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泣かない魔女の絢爛な葬送  作者: 模範的市民
一章:久遠の樹
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9.Road to the End

 人は死ぬ。緩慢か唐突かの違いはあれど、それだけは絶対的な到達点だ。死は単純な「停止」だと言う者も居れば、有神論者ならばそれを「救済」のシステムだと言う者も居るだろう。

 インヘルは前者であった。神は信じていないし、事実だけを信じている。死とは生命活動の停止であり、電気信号の途絶であり、身体の永遠の硬直であり、生きることは緩やかな自殺であるという立場であった。


「ああ、狩人様かい。先日はお疲れ様だね。派手な音が床の上まで聞こえて楽しかったよ」

「おう婆さん。その直後に昏睡したんだって? 意外とすぐに死んじまいそうだな」

「村の医者が言うにゃ、今夜が山だと。ま、潮時さね。狩人様と話していた時にはもう限界を感じていたが……意外とあっけないものだよ」

「……こういう時、私じゃなくて出来るだけ家族と居るモンじゃねーの? まあその気持ちは分からねぇが、他の奴は皆そうしてるって聞くぜ」

「村の代表者の礼節だよ。感謝くらい受け取ったらどうだい、可愛げのない小娘だね」

「口うるせぇ婆さんだぜ。あと10年くらいは素知らぬ顔で平然と生きそうだ」

「そんな風にはいかないよ。もっと『呆気ない』のが現実さ」


 この考え方のせいで、インヘルには死に対してどこか鈍感さというものがあった。人が死ぬということに、「ああ、コイツも止まるんだな」という程度の感情しか持ち合わせていない。

 故に、葬儀屋という名を冠している割には、死についてのポリシーだとか、モットーだとかが有る訳でもない。淡々としていた。


「――私、しばらくこの村に居たい」


 ぽつりと、ラストラリーが呟いた。何故少女がそのような希望を露にしたのかは分からない。ただ、普段は我が儘の一つも溢さずインヘルの後ろに付いてくる少女にしては稀な、そんな提言だった。


「あん? 仕事は終わったんだ。留まる理由も無ェだろ。さっさと次の仕事行くぞ」

「……やだ」

「オイオイ、いつの間に我が儘を覚えやがったんだ? お前が居ないと魔獣を処理できねぇだろ」

「……()()()()して。あと1週間、この村に居させてもらう代わりに……これからママが嫌がる私の我が儘を、無理に聞かなくて良い」

「へぇ、したたかになったモンだぜ。私相手に取引とはな……良いぜ。乗ってやるよ。その言葉がどれだけの責任を負うのか知る良い機会だ」

「良いよね、おばあちゃん?」

「ふふっ……母親の豪気に似てきたのかい? ま、構わないさね。私が許可を出したと言えば、通るはずさ」


 マイには何となく、ラストラリーがその我が儘を言った理由というのが分かっていたのかもしれない。おそらく彼女は、マイの死に立ち会いたいのだろう。インヘルよりもよっぽど残酷で、現実的なことを告げる少女に少しの驚きを感じながらも、マイはそれを暗に許した。

 おそらくこの経験は、死への鈍感を持ったインヘルにとっても、何か変化をもたらすものだろう。そこまで分かった上でラストラリーがその提案をしたとすると、この子はきっと、母親のことを誰よりも知っているんだなと実感できる。


 予想以上に芯の強い子供だ。小さな身体に似つかわしくないほど大きなものを背負っていると思わされるような、不思議な少女だという感想をマイは抱いた。


◆  ◆  ◆


 やはり医者の言葉とは信用すべきもので、その日の夕方から、マイは長い昏睡に陥った。小間使いが様子を見に行ったら意識を失っていたそうだ。

 次にまた意識を失った時はどうなるか分からない。早急に家族やマイの親しい友人が集められ、覚悟するようにという旨が伝えられた。そしてその渦中に、マイの死に目に寄り添いたいという希望を口にしたラストラリーと、保護者のインヘルは呼ばれた。村長直々の呼び出しだったようで、一部から反対も出たが、それはウタとマイが揃って押さえ込んだらしい。


