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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

私の幸せと恋と外堀と

作者: たかやす

 煌びやかなシャンデリアから光が降り注ぎ、華やかな衣装が煌めく。人々がワルツを踊るたびに、華やかな衣装がさまざまな形で色を変え形を変えて、見る人々の目を奪う。


 ここは王城。


 王家主催の夜会が開かれており、招待状のきた貴族達は参加し社交に勤しんでいた。


「何だか騒がしくない?」

「んー、あっちで盛り上がっているみたい……」


 彼女達は、この煌びやかな夜会で壁の花を決め込んでいた貴族のご令嬢達である。


 壁の花を決め込んでいる令嬢達は、子爵家の令嬢で婚約者がおらず一人で参加しているエーファと、婚約者はいるがその婚約者は騎士のためこの夜会の警備に駆り出されてしまい一人で参加することになったアンナの二人であった。


 夜会の会場となっているホールの端のほうでは、人だかりができており何が起こっているかはわからなかった。ただ揉めている二人の男女の声は聞こえてきた。


 その声の主はこの国の第一王子とその婚約者であった。ちなみにこれは日常茶飯事であり、いつもと同じ風景だ。むしろ無い方が不安になる。


「ああ、いつもの」

「そう、いつもの。でも今日はちょっと様子がおかしいのよね」


 アンナは不安気にあちらの様子を気にしているようだった。確かにいつもと違い何だか殺気だっているように見える。


「あら、それなら見に行ってあげるよ」

「うん、エーファ、ごめんね。ありがとう」


 騒ぎの元に近づいていくエーファに、本当にごめんね、とアンナが小さな声でつぶやいた声は届かなかった。


 エーファと呼ばれた女性は小麦色の髪をシンプルな髪飾りでまとめ、少し流行遅れのこれも同じようなシンプルなドレスを身につけていた。彼女を見た華やかで高貴な女性達は、眉を顰めるが表立っては悪口を言う事はなかった。ただ、その表情が全てを物語っていた。


(仕方ないじゃない。お金がないんだから)


 心の中で理不尽な視線に応えながら、騒ぎの元へと近づいていく。


「……………に気づいたんだ!!」

「はっ馬鹿馬鹿しい!何を夢見がちなことを……っ」


 声がしっかりと聞こえる位置にまできたエーファは、人混みに紛れながら渦中の様子を伺った。アンナが少し怯えていたので、場合によっては一緒に早めに帰っても良いと思っていた。場合によっては一緒に泊まってもいい。領地はここから馬車ですぐだ。親友を慰めて励ましてあげたい。怖がっているから尚更だった。


 夜会なんてエーファにとってはくる必要のないところだ。ずっと領地で領民達と畑を耕している方が皆の為になる。貧乏だからやってるわけではない。領民のためにやっているのだった。アンナとは小さい時からの幼なじみで、こんな貧乏貴族のエーファにも優しくしてくれる数少ない友人だった。その友人のためなら何でもしてあげたくなってしまう。


「そう言うのなら、貴方の心を私から奪った麗しき女性に会わせて頂こうじゃない?ねえ?皆様?」


 王子の婚約者が取り巻き達に話しかけていた。一瞬、目があったような気もしたが気のせいだろう。


 なるほど。王子の浮気が原因で婚約者のご令嬢がブチギレたというわけか。理由がわかったので、即時撤退し、アンナと一緒にもう夜会を出よう、そしてこれをネタにして夜中までたくさん話をしようと、心に決めてその場を離れようとした。が、人が多くなかなか撤退できずにいた。前にはよくよく進めたのに、何故か後退できない。人が集まりすぎたのか、むしろ逆に押されて前へ前へとでてしまう。


「私が愛している女性は、あの美しいレディだ」


 ごふっ


 すぐ近くで誰かが吹いた音がした。そして何故か嫌な視線を感じる。それも大勢の目線が。そして隣に視線を移すと同じような視線を感じた。


「エーファ・アイスナー子爵令嬢だ!!」


(同姓同名の同じ人かな?世の中狭いなー。あー、なんか王子様が近づいてくる)


「ちょ、ちょっと退いて下さい!」

「んん、押すなよ」


 逃げたいのに逃げられない。人混みが邪魔。必死に逃げ道を探しているのに、皆が邪魔をしているようで全く逃げ道がなかった。そうこうしているうちに、渦中の王子がやってきた。


「エーファ・アイスナー子爵令嬢」

「ひっ」


 跪かれ手を取られ甲へと口付けをされる。エーファは慣れないことをされて頭の容量がパンクしそうだった。


(これはなんだ悪夢か?いつの間に寝ていたんだろうか。夢でもこんな人前でこんな不埒なことをされるなんて、もうお嫁にいけない!!あ、予定も相手もいなかった)


