76.Dinner
食事会。
アーテローヤルにてゼビオが騎士団を護衛に呼んだように、そこは貴族にとって機密の祭典である。商談・領地戦略など、数多の機密が囁かれる場所ではマナーと秘密が全てを支配する。良くも悪くもプライベート。インヘルたちがそこへ招かれたということは、おそらく彼女たちに関わる何か重要な話をするということの裏返しであった。
そんなこともいざ知らず、2人は軽々しい気持ちで会場の扉を抜けた。そこには常軌を逸したサイズ感のロングテーブルに、ぽつりぽつりと席が立ち並んでいる。まるで孤島群だ。
そして、その中のとある一席の隣に少し高めの椅子が用意されていた。下手側の二つ目、身分の低い者が座るべき位置。おそらくはインヘルとラストラリーの為に置かれた席だろう。
しかしもう一つ、最も下手側に不自然に用意された席と食器があった。此処はインヘルたちよりも下の立場である者が座るべき場所だ。
「(……レイジィの席か。ひとつだけ家族と離れた場所にある。嫌な扱いだぜ全くよ)」
やがてインヘルは席順への興味も薄れ、周りを見回してみた。
内装から調度品に至るまで華やかだ。空間全体が、まさに貴族の食卓といった様子である。
まだインヘルたち以外に誰も来ていない。少し急ぎ過ぎたらしいので、彼女は自分の座席と思しき椅子に手を掛ける。
「ストップ。お母様が来るまではお出迎えの姿勢よ」
「ほー、そういうルールもあんのか」
それはシャプワに制止され、インヘルは両手を上げて斜に構えたように頷くと、指示に従った。
暫くするとクラウディアとウルリカが現れた。2人は初めて見る服装で、あの間違ったアメリカンスタイルを崩さなかった者までもが、拘束具のようなドレスコードに身を包んでいるのを見るに、この食事会は余程重要な意味があるものなのだろう。
とはいえ言葉遣いはそのままであり、まずはレベッカから、そして遅れてクラウディアが先に待機していた4人に挨拶をする。
「レベッカならまだしもシャプワお姉様まで……早いですね。特にお姉様はいつもギリギリなのに」
「Hey ベッキー! お帰り! 大学での仕事はどう?」
「はい! 研究はとても楽しいですわ、クラウディアお姉様! 生徒たちは少々気難しいですが……」
レベッカの職業は大学教授。齢20にも満たないというのに級を三段跳びで次々と跨ぎ、今や学問を教える立場だ。
インヘルはクラウディアの言から、最初は年齢的にもレベッカのことを大学に通っている身だと考えたが、生徒という単語が出てから混乱しながらも「やはり」という考えが頭をよぎった。やはりモントーバンだ。それを感じさせなくとも、レベッカもまた鬼才と呼ぶべき頭脳を持っているのだろう。インヘルはそう邪推した。
「HAHAHA! 数学専攻なんて大抵そうデショ! 勉強する為に勉強してる奇特な連中なんだカラ! 合理的なんだか、そうじゃナイんだか!」
「あっ、偏見ですわよお姉様! 素直な方もいらっしゃいますからね!」
などと世間話をしている彼女たちの後ろを、うっすらとした影のようなものが通ったような気がした。野生的なインヘルだけがその気配を敏感に察知すると、部屋の隅に先程までは居なかった人物が佇んで天井をぼうっと見上げている。
インヘルの黒髪よりも更に濃い漆黒。ただ、髪の内側は透き通った金属、或いは鏡面にも似た銀色を呈し、瞳の色素も同様に薄い。その視線はおぼろげながら、目に映る全てを見通しているような、不思議な輝きを帯びている。
玉虫色の煌めきを持つシャプワの髪や瞳とはまた違う、儚げな光芒。神秘的な色合いに囚われるように、インヘルは瞳を奪われた。
そんな上の空の様子に気付いたクラウディアが、余所見をする彼女の視線の先を辿ると、まるで亡霊でも見たかのように肩を震わせる。
「わ、ビックリした! ……んもう、来たなら声掛けてヨ〜」
その言葉で、インヘル、クラウディアに次いで、他の面々も彼女の方を見て、その存在感の薄さにギョッとする。インヘルは女の正体を簡単に予想できた。未だ顔を合わせていない四女。
「ハオフェン……帰ったら顔見せるなりさぁ、お帰りくらい言わせてよ」
「ハオフェンお姉様! 2ヶ月と11日ぶりですわね!」
「……たでま」
