14話 勇者一行
簡単なことだった。声をかければよかったんだ。
大丈夫だよ、って。みんなは強いから、心配することない、って。
戦えないから何も出来ない、なんて言い訳をして、何もしようとしなかった。戦う以外に出来ることを、なんて料理は頑張っていたくせに、戦いの最中に出来ることには気付きさえしなかった。戦っているときは、戦うことでしか、役に立てないのだと思い込んでいた。
でも、違った。さっきの少女は、自分と同じく守られているだけの少女の声は、ここにいる誰より心強かった。戦っているヴィルトリエたちと同じくらい頼もしかった。マナミよりずっとずっと、勇者に近かった。
だからマナミは、自分のふがいなさに胸が詰まって、身体を震わせた。顔が、燃えるように熱い。恥ずかしくて、悔しくて、目眩がしそうだった。それでも、せめて俯かないようにと自分を叱咤する。マナミの言動によっては、背後にいる彼らにまた不安を抱かせてしまう。それだけは、絶対に嫌だった。
「見つけた」
ヌイの静かな声に、マナミはぱっと魔物に目を向ける。闇を纏ったナイフが、魔物の背に、深々と突き刺さっていた。
「その真っ直ぐ下に、魔力の核がある。壊して」
「分かったわ。最大火力で行くから、もし違っていたらあとはよろしくね」
「ウチの魔法、疑ってる?」
「核がなくなれば倒せる、の方よ」
「……たぶん、合ってるはず」
「自信なくなってるじゃない」
指摘され、ヌイが明後日の方向に顔を向けた。
「あはは、そんなことは試してから気にすればいいよ。まあ、万が一の時は、ボクがなんとかするから」
「あら、頼もしいわね。なら、お任せしようかしら」
「もしものときはね!」
セレンが涼やかに返し、魔物の注意を引く。それを横目に、ヴィルトリエが剣に嵌められた宝石に手を添えた。途端、揺らめいていた魔法剣の炎が、陽光色に変わる。魔物が威嚇するように触手を伸ばすも、セレンによって、難なく防がれていく。その隙に、ヴィルトリエは高く跳び上がり、その勢いのまま魔法剣を振り下ろした。
パリン!
何かが割れる音が響き渡る。それと同時に魔物が溶け、さらさらと塵になった。魔物と同じ、夜の始まりのような青色が、地面に降り積もっていく。
「……倒した?」
ヴィルトリエが、呆然と呟く。
「ち、塵になったからたぶん大丈夫! あー、疲れたぁ……」
セレンが斧を支えに、ぐったりと座り込んだ。その様子に、マナミもようやく実感が湧いてくる。
「ま、魔物、倒したんだ……」
その呟きが聞こえたようで、背後から歓声が上がる。肩をなで下ろしたマナミの目の前で、ヌイが結界を指で弾いた。するとまた一瞬暗闇が広がり、今度はほどけるように消えていく。
「行く?」
「あっ、うん」
その光景に驚きながら、マナミはヌイと一緒に、ヴィルトリエたちの元へと向かった。その道中で、転がっていた自分たちの荷物を拾う。その魔物との距離の近さに、マナミはまた内心頭を抱えた。
「あ、マナミじゃん。怪我とかない?」
「それはこっちの台詞なんだけど!」
セレンがおかしそうに笑って、ヴィルトリエを指差す。
「ボクは大丈夫。それより傷薬、トリエに渡してくれるかな?」
「ウチの魔法、使う?」
ヌイが首を傾げる。マナミは目を瞬かせた。
「傷を治すの、光魔法が多い気がするけど、闇魔法でもできるの?」
「闇は夜。安寧。眠り。引き出しはいくらでもある」
「さすがは属性魔法使い、ってわけね」
ヴィルトリエが、ため息交じりに口を開く。
「でも、今回はいいわ。魔法、いくつも同時に使っていたでしょう。いくら属性魔法使いになれる程の魔力量があっても、だいぶ消耗しているはずよ」
「魔法剣と身体強化。アナタも大概」
「うるさいわね。わたくしのはいつものことよ」
マナミが差し出した傷薬を受け取りながら、ヴィルトリエが続けた。
「でも今後は頼むこともあるでしょうから、そのときはよろしくお願いするわ」
ヌイが、ぱちくりと瞬きをした。
「……旅、ついて行ってもいい?」
「こっちも一応確認するけど、これからあの魔物と戦う可能性が高いわよ。最終目標は魔王なのだから。それでもいいのね?」
「いい。ご飯美味しいし、楽しそう」
ヌイの返答に呆れ返るヴィルトリエに、マナミは尋ねる。
「トリエ、その、あんなに反対してたけど……」
「だって無理だもの。斥候技術のある属性魔法使いを放置するの」
「へ?」
思ってもみなかった回答に、マナミは困惑した。
「考えてもみなさい。敵対者を弾く結界を容易く突破し、音も気配もなく近づける相手。そんなのを野に放ったら、どこにいるか常時警戒しなくてはいけないわ。それならむしろ、目に見えるところにいてくれた方がまだましよ。下手をすると、距離に関係なく暗殺できそうだし」
「しない。失礼」
「まだ警戒しているということよ。忘れないでおくことね」
「まあまあ、これからお互いを知っていけばいいんじゃないかな」