「私は貴女を一目見た時から、貴女の美しさの虜になった哀れな男です。どうぞ、私の愛に答えてはくれませんか?」


 プラチナブランドの髪は、サラサラで襟足で一本に纏められている。空のように澄んだ瞳はきらきらしており、白磁の肌はエーファの日に焼けた肌とは違って滑らかで美しかった。そう、王子は美しかった。そんな王子から手の甲への口付けに、愛の告白?みたいなことを人前でされたのだった。周りはエーファが頷くとしか思っていないだろう。


 普通の令嬢ならば。


 そう、エーファは個性的な令嬢だった。


 彼女は領民達と共に畑を耕し、家畜を育て、獣や魔物を狩る令嬢だった。家族は皆、エーファに何とか淑女教育を受けさせようとしたが、彼女はそれを拒んだ。ただ最近両親が泣き落とししてくるので、しぶしぶではあるが教育は受けている。


 だから何とか人前にも出れるようになったのだった。根気強い教師達に両親は涙を流して感謝していたのをエーファは知っていた。


 現実に意識を戻すと、やはりまだ王子が跪いて手を握っていた。そのためエーファは、まず自分の手の自由を取り返そうと、振り解こうとしたがそれは成功しなかった。何故か手を離してくれなかった。王子を見ると、王子は哀れな男を演じているのか、哀愁漂う表情をしていた。これはまるでエーファが可愛がっている犬のゴードンが餌を強請るときの表情ではないか。エーファはこの表情に弱かった。


 だからといって人間相手だ。しかも王子だ。弱気になれなかった。弱気になり絆されたらお仕舞いだ。人生がおわる。エーファは領地で農地を耕して太くて短い人生を送りたかったのだった。


「わ、私は浮気するような方とは付き合えません!!」


 そう言い王子の顔を見ると、こちらを呆然としたような表情で見ていた。婚約者の顔も同じような表情をしていた。


 チャンスだった。


「も、申し訳ございません。それでは私、急用がありますので御前をこれにて失礼させて頂きます」

「……ハッ衛兵!彼女を捕まえなさい!傷をつけてはダメよ!!」


 エーファは王子の婚約者の静止の声を無視して、ドレスをたくしあげ早歩きでホールから出た。人目がなくなると、高いヒールの靴も脱ぎ、走って馬車まで辿り着いた。転がり込むように乗り込み、急いで領地へ向かうよう御者に伝えた。


「ん、お嬢さん、何か後ろが騒がしいようですが………」

「い、いいのよ!大至急帰るのよ!!大至急!!!」

「はぁ、わかりましたよ。お嬢さんは忙しないな」


 そう言うと御者は馬に鞭を入れ、王城から急いで脱出した。途中門が閉じようとしていたが、御者の巧みな強引な馬車捌き?でなんとか魔窟(しろ)から脱出できた。


「はあぁぁぁぁあ。一体今日は何だったの?」

「何かあったんですかい?」

「もう、聞いてよ!王子様が私になんか手の甲に口付けしてきて、なんか愛してる?って言ってきたの!」

「はあ。ようやっとですか。それで?」

「?とりあえず婚約者いるのに口説くのは浮気者だからって、そんな人はお断りっていってきたわ!」

「……お可哀想に」

「え?何か言った?」

「なぁんにも。まあ、お嬢さん大変だったねぇ」

「本当よ!こんなことなら(イーダ)の代わりなんて軽々しく引き受けなければ良かった」


 ちょっと話を盛ったようにも思ったが仕方ない。良い話のネタにさせて貰おう。金輪際、王城には二度と行かないし関わることもないだろう。


「あ、不敬罪とかになるかな?」

「あー、どうでしょうねぇ。領主様に聞いたらいいんじゃないか?」

「気が重いな……。怒られそう」


 不敬罪とかになるならさっさと領地内にある修道院へ行こうとエーファは考えた。


「あ、アンナ置いてきちゃった!あー……まあ、いいか。騒ぎに巻き込むのも可哀想だし」


 御者は決して口には出さなかったが、エーファがこんなに鈍くては、周りの人は大層大変な思いをしているのではないかと思うしかなかった。御者でさえ、時々視察と称して、高い身分の人がやってきたのは知っていた。そしてエーファをずっと見ていたことも。


「お嬢さん、無事に逃げ切って下さいね」

「え!?何それ。どう言う意味!?」


 御者は賢く、それ以降は貝のように口を開くことはなかった。

 