 ラストラリーは病床に立つ親族に並んで、インヘルは少し離れた壁際に背中を預けながら、同じ日に話した人物とは思えないほど弱々しくなった老婆の話を聞いていた。


「――ウタ。次に村を治めるのはお前だよ。なぁに、伝統とかいう言葉振りかざして、ふんぞり返っていればいい。お前はもう、十分に慕われている。足りないのは傲慢さかねぇ。娘のように扱ってくる年寄りのケツを蹴り上げて、言うこと聞かせな。お前になら付いてくる」

「はい……はい、かか様。しかと、全うしてみせます」

「デナイ。お前は後ろの椅子に座ってる人間じゃあない。前へ、前へ……年寄り連中の相手はウタに任せて、若い衆を束ねておくれ。新たな風の受け皿となるんだ」

「お袋……」

「事務的な話は嫌いさね。どれ、年寄りの昔話でもさせてくれ」


 さながら鷹のような強烈さを放っていた時の、覇気のようなものを、もはやマイから感じ取ることはできない。ただ穏やかに、家族に看取られるという最期の至福を堪能する、一介の老人に見えた。

 そこに何故か絶望というものがないことに、インヘルは不思議がった。自分が見てきた死は、全てが虚しさとか、そういうものに苛まれて、享受せざるを得ない場所まで追い込まれた結果でしかない。

 しかしマイは、生きた意味を見つけられているかのように錯覚させられるほど、救われていると思える。インヘルはその源泉に興味があった。気が付けば、彼女はマイの話に静かに耳を傾けていた。



 ――何も無いところから始まった人生だった。故郷は魔獣に滅茶苦茶にされて、両親も死んじまって、だけど予言の力で私だけ生きちまった。

 それで、この森ん中で首括ろうと思ってた時さ。お前たちの父親と出会ったのは。同じく首括りに来たんだと。


 最初は自分だけが恵まれないとばかり思ってたんだが、意外とそういう奴は居るモンさ。すると、何故だろうね。死ぬことが馬鹿らしくなった。

 何処かの悲劇のお姫様みたいなのと自分を重ねて、上辺だけ取り繕って、自分が生きてることに何の意味も無いと思ってる方が、単純に自分が……自分の人生が一番楽だったのさ。だけど、なにぶん、希望ってのを永遠に忌避し続けるのは難しいもんで、生きる意味を振り解こうとしても、いずれそれはついて回る。


 だからせめて、そういう奴が少しでもマシに生きてマシに死ぬ。そういう場所を作りたいって希望を持っちまったのが、この場所の始まりさね。此処は爪弾きにされた不幸人たちが集まる所だ。


 嫌われ者でも、憎まれ役でも、拒まない。それで長くは続かなくても、それで構わない。大事なのは「在り方」ってヤツさね。

 だから私は後悔なんて無いよ。人生も一緒で、長生きしたかじゃなくて、どう生きたかが大事なんだ。


 私の役目は終わったのさ。私の道は打ち止め。これで良いんだ。


 だけどお前たちには、まだきっと役目がある。

 お前たちは獣じゃない。血の通った人間なんだから、キツいと感じることだってある。だから、嫌になったのなら全て捨てても私は責めないよ。ただ自分の道だけは自分で決めること……これだけは約束しておくれ。それがお前たちの、役目だよ――


