4話 旅立ち
「これからしばらく一緒に過ごすのだから、伝えておくわ。わたくしにとって、一番守るべきものは王族よ」
ヴィルトリエはそう断言した。マナミはごくりと唾を飲み込む。
「わたくしが一番恐れているのは、手薄になった王城を強襲され、お父様や王妃様、エドリートを失うこと。もちろん民は守るべき存在だけれど、民を導く存在である王がいなければ、国の未来はない。だからわたくしは、国の戦力である騎士を一人でも多く、この地に残しておきたいの」
「……昨日も言ってましたけど、エドリートって?」
マナミの疑問に、ヴィルトリエは呆れた顔をした。
「わたくしの弟よ。そんなことも知らなかったの?」
「ご、ごめんなさい……」
「ちなみに、正確に言うと異母弟ね。わたくしの母は前の王妃だから」
「えっ、王妃様、二人目なんですか!?」
「……本当に何も知らないのね。むしろ気が楽になったわ」
気が緩んだように王女が笑う。それにつられて、マナミも肩から力が抜けた。
「それで、納得した?」
ヴィルトリエはそう問いかけてから、また壁に手を当て呪文を唱える。壁の先には隠し階段があり、彼女はつかつかと足を踏み入れた。絨毯は地面と平行のまま浮かんでいたが、マナミは念のためバランスを取り直す。
「もし納得できないなら、命をもって反抗してもいいわよ?」
「それ、魔王倒せなくなるんじゃ……」
「貴方ができる対抗手段なんて、それくらいしかないでしょう」
確かに。王女の言葉に内心頷きつつ、マナミは答えた。
「納得は、しました。でも……」
「二人旅は心配?」
「えっ、は、はい!」
言い当てられ驚くマナミに、ヴィルトリエは頷いた。
「元々は貴方も戦える想定での計画だから、そう思って当然よ。でも安心なさい。雇えばいいの」
あまりにあっさりと返ってきた回答に、マナミは瞬きをする。
「……誰を?」
「誰って、傭兵を」
階段を降り続けながら、至極当たり前のことのように王女は言った。
「組織に属すのを好まない、自由気ままな戦いの猛者。金を積めば、相手がどんな人間だろうが雇われる仕事人。南部で戦ったとき力を貸してもらったけれど、わたくしにも匹敵するほど強い者だって何人もいたわ」
「な、なるほど……」
「幸い、自由に使える金銭はいくらでもあるから、安全第一の傭兵でなければ雇えると思うわよ。もっとも、都市も彼らを雇いたいでしょうし、性格や相性もあるから、雇えて一人か二人だと思うけれど」
「そ、それでも心強いです」
マナミはほっと息を吐いてから、はっとヴィルトリエに頭を下げた。
「あの、ごめんなさい。考えあってのことなのに、色々説明してもらって……」
「謝る必要はないわ。これから苦楽をともにするのに、田舎の娘と侮って丸め込もうとしたわたくしが悪かったのだから。むしろ、きちんと考えられるのだと安心したくらいよ」
「あ、ありがとうございます……」
そう言いながら、マナミは改めて王女を見た。階段を降りきった彼女は目の前の壁にまた呪文を唱え、新たな道を切り開いている。その様子に迷いはない。
国の未来のため、あらゆることを考えて、真っ直ぐ進む王女。
これから、この人と旅をするんだ。
マナミはその事実に背筋を伸ばしつつ、絨毯に座り込むしかできない自分に俯いた。
階段を後にし、現れた通路をヴィルトリエは歩いていく。
「さて、そろそろ今後の予定を話すわね。この通路の出口は王都の外、街道から外れた木立にあるわ」
「そ、そんなに遠くに?」
マナミは驚く。王城の外に出るとは思っていたが、まさか王都よりも外だとは思ってもみなかった。
「あれ、じゃあ王都門での手続きは……」
「するわけないでしょう。門番の騎士に捕まるだけよ」
「た、確かにそうですけど……」
王都へ入るとき、王命でもきっちり手続きをしたことを思い出し、マナミは内心頭を抱える。この王女は本当に、目的のためならあらゆる規定をなぎ倒すつもりのようだ。もうその計画に納得してしまったマナミには止められないが。
「続けるわね? その出口は正確に言うと王都より北西、縞鹿街道の東側にあるの」
「すごく縞鹿がいそうな街道……」
