7話 天からの祝福
「へぇー、勇者の子孫と一緒に、魔王を倒す旅かぁ」
夕食時だから、とマナミたちは場所を変え、支部長に勧められた高級酒場の個室にいた。事情を説明されたセレンは、ごくりと料理を飲み込み、感心したように頷く。
「確かに、ここ最近不気味な噂が増えていたからね。魔物や魔王が復活しているかもしれない、というのは納得できるよ」
「魔物らしきものの目撃証言は地方ばかりだったのだけれど、やっぱり中央でも噂が広まっているのかしら?」
牛肉のステーキにナイフを入れながら、ヴィルトリエが尋ねる。
「うーん、疑い半分、不安半分というところかな。地方で恐ろしい生物が目撃されたらしい、という噂はあるけど、現実味がないし信憑性に欠けるからって、信じていない人が大半だね。でもその噂を聞いて地方に行った傭兵が多いから、不安を感じてる人もだいぶいるみたい」
「……あの。都市にいる傭兵が少なくて、不安ってことですか?」
「ん?」
首を傾げるセレンに、マナミは慌てて続ける。
「ご、ごめんなさい。田舎で生まれ育ったので、あまり詳しくなくて……」
「あー、傭兵がいるの、都市間がほとんどだもんねぇ」
「はい。村に来る行商人の護衛で見たくらいで、支部があるほどだとは知らなくて」
「貴方、本当に世間知らずね」
言い返せない。落ち込むマナミに、セレンが笑って答えた。
「都市には大体傭兵連合支部があるけど、基本的には、ある程度傭兵がその都市にいるから成り立っているんだ。仕事を頼める傭兵もいないのに支部があったって仕方ないからね。でも仕事がないと他の都市に流れちゃうから、たいていの支部では依頼がない傭兵に対し、都市治安維持の依頼を出してるんだ」
「都市治安維持?」
「都市の騎士が担っている仕事よ。見回りをして犯罪を未然に防いだり、事件が発生したら速やかに調査したり、みたいなこと」
「そうそう、さすが“騎士姫”様!」
セレンが楽しそうに笑いながら、魚の煮付けに手を伸ばす。
「仕事がない傭兵は、滞在している都市の治安維持依頼を受けることで、多少の金銭を得られるんだ。もちろん強制じゃないし、護衛とかの依頼の方が金になるから、さっさと他の依頼が多そうな都市に行く傭兵も多い。でも治安維持依頼は住民の信頼を稼げる面もあるから、受ける傭兵もまあまあいるんだ。ボクもわりと受けるよ、周りに気を配りながらだったら食べ歩きしてても許されるし」
「……もしかして、最初に会ったときって」
マナミの言葉に、セレンはえへへ、と誤魔化すように魚の煮付けを頬張った。
「騎士としても、助かる制度ではあるわ。どうしても手が回らないことはあるし、騎士は制服を着ているから、その目をかいくぐろうとする者も少なくない。傭兵同士の諍いも、この制度が始まってからは減ったらしいもの」
「そうなんだ……」
改めて、自分が今まで生きてきた世界がどんなに狭かったかを、マナミは身に染みて感じる。今まで顔見知りしかいない小さな村で育ったマナミにとって、ヴィルトリエの話は、遠い世界のことのようだった。
「まあ、だから傭兵がけっこう出払っている今は、その治安維持依頼を受けてる傭兵が少ないってこと。それで住民が不安に思っているんだよ。騎士がいるし、治安が悪くなってるわけじゃないけど、今までと違うから心配、って思うのは当然だしね」
「そっか、だから不安……」
不意に、父のことを思い出す。その優れた剣技で、村を守っていた父。希望者にはその剣を教えていたから、父がいなくなっても、村は守られたままだった。でも、それでも、父のいない日常は放り出されたようで、怖くて。
ぶり返しそうになった震えを宥めるように、マナミは食べていた都市風の白い野菜シチューに集中した。
「そういえば今更だけど、依頼はボクに頼むってことでいいんだよね?」
揚げた鶏肉の串を手に取りながら、セレンが問いかける。
「ええ。支部長からお墨付きが出ていたから、話してみて相当気にくわない人間でなければ雇うつもりだったわ。迷子になった誰かさんを保護してくれていたこともあったし」
「うっ」
突然の流れ弾に、マナミは思わず涙目になる。
「まあまあ、都市に慣れていないなら仕方ないよ。特に、ここは王都の隣だし、交易が盛んで、人がたくさんいるから」
マナミをそう励まし、セレンは明るい調子で続けた。
