136_小麦騒動顛末
この物語はフィクションです。
登場する人物、団体、名称は架空のものであり、実在のものとは関係ありません。
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136_小麦騒動顛末
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そろそろ冬という頃に、旧パルトン領の地図ができあがった。
面積はトリアンジュの5倍くらいで、そのほとんどが穀倉地帯。農業以外には、目立った産業はない。
今年収穫した小麦は、うちのものになる。刈り入れ前に割譲されたためだ。王女からも問題ないと言われている。
人口調査も同時に進めており、旧パルトン領は11万8188人が住んでいる。トリアンジュの人口と合わせた総人口は14万3426人。
今年の小麦の収穫総量は20万2000トン。広大で豊かな農地がなせる生産量に驚愕だ。
ゴルテオさんに教えてもらったけど、オーダ王国南部の小麦消費量は、1人当たり年間200キログラム。結構多いほうだと思うけど、計算すると100万人を養える収穫量になる。うちの人口の7倍か。凄いものだな。
ジョブやスキルがあるからこれだけの収穫ができるようだけど、なかったら凄い労力が必要だよね。農家の人たちには頭が下がるよ。
食料は小麦だけじゃない。俺のところでは米も食べるし、野菜、肉、魚も食べる。
せっかく余るくらいの小麦があるのだから、牛や豚、鶏などの畜産をしてもらえたらと思う。
といってもこの小麦は、この地方の食を支えるものだから簡単に生産量や流通量を減らしていいものではないらしい。他の貴族との兼ね合いもあるのだとか。
でも鶏は育てるべきだ。卵や鶏肉が安定供給されれば、食卓が豊かになるからね。
食料に不安がなくなったので、トリアンジュの綿花生産を強力に進めようと思う。すでに元盗賊などの支配奴隷による開墾が進んでいる。
あとパルトン伯爵軍の兵士や騎士で、捕縛後身代金が支払われなかった人たちにも開墾してもらっている。徴兵された一般人は解放しているが、元々兵士や騎士だった人は身代金を要求した。そして身代金が支払われなかった可哀想(?)な人たちは、戦争犯罪人として労役についているのだ。
それからヤマトが農機具を生産してくれている。それを導入すれば、開墾はもっと進むだろう。それに農家の苦労も軽減され、生産量を上げる手助けにもなるはずだ。
仕事ばかりしていると、気が滅入る。
せっかく海がある領地をもらったんだから、海を見に来た。
冬の海は寂しい。
何よりも……。
「さむっ」
冷たい風が頬を刺す。
「アンネリーセ~。寒いよ~」
「はいはい」
アンネリーセがマントの中に俺を迎え入れてくれた。温かいな~。それに柔らかい。抱き心地が最高だ。
「ゴホンッ。配下らの目がありますれば、少しは自重していただきたい」
ガンダルバンの咳払いだ。だからついてこなくていいと言ったのに。
これじゃあ、羽目を外せないだろ。
1つのマントに2人で入り、砂浜に打ち上げられた倒木に腰を下ろす。
ガンダルバンたちが気を利かせて遠巻きに護衛をする。
「俺たちが出会って、もう1年か」
「色々なことがありましたね」
本当に色々あった。
召喚されたかと思ったら転生していた。
アンネリーセは老婆だと思っていたのに、こんなに若くて美人だった。
あれよあれよと貴族にもなった。しかも領地までもらった。
長いようで短い1年だったよ。
前の世界が懐かしい。なんて思ったことはこれぽっちもない。
両親はいたけど、関係は希薄だった。
あの人たちは仕事人間で、家にはほとんどいなかった。
それでも親だから、アンネリーセと婚約したと報告したいとは思うが、無理なんだろうな。
色々あったが、なんとかここまでやってこられた。
この1年を懐かしむように、海を見つめる。
波は穏やか。冬の海というと、もっと荒れているものだと思ったが、そうではないようだ。
沖には島が見える。そこそこ大きな島だ。
「あの島は」
「たしか名もない無人島だったと思いますよ」
無人島か。冬でも波が穏やかなのは、あの島が防波堤の役目をしているからか。
しかしあれだけ大きな島なのに、名前がないのな。
「結構な大きさなのに、誰も住んでいないのか?」
「あの島も水がないそうです」
水がないと人は住めない。人が住まないから名前もない。ただの無人島に、名前をつける習慣がないのだろう。
前世だと、今にも海に沈みそうな小さな島にさえ名前をつけている。あれは領海も関係していたっけか。それとも文化の違いか。
誰も住まない島に名前がなくても困らないのかな? 名前の有無はどちらが正しいか分からないけど、領海争いなどがあると島名が要るのだろう。
緑が見える。あの植物は真水がなくても育つのか。
詳細鑑定さん。鑑定しちゃってくれるか。
……遠すぎてダメっぽい。
緑が見えるんだよ。それでもダメなの?