***



 王城のある都のすぐ側にアイスナー子爵家の領地はあった。利便性はいいが、そのすぐ上には魔の森が控えており、そこまで広くもなく旨みが少ない領地。それがアイスナー子爵のもつ領地だった。


「お父さん、私修道院に行ったほうがいい?」

「いや、それは逆効果だ」


 アイスナー家当主、エーファの父は頭を抱えていた。


 エーファは夜会戻ってくると、まず風呂に入り寝た。そして朝の食事の席で昨日夜会で起きたことを包み隠さず、ただ自分は王子様相手に結構な啖呵切ったよ、としっかり家族に伝えた。


「お姉様、何故承諾しなかったのかしら?」

「え?だって婚約者がいる方だし、王子様だし……」

「お姉様!玉の輿よ!しかもこのアイスナー家に経済援助をしてくれるはずだし、いずれは王様よ!その方に愛を請われたのでしょう?」

「う、うん。でもら結婚してほしいではなかったから、妾か愛人枠かな?若いのに大変よね?」


 妹が舌打ちし、馬鹿か、と鬼の形相で呟く。


「婚約者がいるのに口説かないといけないんだから、王子様も因果な商売だよねー」


 呑気にパンを頬張るエーファは、自分が貴族の令嬢という自覚が全くない。妹のほうがよほどしっかりしており、予定では妹が婿を迎えてアイスナー家を継ぐ予定だった。姉のエーファは自分が後を継がないことに喜んで、たくさん畑を耕すねー!と妹の継承に諸手を挙げて賛成していた。


 昨夜の夜会は、本来婿探しのため(イーダ)が参加する予定ではあったが、急遽仕事のためエーファが参加することとなった。エーファは軽い気持ちで引き受けたものの、金輪際夜会には参加しないと、昨日の出来事で心に刻み込んだ。


 そこへ来客がやってきた。エーファの友人のアンナだった、


「アンナ!昨日は急に帰ってごめんなさい」

「いいの!エーファ、昨日は、その、どう、だったのかしら?……その、私……」

「もう、昨日は散々よ!今日はお休みだからずっとお話ししましょう?もうすごく話したいのよ!」

「そ、そう……。そうなの。話……聞くわ………」


 アンナは少し気弱な性格ではあるが、今日は特に口調に力がなかった。さらに、しきりにメイドの顔色を伺っているようにも見えた。


「アンナ、大丈夫?今日は都合悪い?」

「い、いえ、いいえ。そんなことないの。……ふふ、エーファと話すのた、楽しみ……」

「じゃあ、いつもの客間でね。泊まっていくなら私の部屋でいい?」

「きょ、今日は帰るわ!い、いつものお部屋でま、まってるわね」


 アンナはメイドのことを気遣うように部屋へと向かっていった。



***



「まあまあのお茶ね」

「……ありがとうございます」


 客間へ行くと、何故かメイドが椅子に座り、アンナがその後ろについていた。エーファはアンナにどうしたのか、と詰め寄ろうとしたところ、メイドの女性はあのエーファに結婚を迫った王子の婚約者だった。確かにメイド服にしては生地があまりにも上等な物のように見えるし、黒真珠のような艶のある髪に力強いエメラルドの瞳は忘れられなかった。


 王子様の婚約者は、姿を隠しアンナのメイドとしてやってきた。昨日の今日、王子様の婚約者としてくると会ってもらえない可能性があるので、父親から部下であるアンナの父親に口をきいてもらい、アンナのメイドとしてやってきた。


「それで、エーファ。貴女、何故殿下のお話を断ってさらには逃げ出したのかしら?」

「わ、私断っただけで逃げたつもりは……」

「逃げたのよ。あの日のために皆がどれだけ苦労して準備して……。私、悪女に見えるように頑張ったつもりでしたのよ?」

「は、はあ?」

「……貴女、何もわかってないわね?」


 あのバカ王子、と扇子がびしっと音がした。その音にエーファとアンナがビクッと肩を震わせた。


「ローザ様、お姉様の鈍さは既に仕様。この時点でもう私達の負けなのです」


 いきなり扉をあけて出てきた妹に、さすがに失礼だと思い、エーファは叱責しようとしたがローザの言葉に思い留まった。


「あら、イーダ。ご機嫌よう。最近調子はいかが?」

「ローザ様。ご無沙汰しております。姉の事には手を焼いておりますが、それ以外は概ね順調でございます」


 とても仲が良さそうに見えた。気もあっていそうだった。これは下手に叱責すると二人から百倍になって返ってきそうだと、心の中だけで思う事にした。


「イーダ、エーファは思っていたよりも鈍いのね。これでは外堀を埋めても駄目だわ」

「私も殿下にはそのように進言したのですが……。『私はエーファを落としたいのだ』と言って……」

「それで玉砕したのね。我が婚約者ながら馬鹿ね」

「これが我が国の王太子殿下かと思うと些か……。あ、不敬でございましたわ」

「いいのよ。私も早く婚約破棄して家を出たいのに、うまく行かないばかりに……。チッ」


 そうローザがちらっとエーファを見ると、何も悪いことはしていないはずなのに、罪悪感で謝罪したくなる圧があった。


「私もお姉様には幸せになってほしいのです。殿下でしたら社会的地位に経済力もあり、姉にぞっこんですので……と思っていましたが。姉が鈍いばかりに……。両親も泣いてます」