おそらく「ただいま」と言ったのだろうが、言葉を簡略化しまくっているのか、声帯と口元の労働量を最小限に抑えるようにして喋る彼女こそ、四女ハオフェン・モントーバン。
彼女は禁足地を歩める数少ない人物だ。同時に、現在モントーバン内において、ウルリカと同様に「神を射落としかねない者」という少々特殊な扱いを受けている1人でもある。
「(レイジィっぽさがあるな。何というか、1人が好きそうな……いや、この姉妹たちは何処となく全員レイジィっぽいか)」
傲岸さはシャプワに、奔放さはクラウディアに、孤独好きはハオフェンに、容姿はウルリカに――ともすると、テラやレベッカと似ている部分も、レイジィにはあるのかもしれない。
インヘルがそんなことを思っていると、まるで彼女の思考を察知して揶揄いに来たかのように、レイジィ本人が部屋の扉を開いた。隣には審議所で顔を合わせたきり姿を見ていなかったテラが同行している。
「(初めて見る取り合わせだな。あの2人は仲良いのか? どうも相性は悪そうなんだが……)」
騎士団長テラは白黒ツートンカラーの髪を上手く纏め上げ、鎧姿からは想像もつかないほどの、令嬢斯くあれり、とでも言うべき姿をしていた。思えば騎士の顔が初対面だったのだ。インヘルが物珍しさを感じるのも無理はない。
「こんばんは、テラお姉様。遅ればせながら……此処に来た研究者たちの護送、ありがとうございました」
「ああウルリカ。実際に仕事をしたのは部下だよ。要人の護衛に付かんなど騎士の名折れ。それに……案の定というべきか、尾行されていた気配もあったらしい。こんなキナ臭い事に巻き込んでしまって済まないな」
「承知の上ですよ。殲滅はしたのですか?」
「相手の規模が分からない故、その場は撒いて見逃したそうだ。私が付いていれば良かった」
要するに、自分が居れば「尾行していた者」とやらを1人残らずふん縛っていたであろう想像を実現する、確固たる自信があるということだ。事実、その通りである。シャプワ曰く「最強」……自己を知り、人を知る聖女が宣うのだから、実際に戦闘を見たことがないにしろ、その評価には信憑性がある。
おまけにインヘルはその片鱗を体験していた。審議所の地下で見せた無双の怪力。素の身体能力で強靭な魔獣にも勝る彼女の抵抗を振り解き、重さ45kgの塊を片手一本で籠絡する凄まじさである。軟弱なはずがない。
「む……そうだ、君たちも同席するのだったな」
「ようフィジカルお化け。食器壊すんじゃねーぞ」
「ぷはぁ……息が詰まりそうだったよ……ただでさえ喋っちゃいけないのに、隣にテラ姉様が居るとか……!」
四肢の末端に至るまで厳格さで身を固めているような騎士団長と行動を共にするなど、怠惰と自由の権化であるレイジィからしてみれば軽い拷問に匹敵するストレスだろう。彼女は個室に入るなり、だらしなく曲がった猫背を矯正するかのように伸びをすると、大きく息を吐き出した。
インヘルは思い出す。そういえば、レイジィは家族と会うのを「疲れる」という理由で遠ざけていた。その中でもテラとシャプワは、特に彼女を疲れさせる要因の筆頭なのかもしれない。嫌っている訳ではないのだろうが、あの2人はレイジィとリズムがあまり噛み合わなさそうだ。
「(個性の塊のクセして仲良いなコイツら……ということは、レベッカがレイジィを嫌うような素振りも本音じゃなく――)」
インヘルがちらりとレベッカに視線を向ける。
そこには、さながら廃棄されていく残飯を見るような眼差しをレイジィに向けている、さっきまで笑顔を振りまいていたはずの少女が居た。美しい顔立ちから犬歯を覗かせ、その隙間から蛇の鳴き声のような息をごく小さく吐き出している。
「(いや、こっちはマジモンっぽいな)」
そのせいかレイジィとレベッカはまるで膠着状態のフロントラインの如く、ある一定の距離から先へ踏み込まないよう牽制し合っているように見えた。
いつまで経ってもその空気は崩れることは無いまま、やがて姉妹たちがめいめいに雑談をしていると、両開きの扉が豪快に開く。そこにはメイド長候補のマチルダと、もう1人、当主代理であり姉妹たちの父親であるカスケードが姿を現した。
大袈裟に入室してきた2名に、姉妹たちの視線が一斉に集まる。
