8.Es
インヘルとラストラリーは、村で「危険地帯」と呼ばれている領域に足を運んでいた。そこに至るまでの道には、目印のように赤く塗られたバツ印の木製看板が立てられ、言葉を用いずとも立ち入りを拒む強い意志が見て取れる。
この危険地帯というのは、魔獣の生息地と思しき中心位置から村の住民が被害に遭った最長距離を算出し、それを半径とした円の内部という形で定義されており、これはウタが考案した案らしい。
看板から先に向かうのであれば、安全は保証されないという目印だ。しかし、その危険地帯も近年は拡大傾向にあった。魔獣が徐々にその力を蓄えているのだろう。
最初に魔獣の存在が確認された時、それは苗木のような小さな姿だったという。しかしその姿は長らく視認されておらず、今ではどのようなサイズになっているのかは不明だ。
2人は看板をすぐ近くで眺めながら、ウタから聞いた魔獣の情報を整理して作戦を立てていた。
「確か、射程に生物が入れば『根』で攻撃されるって言ってたな。って事は足を踏み入れた瞬間から戦闘開始だ。まずは魔獣の場所に到達する必要がある」
「うん……木がいっぱいだから、狙い撃ちにするのは難しそうだしね」
「視認性は最悪。根の攻撃は一般人の肉眼では捉えられないほどの速さらしい。陸路じゃ手詰まり感がスゲェ」
「ど、どうするの?」
「ラストラリーは此処で待機しとけ。邪魔になる」
「えっ!? で、でも私はママと一緒が――」
「空飛ぶぞ? またゲロ吐きてぇのか?」
「……待ってる」
インヘルの魔法陣が足下に展開されると彼女の脚部は黒い機械質を帯びた。脛の辺りにはロケットの噴出口のような機関を備えている。
ラストラリーはその様子を青ざめた顔で見ると、そっと搭乗を拒否するように彼女から距離を置いた。どうやらこのインヘルの姿に嫌な思い出というか、トラウマがあるらしい。
――そもそもインヘルの魔法とは何か?
その正体は、「合金」と「爆雷」の性質を持つ、無属性魔法である。
近代の戦争における重要なファクターである火砲。
その機関を人体の上に再現し、炸裂させる事で破壊力を得ることがインヘルの魔法で可能なことだ。
しかし「空を飛ぶ」兵器というものは未だ誕生していない。理由は単純で、それを再現するだけの技術力が不足しているのである。一方でインヘルは完全な自律型飛行を完成させている……という訳ではなく、見たこともない機構をその身に宿らせる事は出来ず、既存の方法で空を飛ぶ。
端的に言えば爆雷のエネルギーで強引に身体を動かすだけである。例えるならば、ダイナマイトを脚に巻き付けて空を飛ぶことに等しく、むしろ「跳躍」と呼んだ方が適切だろう。
当然ながら操作性に難アリだ。加速度を考慮しないような荷重、安定しないバランス、調整不可能な速度。余りに人体にはハードルが高すぎる空の旅である。
この世界で最も酔いやすい乗り物は悪路での馬車と言われているが、空を飛ぼうとしているインヘルの背中の乗り心地というのはそれを遥かに凌ぐ史上最低のものだ。もっとも、乗せてくれる事などまず無いのだろうが。
「大人しく待ってろよ。肉は持ってくる」
「はぁい」
ラストラリーは不満げに頬を膨らませながら、その辺の土をいじいじし始める。そんな彼女を尻目に、インヘルは腰を低く落とした。
「【機々械々・空対機関】」
三段跳びで跳躍すると同時にインヘルの足下が爆ぜ、その身体が非現実的な速度で、あっという間に空へと飲み込まれていく。普通ならばブラックアウトしてしまうような反動ではあるが、彼女にはそもそも血液が流れていない。意識をハッキリと保ったまま、雲を突き抜けない程度に、魔獣を捕捉できるだけの高度へ到達した。
「見〜っけ」
地上からの視界は最悪だが、空中から見下ろせば視認性の問題は解決だ。
森の中心部に立つ、異質の高木。周囲の木々は腐ったかのように枯れ落ちている。
そのご立派に成長した姿は、真冬でもないのに葉が1枚も無く、枝や幹に至るまで眼球がびっしりと敷き詰められている。