「あと、今のうちに何か聞きたいことない? 何でもいいよ、ボクだけキミたちのことを知ってるんじゃ不公平だからね!」
聞きたいこと。目を瞬かせるマナミを尻目に、ヴィルトリエが口を開いた。
「じゃあ、異名について教えてくれる? 確か、“怪力の女傭兵”だったかしら」
「そうだよ。本当はもっとかっこいいのがよかったんだけどね」
食べ終えた串を置きながら、セレンがため息をつく。
「誰とも組んでない女性傭兵って、いないわけじゃないけど珍しいから、よく声をかけられてたんだよね。でもそれで食べるのを邪魔されるのが面倒になってきて、男装することにしたんだ」
「そんな理由だったんですか……」
地味に気になっていたことの答えがあっさり明かされて、マナミはあっけにとられた。
「うまくいくと思ったんだけど、今度は女性に声をかけられるようになった上、生意気だって喧嘩ふっかけられてさ」
「それは災難だったわね」
「いや本当に。ボクはただ、美味しいものをいっぱい食べたかっただけなのに……」
それはそれでどうなんだろうと思ったが、揚げ鶏肉の串をあっという間に食べ尽くした様子に、マナミは黙ってシチューを掬った。
「それで、怪力で殴り飛ばしでもしたの?」
「ううん。ついかっとなって、持ってたスプーン粉々にしちゃって」
「……え?」
ヴィルトリエと二人で、困惑した声を上げる。
「……ええと、身体強化魔法で怪力になった勢いで、ということかしら?」
セレンは不思議そうに首を傾げた。彼女の三つ編みが、ちいさく揺れる。
「あれ、支部長から聞いてない? ボクの怪力、『天からの祝福』なんだ」
「……へ、『天からの祝福』!?」
思いがけない発言に、マナミはうっかり大声を上げた。
「ん、マナミ知らない?」
「し、知ってますけど、見たことはなくて……」
『天からの祝福』。神から授けられるという特別な力。与えられた者は魔法を使わず人智を越えた能力を扱えるけれど、その代わりか、魔力が一切ないという。だから神に選ばれた者とも、魔力がないことを憐れまれた者とも言われている。どちらにしても神から授けられたことに違いはないから、たいていは神殿に身を寄せ、神官や神殿騎士として一生を過ごすらしい。マナミの村長の大叔父もギフト持ちだったそうだが、子供の頃、近くの都市の神殿に連れられたと聞いた。
「わたくしも、神殿に仕えていないギフト持ちは初めてだわ。どうして傭兵に?」
ヴィルトリエの疑問に、セレンはあはは、と笑う。
「一度誘われたことはあるけど、ほら、神殿の食事って質素だからさ」
「ああ……」
納得してしまった。マナミはパンにかじりつくセレンを見て、つい頷く。
「でも、ギフトの制御が出来ていないのなら、神殿で学んだ方がよかったんじゃないかしら?」
紅茶を一口飲んでから、ヴィルトリエが尋ねた。
「さっきの話、要するに感情が高まったことでギフトの怪力が制御できず、スプーンを破壊してしまったってことよね? ギフト持ちが神殿に行くのは、制御方法を教えるためとも聞いているけれど」
「あー、まあ、それはそうなんだけど、ボクの場合、判明したのが遅くてさぁ」
セレンがのんびりとパンをちぎる。
「ほら、怪力なんて、普通の体質でもあり得るでしょ? だから大きくなるまでギフト持ちだって気付かなくて、力の使い方を矯正できなくなっちゃったんだよね」
それに、とセレンが続ける。
「例えばさ、マナミはギフトって言われて、どんなの思い浮かべる?」
「え?」
突然話を振られ、戸惑いながらもマナミは考える。
「えっと、自由に空を飛んだりとか、一瞬で遠くに移動したりとか……」
「魔法でも難しいようなものが多いわよね。確か今の神殿には嘘を見抜ける者や、遙か遠くまで見通すことができる者がいると聞いているわ」
「そうそう。その上で聞くけど、ボクのギフトってどう思う?」
「セレンさんのギフト?」
きょとんとするマナミに、ヴィルトリエの、ため息交じりの声が届く。
「……つまり、魔法でそれなりに再現できる程度のギフトだから、神殿は無理に制御法を教える必要はないと、そう判断したということ?」
「みたいだね。まあ、ボクはご飯の方が大事だから、引き留められてても逃げ出したと思うけど」
まるで他人事のように、セレンは新しいパンを手に取った。その様子が少しだけ、マナミには悲しく思えた。