すると、誰にも謙遜したり畏まったりする事が無かった彼女たち全員が背筋を正した。それに釣られてラストラリーも体をこわばらせ、気をつけの姿勢を取ってしまう。
女は扉を支えるマチルダとカスケードの目の前を威風堂々と通過した。
モントーバン公爵家現当主……メルティ・ケルン・エルジェーベト・ヨルシカ・モントーバンその人である。
美人薄命とは嘘っぱちなのか、彼女の立ち姿は病床とは思えないほどに凛々しく、その流し目は危ういほど艶やかで、そして誰よりも重い責務を背負っているかのような、年齢にそぐわぬ密度の修羅場を幾度となく潜ってきた事が分かるオーラだった。
金色の髪は暗い場所ですら照らしてしまいそうなほどの煌めきで覆われており、インヘルの記憶の中に浮かび上がったヨルシカの容姿と、少なくない類似点があるように思えた。
初め、インヘルは彼女から、痛ましさというのを感じ取る事ができなかった。シャプワやクラウディアから聞いた話では、体調を著しく崩しており、精神状態もかなり不安定になっているという事だったが、実際の彼女には隙がない。
インヘルは彼女のそれが、シャプワが持つ分厚い仮面の「完成形」であると気付いた時には、心底身震いした。作り物でここまでの存在感を放てるのだとしたら、その虚構はもはや真実味すらある。
姉妹たちは母が無理をしていることなど、とっくに承知していた。それでも背筋を伸ばさざるを得ない。余りに偉大な嘘八百に対して、沈黙で答えるしかない。気付けばインヘルも姉妹たちに倣うかのようにして口を横一文字に結び、迫り上がるものを堪えきれずに姿勢を正していた。
一歩一歩の足音が時を止める。そのせいで、メルティの歩みはひどく緩慢な動作であると感じたが、全員の体は彼女の威光を確かに受け、流砂に溺れるかのように動かない。
やがて、彼女が一番上座に腰を下ろすと、よく通る呟き声で言った。
「出迎えありがとう。さあ、皆も席に」
すると言霊に許可を得たかの如く、全員の身体が勝手に動いた。まるで魔法のようだったが、実際はただのプレッシャーと身体反応の帰結だ。
「(……すっげぇ)」
おそらくはインヘルが、ごく長い一生をかけても辿り着けない極地だろう。生まれてこの方、真の意味で失敗したことのない人間だけが出せる、人間離れした人間らしさ。過去を全て克服してきたかのような眼差しは、優しくも鋭かった。
「マチルダ。今日は誰にも邪魔されたくないわ。給仕は最初の一度で良い」
「畏まりました」
メイド長候補マチルダが指を鳴らすと、服装のデザインが他とは異なる6名の女中が料理の皿を運び入れる。彼女たちは姉妹の専属メイド……マチルダをトップに据えた、この館の従者の中でもNo.2の権力を保有する者たちである。
背筋の伸びた厳格そうな者はテラに。表情の読めない者はシャプワに。常に笑顔を振りまく明朗な者はクラウディアに。気怠そうな細目の者はハオフェンに。凛々しい表情を浮かべた者はウルリカに。そして、まだ年端もいかぬ半人前のような容貌をした幼げな者はレベッカに、直接料理を提供した。
マチルダはいつの間にかワゴンのようなものを引いており、メルティ、カスケード、客人扱いであるインヘルとラストラリー、そして空席……もといレイジィの目の前に数々の皿を置いていく。
クラウディアの前にはドリンクだけが用意されたが、それはおそらく、彼女の体質を考慮してのことだろう。
「結構」
メルティのそんな静かな号令と共に、メイドたちは深く頭を下げ、ほんの少しでも気分を害すまいと言わんばかりに、そそくさと部屋を後にする。マチルダが最後に扉を閉めると、重低の金属音が、頑強な施錠を意味するように響く。
「……さあっ、冷めないうちに食べちゃいましょうか」
「イェーイ! ディナーターイム!」
数瞬間の沈黙を打ち破ったのは、先程とは打って変わって、茶目っ気のある声を出すメルティと、腕を突き上げて腹ペコのジェスチャーをするクラウディアの2人だった。
全員の肩の力が抜ける。度し難い変わり身の早さである。
それがインヘルの在り方を変えてしまうような食事会の始まりの合図であることは、彼女たちにとって全く想像もつかないことであった。