そしてその木の中央部は縦に裂け、内側からはまるで苺のような肉の塊が顔を覗かせていた。その肉からは更に円筒状のてらてらとした短い触手が体毛のように無数に生えている。
その触手は煙突が煙を吐くように、薄いもやのようなものを吐き出し続け、あれがウタの言っていた「霧」なのだと瞬時に理解した。
魔獣の数百はあるであろう目玉が、飛び上がったインヘルを異常事態と見なしたようで、それらは敵対的に一斉に彼女を睨みつける。
「そんなに見られちゃ恥ずかしいじゃねぇか。ほら、まずはご挨拶だ。頭下げろ」
魔法陣と共に、今度はインヘルの右腕が黒い金属に変化していく。彼女の背部から配線のようにチューブ状のものが飛び出し、その腕と接続すると、黒い金属は更なる変形を繰り返し、腕と巨大な口径の銃が一体化したかのような様相を呈した。
「【機々械々】ッ――」
その銃身は青白い光を放ち、巨大になった彼女の右腕周辺にはスパークのように火花が舞い散る。ご挨拶代わりに選択したその魔法は、魔法と呼ぶには無骨で、機械質で、禍々しくも血の通っていない「砲」であった。
「【重爆機関】!!」
空を切り裂くような爆音と閃光が同時に巻き起こり、身体をその反動で空中を何度か回転させながらも、足下を爆発させる際の驚異のコントローラビリティで姿勢を制御する。
弾丸とも呼び難い質量の塊は一直線に魔獣へと襲い掛かった。
しかしこの一撃は、魔獣の生み出す霧に触れた瞬間、融解するように霧散してしまう。どうやらあの煙のようなものには飛び道具を無効化する特殊な効果があるらしい。
「チッ……あれは魔術か? 意外と逞しい魔獣じゃねぇの」
魔獣の中には、現代の体系的な無属性魔法と類似点を持つ「魔術」と呼ばれる力を保有している個体も存在する。
通常と比較しても強力な魔獣がその力を使う傾向があるが、どうやら今回の敵もその例に漏れず魔術の力を持っているらしい。
しかし魔獣たちは、通常の魔法使いが用いるような属性魔法は扱わない。よって、一部の魔獣は「固有の能力」という形で魔術を用いていることが判明している。
「最大火力が通じないなら、近付くしかねぇ……なッ!」
インヘルは【重爆機関】を解除すると、空中で態勢を整え、再び飛翔の姿勢に入った。彼女の足元は炸裂し、凄まじい初速から、接近を開始した。
しかし魔獣もそれを黙って見ている訳ではない。インヘルが射程圏内へ侵入すると地面が隆起し、そこから飛び出た根が彼女目掛けて一斉に伸びる。彼女は両腕も金属化させ、脚部にある爆雷の噴出口を今度は両腕にも顕現させると、四肢から生み出された推進力を用いて、次々と迫り来る根を回避していった。
乱軌道を描いて標的へと接近するインヘルは魔獣の根よりも少しばかり速度が劣っているが、複雑な動きをしたまま高度を保つことにより、辛うじて直撃を免れる形となっている。
しかし、その動きに慣れたと思われる根の一部が、彼女の大腿部を抉るようにして掠めると、彼女はある違和感に気付いた。
「(ッ……傷が治らねぇ……! 傷口に何か埋め込みやがったな?)」
再生能力の発動が極端に遅れていたのだ。彼女の再生は物体を押し退けるようにして行われるが、再生を阻害するものが傷口を塞ぐと、途端に治癒の速度が遅くなる。
魔獣としては完治出来ない傷を与えると同時に、出血多量を誘発するための攻撃だろうが、それがインヘルの再生能力の妨害に大きく貢献していた。どうやら再生を過信して根を喰らい過ぎるのもいけないらしい。
彼女がふと傷口を確認すると、その内側から、まるで大粒の植物の種のような目玉たちがぎょろぎょろと大量に顔を覗かせていた。一つ一つが生きているかのように蠢いているようで、その度に強烈な痛みが彼女を襲う。
「(うわキモッ!? 超痛ェし……! 何発も喰らうのは危ねぇぞ……!!)」
更にインヘルたちは怒涛のドッグファイトを繰り広げる。
