1話 マナミと王女ヴィルトリエ
2023/10/22
文字数調整のため、1章の各話をそれぞれ2話分に分割しました。
内容に変更はありません。
どうしてこんなことに、とマナミは途方に暮れた。
たった今彼女が足を踏み入れたのは、荘厳に造られた広間だった。燃え盛る炎の赤色と煌めく太陽の金色を基調としたその空間の壁際には整然と王国騎士や魔法使い、廷臣が並び、見上げた先には古くから受け継がれてきた玉座がある。
その玉座のある階段より手前、部屋の中央に辿り着いたマナミは、事前に教えられた作法を必死に思い返して跪いた。たどたどしく不格好なその様子を見咎める者は誰もいない。何しろ彼女の来歴はその場の全員に知らされており、それはその風体から納得されていたからだ。
みすぼらしいとまではいかないが、丈夫さのみ重視されているような洒落っ気のない羊毛の服。あまり手入れのされていない、二つにくくられた栗毛色の髪。少しばかり日に灼け、化粧もされていない地味な顔立ち。どこからどう見ても、少女マナミはどこか田舎の村娘にしか見えなかった。瑞々しい葉を思わせる新緑の瞳だけは少し珍しいものの、それはこの王都のある中央地方や西部、北部などの話であり、彼女が生まれ育った東部地方ではありふれているものだった。マナミ自身、自分はどこにでもいる村娘だ、という自認がある。それなのになぜこんなことになっているのか、と問われたら口を噤むしかなかったが。
「サンソルジュ王国第四十二代国王 ジルドレッジ・シィク・サンソルジュ陛下、ならびに第一王女ヴィルトリエ・シィク・サンソルジュ殿下のお成りである!」
廷臣の声とともに、右手奥の扉から国王と王女が現れる。広間に響く足音を耳に、マナミは震える手足を押さえられずにいた。これまで生きてきた十七年のうち、偉い立場の人なんて村長くらいだったのに、まさか国王に謁見する事態となるなんて、全く思ってもみなかった。あの辺境の小さな村しか知らないマナミにとって、国王に呼び出されてからの数日は、嵐のようにめまぐるしく、呼吸の仕方さえ分からなくなってしまいそうなほど恐ろしかった。それは、今も。
「謁見規定第八条に基づき、我、王国付き風魔法使いシェムロンが魔法行使を宣言いたします。『暴風よ、声をかき消す結界となれ』」
「同じく謁見規定第八条に基づき、我、王国付き光魔法使いリンデーが魔法行使を宣言いたします。『光よ、嘘偽りを暴く結界となれ』」
魔法使いの二人の詠唱が魔力を紡ぎ、風を起こし、光を放ち、術者の願った形に組み上がる。そうして生み出されたのは、この広間を囲む廊下を絶えず吹きすさぶ風と、広間に数多浮かび上がり、人々をじっと見つめ続けているような光の粒だった。
魔法使い二人はそれを見届け、媒体である杖を国王に掲げる。謁見規定に基づく完了の合図に、国王はゆっくりと頷いた。
事前に説明されていたその流れを思い出し、ひえっ、とマナミは声を上げそうになる。確かこれは、声を外に漏らさないようにするのと、虚偽の発言を見抜く魔法だ。田舎で生まれ育ったマナミは、属性魔法も、こんな規模の大きい魔法も、風の噂でしか知らない。そんな魔法が使われるほど重大な話をする場に自分がいることに、マナミは泣きそうになった。何より最悪なのは、なんで、どうしてと駄々をこねるような問いの答えに心当たりがあることだ。だからこそ、ここに連れてこられたのだ。
「面を上げよ」
低く響く声に、マナミはゆっくりと顔を上げる。玉座には国王陛下が、その玉座より二段下の位置にはヴィルトリエ王女が、同じ黄土色の瞳でこちらを見据えていた。同じなのは瞳の色だけではなく、陽光のような黄金の髪もだ。田舎者のマナミでさえ、それがサンソルジュ王国の王族である証ということは知っている。嘘偽りを暴く光の粒が、まるでその髪からあふれる輝きのように見えた。
ああ、目の前にいるのは本当に国王で、王女なのだ。
マナミはくらりと目眩がするような気がした。
国王は、それでも心なしか優しげな風貌をしていた。堂々たる雰囲気を纏いながらも、こちらを思いやるような眼差しは恐縮してしまうほどで、マナミは相手が国王だけであれば、もしかして穏やかに謁見を終えることができるのでは、という希望を持てた。けれど、ともに現れたヴィルトリエ王女の刺すような視線に、その甘い願望は無残に砕かれてしまった。
“騎士姫”ヴィルトリエ。腰まで伸びた豊かな黄金の髪を揺らし、品のあるドレスを着こなすその姿からは想像できないが、幼い頃より剣技を学び、今や王国随一の剣士として名誉騎士団長としての任を担っているらしい。二年前、成人したばかりの彼女が南部地方の反乱を先頭に立って鎮めたという話は有名だ。だからこそ、その鋭い目つきがマナミを怯えさせた。しかも、逃げるように目を向けたドレスの真紅色に、いつか村に来た行商人の言葉がマナミの脳裏によみがえる。
“血染めの剣姫”。
そのもう一つの異名がどうしても頭から離れず、マナミはなるべく王女を怒らせないようにしよう、と目を伏せた。
「さて、名乗りを許可する」
「は、はい」
声を上擦らせながら、マナミは必死に練習した台詞を告げた。
「王国東部、コチ村から参りました。マナミ・カイゼと申します」
「ふむ、遠くからご苦労であった。急なことでさぞかし驚いたであろう」
「あっ、その、えっと」
聞いてない、国王陛下からこんな気遣うようなお言葉をいただけるなんて聞いてない!