 娘の結婚位で泣かないでほしいものだが、きっと売れ残った(エーファ)のことを影でコソコソ言う友人達(赤の他人)がいるのだろう。


「エーファ。貴女、殿下に絆されなさい。悪い人ではないわ。人柄は保証しましょう」

「ええー……。嫌ですよ、大変ですし、面倒だし……」


 パチンという扇子の音が二つ聞こえてきた。アンナはエーファから目を逸らしている。悪い予感しかしなかった。因みにいつもイーダから叱責されるときもパチン、という音がした。最近、この音が聞こえると体が妙に強張ってしまうから、習慣とは恐ろしいものだ。


「貴女、殿下はずっと貴女を思っているのです」

「遥か彼方の空の上の人からそんな風に言われましても……。それに私は殿下のこと何も存じ上げませんし……」

「何も知らないですって?」


 アンナに目線で助けを求めるが、こちらを一切見ない。親友とは何ぞやと心に問いかけるも、現実からの厳しい問いかけがそれを許してはくれなかった。


「貴女は殿下を知っているはずですわ」

「……ローザ様、お父様を始めとした領主、領民一同知っております。ただお姉様だけが知らないのです……」

「まあ。イーダ、それほどですの?」

「はい、それほどなので手を焼いておりますし、殿下にも予めお伝えしたのですが……」


 ローザとイーダの二人は、扇子を口元にあて残念そうな雰囲気ではあった。アンナも同意するように頷いてはいたが、エーファだけはさっぱりだった。


「エーファ、何故殿下との結婚はお嫌?とても良い話だと思うわ。何より貴女を愛してくださってるのよ?」

「いやというか、何も知らない人相手にそんな気にはならないというか……。絶対大変ですよね?公務とか?社交とか?腹の探り合いとか?」

「まあ、それは、確かに大変ではないとは言えません」

「ローザ様、私は自分の力量を知ってます。明らかに迷惑をかけることが分かっています。やるやらないではなく、できないのです」


 冷静に努めて言ってみたエーファは、のんびり気楽に暮らす方が性に合っていると思っている。一日中気のおけない人達と一緒に畑を耕したい。実りの心配、畑の相談、新しい開墾地を増やしたい、新人に指導していきたい。ああ、そういえば弟子は今日は来るのだろうか。


 最近新しく入ってきた小作人の一人に若い男性がいる。麦わらの帽子を深く被ってはいるが、優しそうで逞しく丁寧な仕事ぶりは見ていて気持ちが良かった。ただ残念なことにほかにも仕事をかけ持っているのか、時々しか来ていないのだ。非常に残念ではあるが、働きぶりは素晴らしくエーファの中で彼は自分の弟子という立ち位置になっていた。


 そしてエーファはもう話を切り上げたくなってしまった。


「皆さんの話は分かりましたが、どうするかは私が決めます」


 頑張って言ってみたが、二人の顔は怖くて見れなかった。エーファは、王子とは結婚する気はないことだけはわかってほしかった。


「私、仕事がございますので!これで失礼しますわ」

「お姉様!仕事ではなく農作業ですよね!?皆さんの邪魔はしないようにとあれほど言ってますわよね!?」

「う、ぐぬぬ。……それでも私は好きなのよ!行くわ!止められても行くからね!!」

「あ、お姉様!お待ちに……っ……逃げ足だけは早いんだから!」


 近年両親から言われ勉強時間が増える毎日ではあったが、畑を耕す事だけは辞められなかった。身体を無心で動かして実りという成果が出る。勉強なんていう成果のはっきりしないものより余程良い。


 それに弟子もできた。まだ畑のひよっこであるエーファにできた唯一の弟子。とても筋がよく素直で力持ちだった。エーファは何度か力仕事を頼んだり、悲しいことにエーファ自身が力尽きた時には横抱きに抱き上げられたこともあった。あの時のことは忘れたい記憶ではあった。師匠が弟子に負けるなんて、できればエーファが弟子を優しく労いたかったのだが、何故かいつも逆のことが起きてしまう。


