13話 噂の意図
パリン、と核が砕ける音が響く。水牛に似た姿と蛇のような長い尾を持った魔物は、そのまま塵に還っていった。
「これで、噂の魔物は全部ね」
周囲を見回し、ヴィルトリエが魔法剣を解除する。それにほっと息を吐きながら、マナミは水筒の水を呷った。
魔物退治の旅は順調に進み、エラファウェ手前、最後の噂の場所である森まで来ていた。罠があるかも、と警戒していたが特になく、今までの場所と同様、魔物と戦うだけで終わりだった。やはり、誘導していたとしても、その行き先はエラファウェのようだ。
「うん、魔物の情報もまとまってきたから、あとは賢者の塔に渡せばよさそうだね。ボクたちの連携もだいぶ良くなったし、わりと順調だと思うよ」
「そうね。まあ、魔王が相手と考えると、まだまだだけれど」
「うぅ、そうだよね……」
魔王。言い伝えでは勇者が何日もかけて戦い、ようやく倒せた相手。
途方もない壁を見上げているようで、マナミは胃が痛くなった。
「マナミ、貴方はとどめを刺すことだけ考えていなさい」
「そうそう、大丈夫だよ。魔物だって倒すの早くなってきたんだから。これから魔王のところへ辿り着くまでに、ボクたちもっと強くなるよ」
「同意。魔物の傾向、核の位置、掴めてきた。まかせて」
「う、うん」
励ましの声に、マナミは先への不安を端へと押しやる。どっちにしても、戦いを見守るだけのマナミが心配していたところで、何の役にも立たないのだ。それならみんなを信じ、安全を確保し、応援している方がずっとましだ。
「さて、じゃあ戻りましょうか。今からなら、日が暮れる前に村へ着けるわ」
「そうだね。明日も地下水路で進むし、体力は残しておかないと」
「あれ、慣れる日が来ると思えないんだけど……」
ヴィルトリエの声で、マナミたちは帰路につく。獣狩りで使われる道をそのまま辿ってきた上、今回はそこまで駆け回らなかったため、迷子になる心配はない。だからマナミたちはどこかゆったりとした気分で、森の外へと歩いていた。
「それにしても、もうすぐエラファウェかぁ。誘導された理由も知りたいけど、噂のことも調べないとねー」
「あ、船が行方不明になったのと、あと……」
以前の様子を思い出し、ヌイに目を向ける。が、ふい、と顔を背けられた。
「伝説の怪盗、だったわね。全く、民衆が好きそうな噂だわ」
ヴィルトリエが、呆れたようにため息をついた。
「ええと、確か私たちが生まれる前の人だっけ」
「そうそう。ボクも詳しくは知らないけど」
「わたくしも、そこまで知識があるわけではないわ。前王の時代に活動していた、一度も捕まることのなかった怪盗。それが伝説の怪盗よ」
ちら、とヌイを見て、ヴィルトリエが続ける。
「盗まれたのは、そのほとんどが宝石類。それも希少で高価なものばかり。どんなに厳重に鍵を掛け、魔法を掛け、警備を固めても、その全てを掻い潜り盗んでいったと聞くわ」
「え、ど、どうやって」
「知らないわよ。国一番の属性魔法使いが守っていた王家の宝物庫にだって一度入り込んでいるらしいから、それを上回る魔法使いとも、あるいは強力な『天からの祝福』を与えられていたとも言われているけど、あくまで推測だもの」
「へぇ、王家に? それならその推測、合ってそうだけど」
セレンが目を丸くして、感心したように言った。だが、ヴィルトリエは首を振る。
「残念ながら、魔法を使っているにしては詠唱がないし、ギフトにしては能力が多彩過ぎたから、その推測は主流ではないのよ。有力なのは悪魔に魂を売っただとか、想像を絶する鍛錬を経て人離れした存在になったとか、複数人での犯行だったとか。それから」
ヴィルトリエが、くるりと振り返り、こちらを向く。その視線の先にいるのは、黙ったままのヌイだ。
「誰も踏み入れたことのないほどの深淵まで辿り着いた、闇の属性魔法使いだった、とか」
ヴィルトリエの唇が、愉快そうに弧を描く。ヌイはその眼差しを真っ向から受け止めながら、ぽつりと口を開いた。
「闇魔法、違う。詠唱、必要」
「詠唱を闇に溶かしていた、なんて説があるけれど?」
「音の吸収? 可能、でも詠唱は不発。どこにも届かない声は、魔法を発動できない」
「……なるほど。ひとまずは、納得しておくわ」
ゆっくりと頷いて、ヴィルトリエが向きを前に戻す。知らず固まっていた身体を解きほぐすよう
に、マナミは大きく息を吐いた。
「そっか。それでなおさら、ヌイのこと怪しんでたんだね。伝説の怪盗の関係者だって」
「あの反応を見たら誰だって気になるでしょう。伝説の怪盗、って耳にした途端飛び出してきたんだもの」
「……何でもない。気にしないで」
ヌイがふてくされたように目を伏せる。その様子は、マナミでも何かあるのだと確信できるものだったが、同時に、触れることが躊躇われるものでもあった。
「あ、あのえっと。船が行方不明の方の噂は、どう思う?」
「マナミ、貴方話を逸らすのが下手ね」
「うっ」
何も言い返せない。思わず胸を押さえたマナミに、セレンがおかしそうに笑った。
「まあ、ボクとしては今のところなんとも言えないね。噂もたいして変わらないし」
