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少女マナミは歩き続ける  作者: 佐和森飛鳥
2章 港町怪盗騒動
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5話 伝承歌曲

 笛の音を、ひとつひとつ確かめていく。そのまま吹けばただの助け笛なのに、穴をひとつでも指で塞げば違う音になる。それが、マナミには不思議だった。


「ま、こんな感じに色々あるから、合図にするなら他の仲間の人たちと相談してくれ」


 コリスの言葉に頷いて、マナミはまじまじと助け笛を見つめる。


「助け笛なのに、演奏で使う笛みたいですごいね」

「ああ、演奏にも使えるぜ?」

「えっ」


 目を丸くするマナミに、コリスが可笑しそうに笑みを漏らす。


「といっても、演奏会で使うようなものは奏でられないけどな。普通の縦笛よりも音が限られるから、習い始めの練習曲ぐらいしかない。なんなら、その時の気分で適当に吹いた方がいいと思うぜ」

「そっか、確かに……」


 演奏会に圧倒されていたけれど、元々マナミが知っている楽器はそうやって奏でられていたものだ。気が向いたとき、祭りで騒ぐとき、練習もなしに思うまま叩き、吹き、鳴らすもの。村でもマナミは聞いているだけだったけれど、自分で演奏するというのなら、そっちの方がしっくりくる。

 演奏会の後、ソミィの誘いに応えられなかったのは、それもあるかもしれない。 “巡り風”の、演奏旅団の奏でる音楽はマナミの知らない世界で、足を踏み入れるのには、あまりに大きい一歩が必要だった。ソミィが歌を教えてくれるというのも恐れ多かったけれど、そもそも、特定の詩を特定の旋律で歌う、ということが、マナミには難しく感じてしまったのだ。詩を間違えたり音を外したりする予感しかしなくて、それが怖くて、挑戦することもできなかった。きっとソミィは叱りも嗤いもしないだろうと分かっているのに、一歩も踏み出せなかった。

 そう思うと、“巡り風”の演奏が、より優れたものなのだと実感する。彼女たちは、観客の前でも間違えることなく、最後まで歌い、演奏しきった。それだけで、マナミにとっては賞賛に値することだ。


「すごいなぁ……」

「え、何が?」

「演奏。あれだけの曲を全部覚えて、息を揃えて奏でるなんて、すごく難しいと思うから」

「いや、まあ、練習はしているけど、他の旅団と比べたら……。ああ、東部出身だったら、そもそも馴染みがないのか」

「へ?」


 戸惑い首を傾げるマナミに、コリスが慌てて口を開く。


「あ、悪ぃ。目の色からそう思ったけど、それだけで判断するもんじゃなかったな」

「ううん、東部出身で合ってるから大丈夫。でも馴染みがない、って? 私、田舎で生まれ育ったから、東部の都市の方のことはあまりよく分からなくて……」

「ああ、そういうことか」


 コリスが納得し、説明する。


「東部ではさ、伝承歌曲はあまり好まれないんだよ。過去の歴史とか出来事とか、そういうのを受け継がない質というか。伝統も重視しないから、跡継ぎも血筋じゃなくて意欲ある奴に任せるし、古いやり方に固執しないし」

「あ、うん、分かる気がする」


 生まれ育った村を思い返して、マナミは頷いた。マナミの村も、そういうところだった。その人の人生で実際に見聞きしたことについては話すけれど、生まれる前の、完全に伝聞であるものについては語らない。村長も代々志願した者がなっていたそうで、特に強い権力などもない。マナミのことも、魔力の少ない役立たずとして扱っていたけれど、あんなに立派な父の娘なのに、と言われたことは一度もなかった。

 だから、村では勇者の子孫であることを明かしていなかったのか。今更ながら、マナミは気が付いた。父は入り婿で、旅の途中、都市に出ていた母と出会ったと聞いているから、勇者の子孫という肩書きが、東部の文化にそぐわないことを知っていたのだろう。