 そしてそんな弟子にはいつか、兼業ではなく専業で畑を耕してほしいとエーファは考えているが、押しつけて逃げられても困る。ここは慎重に外堀を埋めて畑へと導きたい。まず今の仕事を聞き出して悩みを聞く。相談に乗りつつ畑の良いところを伝える。ちょっと大袈裟に言ってしまえば、きっとここの畑の良さがわかるだろう。そんなことを考えながら、畑仕事へと向かって行った。



***



「ねえねえ、最近きている私の弟子のことなんだけど、ここ以外にどんな仕事しているか知ってる?」

「ん?お嬢様の弟子?さて?」

「ほら、あれさ。あー、あの若いかっこいい(わっぱ)さ」

「あー、あー、あのお嬢様の彼氏か?」

「弟子って……。お嬢様が弟子じゃなかったかの?」

「旦那だろうが。お嬢様にめろめろじゃったぞ」


 近くに居たおじいちゃん達に話を聞くが、違うことに話が逸れていってしまい、肝心の仕事がなんなのか聞けない。これじゃあ外堀埋めよう作戦は失敗しかしない。


「……とりあえず、彼氏でも旦那でもないわ。弟子は私じゃなくて彼の方よ!私が師匠よ!それで、弟子の仕事よ!仕事!!知ってる?」

「んー……、なんだったかのう?」

「はて。なー。んー。お嬢様は知らんのか」

「口止めされてたか?」

「されてないけど話していいんか?」

「みんな知ってるのにお嬢様は知らんのか。はぁー。お嬢様はもう少し周り気にせんといかんな」


 どうもエーファだけ知らなくて、他のみんなは知っていそうな様子だった。それがどうにも面白くなかった。師匠と弟子の関係はそんな薄い関係でよいのか。いや、よくないはずだ。


「……教えてくれないかしら?」

「うーん。さてなあ。最近耳が遠くていかん」


 一人畑へ。


「その、教えてほし……」

「ああ!持病の腰痛がぁぁ。はよ医者に行かねばな」


 さっきまでしっかりと腰が入り、完璧な立ち振る舞いで畑を耕していた爺が急な持病を発症したようだ。


「あの、彼の仕事を……」

「さあて、婆さんのところ行くかな」


 貴方のお祖母様、去年亡くなったんじゃあなかろうか。


 視線を向けただけで、最後の爺さんは「熊を狩りに行くか」と森へ入っていった。鍬だけで勝てるのだろうか。


 結局、聞き出せなかったエーファは仕事の続きを始めた。そこへ慌てて、先程噂に上がっていた自称師匠の弟子がやってきた。


「……エーファ。遅れてごめん」


 いつもは屈託のない笑顔をむけてくれるはずなのに、今日は目を合わせてくれなかった。


「どうしたの?調子悪い?」

「ううん。ちょっと仕事が思い通りに行かなくて……」


 そう言う彼の顔色はあまり良くはなかった。

 

「そういう時は無理しないで。休んでていいよ」

「……ありがとう。君の側で休んで良いか?」

「勿論!私も休憩したかったから、少し休みましょう?」


 彼の手をひき近くの休憩用のベンチへ腰を下ろす。元々皆で地べたで座って休憩していたが、彼が来てからいつのまにか置かれていたものだった。


 いつもより体温が近いような気もするが、彼は弱っているのだから少し慰めてあげたほうがよいだろう。そうエーファは考え、頭を優しく撫でて、髪を手櫛ですききゅっと抱きしめてあげた。


「大丈夫?」

「ぐぅっ。だ、大丈夫ではないかも……」

「体調が悪い?」

「体調は問題ないんだ。気持ちの整理がつかなくて……」

「仕事がうまくいかなかった?」

「……絶対にうまく行くはずだったんだ。全て外堀も埋めたし、彼女の両親から太鼓判もらっていたし、友人達からアドバイスも貰って綿密に計画を立てていたんだ。……それなのに……何一つわかっていなかったんだ」

「まあ……」


 エーファは全然わからない話だったが、可愛い弟子が落ち込んでいるから慰めなくてはいけなかった。自称師匠として、そこはやらなくてはいけないだろう。そして師匠であるエーファの優しさに感動して、専業農家に人生の舵を切ってくれないだろうか。