「急ぎだから聞き込みしているわけではないけれど、これだけ広まっているなら、もっと内容に変化があって当然だものね。まあ、正直なところそんな気はしていたけれど」
「そんな気、って?」
「自然発生した噂ではない、ということよ」
マナミは目を瞬かせる。
「え、その、どうして?」
「考えてもみなさい。船が行方不明になったのは半年以上前のことよ。いくら原因が不明だからって、そんな前のことと、最近の魔物を結びつけるのは強引すぎるわ。そんな事故、昔からいくらでもあるのだから」
「トリエとしては、魔物出現が海からだったというのは考えづらい?」
「可能性のひとつではあるけれど、そこまで高くはないわ。時間のずれが大きすぎるし、魔物が関わっているかもしれない根拠がなさすぎる。わたくしたちが巡ってきた場所の噂は具体的だったけれど、それ以外の場所だって、まだうっすらとした理由があったわ。噂されるだけの理由が」
ヴィルトリエの返答に、セレンが確かに、と呟く。マナミもようやく理解できた。ヴィルトリエの言う通りだ。エラファウェの噂は、半年以上前に船が行方不明になった事件に、魔物が関わっているんじゃないか、というだけのものだ。魔物らしきものを目撃していたとか、そういう情報は何一つない。これならまだ、宝石類が盗まれていたという伝説の怪盗の噂の方が信頼できる。いや、こっちもそれだけ不可解な状況で盗まれたんだろうな、という憶測があってのことではあるが。
「つまり、トリエがエラファウェに来ようと思ったのは、噂の内容が気になったからじゃないんだね。引っかかったのは、そんな噂を流した意図の方ってことで合ってる?」
「ええ。こんな根拠のない噂が一番広がっているって、そんなのおかしいでしょう。それにどこで聞いても内容が一切変わらないなんて、不自然極まりないわ。なら、誰かが何らかの意図でこの噂を流しているという方がしっくりくるわよ」
「……意図、誘導。可能性は」
ヌイが、静かに問いかける。ヴィルトリエは一瞬彼女に目を向け、薄く微笑んだ。
「わたくしたちを、ということね。それなら魔王が犯人だから、一番簡単だわ」
「うわー、でもそれはちょっと嫌だなぁ。それなら西部の噂、ほとんど魔王発信じゃん」
「た、確かに……」
寒気がして、マナミは身体を震わせる。そんなこと、あまり考えたくない。
「でも、これなら相手にするのは魔王と、あと伝説の怪盗もどきだけだからいいわよ。これで船の方もまだ何か企んでいる人がいたら、一度に相手にする存在が多すぎるわ。意図を考えるのも、調べるのも億劫になりそう」
「それはそうだね。とはいえ、まだボクらは噂しか知らないんだ。実際のエラファウェで何が起こっているかは、到着するまで分からない。うん、気楽に行こうよ」
セレンが、鞄から干し肉を取り出して一口かじる。そうして、ひらひらと空いた手を揺らした。
「油断はもちろんしないけどさ、必要以上に考えすぎるのも良くないと思うよ。噂はあくまで噂。誰かの思惑があってもなくても、不確実な情報なんだ。それを元に推理しても、あんまり上手くいかないんじゃないかな」
「……そうね。エラファウェが近づいてきたから、警戒は必要だけれど」
ヴィルトリエが苦笑して、鞄を開ける。取り出したのは干し果実だ。マナミもなんとなく真似をして、鞄から同じものを取り出す。ヌイの方を見ると、既に両手に持った干し肉を、交互にかじっていた。
真面目な話に疲れてきたら、みんなで何かを食べる。それが、いつの間にか習慣になっていた。特に誰かが言い出したわけでもなく、気付けば、自然に。
「んー、エラファウェは港町だし、魚食べたいなー」
「わかる。食べたい」
「貴方たち、干し肉を食べながら言うことではないと思うけれど」
どこか気の抜けた雰囲気につい笑いながら、干し果実を食べる。ここ最近の旅ですっかり慣れてしまった、橙色の果実。最初に地下水路を使ったとき、ヌイが取ってきてくれた、西部原産の甘酸っぱい果物。オミカジという、故郷にはないこの味が、マナミは好きになっていた。
だから、マナミは素直に思った。
「でも、私も楽しみだな」
エラファウェで何が待ち受けているのかは分からない。考えるだけで不安になってくるし、足が止まりそうになる。まだまだなりたい勇者にはほど遠くて、一緒に歩いているはずの仲間たちの背中が遠くて、毎日、自分が嫌になる。
それでも、ちょっとだけ。楽しみだと、思えるようになった。
「ボク、エラファウェに行くの数年ぶりなんだよね。ずいぶん発展したって聞くし、美味しいお店増えてるといいなー」
「それ、増えてなかったら逆にびっくりだね」
「新鮮な魚、美味しい。食べるの久しぶり」
「あら、食べたことあるの? いいわよね、港町の魚料理は。中央は海から遠いから、わたくしも久しぶりだわ」
この雰囲気の中では、ヴィルトリエとヌイも、だいぶ打ち解けてきているように思う。旅が進めば、もっと普段から、険悪にならずに済むのかもしれない。
食べ歩きながら、森の出口へ差し掛かる。この分なら問題なく、日暮までに最寄りの村へ着けそうだ。
そう、思っていた一行の足が止まる。
「いやはや、お待ちしておりました王女殿下!」
森の出口。そこに豪奢な馬車と、いかにも胡散臭い風貌の男が待ち受けていた。




