3話 隠し通路
「ん……?」
ひんやりとした空気を感じ、マナミはぼんやりと目を開ける。
ベッドで眠っていたはずなのに、マナミはなぜだか通路に座り込んでいた。壁は飾り気のない淡光石で、ほのかな光を放っている。寝ぼけた頭で、昨日案内された客室の壁はこんな風だっただろうか、とマナミは首を傾げた。その拍子に、自分の下に敷かれた絨毯が目に入る。色鮮やかで豪奢な絨毯は、少しほこりっぽいこの空間よりも、どこかの客室にある方が似つかわしく思えた。
「あら、起きたのね。ちょうどよかったわ」
なんだ、夢かぁ。
聞こえた声に、マナミは納得する。同じ王城内とはいえ、まさかヴィルトリエ王女がマナミの泊まっている部屋に来るわけがない。それも寝ている間に。
一人頷いていると、ヴィルトリエがマナミの左側から歩いてきた。謁見のときには下ろされていた髪を高い位置で結び、騎士服でマントを羽織っている。腰に差している剣は使い込まれていて、柄の部分に陽光色の宝石が嵌められていた。
王女はマナミの隣に、持っていたつぎはぎの鞄を置いた。
「貴方の荷物、これだけかしら?」
「え、あ、はい。中身を机とかに置くの、恐れ多くて……」
答えながら、マナミは自分の近くに別の荷物が置いてあることに気が付く。丈夫そうな革鞄や革袋で、中身が多いのか膨らんでいた。まるで、長旅の荷物のように。
――旅?
ようやくマナミは自分の状況に疑問を抱く。なぜベッドにいないのか、そもそもここはどこなのか。なぜヴィルトリエ王女がいるのか。どうして帯剣して、動きやすそうな服装をしているのか。考える前に、ヴィルトリエの声が届く。
「そう。ならこれで全部ね」
ヴィルトリエが踵を返す。つられてマナミも目を向けて、冷水を浴びたように目が覚めた。
王女が向かう先。狭い出入り口の向こうに、空間があった。薄暗いが、淡光石のおかげでかろうじて分かる。あれは、おそらくマナミが泊まっていた客室だ。
「あのっ、その部屋」
「黙りなさい」
王女の声に、思わずマナミは口を閉じる。その間に出入り口に辿り着いていたヴィルトリエは、横の壁に手を当て呟いた。
「『王の血のもと、道を閉じよ』」
途端、下から石の壁が無音でせり上がり、マナミのいた客室が遮られる。目の前で起こったことに追いつけず、マナミはぐいっと頬をつねった。
「痛っ」
「残念ながら現実よ。これからわたくしたちはこの隠し通路を抜けて、旅に出るの」
マナミは目を瞬かせる。
「……旅に?」
「ええ。魔王を倒す旅に」
「え、だって、数日は先になるって」
マナミは戸惑って声を上げる。
昨日、謁見の後に説明されたのは、騎士の選定が途中であること、それが終わり、準備が整ってから出発するということだった。だからマナミは少し安心して、その間にちょっとでも旅の心得を学ぼうと思っていたのだ。
「お父様の計画ではそうだったけれど、その通りにするつもりはないわ」
ヴィルトリエの言葉に、マナミはまさか、と声を震わせる。
「ま、まさか、二人だけで旅に出るんですか!?」
「そうよ。悪いけれど、これはもう決めたことだから。諦めて従いなさい。安心して。昨日も言ったように、わたくしがちゃんと守ってあげる」
王女が微笑む。昨日も見た、魔王をも恐れぬ不敵な笑みだった。愉快そうに細められたその瞳は、けれど少しばかり圧を感じる。それに怯みながら、マナミは食い下がるように尋ねた。
「……あの、隠し通路って、他の人は」
「王族しか知らないわ。でも今は夜だし、まだわたくしの行動は気付かれていないはずだから、助けは来ないわよ」
「うっ」
頼みの綱を引き裂かれて、マナミはうなだれる。そうかもしれないとは思っていたけれど、やっぱり王族専用の通路らしい。客室が薄暗かったことから、夜であることもおそらく正しい。なら探し出されるとしても、きっとずっと後のことになる。王女の計画を阻止するなら、それまでの長い間、彼女を引き留め続けなければならない。
いや、無理だ。マナミは自分の力のなさに泣きたくなった。
「諦めがついたかしら? そろそろ出発したいのだけど」
変わらず威圧し続けるヴィルトリエに、マナミは涙目になる。微笑み続ける王女は、謁見のときと比べても、さらに鮮烈だった。淡光石の光よりずっと眩しい。人の上に立つ王族の恐ろしさを、マナミはひしひしと感じた。