「何事も絶対なんてない。お相手の方がそれだけ上手だったのね……」

「……上手?」

「ええ、何ていうか……。うーん、そうね、思い通りに動かない破天荒な方なのね?」

「……破天荒」

「ええ。普通ならそれとなく空気を読みそのように動いたり、自身の利益や家の利益を考えて動くはずなのに、そのように動かなかった?っていうことでしょ?」

「そう、そうなんだ。自分の思い通りにならないんだ。そこがいいのに、今回はそこに足を取られてしまった」

「まあ、そういうことなら思い切って正攻法でいってみては?」

「正攻法か。考えもしなかった……」

「相手によってはそれしか通じない難敵もいますからね」

「さすが。よくわかっている……。なるほど」


 先程まで泣きそうな顔をしていた彼は、なにやら吹っ切れた様子だった。エーファは一安心した。これで専業農家の件も誘いやすい。もう少ししたら話を切り出そうと練り始めた。


「エーファ」


 彼から両手を握られエーファ話目を見つめられてしまった。またつ毛ふさふさ、肌きめ細やか、瞳も空色で綺麗だし髪はプラチナブロ……、と思ったところでエーファは何か引っかかった。思い出さなくてはいけないことだったが、全く思い出すことができない。ただ、非常に不味いかもしれないと慌てて腰を上げかけたが、もう遅かった。


「エーファ、もう逃さない」


 いつもの弟子とはなんだか雰囲気が違う。凄みと色気が増していた。逃げ時を見誤ったようだった。


「エーファ、君以外みんな知っているんだ。知らないのはエーファだけだ」

「え?」


 何を、ということを聞きたかったが聞いたら多分もう戻れないというのを本能で分かったのだろう。エーファはそれ以上無駄口を挟めなかった。


「知りたい?」

「え?え?知りたく……ぎゃっ」


 握られた両手を解かれたかと思った矢先、肩に手がかかりベンチの上に押し倒されてしまった。


「知りたい?」


 鈍いことには定評のあるエーファではあるが、きっと知りたくないと言えば様々な手管でもって知りたい、と言わされてしまう、とさすがのエーファでも感じとっていた。


「シ、シリタイデス」

「エーファは賢いね。それで何を知りたい?」

「ナ、ナニ?」

「俺のこと?夜会のこと?それとも全て?」

「え?夜会?何でも聞いてもいいの?」

「勿論、何でも答えてあげるけど、場合によっては機密事項もあるかもしれない」

「き、機密?」

「ああ、エーファがそれで危険な目にあって欲しくないんだ」


 エーファは恥じた。


 弟子はエーファのことを優しく案じているのに、彼のことを様々な手管を使う腹黒のように考えしまったことを。しかし機密とは一体何か。彼はもしかしたら高位貴族なのだろうか。


「エーファ、機密はね親しい間柄にならないと伝えられないんだ」

「私達は親しくない?」

「うーん。俺はそう思ってるけど周りはどう思ってるかわからないだろう?」

「ここの皆はわかってるよ?」

「ここの皆のことじゃない。他の貴族達のことだ。機密を知れば君だけじゃなく家族も困った事になるだろう」

「それは困る!!」

「だろう?そのために俺達はもっと親しくならないと」


 押し倒されてのしかかられてしまい、ちょっと動けば口づけをしてしまいそうな距離だった。


「その、親しくなる方法ってどんな方法?」


 これ以上近寄らないように弟子の胸を両手で押すが、うんともすんとも動かない。厚い胸板が邪魔をしていた。


「婚約だ。そして結婚すればいい。念書と魔法による約定を結んでもらえれば結婚前でも問題ない。堂々とエーファを守ることもできるし、全て話せる。どう?」

「ど、どうって……」

「もうこれしかないんだ」


 エーファはよくわからなくなっていた。


 ただ弟子のことを、仕事を知りたかったのに、何故機密に関わることになるのかわからなかった。みんなが知っているのに、自分の時には機密になるのもよくわからなかった。公然の機密というやつだろうか。


「そうそう、みんなには当たり障りのないことしか教えてないんだ。俺が愛してやまないエーファには、是非とも俺の全てを知って欲しい」


 エーファは鈍いがそこまで馬鹿ではない。ただ、よく考えていないからすぐに騙され絆され丸め込まれるだけだった。


 エーファはもう考えたくなかった。この距離感も慣れなくて息が詰まりそうだし、話が具体的ではないから頭にも入ってこない。


「エーファ、君しかいないんだ……。頼む……」

「んぐっ」


 なかなか容姿の優れている男性に、こんなことをこんな距離で言われたことのないエーファは既に陥落寸前だった。これが妹ならば、扇で顔面を叩き、投げ飛ばし関節技を決めることもできたかもしれない。ただ凡庸なエーファにはそんなことはできなかった。妹が通り過ぎないか祈ったが、彼女は後継のため現当主である父親について回っている最中であろう。