「……ああ。後悔は無いって言ったけど、ひとつあった。子供たちに、何もしてやれなかったことさね。役に捕らわれて、大事なところを見落としちまってたよ」

「そんなことない」


 ぽつりと呟くマイの手を、ラストラリーがそっと掴んだ。恐れ知らずとは程遠い彼女が、ここまで「我」を通したことなど、これまであっただろうか。

 マイは不意に大人びた表情を見せるラストラリーの顔を見て、目を丸くしていた。インヘルも同様に、初めて見るラストラリーの姿に驚きを隠せないようだった。


「頭を撫でてくれる。帰ったらおかえりって言ってくれる。ご飯がある。ちゃんと眠れる。そうすると自分が、此処にいても良いよって、言ってもらえてるみたいになるの。こんなに沢山の人が見てくれているから……おばあちゃんは絶対に、何もしてあげなかったなんてことないよ」

「……その通りです。かか様は怖い人でしたけど、誰よりも私たちを愛してくださりました。その気持ちがあったことは、かか様の子供である私たちには、全て伝わっております」


「……そうかい。そうだったら、何て……幸せなことかねぇ……」


 マイはやがて、起こしていた背をくたりと倒すと、微睡みの中に身を委ねるように目を閉じていた。

 幸福な表情を浮かべながら、最期に大きく息を吐き出して、誰にも聞き取れないような声で何かを呟くと、ようやく、その痩せた背に負っていた、余りに大きな荷を下ろした。


◆  ◆  ◆


 日の昇った刻限から、まるで丑三つ時のように静まり返った閑静な村の中では、無言でマイの葬儀の準備が執り行われていた。指示をするのはウタだ。彼女の一声で男は力仕事をし、女は細やかな作業を担う。


 広場には村で一番高い家屋よりも更に高く積まれたやぐらのようなものが置かれている。これは火葬と同時に燃やしてしまうらしいが、その造りは決してなおざりではない。

 手縫いで一つ一つ拵えられた喪服に刻まれた紋様には、全てに死者への追悼を願う意味が込められていると聞いた。

 棺はその季節の最も良い木材を使って組み上げられ、護符と共に起こす火葬用の種火は、家族の代表者である男が手作業で起こすという決まりだ。


 その従順さや、嫌な顔ひとつせずに従事する彼らの姿から、マイは本当に村の衆全てに繋がっていたことを痛感させられる。


 火葬の準備が着々と進む村の広場にある木陰で、インヘルはぼうっとその様子を眺めていた。そんな彼女の元へ、葬儀の準備を率先して手伝っていたラストラリーが戻ってくる。


「……大変そうだな」

「うん。皆とっても真剣にやってるよ」

「……人が1人死んだだけで、ここまでやるのか。残りカスみてぇな、忘れられるだけの、無価値な『機能停止』の為だけに……誰も汗水を惜しまねぇで、全員が何かを感じて、動いてやがる」

「ママも、お手伝いする?」

「……」


 インヘルは自分の言葉を思い出していた。知らねぇ家の、知らねぇババアが死ぬだけ。本当に、それだけの筈だった。

 ただ、今の心持ちはどうなのだろう。それを言葉には直せないが、「停止」だけでは完結しなかった屍の途次を見て、これを知らなければならないと思ったのは確かだ。


 命の散り方と、それが(もたら)す感情の灯火を、微かに胸に宿したインヘルは、おおよそ「人間」と呼べる物に近付いているのかもしれない。未だ不完全であるが、死を悼み、弔いを行うことが出来るというのは、人間だけが持つ固有の営みである。