セレンが二人を宥める。その様子を見ながら、ふとマナミは積み上がった塵に目をやった。魔物だったものが降り積もったもの。その一部は風に攫われ、ふわりとどこかに運ばれていく。
この魔物を倒すのに、マナミは何一つ貢献していない。不安そうな人たちを安心させることも。そもそも、自分の安全を確保することも。
「マナミ、どうしたの?」
「あ、ええと……」
口ごもっていると、ヴィルトリエが横から口を挟んだ。
「そうだわマナミ、貴方、よくあんな近くでぼんやりしていたわね。あの魔物、あんなに禍々しい圧を放っていたのに」
「……圧?」
何のことか分からず、マナミは戸惑う。
「ああ、確かにすごかったね。さすがは魔物、って感じたよ」
「不吉だった。嫌な感じがした」
三人の視線が、じっとマナミに向けられる。おずおずと、マナミは答えた。
「……えっと、あの、儚く消えちゃいそうだな、とは……」
途端、ヴィルトリエが唖然とし、セレンが苦笑する。ヌイでさえ、目を丸くしていた。
「……もしかして、勇者の血筋はあの威圧、感じないってこと?」
「そういうこと、なのかな……」
まさか、自分と他の人の感じ方に差異があるとは思っていなかった。驚くマナミに、さらにヴィルトリエが詰め寄る。
「それなら、あの突風もそうじゃないかしら。突然、貴方を守るように吹いたけれど、貴方あんな魔法使えないわよね?」
「あ、あれは鳥さんで……」
「は?」
低い声に怯えながらも、マナミは説明する。
「半年くらいまえに、怪我をしていた鳥を助けたの。そしたら少し経った後、危ないところを、今回みたいに突風で助けてくれて……」
「貴方、お父様を亡くされたのが一年前って言っていなかった? それ、勇者の持つ加護か何かなんじゃないの?」
「え、で、でも、白い羽根が落ちてたんだよ!」
「ただの鳥が突風を起こせるわけないでしょう」
反論できない。マナミとしては鳥さんの恩返し説を支持したいが、ヴィルトリエの言うことも最もだった。
「へぇ、勇者の加護、なんてかっこいいね」
「で、でも、私は勇者じゃ……」
「え、違うの?」
視線を落とすマナミに、セレンが意外そうに首を傾げ、その三つ編みを揺らした。
「てっきり、そういうものだと思ってたんだけど」
「わ、私よりみんなの方が……」
「あら、貴方はそれでいいの?」
ヴィルトリエの問いかけに、さきほど抱いた悔しさが、恥ずかしさが蘇る。何もできなかった、しようともしなかった自分。凜とした少女の声が、今もマナミを揺さぶっていた。
「わ、私は、勇者にはふさわしくないから……」
情けない。けれど、それが今のマナミの現実だ。どんなに取り繕っても、今はまだ、勇者の子孫として、胸を張れない。
そんなマナミに、セレンが不思議そうに言った。
「別に、旅が終わるまでにふさわしくなればいいんじゃない?」
「……え?」
想定外の言葉に、思考が固まる。
「そうね。結局のところ、魔王を倒そうと旅に出ているのだから、勇者――誰より勇敢なる者という条件は満たしているのだし」
「で、でもそれはみんなも同じで――」
「あ、じゃあいっそ全員勇者になる?」
「――え?」
セレンの提案に、また頭が働かなくなる。そんなマナミをよそに、他の三人は盛り上がっていた。
「それは名案ね。実のところ、わたくしも勇者に憧れていたの」
「そうなんだ! じゃあなおさらいいね。ヌイはどう?」
「やる。面白そう」
「よしっ、じゃあ賛成多数で――」
「いやあのちょっと待って」
マナミは慌てて声を上げる。
「そんな、勇者が何人もいるなんて」
「別にいいでしょう? 勇者が一人だけなんて、そんな決まりはないんだから。魔王を倒した者を勇者と呼んだ。なら、これから魔王を倒すわたくしたちは全員勇者だわ」
「確かに。賢い」
「そ、それは……」
それでも踏み出せないマナミに、セレンが微笑む。
「マナミは言い伝えみたいな勇者を思い浮かべてるのかもしれないけど、そんなすごい人になれって言ってるわけじゃないよ。それこそ、ボクたち四人合わせて、かつての勇者一人分になればいいと思う。だからマナミは四分の一だけ、ボクたちとは違う、マナミがなりたい勇者になればいいんだよ」
「なりたい、勇者……」
『大丈夫だよ』
思い浮かんだのは、あの少女の声だった。父の背中でも、仲間たちの姿でもない。周りを鼓舞し、不安を吹き飛ばした、戦う力を持たない声。
それでも、あんな自分になれれば、胸を張れるような気がした。そんな自分に、勇者に、この足で辿り着きたいと思った。
「……分かった。私も、勇者になる」
マナミの答えに、ヴィルトリエが、セレンが、ヌイが、待ちくたびれたように笑う。明るい雰囲気の中、セレンが高らかに宣言した。
「よーし、じゃあ改めて、勇者一行、結成っ!」
勇者一行の旅は、こうして、幕を開けたのだった。
これにて一章完結です。二章は10/1から投稿予定です。