「わ、私には何も持ってるものもなく……、容姿も普通で」

「そんなことはない。貴女は真っ直ぐで皆の心を惹きつける。努力家で思いやりのある優しい女性だ」

「うぐ……。頭も良くないし貴女を支えることも……」

「俺が支えよう」


 ちなみに密かに家庭教師が派遣されており、ある程度の教育は終わっていた。彼の両親にも彼自身から話は通っており、彼らは無理矢理じゃなければ、と了承をもらっていた。


「……私は一人で生きていくと………」

「ああ、エーファ。むしろ俺無しで生きていくエーファなんて見ていたくない。そんなことなら拐ってどこかに閉じ込めたほうがましだ」

「……えっと?さら?閉じ込めってかんき……。あー……うん。そうか、うん?」

「返事は『はい』以外は聞きたくない」


 そういうとエーファの髪を一筋手に取り、その上に口づけを送る。エーファには、はいと言わないと拉致監禁だよ♡という風にしか聞こえなかった。選択肢はなかった。


「返事は?」

「…………はい」

「ああ!エーファ!ありがとう!愛している、俺の太陽」


 思い切り抱きしめられた後、周りから騎士達や先程色々な理由をつけて逃げていった農家の爺さん達が戻ってきた。


「殿下、悲願達成おめでとうございます!!」

「ようやくでございますね!」

「やはり思いをきちんと伝えたほうがよかったんじゃなぁ」

「まあ、若い頃は色々考えて迷うほうが良いのう」

「相手次第かもしれんがの」


 抱き起こされたエーファは、『殿下』という単語を聞き逃さなかった。


「え?え?殿下?誰?」

「俺」


 抱き起こしてくれた弟子、もとい殿下ににっこりと微笑まれたエーファは意識を手放した。



***



 元々業務の一環として地方の見回りは王子の仕事であった。


 アイスナー子爵の治める領地は、殆どが農地か牧畜産業が主たる収入源だった。ただ、天候が厳しくとも狼や熊による家畜の被害が大きくても、そこまで領地収入の減ることの少ない領地であり、為政者として他領地へのモデルとなると考えアイスナー子爵の治める領地へと見学に向かった。


 アイスナー子爵家では、収入が不足した時用に穀物倉がありそこに日持ちのする穀物や食料、金になる魔物の牙や骨、魔石などがあり、収入が少ない時にはそれらを補充分として充てていたり、困っている領民に施しをしたりしているという。そしてそれを担っているのが、エーファであった。領主である父や妹の話を聞き、領民達とともに農地を耕し家畜の世話をし倒した獣や魔物を捌いていた。


 それをたまたま見た王子は、あまりにも規格外なその女性に恋をしてしまった。一目惚れだった。


 その頃王子は、自分の婚約者から他に好きな人がいるから婚約破棄を円満にしろと、どつかれていたのだった。幼馴染とはいえ、自分をどつき回す婚約者はできれば幼馴染枠のままでいてほしかった。

 

 これが巡り合わせか、と神へ感謝し早速外堀を埋め始めた。


 まずは彼女の両親へ話をし、エーファと結婚したいこと、王子妃教育を領地で受けてほしい、家庭教師は王城より手配すると。


 エーファの両親、妹は喜んだ。


 何故ならエーファには恋のこの字も、欠片も何もかもなく、『私は農夫か木樵と結婚するのよ』と周りに公言していたからだった。実際、独身の農夫や木樵は妻に先立たれたお爺さま方しか残っていなかった。良い年柄の男達はすでに結婚しており、あてすらない状況だったのだ。


「王子様って職業じゃないし、機密でもないよね!?」

「機密に関わることもあるから機密だよ」

「公然の機密ってやつじゃない!?」

「そうとも言うな」


 意識が戻った後、そこはすでに領地にある自分の部屋ではなく、王城のしかも王子の部屋に何故かいた。


「折角の弟子かと思っていたのに……」

「君と離れがたくて仕事の合間を縫って行ってたんだ」

「王子様なのに……」

「アルベルトと呼んでくれ」

「アルベルト殿下?」

「殿下もいらないが、それはおいおいかな」


 エーファの手を取り、その甲に口づけを送る。


「エーファ、どうか私の妃になってほしい。エーファの欲しい物は全て揃えるし何でもしよう。ただ、できれば男性とは話してほしくはない。目もあわせてほしくはないが……。そうだ、エーファの周りは女性で固めよう。希望は誰かいるか。居なければ適当に見繕うが.…。仲の良い友人を呼んでもいいし、領地から気心の知れた使用人を呼んでも良い。それから外に出るのは中庭までにしてほしいが……。どうだろうか。外は危ないから。社交も最低限で良い。エーファの愛らしい姿を他には晒したくないんだ。できればこの部屋の中だけにいてほしいが……。そこは今後の相談としよう。それ「アルベルト殿下。私のことが好きなんですか?」