「………」
詳細鑑定さん頑張った!
あの緑はビュシュターヌという植物らしい。塩水でもわずかな水があるだけで育つのだとか。逞しい植物だ。
しかも実が食べられるらしい。かなり渋い実で、干し柿のように干して熟成させると甘く美味しくなるらしい。
これ、産業化できるんじゃないかな? 屋敷に帰ったら皆に相談だな。
ブルッと寒さに震え、アンネリーセの腰に回した腕を引く。ああ、暖かい。
俺もあのビュシュターヌのように逞しく生き、寿命で死ぬまでアンネリーセと共にいたいものだ。
そういえば、俺ハイヒューマンだった。寿命がヒューマンよりもかなり長くなっているらしい。長寿で有名なエルフであるアンネリーセと長く一緒にいられるはずだ。
いつまでも仲のいいカップルでいたいな。
「寒くないか」
「寒いですよ。でも、トーイ様のそばにいると、暖かいです」
可愛い人だ。
冬の朝は毛布から抜け出るのが大変だ。
アンネリーセから離れられない。
しかしアンネリーセの寝顔はとても美しい。きめの細かい白い肌。独り占めだ。
「おはようございます。トーイ様」
「おはよう。アンネリーセ」
彼女と交わす朝の挨拶は、いつも同じなのに新鮮に思える。なぜなんだろうか。
2人で着替え、2人で食堂へと向かう。
「おはようございます。旦那様、奥様」
執事のモンダルクたちが出迎えてくれる。今日もビシッと決めてるね。
朝食に出てきた食事を見て、俺は固まった。
「こ、これは……」
その器を持ち上げ、香りを確認する。
「間違いない」
ズズズ。と茶色いスープを啜る。
「キターーーーーーッ!」
これはみそ汁だ!
「モンダルク! これをどうして!?」
「そのミソスープは、サヤカ様がお作りになりましてございます」
「何っ!?」
扉を開けてイツクシマさんが入ってくる。
「イツクシマさん! できたんだね!」
「うん。味噌と醤油が完成したから、今日は和食にしてみたの」
「懐かしい味だよ! 本当にありがとう!」
イツクシマさんには、以前から味噌と醤油の生産を頼んでいた。
完全に俺たち異世界人のためのものだから、生産しても売れるかは分からない。だが、俺は買う! たくさん買うからね!
「なんとも不思議な風味のスープですね」
味噌汁を飲んだアンネリーセが、不思議そうな表情をする。
「それは俺の故郷の味なんだ」
「出汁に小魚を干したものを使っているの」
ちゃんと出汁までとってくれたんだ。たしかに煮干しに似た風味がする。
「昆布はまだないから、今はこれが限界なの」
「いやいや、十分だ。とても美味しいよ。イツクシマさん」
「喜んでくれて、私も嬉しいわ」
イツクシマさんには感謝だ。イツクシマさんが観音様に見えるよ! 拝んでおこう。
「何騒いでるのかな?」
寝起きでボサボサの髪をしたヤマトが入ってきた。ちゃんと顔を洗ってこいよ。
「ヤマト。味噌汁だぞ」
「え、マジ!?」
ヤマトは俺の味噌汁を奪って、ゴクゴクの飲みほした。
「ップハーッ。旨い! これぞ僕が求めていた味だよ!」
「なんで俺のを全部飲むんだ?」
「あ、つい。テヘペロ」
ヤマトはちゃんと席についてさらに二杯飲んだ。
卵焼きに醤油もばっちり合う。バーガンも悪くはないが、やっぱり醤油はこれだ。これからの食事がとても楽しみになったよ!