「そんなわけだから、東部を回っていたときは即興で演奏することが多かったんだ。漁の歌とか豊作の歌とか、そういう物語のない歌でもよかったけど、それだって、元々は即興で作られたものだしな。伝承歌曲みたいな、最初からひとつの曲、ひとつの物語として作られたものとは全く違う」

「確かに、私もその場で演奏される方が慣れてるかな。……あ、その、でもさっきの演奏会の曲は、とっても素敵だったよ!」

「あはは、ありがとな。ま、だからこそ伝承されてきた歌曲なわけだし」

「……えっと?」

「まあ要するに、一番強い戦士が生き残るのと同じだよ」


 コリスが苦笑して続けた。


「とある英雄が偉業を成し遂げたとしたら、たくさんの吟遊詩人と演奏旅団が、こぞって歌曲を作り、それを歌う。でも、その内容は結局のところ全て同じだ。だからこそ、人々はより優れた詩を、旋律を、演奏を、歌声を求める。そうやって、最も広まった曲以外は淘汰されて、たったひとつ残ったその曲だけが、後世に受け継がれるんだ」

「そうなんだ……」


 途方もない話に、マナミは息を吐いた。今日、演奏会で聞いた歌。あれが全て、そうやって生き残ったものだったなんて、思いもしなかった。どれだけの曲があったのだろう。どれだけの人が作って、歌って、見捨てられて、消えた歌に涙を飲んだのだろう。


「残らなかった歌も、聴いてみたかったな……」


 マナミの呟きに、コリスがじゃあ、と明るい調子で言った。


「旅が終わったら、おれたちの歌を聴きに来いよ。姉貴のことだから、きっとあんたたちの歌を作るぜ」

「……え?」


 言われたことが理解できなくて、マナミは呆けて固まる。その様子に、コリスの方も一瞬目を瞬いた。


「ほら、だってあんたたち勇者一行なんだろう? 詳しくは知らないけど、勇者、なんて名乗っているのなら、言い伝えの勇者ぐらいのこと……魔王を倒すのと同じぐらいのことを目指して旅しているんだろ?」

「そ、それは、まあ、うん……」

「だったら、それが終わって帰ってきたら、各地の吟遊詩人や演奏旅団が押しかけて歌を作ると思うぜ。無名ならまだしも、“騎士姫”様がいるからなおさらだな。それでたくさんの歌が作られて、広まって、最後にはひとつだけ残る。さっき説明したことが、これから現実で起こるわけだ」


 途方もない話だと、思っていた。遠い昔の話だと。


 よく考えれば、当然のことだった。過去の歴史を語り継がない東部で、唯一伝えられてきた、勇者の言い伝え。それと同じ成果を目指して、マナミたちは旅立った。それなら、もし魔王を討伐し、無事に帰還したなら。その旅は王都から地方に広がるだけじゃなく、歌となり、物語となり、未来の人々に伝わるだろう。語り継がれるだろう。


 マナミのことが。まだまだ無力で、本当に役に立てるか分からない、自分のことが。


「おい、大丈夫か?」

「……あ」


 心配そうにこちらを覗き込むコリスに、マナミはなんとか頷いた。


「ごめんなさい、ちょっとびっくりして」

「いや、悪かった。自分のことがずっと先まで語り継がれるとか、怖いよな」

「……うん」


 思い返せば、国を挙げて歌作りを推奨する可能性が高い、とヴィルトリエも言っていた。王女が活躍する物語なんて、どう考えても後の世に残そうとするだろう。その時は各地に広まることにばかり気を取られていて、マナミは全然気が付かなかった。