でも。マナミは昨日、自分が抱いた決意を思い出す。
でも、それでも。
「せ、せせっ、説明してくださいっ!」
噛んだ。つっかえた。だけど言えた。マナミはできる精一杯で、王女を見つめる。
一方、ヴィルトリエは不意を突かれたかのように目を丸くした。
「……説明?」
「そ、そうです! 騎士を連れて行かないで、二人で旅に出る理由を教えてください! 納得できたら、一緒に行きます!」
正直、王女と二人きりの旅には不安しかない。王女がどんなに強い剣士でも、マナミを守りながらではどうしても上手くいかないだろう。マナミの父も、誰かを守りながら戦う方がずっと難しいと言っていた。その辺の動物ならともかく、魔物や魔王相手に、二人だけで太刀打ちできるとは思わない。
でも、それはヴィルトリエ王女だって分かっているはずだ。昨日、彼女は国の未来を守ると告げた。そのためなら血に染まるのも構わないと。そんな人が、単なる我儘で、討伐を失敗させるような行動を取るとは思えない。まだ王女と出会って一日も経っていないけれど、その国を守る意志を、マナミは信頼していた。
だから知りたい。ヴィルトリエが考えていることを。
知らないまま、引きずられるように歩き始めたくない。
マナミの願いに、王女はそうね、と頷いた。
「有無を言わせず連れて行く気でいたけれど、よく考えたら、貴方はわたくしの旅の仲間になるのだものね。きちんと説明すべきだったわ」
悪かったわね、と微笑んだその顔は、先ほどとは違い、穏やかなものだった。その様子に、マナミはほっとため息をつく。
「でも時間がないから、向かいながら話すわね」
「え?」
マナミが困惑する間もなく、ヴィルトリエが絨毯に手を添える。
「『王の血のもと、宙に浮かべ』」
ふわっと、絨毯が浮かび上がる。マナミと荷物を載せたまま。
「ぴえっ!?」
「安心しなさい。これは一本一本、浮遊の魔法を込めた糸で織られたものよ。それくらいの重みで落ちたりしないわ」
「えっ、な、糸に!?」
ヴィルトリエの言葉に、マナミはむしろ動揺する。マナミの知る限り、魔法はたいてい、物品の完成後にかけられている。それで充分効果を発揮するからだ。でも浮遊の魔法は、属性魔法使いほどの腕や魔力がないと、人を載せられることはできないらしい。行商人が浮遊のハンカチを見せてくれたことがあったが、それだって石を載せたら飛ばなくなった。
もしあのハンカチがこの絨毯と同じ手法で作られていたら、と考え、マナミは青ざめる。必要な手間と魔力を考えるだけで目眩がしそうだった。
「あ、あの、これ、高いんじゃ……」
「当然でしょう? 本来は、王族が敵から逃れる際使うものだもの。今回は貴方にあまり魔力がないと聞いたから引っ張り出してきたけれど」
「ひえ」
恐れ多さに固まるマナミに構わず、ヴィルトリエは絨毯の端の紐を手に取る。
「じゃあ行くわよ」
「あ、わわ」
歩き出したヴィルトリエに引かれて、絨毯が進む。慌ててマナミはバランスを取った。
「あ、あの、重くないですか?」
「身体強化の魔法は既にかけてあるわ。大丈夫よ」
「あ、なるほど……」
それはそうだ。そういえば、歩く速度だって速い。マナミは魔力が少ないせいで、どうしても、そういう余裕を持った魔法の使い方に考えが及ばなくなってしまう。
「そろそろ説明していいかしら?」
「あっ、は、はい」
頷くと、王女はマナミに尋ねた。
「マナミ。貴方、魔物に関する現状は教えられていて?」
「え、あ、えっと」
マナミは昨日の謁見の後、今後の予定とともに伝えられたことを思い返す。
「今は目撃証言だけで、特に被害はないけれど、言い伝えを踏まえると、今後人や動物が襲われる可能性が高いって……」
「その通り。まあ言い伝えをそのまま信じるならば、既に被害が出ていなければおかしいけれどね。でも、魔物が他の生物を襲う可能性がある以上、国としては、放っておくわけにはいかない」
ヴィルトリエは三叉路を右に曲がりながら、淡々と続けた。
「だから、もし今後各地の都市から応援を求められたら、お父様は間違いなく騎士を派遣するわ。たとえその結果、王都が手薄になろうとも」
「……もしかして、騎士を連れて行かないのは」
王女はマナミを一瞥し、まっすぐ前を向いた。