「いるわよ。まあ人が狩りすぎたせいか、隠れ縞鹿ばかりだけれど」
「そうなんですか、よかった」
縞鹿は臆病な反面、追い詰められると群れを守るため何匹かが暴れ出す習性がある。しかし相当警戒度を上げた状態、つまり隠れ縞鹿なら、下手に近づかなければ害は全くない。暴れてもどうにもならないと思うのか、遠くから矢で仲間が射られたとしても逃げ出すだけだ。
「その縞鹿街道の先、アフュサスが一旦の目的地よ。王都と西部、北部を結ぶ交易都市。まずはここの傭兵連合支部で、雇えそうな相手を探しましょう。アフュサスより先は安全とは言いがたいし」
ちなみに、とヴィルトリエは続けて尋ねる。
「マナミ。貴方、身体強化魔法はどれだけ保つの?」
「……さ、三分……」
「は?」
唖然とした声に、マナミは肩を落とす。
「ご、ごめんなさい」
「……いいわ、最悪わたくしが担げばいいもの」
「か、担ぐって、そんなこと」
「言っておくけれど、この絨毯、目立つから置いていくわよ」
ヴィルトリエの告げた言葉に、マナミは慌てる。
「ア、アフュサスまでどれくらいなんですか!?」
「夕方前には着く予定よ。身体強化魔法を使えばね」
「え、ええっと……」
担がれるしかなさそうだ。しゅんとするマナミに、ヴィルトリエも息を吐く。
「わたくしも甘かったわ。こんな状況に備えて、一陣馬いちじんばに乗りこなせるようになっていればよかった」
「一陣馬、ですか?」
「貴方、一陣馬の馬車に乗ってきたのではなくて?」
ああ、とマナミは頷く。名前が分からなかったから、すごく速い馬と呼んでいた。
「まあ、それは出口に着いてから考えましょう。ところで、マナミ」
「は、はい」
「いつまで敬語を使うつもり?」
「ふえっ?」
王女の言うことが飲み込めず、マナミは固まる。ヴィルトリエはそんなマナミをちらりと見た。
「わたくしは確かに王女だけれど、これからは貴方と運命をともにする旅の仲間よ。そんなかしこまられても困るわ」
「でっでも、誰かに注意されたら」
マナミの不安も、ヴィルトリエは一蹴する。
「わたくしが許したのだから問題ないわ。お父様だって気にしないでしょう。そもそも、王城を出た時点で、わたくしは王女と言うより騎士として振る舞うことにしているの。だから貴方と同じ、国王陛下から命を受けただけの民よ。立場は一緒でしょう?」
「そ、それは……」
ヴィルトリエは、マナミが断ることを考えもしていないように微笑んでいた。とはいえ、黙って従わせるような圧があるわけではない。あくまで我儘で、絶対の命令ではないようだ。でも確かに今後を考えると、ヴィルトリエの言う通り、かしこまって距離を置くべきではないだろう。
「……じゃあ、王城を出たら……」
とはいえせめて心の準備を、と期限付きで答えたマナミに、王女がきっぱり告げる。
「あら、もう出たわよ」
「えっ!?」
いつの間に、ときょろきょろ辺りを見回すマナミに、ヴィルトリエは可笑しそうに笑った。
「さっきの階段、降りたところがちょうど城壁くらいかしら。今歩いているのは王都の下ね」
「も、もうそんなに……」
ずっと絨毯に乗っているせいか、それとも淡光石の壁が延々続いているせいか、マナミは全然気が付かなかった。
「それで?」
ヴィルトリエが楽しそうに催促する。もしかしたら旅の中で、自分は何度もこうやって王女の我儘を聞くのかもしれない。マナミはなんだか自棄になって口を開いた。
「その、努力するね、えっと、ヴィ、ヴィル……」
「トリエ」
「へ?」
マナミはぽかんとヴィルトリエを見る。彼女も首を傾げてこちらを見ていた。
「長くて面倒でしょう? トリエでいいわ」
「……分かった。と、トリエ」
おずおずと話すマナミに、ヴィルトリエはにこりと笑みを浮かべた。
「よかったわ。貴方が簡単に丸め込めやすい人で」
「ひ、酷くないですか!?」
敬語での抗議を気にも留めず、ヴィルトリエはマナミに向けて片目を瞑る。
「改めて。これからよろしくね、マナミ」
マナミは少し迷ってから、ふわりと微笑む。
「よろしく、トリエ」
マナミの旅が、ようやく始まった気がした。