12話 闇魔法
「――え」
目撃したヴィルトリエが、一瞬、呆然とする。その隙を逃さず、元々あった前脚が、鋭い爪をその身体に叩きつけた。衝撃に、ヴィルトリエが顔を歪ませる。
「トリエ!」
そう叫ぶセレンも、逆側にも生えてきた脚と元々の脚、さらには頭の角を相手取るのに精一杯だった。だから、ヴィルトリエはふらつきつつも、目の前に迫る追撃を防ごうと剣を構える。
キン、と金属音が響く。けれど、魔物の攻撃は、ヴィルトリエの剣には届いていない。
「……貴方は……」
投げられた黒いナイフが、魔物の爪を脚ごと弾き返す。その後を追うようにどこからともなく現れたヌイが、魔物とヴィルトリエの間に割って入っていた。
「やあ、遅かったね」
「見てた。大丈夫だと思った」
「ボクもそう思ってたけど、油断は禁物だね。びっくりしたよ」
セレンとヌイの様子に、ヴィルトリエが噛みつく。
「ちょっとセレン、この子のこと聞いてないわよ」
「ごめんごめん、忘れてた」
「こういうことはちゃんと伝えるべきでしょう。それに貴方もよ。見る暇があるならとっとと加勢しなさい!」
「大丈夫だと思った」
「悪かったわね!」
言い合いながら、三人は体勢を立て直していく。はらはらと見守っていたマナミはほっと息を吐いた。
「トリエ、傷は?」
「大丈夫よ。動くのは身体強化魔法でなんとかできるわ」
「分かった。後で傷薬塗るから頑張って」
「言われなくても、よ!」
ヴィルトリエがまた攻勢に転じる。暴れる脚や頭は、セレンが斧を振るい、あるいはヌイが弾いて防いでいく。
「あーでも、終わりが読めなくなったわね。これが最後のあがきなのか、それとも余力があってのことなのか、全く分からないわ」
「確かに。この液体が血なら、結構な量流してるんだけどね」
ヴィルトリエの指摘に、セレンが苦笑する。
「……質問。アナタたち、魔法の腕は?」
突然、ヌイが尋ねる。それに困惑しつつも、戦闘中だからか、余計な疑念は抱かず二人は返答した。
「ボクはないよ。ギフト持ちだから」
「わたくしは戦いに使う魔法なら自信があるわ。それで? 聞くだけ聞いて、自分は明かさないつもり?」
「そんなことない。でも先に、彼女は?」
「え?」
「アナタたちの旅の仲間の、彼女」
ちら、とこちらに視線を向けたヌイと目が合う。それにつられたヴィルトリエとセレンもマナミを見て、思いっきり目を見開いた。
「ば、馬鹿じゃないのマナミ! さっさと避難しなさいっ!」
「――あ」
言われてようやく、マナミは自分のいる場所が全く安全でないことに気がついた。当然だ。セレンはやってくる魔物を見てマナミを慌てて投げ出したのだから、マナミの安全に気を配れるはずがない。というか、遮るものもない街道に座り込んで何もせず戦いを見守っていた時点で、危機感の欠片もない。マナミは自分の事ながら、頭を抱えたくなった。ただでさえ無力で役立たずなのに、さらに心配かけてどうする。幸い、腰が抜けているわけでもない。今からでも木の陰とかに隠れると伝えよう、とマナミは口を開きかけ、ふと視界に映ったものに動きを止めた。
魔物が、こちらを見ていた。
目はない。どこにもない。頭についているのは角だけで、目がありそうな部分は分厚い毛で覆われ、どこを向いているのかも分からない。
分からないはずなのに、マナミには、目が合ったように感じた。
「ひぁ……」
逃げよう。そう思ったのに、動けない。視線を外せない。心臓の鼓動が、マナミを急かすように速くなる。力が、入らない。指先が、無意識に震える。
魔物が勢いよく頭を振った。その勢いで角が抜け、一直線にマナミへと放たれる。
「マナミ!」