「え……、好きなんてものじゃない。愛している。私の全て、命にも代えることができない。すぐにでも結婚して私のものにしてしまいたい位だ」

「それはすごい……」


 エーファは好きも恋も初めてのことで戸惑ってはいるが、結婚する人とは愛し合いたいと思っていたので、こんなに情熱的に愛を囁いて、叫んで、語り尽くすアルベルト殿下に絆され気味だった。周りからは自分がのめり込むより、相手が自分のことにのめり込んでいるくらいがいい、と主に妹からだが、話を聞いていたので悪くはない話かもしれないとも考え始めていた。


「私は正直言ってよくわからないところがあります……。こんなことは初めてで……。弟子だと思っていた人が王子様なんてこともまだ飲み込みきれないんです……」

「うん」

「それでも私は、その、あの、答えることができればと……」

「……つまり?」

「……ゆ、友人から始めれればと!!」

「……友人?」

「はい!友人から始めて徐々に距離を縮めて行ければと……」

「なるほど。つまりそれは最終的には妃になるということでいいのかな?」

「そ、そう、え、いや、あれ?いや、妃になる?」

「友人から始めて最終的には妃になるってことでいいんだよね?」

「あれ、なんか違う。なんか違う気がする。そう言うことじゃ無い気がする……」

「私は妃になってほしい、と言った答えが友人から徐々に距離を縮めたい、これはイコール最終的に私の妃になる気があると言うことだよね?」

「……確かにそうですね。で、でもちょ「じゃあそう言うことで話を勧めるね」


 満面の笑みでエーファの頬に口づけを落とし、側にいた従者に指示を出し始めた。言いたいことは山のようにあったがもう全てが遅かった。


 そしてその日から始まるアルベルトの猛攻に、数日は耐えていたが徐々に流され絆されてしまったエーファの姿があった。


 結婚までお腹が大きくなるようなことはなかったが、エーファは毎日疲れきって昼過ぎまで起きてこれなくなってしまった。アルベルトと顔を合わせるだけで動揺して顔が真っ赤になる姿に、何があったのか皆が皆、察している状況でもあった。


「でも幸せでしょう?」

「……ま、まあね。ちょっと束縛され気味だと思うけど。それがいいと思ってしまっているの」

「まあ、惚気ね」

「え?そ、そう?」


 アルベルトの元婚約者とも、今では良い茶飲み友達になっていた。彼女も親に勘当はされてしまったが、思い人と一緒になることができたと幸せそうに笑っていた。


 中庭に小さな畑を作り、エーファ自ら野菜を育てている。それをアルベルトと一緒に収穫したり人の目を盗んで齧り付いたりしていた。


「とんだ不良物件押し付けてしまったかと思ったけれども、そんなことは無さそうですわね」

「勿論。今もとても幸せよ」


 畑を無心で耕し、領民達と獣を退治し捌いていた時も充実した幸せを感じていたが、形は違うが今も今で恋をして愛し愛され、幸せなエーファだった。


 



 





夜会の前話


「皆の者、事前に伝えた通りだ。よろしく頼む」


 今回の夜会に来たメンバーは、事前の婚約破棄を衆目の面前で行いそれをエーファに見せるという、影の目的を周知していた。そして参加者全員に役割分担が割り振られていた。


「殿下、本当にうまくいくのでしょうか」

「やれることはやった。後は私達が不仲で仲違いした上で婚約破棄とすればいいはず」

「イーダからはうまくいかないと思うと聞きましたわ」

「……それは聞いたが、これだけの舞台を準備した。皆の協力も得ることができた。これ以上何があるんだ」

「……エーファの鈍さが想像以上とイーダから聞きましたわ」

「やるだけやって駄目なら……、駄目なら権力を最大限に利用するしか……」


 頭のいい暗君が登場しそうな台詞が聞こえてきたが、皆それは敢えて無視をした。一人の犠牲で素晴らしい為政者になるのであればそれは仕方のない、『贄』となってもらうしかないというのがこの場での皆の相違でもあった。


 結局は正攻法で落ちてくれたのでよかったが、これで落ちなければエーファは拉致監禁される可能性が限りなく高かった。皆そうならなくて良かったと、特に実行部隊になりそうな騎士隊の皆々は胸を撫で下ろしたという。


(内々に話は来ていて、それ用の覆面と黒い装束を渡されていたという)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 身分がばれた後のグイグイ行く王子、最初からそれ発揮していれば。。。徐々に距離を縮めたつもりでいたんですね。鈍い子爵令嬢には伝わっていなかったけど。 [気になる点] 夜会の前話で、皆の相違→…
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