根は何度も彼女の身体を掠め、その度に、耐え難い激痛は留まるどころか肥大化し、彼女の精神力までもをじわじわと蝕んでいった。
――そんな「ジリ貧」を完遂し、とうとうインヘルは魔獣の存在する空域の制空権を乗っ取った。
「オラァッ、取ったぞ、上ェッ!! もう一撃ブッ込むだけなら、私ゃどんだけ串刺しにされようが構わねェ……堕とすぜ……【機々械々】!」
インヘルは片脚を天に向けて大きく振り上げる。
隙を晒すような真似ではあったが、何本もの根が彼女の身体を槍のように貫いても、その「確実に葬る」という意志だけは崩れなかった。
彼女の振り上げた右脚に、葬儀屋の所以でもある黒い魔法陣が浮かび上がる。それはまるで巨大な漆黒の斧のように形を変えると、彼女は両腕の噴出口を炸裂させ、大回転しながら、その斧を豪快に踵落としの要領で振り抜いた。
「【戦斧機関】!!」
直撃の一瞬、魔獣の身体に腫瘍のように取り憑いていた肉の塊が大きく裂けると、それがまるで人間の口腔のように開いた。
「ヤメテ! 殺サナイデ!!」
「……!」
確かに魔獣は、人間の言葉で、そんな断末魔を上げる。
しかしインヘルは躊躇することもなく肉塊に向けて斧の刃を食い込ませると、直撃と同時に斧を爆裂させることにより更に刃を加速。ロケットエンジンのように段階的に炸裂させ続けることにより、巨大な高木を象った魔獣は、縦に真っ二つに叩き割られた。
その衝撃と轟音は、村にまで届くほどの巨大な爆発音となっていたという。終わりを告げる鐘には些か下品で荒っぽくて、そして何より「絢爛」な葬送だった。
◆
「ま、ママ! ひっ、ボロボロ……大丈夫……!?」
「……服は買い直しだな。ローブも。クソが……ぜってー経費で落としてやる」
彼女の傷口は既に縫合を始めるようにして、じわじわと塞がっていた。その手には毒々しい色合いの肉が握られている。魔獣の心臓だ。
「(……アイツ、喋ったよな。女の声だった。犠牲者の声帯か? それにしては……いや、まあ、今はやめよう……少し横になりたい)」
小言と考え事を交互に巡らせながら、その自らの行動から、自分がなかなかに「安定していない事」に気付き、すぐさま面倒なことを全てキャンセルして、今は休んでおく事にした。仕事を終えたのだ。ここからはラストラリーの領分だ。
魔獣の心臓を少女に手渡すと、彼女はおどおどしながらも、いつものように頷き、その場にへたり込んで、それを口に運んだ。
いつも「いただきます」は言わない。頂いているのではなく、これはおそらく弔いだから。「さようなら」の方がより正確だろう。
「はぐ……もぐ……もぐ……」
少女の頬を、一筋の涙が伝った。
その様子を見たインヘルが抱いた疑問は、ただ何の気なしにというほか表現しようがなく、考え事もしたくないような疲労感の中で溢れ出した、素朴なものだったのかもしれない。
「……なあラストラリー。お前、なんで泣くんだ?」
「ごくん……え?」
「その食事が弔いとして、何か意味のある事だってのは分かる。だけどよォ……バケモン如きの供養に、涙なんざ必要ねぇんじゃねーの? 何が悲しくて泣くんだ?」
「……えと、ね。これは……勝手に出ちゃうんだ。私、この時はいつも……報われなかったお願い事を、見送ってるような気持ちになって……悲しいの」
「はぁ……ま、意味は分かんねぇな。餓鬼のお前に聞いたのがバカだったぜ。私はちょっと寝る。森ん中は涼しくて気持ち良いからな」
涙を流せないインヘルは、彼女の言っている事の意味を全く理解する事が出来ないまま、一本の木に寄り掛かり、死んでしまったかのように目を閉じる。
そして供養を終えた少女は、何も言わずに、また彼女の隣へと腰を下ろして、その寝顔を幸せそうに眺めながら、動物の声も聞こえない静かな森の中で、母が目を覚ますまでの僅かな時間を穏やかに過ごした。
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