「そっか。“巡り風”だけじゃなくて、たくさんの人が歌にするんだ……」


 コリスのおかげで、“巡り風”がマナミたちの歌を作っても大丈夫だと思えたのに。考えると気持ちが沈んでしまいそうで、マナミは一旦、別の話を切り出した。


「そ、そういえば。私たちの歌を作る、ってソミィさんから聞いたの?」

「ん? いや、せっかく出会ったわけだし、姉貴ならそうするだろうなって。……もしかして、もう許可求めてるのか?」

「あ、ううん、トリエの方から許可を出したというか……」

「うわ、そりゃ光栄だな。姉貴も気合い入れそうだ」


 驚いた様子のコリスに、マナミは尋ねる。


「でも、残らないって思ってるの?」


 残らなかった歌を聴きたかった。その言葉に、コリスは自分たちの歌を聴くように言った。それはつまり、自分たちの歌は未来には残らない、と言っているようなものだ。


「残らない、というか、残らなくていい、かな。おれたち、東部で結成したから、その気風の影響を受けてるんだよ」

「東部で?」


 目をぱちくりさせるマナミに、コリスがにやりと笑った。


「各地を風のように旅して、巡り会った人たちのために演奏する。それが演奏旅団“巡り風”なんだ。いつか持ち歌を作っても、他の演奏旅団に伝えるつもりはない。あくまで、おれたちと出会った人だけが聴ける、とっておきの演奏なんだよ」


 ざあっ、と風が吹く。マナミの栗毛色の髪を揺らして、どこへともなく消えていく。


「……そっか。それが、“巡り風”」

「ああ」


 どこか誇らしげな笑みを見つめながら、マナミはぽつりと呟いた。


「でも、残念だなぁ。あんなに素敵な演奏なのに」

「……あー、えっと。本当は、言うべきじゃないんだけどさ」


 コリスが一瞬目を伏せ、苦笑いを浮かべた。


「さっきの演奏会。おれ、いくつか演奏間違えてたんだよ」

「えっ」

「おれだけじゃない。姉貴以外の他のやつも同じだ。まあ、音を外すような大きな失敗じゃなくて、音の大きさとか、長さとか、軽さとか、そういうのがほとんどだけどさ。それでも、それじゃあ一流には届かない。だからおれたちはまだ、二つ名持ちの姉貴に頼っているばかりで、一人前の演奏旅団じゃないんだ」

「でも……」


 コリスが目を細め、マナミの声を遮る。


「もちろん、おれ以外はみんな伸び代あるから、いつかは一流になれると思う。でも、それでも名前が残るような存在にはなれないし、それでいいと思ってる。あんたも、旅をするうちに分かるよ。一流の旅団の演奏は、おれたちより、もっとすごいんだぜ」


 柔らかなコリスの声に、マナミは視線を落とした。手元には、彼の作った、風模様の助け笛がある。


「……それでも、私は、“巡り風”の演奏が好きだよ。出会えて……巡り会えてよかったし、ずっと忘れないと思う」


 助け笛を握りしめて、マナミは、目の前の青年を見上げた。マナミと同じ、劣等感と羨望を抱えた青年を。


「だから、残らないなんて決めつけないで。私も、……私も、受け入れるから」


 未来に残ってほしい、と思った。“巡り風”の演奏が。これから作られるであろう、持ち歌が。そうして、たくさんの人に聴いてほしい、素敵だと、共感してほしいと。

 たとえまだ一流未満の腕だったのだとしても、マナミにとっては、最高の演奏だったのだから。


「……そうだな。それを決めるのは、おれたちじゃなくて、聴いている観客だもんな」


 コリスの申し訳なさそうな声に、マナミは頷く。とはいえマナミだって、さっきまで受け入れつつも抵抗していたのだから、偉そうなことは言えなかった。


 マナミは今も、これからの自分たちの道中が物語となり、各地に広まり、未来に語り継がれるなんてとんでもないと思っている。でも、それを聞きたい人がいて、未来にも残ってほしい人がいるなら、受け入れよう。だってそれはマナミがコリスや“巡り風”に抱いている感情で、蔑ろにしてほしくないと、そう思ってしまった感情だから。


 だからやっぱりまずは、勇者の一人として、ちゃんと胸を張れるようになろう。マナミが俯いていたら悔しいと、そう思う人がいるかもしれないから。


 マナミは手の中の助け笛を、そっと撫でた。


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