混乱し、碌に返答もできず固まるマナミに国王は優しく声をかける。
「よい、気を楽にせよ。このような場となったのはこちらの都合だ。細かな作法など、気にしなくて構わない」
「は、はいぃ」
そんなこと言われても、国王陛下の前で気にしないなんてできるわけがない。それにヴィルトリエの射貫くような視線が、まだマナミに突き刺さっている。とはいえ返事をしないわけにはいかないので、マナミはなんとか声を上げた。
「まあ、あまり長くなってもいかんな。では本題に入ろう。マナミ・カイゼよ、ここに呼ばれた理由は聞いておるな?」
マナミは頷いて、息を吸って、先祖代々伝えられてきた言葉を告げた。
「私が、勇者の子孫だからです」
勇者の子孫。それが、マナミがこんな場違いなところにいる理由であり、途方に暮れている理由だった。
「陛下。わたくしに発言の許可を」
「許す。いや、この場は公式なものではない。故にこれ以後、ヴィルトリエも自由に発言するといい」
「ありがとう、お父様」
だからヴィルトリエ王女が責めるような視線をそのままにこちらへ向き直ったときも、マナミは当然だと思った。
「マナミ、と言ったかしら。貴方、何か武器は扱えて?」
「い、いえ。父は教えてくれたのですが、どうしても下手で」
ヴィルトリエの視線が冷える。太陽の色を身に纏っているはずの王女の眼差しに、マナミはふるりと震えた。
「そう。では魔法は? 媒体はどんなものを?」
「えっと、私、魔力が少なくて。暮らしに余裕もなかったので、媒体は、必要な時に母のものを――」
途中でヴィルトリエの視線がより凍てついていることに気付き、マナミは慌てて付け加えた。
「あ、あの、魔力は父も同じでした。父の父――あ、えっとおじいちゃん? も少なかったそうなので、その」
「はっきり聞くわ」
ヴィルトリエの声が広間に響いた。
「貴方、本当に勇者の子孫なの?」
マナミは何も返せず、ただ目を伏せた。
かつて暗黒の時代、魔王を倒し、世界を平和に導いた存在。それが勇者だ。そんな英雄の血を引いているのだと父に教えられたとき、幼いマナミは誇らしく思った。村どころか世界中の誰もが知る救世主が祖先なのだ、それは当然だろう。勇者の伝承を聞くたびに、自分も大きくなったらそんな人間に、誰より勇敢で誰より立派で、いつだって胸を張れるような、そんな人になれると無邪気に思っていた。
けれどその思いは、段々と重石に変わっていった。父のように剣技に優れているわけでもない。かといって、魔力が多いわけでもない。村では子孫であることは知られていなかったけれど、魔力が人並み以下で目立った特技もないマナミは役立たずに近い扱いだった。家事は多少できるようになったけれど、そんなの、勇者の子孫として求められるものじゃない。
そう、マナミが一番恐れているのは、これから自分に求められるものだった。田舎の地から、わざわざ勇者の子孫を呼び出した理由。それが何であれ、マナミは自分がこなせる自信なんて、一欠片も見つけられなかった。
「ヴィルトリエ、王国付き魔法使いの腕を疑うのか?」
「本人が真だと思っていたら嘘偽りにはならないのでしょう? そもそも本当に子孫だとしても、その才を受け継いでいないのなら呼ぶ必要はなかったと思いますわ」
辛辣な言葉ではあったものの、マナミは内心深く頷いた。マナミ自身、役立たずの自分が、本当に勇者の子孫かなんて分からなかった。父からそう教えられて、その父が暴れ縞鹿を易々といなせる実力があったからそう信じていただけで、確証なんてどこにもない。だから、無力な村娘であると分かった時点で、呼び出すのを取りやめにしてほしかった。そうすれば、こんな場で怯えることもなかったのに。
そんなマナミの苦情に気付く素振りもなく、国王はゆっくりと頷いた。