朝食が終わったら、午前中はアンネリーセのウェディングドレスのチェックらしい。
ゴルテオさんとキャサリンさんがやってきて、キャサリンさんはアンネリーセたち女性陣と部屋に向かった。
俺はゴルテオさんとお話しだ。
「小麦問屋組合は順調に運営できております」
小麦問屋組合は幹部をごっそりと入れ替えた。
小麦問屋組合は貴族の介入を許していないが、今回はパルトン家によって幹部が侵食されていた。シロアリに食われた家のような状態だったので、荒療治が行われた。
王都とケルニッフィの小麦問屋組合の幹部が協議し、ここの小麦問屋組合を健全化したのだ。その際にゴルテオさんに組合長になってもらった。臨時だから、あまり長くはやらないと本人は言っている。
あとトリアンジュに支部を移した。
これまで小麦生産といえば、パルトン伯爵領だった。それが今やフットシックル子爵領が小麦の生産地になった。だからトリアンジュに小麦問屋組合の支部を移すことになった。
決して俺が無理強いしたわけではない。ゴルテオさんもだ。
これは前パルトン家当主が、組合長を無実の罪で捕縛して殺したことが原因だ。そんなパルトン家の領内に支部を置きたくないと思うのは、当然の結果だろう。
組合長の家族からは前パルトン家当主に厳罰をという嘆願が王家にあったらしい。
王女はこれ以上遺族が騒がないように、裏取引をしたようだ。取引内容は金銭的な補償らしいが、それもパルトン家から出させる。前パルトン家当主には、まだ使い道があるようで、生かしているみたい。
さすがに王女の心情までは分からず、どうして生かしているのかは分かっていない。でも、こういった情報を収集してくれるダイゴウたちコーガ衆を手に入れて本当に良かった。
「余った小麦はどうなりましたか?」
今年収穫した小麦ではなく、昨年の収穫分が余っている。
「残っていた小麦は、パルトン子爵家のものです。値下げして放出しておりますよ」
ニコニコと笑みを浮かべて話しているゴルテオさんだが、パルトン家にしたらたまったものではない。
小麦が安く売られたらそれだけ実入りが少なくなる。ただでさえ領地が大幅に削られ、今年の収穫量が10分の1くらいになっているのだから、昨年の小麦でも高値で売れてほしいだろう。
小麦問屋組合のシステムは、単純だ。
農民が小麦を収穫すると、領主がそれを税として徴収する。領地によって違うが、うちは五割が税になる。
生産者の手元に残る小麦は、自分たちで消費する分を除いて小麦問屋組合が買い上げる。
領主が徴収した小麦は、その家の財政具合を勘案してお金に替える量が決まる。その際の受け入れ先も小麦問屋組合だ。
生産者も領主も、小麦問屋組合を通さない小麦取引は違法になる。
ゴルテオさんもケルニッフィの公爵家が徴収した小麦を、現地の小麦問屋組合を通して購入してトリアンジュに持って来た。
領主はその権限として、売り先を指定することができる。公爵がゴルテオ商会を売り先に指定すれば、小麦問屋組合は公爵が卸す小麦の全てをゴルテオ商会に売らなければいけない。もちろん、量を決めて売ることもできる。
小麦問屋組合が不当に価格を操作できない仕組みと、領主でも勝手に小麦を売れないシステムになっているのだ。
それなのにパルトンが小麦問屋組合を支配しようとした。こういった話は異世界でもどこでもことかかない。人の欲というものは、際限がないのかもしれないな。
貴族は売り先を指定することはできても、どこどこに売ってはいけないという指定はできない。
今回はパルトンがお願いし、小麦問屋組合の幹部たちが忖度した。この辺りで最大の小麦の生産地を領地に持つパルトン家の意向を汲んだ形だ。
その当時の組合長はそんなことをする必要はないと一蹴したが、幹部たちはそうではなかった。
幹部たちはパルトン家の意向通りに、トリアンジュの小麦小売店に価格を引き上げるように、圧力をかけた。
その結果は皆の知るものだ。俺たちがケルニッフィの小麦を持って来るとは思っていなかった小売店のいくつかは、店をたたむ羽目になった。
潰れた店への補償など、パルトン家はいくつもの負債を抱えることになった。
現パルトン家当主は頭を抱えていることだろう。
「小麦問屋組合の力もかなり弱めました」
さっきも少し触れたが、ゴルテオさんの組合長は長期のものではない。次が決まるまでの中継ぎのようなものだ。
今の内に小売店虐めができないように、価格決定のプロセスの中に小売店代表者と領主側の代表者も入れるようになった。
オープンにしたと言えば聞こえはいいが、これが上手くいくかは分からない。
「無理を言ってすみませんね」
「いえいえ。小麦生産地を抱える領主様の正当な要望は、真摯に受け止めるべきですので」
不当な要望でなければね。
いくら最大の仕入れ先でも、個人攻撃の要望や公共の利益を損なうような要望は受けられない。これ、大事なことだよね。
小麦問屋組合は公共の利益を守るために、公明正大な組織というのが立ち上げ理念なのだから。
ご愛読ありがとうございます。
これからも本作品をよろしくお願いします。
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『★★★★★』ならやる気が出ます!
少し早いですが、年内の更新は本話で最後になります。
皆さんのおかげで今年は書籍を出版できました。
来年はもっと飛躍できればと思っております。
それでは、新年にまたお会いできることを楽しみにしています。
PS.
次の更新予定は1月5日(金)になります。