ごめんなさい、とヴィルトリエに謝る間もなく、角が目の前に迫る。誰も間に合わない。なすすべもなく、マナミはぎゅっと目を閉じる。
途端、突風が吹いた。
「ふぇっ!?」
斜め後ろから巻き起こった強風に、マナミは耐えきれず、思いきり地面へ倒れ込む。すぐおさまった風におそるおそる目を開けると、角は吹き飛ばされ、魔物も誰もいない方角に転がっていた。マナミは目を瞬かせる。
「もしかして、鳥さん……?」
この現象には、故郷で出会ったことがある。たった一度だけ、両親が亡くなった後に。
思い当たる節に気を取られていたマナミに、再び叱咤の声が届いた。
「呆けてないで、早く!」
そうだ、逃げないと。そう思い体を起こした先で、もう一つの角が放たれたのが見えた。自分のとろさがほとほと嫌になる。やっぱり自分は、足手まといにしかならない。
瞬く間に角が迫り、マナミはまた目を瞑る。
「『闇よ、飲み込め』」
「……へ?」
今度助けてくれたのは、突風ではなかった。
マナミは目の前に立っていた人物を見上げる。長い黒髪をたなびかせた小柄な少女は、突き出した手から漆黒の闇を生み出し、魔物を見据えていた。
「ヌイ、それは……」
それは、明らかに属性魔法使いの扱う闇魔法だった。なぜなら、普通の人間は、わざわざ魔法で闇を使おうとしないからだ。明るくしたい、と願うことはあっても、暗くしたい、と願うことはあまりない。暗くしたいなら屋内に籠もって窓を塞げばいいし、時間があるなら夜を待てばいい。相手の視界を奪ったり、身を隠すのなら使いそうだけれど、そんな機会ほとんどない。だからこんな咄嗟の場面で、滅多に使われないはずの闇を盾として使うのは、闇魔法使いをおいて他にいない。
そして、彼女が属性魔法使いなら。ひとつの属性魔法を極めるほど、魔法の扱いに長けた存在なら。ヴィルトリエの敵対者を弾く結界を容易く突破し、マナミたちに近づくことができる。彼女が敵としてマナミたちに接触してきた可能性を、除外できなくなる。
けれど。
「マナミ」
紫色の瞳が、真っ直ぐマナミに向けられる。
「ウチはアナタの味方。信じて」
ヌイの真剣な声に、表情に、マナミは迷わず頷いた。
「分かった。信じる」
少なくとも、今目の前にいる少女は、マナミを守ってくれた。魔物からヴィルトリエのことも守った。鹿肉を美味しいと、喜んでくれた。
それだけで、ヌイを信じるには充分だった。
「……ヌイ、確認させて!」
ヴィルトリエの声に、マナミはぱっと顔を向けた。ヌイの闇であまり見えないが、魔物はまだ暴れているようだ。
「貴方、一般的な属性魔法使い程度の腕はあると思っていいのね!?」
「たぶん」
「そこは断言しなさいよ!」
「一般的、が分からない。貴方よりはできる」
ヌイの答えに、ヴィルトリエが告げる。
「なら、マナミをあっちの馬車に連れて行って。それから、馬車ごと結界で守って。できるわね?」
「できる。任せて」
「あ、じゃあもう一個、ボクから」
セレンができたら、と口を挟む。
「結界で守りながら、こっち手伝えたりする?」
「問題ない。そのつもりだった」
「わぁ、頼もしい。じゃあそれまで保たせとくね!」
「そうね。それまで力を温存しておくわ」
ヴィルトリエが、セレンが、ヌイが、それぞれやるべきことを定めていく。ヌイが、座り込んだままのマナミに手を差し出した。
「行こう」
「……うん」
マナミのやるべきこと。それは、生き残ることだ。
何もできない自分は、魔王と戦うそのときまで、守られ続けることしかできない。……今のマナミには、そんなことすら、うまくできない。
マナミはヌイの手を支えに立ち上がり、魔物から逃げる一歩を踏み出した。
2023/08/11 一部修正しました(突風あたりの描写)。