助けに向かうことが推奨される。戦う術がろくにない人は、できるだけすぐ取り出せるよう身につけるのが普通だ。マナミは二人の言葉を受け止めつつ、助け笛を首から下げた。
「じゃあシュナ、そろそろ出発するわね。行くわよマナミ、セレン」
歩き出したヴィルトリエを追って、マナミは跳ねるように、セレンはゆったりと歩き出す。
「いってらっしゃいませ。どうか、みなさまに神のご加護がありますように」
シュナの祈るような声が、背中を押した。