 インヘルは少しだけ、人間になった。


「……そうだな。私も、何かしてやりたい」


 不思議な気分だ。無抵抗に巻き取られるだけのように思えていた自分の在り方に、別の糸が繋がったかのような、そんな感覚。

 しかし味気なくも煩わしくもない。それはただ、純粋だった。そんな彼女の様子を見て、ラストラリーはやはり、優しく微笑む。これは少女の「狙い通り」なのだろうか。


「ウタさんの所に行って、お手伝いすることがないか聞いてみるね」

「ああ。私も行く」


 2人は横並びに歩き出した。まるでどちらが親なのか分からなくなってきたが、少なくとも彼女たちは、お互いを変化させ合っているということは確かであった。


 ◆


「……力仕事かよ。あー、ハイハイ。そうですね。私はパワー系脳筋ゴリラですもんね。畜生、料理までなら出来んだぞ。鍋に肉突っ込めば良いんだろ」

「そりゃ料理じゃねぇ。餌ってんだ」

「大体、お前の場所を手伝わせるかねぇ……私のことをお恨み申し上げてる兄上様」

「ウタの命令だろ? 火種は俺の仕事だが、他のことはやってもらうぞ。まずは弔花運びからだ」


 インヘルが割り当てられたのは、偶然にもデナイが持ち場を務める献花の運搬だった。正直、この兄君に対して、良い思いを抱いているとは言い難い。

 マイやウタから感じた「敬意」というのを、この男からは感じ取れていなかったからだろう。もっとも、狩人にとってはそれが普通なのだが、あの2人が自分に良くしてくれていたぶん、今回の仕事に関して言えばそれは顕著だった。


「私のこと、恨んでねぇのか? 私に会わなきゃ、お前のお袋は死んじゃいなかったかもしれねぇんだぞ?」

「当然、今でも嫌いだよ。感謝もしてねぇ。だけどな、お袋の作ったこの場所では、誰も拒んじゃいけねぇんだと知った。お前のことは恨んでる……だが、お前を拒むべきじゃなかったのかもしれない。煮え切らねぇが……これがお袋の選んだ道だ」

「……そうだな。狩人も恨まれやすい仕事だ。いつも背中を刺される覚悟はしてるぜ」

「返り討ちにされんのは目に見えてる。やめとくよ」


 この村では狩人を呼ぶ前も、彼を中心として一悶着あったという話を思い出した。その間、母親を失いたくない彼や、その思いに賛同する村の連中は、自分たちでどうにかしようと決死の覚悟で魔獣に抵抗し続けていたのかもしれない。


 だとすれば、狩人を呼ぶのは苦渋の決断でもあった筈だ。自分の無力を一旦全て肯定しなければならないというのは、誰にとっても筆舌に尽くし難い苦痛である。

 彼はきっとインヘル以上に、自分が恨めしいのだろう。母を救う道は、狩人や余所者に頼らず、自身の力で魔獣を仕留めることしかなかった。それを諦めざるを得ない無力に苛まれたとしたら、苛立ちも怨嗟も必然だ。


 本来ならば口すら聞きたくないであろう相手とこうやって話している、その心模様を察しようとすれば、憐憫を抱くというのもまた違うだろう。インヘルはその事を理解することができたのか、彼に慰めも与えないし、ましてや許しを乞うこともしなかった。


「……お袋が死んだことが、今でも信じられねぇんだ。何か、もっと泣き喚いちまうかと思ってたけどな。何も無ェ。口先じゃ色々と言っておきながら、俺は薄情なヤツなのかもしれない。だから手ェ動かすしかないんだよ。俺が出来ることは……これだけしかねぇ」

「……心配すんな。お前の想像も及ばないほど薄情なヤツがここに居る限り、お前は最低な人間じゃねぇ。私が証明してやるよ」

「一丁前な事言いやがって。お前に何が分かるんだ?」

「それは教えねーよ。私の問題だからな」


 この2人を結び付けるのは、今や乾き果てた砂塵のような憎らしさ。それだけが唯一の絆であった。しかし、なればこそ、それは絆と呼べるのだろう。許せない相手とのそれも、また繋がりであるのだから。


「(泣けねぇ奴は薄情、か……)」


 泣かない魔女は考える。こういう時、泣くのが「人間らしさ」なら、まだ自分はそれを取り戻せてはいないのだろう。


 魔女の、自らを探し求める旅の序章が、ようやく終わりを迎えようとしていた。

サマルの村編は終了です。モチベーションのために、ブックマーク、評価、感想などをぜひお願いします。

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